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-16-『作戦会議』
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「あなたがJGGのエージェントですか? 高校生?」
海上保安庁の船から降りてきた降りてきた女性は、白むくの制服に身を包んでおり、およそ四十代。
うん。
確かに昔は美人であっただろう整った顔立ちをしている。
ブラックサングラスをかけ、黒服に身を包んだ俺は真顔で立ち尽し、返答に窮していた。
JGGという組織の邪悪さを知るには充分な出来事であり、いつか俺をこんな目に遭わせた<リトル・カーネル>を殺る決意を固める。
いたいけな少年の心を騙しやがって――絶対に許さねえ。
「ええ、俺は普通の高校生なんです。邪魔してすいません。もう帰ってもいいですか?」
「この握力計を握ってみてもらえます?」
「え、はい」
初対面なのにいきなり握力計を渡されて戸惑ったが、ぎゅっと引いてみる。
なるべく軽めにやって……帰宅しよう。
なんかやる気なくなっちゃったし、東京湾が馬鹿でかい宇宙イカだらけになっても俺は構わない。
ちょっとしたサファリパークみたいになるだけだし、別にどうでもいいと思う。
「お兄ちゃん。真面目にやったげてよ」
ぐいぐいと横から肩を揺すられる。
デートを中断したのに、この仕打ちはあんまりではないか。
先輩とミーナも一緒ではあるが、せっかくの水着デートがイカ退治になるのは無念でしかない。
地球の危機なら、きっちりと正当な報酬を与えるべきだろ。
ふつふつと湧きあがる怒りのためか、徐々に五指に力が入った。
ぐぐぐっと握力計のレバーが引き絞られる。
あっ、やべっ。
「なるほど、五百キロですか……地球にはない超合成生体金属の骨と筋肉を持つウルトラ高校生というのは本当のことだったんですね」
握力計がひったくるように奪われ、振り切れた針とメモリが凝視された。
チッ、軽めにやるつもりが思い切り力が入っちまった。
「あの、すいません。手加減するんでワンチャンお願いします」
「私は片桐と申します。巡視船『あきかぜ』の艦長を務めております。千トン型の四十ミリ機関砲を備えた我が高速艦にようこそ」
「すいません、帰っていいですか? 俺たちみたいな一介の高校生は無力ですし、本職の方に任せたいんですけど」
「どうぞ、こちらへ」
「いや、ボクは結構っていうか、国家には奉職してないっていうか……先輩、クーナ、ミーナ、乗り込まないでっ! 俺らは絶対、保安庁の皆様の邪魔になるからねっ!」
制止は無視され、女性陣は渡し板を踏み越えて階段を昇り、戦艦に乗り込んでいく。
波打ち際でぐらぐらと揺れる船体へと吸い込まれるように。
なんであんなにメンタルが強いのだろうか。
乗って当然みたいな顔をしてるし。
若い男女が乗り込んで来れば、船員さんは戸惑うに決まっている。
事情を知らない海上保安官たちの驚きの表情が気になるが、仕方なしに甲板にあがった俺としては、なるべく仕事の邪魔にならないように身を縮め、端っこに寄っておいた。
挨拶として、濃紺の制服を着た通りがかりの人に「海猿見ましたよ」って声をかけてもいまいちな反応。
やっぱり――歓迎されていないようだ。
「お若いエージェントさん。どのようにして東京湾に散らばった地球外生命体を処理するんですか?」
船は沖へと航行を始めた。
キャプテン・ハットを被った片桐さんが舷側で手すりを握り、景気を眺めている俺に質問してきたが、それは俺の方が聞きたい。
ていうか、あんたらがやるんじゃないのかよ。
俺は国防費貰ってないし。
「なるほど……方法はしゃべれない、ということですね。さすが極秘組織。私も最初は半信半疑でした。日本に地球外生命体がうろうろとしているなど」
沈黙は勝手に解釈された。
違う、そうじゃない。
ノープランなのだが、大丈夫なのだろうか
それにしても気になるのが――極秘組織が極秘にしなくなるとはどういうことか。
もう、この危機になりふり構っていないのか。
「ええっと……どうして信じようと思ったんですか?」
「一枚の浮世絵を貸して頂いたのです。かの高名な葛飾北斎の描いた冨嶽三十六景のロストナンバーである三十七番目。『大江戸妖怪退治』です……ご覧になりますか?」
「なんだかわかんないんですけど、多分それ、偽物だと思います。それに冨嶽三十六景は実際は四十六枚なのでロストナンバーにするなら四十七目じゃないかなと」
「君、持ってきてくれ」
都合の悪いことを片桐さんは聞かないふりをした。
さすがは一隻の艦長、恐ろしくスルースキル高いな。
江戸時代の浮世絵師としては有名人なので日本史で勉強した俺としては一応は知っているのだ。
片桐さんは部下を呼びつけると、豪華な額縁に入った浮世絵を手に持った。
構図としては歌舞伎メイクをした黒スーツの人々が馬鹿でかいヘビを相手にしており、先端にスーパーボールみたいなものがついた宇宙光線銃を向けていた。
なんだこの茶番は。
「ゴッホにも影響を与えた作品です。国宝ですよ」
「なるほど、ちなみにどちらの方からお借りしたんですか?」
「国土交通大臣です」
――嘘偽りのないひたむきな目。
洗脳かな?
