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第五章・雨。その帳の向こう
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「どうして?」
「サエちゃん……ねえ、どうしたの? なにがあったの?」
友香の心配そうな声をよそに、サエはドアノブを両手で何度もまわした。だがいくら繰り返しても、重たい鉄扉が動く様子はない。諦めて扉から離れようとしたそのとき、背後から怒声が響いた。
「なにやってんだてめえら!?」
反射的に振り返ると、先ほどのスーツ姿の女性が本館側の出入り口に立っていた。
「なんでここにいやがる? とにかく、危ねえからさっさと体育館に――」
言いながら近づきかけた女性が足を止めた。アシンメトリーにカットされた金髪の短く刈り込まれた生え際から大粒の汗がしたたり落ち、形の良いあごの先へと伝っていくのが見える。
(彼女はなにを言ってるんだろう?)サエは思った。(ここが危ない? どういうこと? この人たちはなんなの?)
疑問が次々と浮かび、本館のほうへと近づいていくのもためらわれた。女性がスーツの前のボタンをすべてはずしており、その視線が自分たちからわずかにはずれた背後に注がれていることも気になった。
はたして、女性が上着の下から取り出したのは短機関銃だった。
もちろんサエは、艶消しの黒を基調としたそれがどんなものかを詳しくは知らなかった。ただしテレビなどで見た知識と女性のただならぬ様子から、それが武器であり、なおかつ本物であるということを直感していた。
「動くなよ」女性が銃を構えながら言う。
サエは傍らにいる友香に目配せをした。だが当の本人は彼女の頭を飛び越え、その上方に視線を向けていた。友人の瞳の中に怯えが息づいているのを感じ取ったのとほとんど同時に、バスのブレーキを連想させる物静かな、しかし力強い空気音が真横から聞こえた。
振り返り、目の前にあらわれた大きな影を、サエは最初場違いな置物かなにかかと思った。
でっぷりとした身体の正面からは二本の短い腕が生え、肩のあたりからはその数倍はあろう太く長いもう一対の腕が伸びていた。エプロンのようにでっぷりと垂れた腹がおおいかぶさった脚は短かいものの、巨体を支えられそうなほどじゅうぶんな太さがある。
首と顔の境目は無く、たるんだ顔面からは竹槍のような形の口吻が伸びていた。全身のシルエットはヒンドゥー教に登場する神、ガネーシャを連想させたが、その肌にはあちこちにイボがあり、不潔そうな黄土色をしていた。
「くそ!」
女性の悪態とともに空気を針で刺すような音が数回起こる。それから鞭でひっぱたいたような残響のなか、怪物……ストローヘッドと渾名されるレギオンの腹の数か所に小さな穴が空いた。
銃声を耳にサエは友香の両肩を抱くと、転がり出すようにして渡り廊下を離れた。屋根の下を出て、激しい雨が全身を打ったが気にならなかった。数メートルほど離れて振り返ると、女性が距離を詰める怪物に銃で応戦しているのが見えた。だが威力が足りないのか、怪物の歩調が銃撃で怯んでいるようすはなかった。
短機関銃が弾切れするや、女性は腰から抜いた拳銃をさらに怪物へと見舞った。だが拳銃の弾を撃ち尽くすよりも先に、怪物が横薙ぎに振った腕が命中する。背後へと吹き飛んだ女性は背中から鉄扉に激突すると、そのままもたれるようにしながら崩れ落ちた。糸の切れた人形のように深く俯き、鼻腔と口の端から細い血の筋が滴り落ちている。
サエも友香も、ひとことも声を発せずにいた。目の前で起きた出来事があまりに現実離れしていたからだ。ただその場で腰を抜かし、お互いの肩を抱きながら事の成り行きを眺めていることしかできなかった。
「サエちゃん……ねえ、どうしたの? なにがあったの?」
友香の心配そうな声をよそに、サエはドアノブを両手で何度もまわした。だがいくら繰り返しても、重たい鉄扉が動く様子はない。諦めて扉から離れようとしたそのとき、背後から怒声が響いた。
「なにやってんだてめえら!?」
反射的に振り返ると、先ほどのスーツ姿の女性が本館側の出入り口に立っていた。
「なんでここにいやがる? とにかく、危ねえからさっさと体育館に――」
言いながら近づきかけた女性が足を止めた。アシンメトリーにカットされた金髪の短く刈り込まれた生え際から大粒の汗がしたたり落ち、形の良いあごの先へと伝っていくのが見える。
(彼女はなにを言ってるんだろう?)サエは思った。(ここが危ない? どういうこと? この人たちはなんなの?)
疑問が次々と浮かび、本館のほうへと近づいていくのもためらわれた。女性がスーツの前のボタンをすべてはずしており、その視線が自分たちからわずかにはずれた背後に注がれていることも気になった。
はたして、女性が上着の下から取り出したのは短機関銃だった。
もちろんサエは、艶消しの黒を基調としたそれがどんなものかを詳しくは知らなかった。ただしテレビなどで見た知識と女性のただならぬ様子から、それが武器であり、なおかつ本物であるということを直感していた。
「動くなよ」女性が銃を構えながら言う。
サエは傍らにいる友香に目配せをした。だが当の本人は彼女の頭を飛び越え、その上方に視線を向けていた。友人の瞳の中に怯えが息づいているのを感じ取ったのとほとんど同時に、バスのブレーキを連想させる物静かな、しかし力強い空気音が真横から聞こえた。
振り返り、目の前にあらわれた大きな影を、サエは最初場違いな置物かなにかかと思った。
でっぷりとした身体の正面からは二本の短い腕が生え、肩のあたりからはその数倍はあろう太く長いもう一対の腕が伸びていた。エプロンのようにでっぷりと垂れた腹がおおいかぶさった脚は短かいものの、巨体を支えられそうなほどじゅうぶんな太さがある。
首と顔の境目は無く、たるんだ顔面からは竹槍のような形の口吻が伸びていた。全身のシルエットはヒンドゥー教に登場する神、ガネーシャを連想させたが、その肌にはあちこちにイボがあり、不潔そうな黄土色をしていた。
「くそ!」
女性の悪態とともに空気を針で刺すような音が数回起こる。それから鞭でひっぱたいたような残響のなか、怪物……ストローヘッドと渾名されるレギオンの腹の数か所に小さな穴が空いた。
銃声を耳にサエは友香の両肩を抱くと、転がり出すようにして渡り廊下を離れた。屋根の下を出て、激しい雨が全身を打ったが気にならなかった。数メートルほど離れて振り返ると、女性が距離を詰める怪物に銃で応戦しているのが見えた。だが威力が足りないのか、怪物の歩調が銃撃で怯んでいるようすはなかった。
短機関銃が弾切れするや、女性は腰から抜いた拳銃をさらに怪物へと見舞った。だが拳銃の弾を撃ち尽くすよりも先に、怪物が横薙ぎに振った腕が命中する。背後へと吹き飛んだ女性は背中から鉄扉に激突すると、そのままもたれるようにしながら崩れ落ちた。糸の切れた人形のように深く俯き、鼻腔と口の端から細い血の筋が滴り落ちている。
サエも友香も、ひとことも声を発せずにいた。目の前で起きた出来事があまりに現実離れしていたからだ。ただその場で腰を抜かし、お互いの肩を抱きながら事の成り行きを眺めていることしかできなかった。
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