「お兄ちゃん! タイタニックごっこしようよぉー!」
「おおっ」
船舶に乗ってテンションがあがってきたらしいクーナが満面の笑顔で両手を挙げてばんざいしながら突貫してきた。
抱きつかれまいとひらりとかわすと、ちょうど俺の目の前にいた片桐さんと衝突した。
クーナの頭突きを片桐さんの顎先を捉え、二人とも崩れ落ちて倒れる。
「いったぁー……よけるなんてひどいよぉ」
「くっ……む、こ、こ、国宝がぁ!?」
浮世絵『大江戸妖怪退治』はぽーんっと海へと落下していった。
水面にぶつかる寸前、ぐしゃりと船の横壁にぶつかって砕け散るのが見えた気がする。
片桐さんは姿勢を立て背筋を伸ばすとしばらく黙考し、俺に向き直る。
自らのポケットから財布を取り出し、一万円札を俺の手の平にぎゅっと握らせる。
「地球外生命体の仕業ということでここはひとつ」
「はい」
大人は汚い。しかし、賢い。
◇◆◇
「まだニュースにはなっておりませんが、ここ連日の東京湾の漁獲量が半分以下へと下がっているのです。最初は魚類だけでしたが、エビや貝などにも波及し、どの海産物も捕れなくなってきております。他湾に行くはずの漁獲物を入港させることで情報統制を行っておりますが、時期に発覚するでしょう。国民への動揺は最小限にしなければなりません。なんらかの深刻な海洋汚染が進んでいると考えて間違いありません」
作戦会議室に片桐さんの説明は焦燥を感じせなかったが、物寂しい漁港の写真が貼りだると場に悲壮感が増した。
キャップを被った仲買人が空っぽの発泡スチロールを見下ろしている。
宇宙イカは相当な悪食のようでナマコやシャコといったものまでも捕食し、東京湾の海洋生物は滅亡の一途を辿っていると語る口ぶりはスケールが大きすぎて実感が湧かなかったが、海中で撮影されたと思われる宇宙イカの群れが集団でホオジロサメを襲うシーンまでも記録されており、映像が流れるとその獰猛さに寒気がした。
ビタビタと体長三十センチあまりのイカが数倍の大きさのサメに次々と張りつき、がりがりと皮膚を咀嚼して貪っているのだ。
哀れなサメは骨だけにされた。地獄の餓鬼のような貪欲な食欲。
前に先輩が口にした通り――彼らは群れをなす。
それも巨大な姿へ成長し、海中のあらゆる生物を食い滅ぼす。
彼らは地球の生き物ではないゆえに限度を知らず、本能のままに動いている。
「これは深刻な海洋汚染です。我々の政府はどんな手段を使っても宇宙イカを始末せよとの命令を下しております。そこで地球外生物の専門家である君たちに来てもらったのだが、知恵を貸してもらいたい」
どうして俺たちが呼ばれたのか理由はわかったが、俺は別に専門家じゃない。
頼みの綱の先輩は腕を組んで黙り込み。
クーナは眉間にしわを寄せ。
ミーナに至ってはなぜかレトルトの海軍カレーを食べていた。
成長期だしヤキソバじゃ足りなかっただろうが、俺の二番目の妹の胆力は半端ない。
テーブルを囲んでいる海上保安官のおじさんたちはやや呆れながら頬杖をついたり、胡乱な目で俺たちを見回したりしている。
気持ちはわからなくないが、海に生きる彼らはこの重大さが肌身でわかっているので緊張感はある。
片桐さんとは別口のお偉いさんっぽいのが机をとんとんと指で叩いてしていら立っているのが気になるが。
「<海邸星>の宇宙イカは天敵である生物がいた。それらを採取して戻ってくれば一定の個体数は削れる」
片目を開けての先輩の提案に片桐さんは疑問を呈した。
「なるほど、それらは地球の生物に影響はないですか?」
「彼らは人語を解するので取引次第になるが、新たな海洋汚染を引き起こす可能性もある」
「それでは容易には国は許可しないでしょうね。時間がかかりすぎます」
「漁師さんに頼んで大量に捕っちゃうのは?」
クーナの提案は多少なりともよいものに思えたが、肩をすくめられた。
既に試みた結果を教えてくれる。
「網も釣り糸も噛み切るのです。鋼材を編み込んだものを用意しましたが、彼らは仲間意識が予想以上に強く、一匹でも釣り上げると船を転覆させるほど攻撃してくるのです」
「打つ手がないのだ。こんなことをしている暇はない。他国の領海へ生息域が広がれば我が国の責任問題となる。正直なところ猫の手でも借りたい」
官僚っぽい身綺麗なスーツの人が憤懣やるかたなく拳をテーブルに打ちつけ、ぷるぷると震わせながら訴えてくる。
誰もが具体的に対処案を述べられない。
議会はしんとして、まるでお通夜みたいだった。
彼らにとって俺たちは頼みの綱だったかもしれないが、遠い星で生息していたイカのことなんて先輩が知らなければ俺だってわからない。
俺があのときにきちんと始末しておけば――しかし、クーナの救出を優先した結果でもあるし、後悔はしていない。
ぽつりと、また誰かが口を開いた。
それまでずっと黙り込んでいた彼女はこの場で一番無関係だったはずだ。
「<海邸星>のジャイアント・イカロンは夜行性……得に赤色の光に集まる生態。そこを爆薬をぶつけて気絶させ、浮かび上がってきたのを機関銃で一掃すればいい」
「ミーナ?」
「ロンサムの子供たちはあと約八十時間で産卵できるように変化する。<海邸星>の過酷な環境を経験しているイカたちは地球のイカよりも何百倍も成長スピードが速い。それがか弱い彼女たちの生存戦略」
「か弱い? はは、船を転覆させて鋼材を噛み切る生物がか?」
「人間は陸の生き物だから……そもそも、海で勝てるわけない。この戦いで負ければ海から追い出されるのは必然」
ミーナはカレーに入ったニンジンを皿から押し出しながらぽつぽつと語った。
俺は俺の小さい妹の方まで宇宙の馬鹿どもに関わっていると知り、やり場のない怒りに震えていたが貴重な意見だったことは間違いなく、片桐さんは「それでいこう」と支持した。
夜間作戦のための会議が始まる。
俺たちにできることはほとんどなく、機銃掃射の保安官とランチャー式の爆薬の充填作業の割り振りが決まっていく。
小休止が入ると俺は会議室から廊下へ出た。
事前にミーナに目配せしておいたので俺のあとについてくる。
あてがわれたのは個室とはいかず、上下の二段ベッドの置かれた狭苦しい部屋だったが、快適とはいなくても寝ることはできそうだ。
「にいちゃん。ごめん」
関の口一番、ミーナは謝罪した。
クーナのごっこ遊びや地球外生物の騒動に関わり合いがないと思っていたミーナが関わっていたことは少なからず俺に衝撃を与えたが――責めるつもりはない。
「いや、いいんだ。ただ、どうしてそんなに宇宙のことを知ってるんだ?」
ベッドに座らせ、俺もその隣に腰かけて極力優しい顔を作って問う。
叱るのではなく、ただ疑問を解消するために。
「うん……あたしは、あの畜生並に頭の悪い淫乱デブと違って……賢いから、ママの遺した検索ツールを使うことができたの」
「検索ツール?」
「家にあるよ。でも、たとえ、にいちゃんでもあの部屋には入れられない」
ミーナの自室は入ったことはあるが――もっと別の隠し部屋でもあるのだろうか。
まあそれはいい。
多感な時期なのだから秘密の一つや二つあって当然だし、ここは兄として寛容になるべきだ。
「そうか……にいちゃんはお前の大事な物に勝手に触ったりしないから、心配するな」
「うん、ありがとう、にいちゃん……ふにゃん」
よしよしするとミーナは気持ちよさげな鳴き声をあげた。
わき腹をくすぐったり、顎元を指でいじったりするとケラケラと笑いだした。
「にいちゃん。もう、だめっ……あははっ……うんっ、もう」
「くくっ……ここがいいのか?」
「もう、にいちゃぁん……だめだって」
嬉しそうな悲鳴をあげながらも桜色に頬を染め、とろけた顔のミーナはついに陥落したようで後ろ向きにベッドに倒れ込んだ。
脱力しながらふぅーふぅーっと呼吸を乱している。
それなのになぜか、「もっと」とでも言いたげに揺れる瞳は妖しく濡れている。
「みっ、ミーナ?」
「にいちゃん……だいちゅき」
だっこ、とでも言いたげに伸びる両手。
背中に手を回して抱きしめてやると、ふにふにとした小さな体は驚いたことに女の子をしていた。
ウェストにくびれもできかけているし、寸胴に見えた身体は女性らしい丸みを備えてきている。
脳みそを焼く甘い匂いが鼻孔に忍び込み、胸板に押しつけられるふくらみ。
ミーナも着実に成長してきている。
柔らかい髪を後ろからなでると、さらさらとして心地いい。
俺の可愛いもう一人の妹はそろそろ――兄離れさせなければならない。
心苦しいが、いつまでも俺に依存させたままではいけない。
俺の愛は変わらないが、とき厳しく接することも必要だ。
それに俺は兄でありながらも親代わりにもなっていたつもりだがちょっとなんか最近、ミーナも違ってきている気がする。
クーナと同じく方向性が間違ってきてるというか……なぜか両手をクロスさせて上着を脱ぎ捨てたかと思えばチュチュスカートのホックを外してるし、あわれもない下着姿になりながらも俺を見て艶然と唇をなぞり、甘い体臭を漂わせているっていうか、兄妹ですることはもうこれ以上ないっていうか。
流れで何をしようとしてるっていうか。
「コラァッ!」
バンッと扉が開いて鬼の形相でクーナが現れた。
不動明王を背負いながら憤怒に燃える瞳が動揺している俺とパンツを下そうとしているミーナを見下ろし、足を踏み鳴らしてつかつかと接近してくる。
俺はひぃと声を漏らしたが、ミーナは毅然として立ち向かった。
「お姉ちゃん、消えて。ここから先はあたしとにいちゃんのラブストーリーの開幕なの」
「みぃー、妹の分際で兄を寝取ろうなどと生意気な。万死に値する」
ポキポキと拳を鳴らして凄味を利かせるクーナだったがミーナはハンッ、と鼻で嘲笑した。
「お姉ちゃん。あたしの方が若くてぴちぴちなの。高校生なんて既にBBA。にいちゃんはあたしとの愛の終着駅を目指してマッハゴーゴーゴーなの」
「なっ……姉を差し置いて音速を越えようというの……!」
クーナは口許をわなわなと痙攣させて瞠目する。何言ってんだこいつら。
「ふふっ、そこで指を咥えて見ていればいい。にいちゃんとあたしがスカイラブハリケーンするのを」
「許さないから……みぃー……決して許さないからね!」
「おい、なんだかわからんが、お前らの兄は何もするつもりはないからな。ミーナ、ふざけてないで着崩れた服を直しなさい。クーナ。いい加減に落ちついて座りなさい」
「はーい」
「はーい」
語気を強めると返事だけはいい二人はいわれた通りにした。
そそくさと服をまとうミーナを盗み見て俺は安堵した。正直なところ、かなり危ないところだった。
ミーナを甘やかしたくなる何かを持っている。
魔性の女というべきか――しかし、なぜ俺の妹たちはちょっとアレなんだよ……。
海上保安庁の船から降りてきた降りてきた女性は、白むくの制服に身を包んでおり、およそ四十代。
うん。
確かに昔は美人であっただろう整った顔立ちをしている。
ブラックサングラスをかけ、黒服に身を包んだ俺は真顔で立ち尽し、返答に窮していた。
JGGという組織の邪悪さを知るには充分な出来事であり、いつか俺をこんな目に遭わせた<リトル・カーネル>を殺る決意を固める。
いたいけな少年の心を騙しやがって――絶対に許さねえ。
「ええ、俺は普通の高校生なんです。邪魔してすいません。もう帰ってもいいですか?」
「この握力計を握ってみてもらえます?」
「え、はい」
初対面なのにいきなり握力計を渡されて戸惑ったが、ぎゅっと引いてみる。
なるべく軽めにやって……帰宅しよう。
なんかやる気なくなっちゃったし、東京湾が馬鹿でかい宇宙イカだらけになっても俺は構わない。
ちょっとしたサファリパークみたいになるだけだし、別にどうでもいいと思う。
「お兄ちゃん。真面目にやったげてよ」
ぐいぐいと横から肩を揺すられる。
デートを中断したのに、この仕打ちはあんまりではないか。
先輩とミーナも一緒ではあるが、せっかくの水着デートがイカ退治になるのは無念でしかない。
地球の危機なら、きっちりと正当な報酬を与えるべきだろ。
ふつふつと湧きあがる怒りのためか、徐々に五指に力が入った。
ぐぐぐっと握力計のレバーが引き絞られる。
あっ、やべっ。
「なるほど、五百キロですか……地球にはない超合成生体金属の骨と筋肉を持つウルトラ高校生というのは本当のことだったんですね」
握力計がひったくるように奪われ、振り切れた針とメモリが凝視された。
チッ、軽めにやるつもりが思い切り力が入っちまった。
「あの、すいません。手加減するんでワンチャンお願いします」
「私は片桐と申します。巡視船『あきかぜ』の艦長を務めております。千トン型の四十ミリ機関砲を備えた我が高速艦にようこそ」
「すいません、帰っていいですか? 俺たちみたいな一介の高校生は無力ですし、本職の方に任せたいんですけど」
「どうぞ、こちらへ」
「いや、ボクは結構っていうか、国家には奉職してないっていうか……先輩、クーナ、ミーナ、乗り込まないでっ! 俺らは絶対、保安庁の皆様の邪魔になるからねっ!」
制止は無視され、女性陣は渡し板を踏み越えて階段を昇り、戦艦に乗り込んでいく。
波打ち際でぐらぐらと揺れる船体へと吸い込まれるように。
なんであんなにメンタルが強いのだろうか。
乗って当然みたいな顔をしてるし。
若い男女が乗り込んで来れば、船員さんは戸惑うに決まっている。
事情を知らない海上保安官たちの驚きの表情が気になるが、仕方なしに甲板にあがった俺としては、なるべく仕事の邪魔にならないように身を縮め、端っこに寄っておいた。
挨拶として、濃紺の制服を着た通りがかりの人に「海猿見ましたよ」って声をかけてもいまいちな反応。
やっぱり――歓迎されていないようだ。
「お若いエージェントさん。どのようにして東京湾に散らばった地球外生命体を処理するんですか?」
船は沖へと航行を始めた。
キャプテン・ハットを被った片桐さんが舷側で手すりを握り、景気を眺めている俺に質問してきたが、それは俺の方が聞きたい。
ていうか、あんたらがやるんじゃないのかよ。
俺は国防費貰ってないし。
「なるほど……方法はしゃべれない、ということですね。さすが極秘組織。私も最初は半信半疑でした。日本に地球外生命体がうろうろとしているなど」
沈黙は勝手に解釈された。
違う、そうじゃない。
ノープランなのだが、大丈夫なのだろうか
それにしても気になるのが――極秘組織が極秘にしなくなるとはどういうことか。
もう、この危機になりふり構っていないのか。
「ええっと……どうして信じようと思ったんですか?」
「一枚の浮世絵を貸して頂いたのです。かの高名な葛飾北斎の描いた冨嶽三十六景のロストナンバーである三十七番目。『大江戸妖怪退治』です……ご覧になりますか?」
「なんだかわかんないんですけど、多分それ、偽物だと思います。それに冨嶽三十六景は実際は四十六枚なのでロストナンバーにするなら四十七目じゃないかなと」
「君、持ってきてくれ」
都合の悪いことを片桐さんは聞かないふりをした。
さすがは一隻の艦長、恐ろしくスルースキル高いな。
江戸時代の浮世絵師としては有名人なので日本史で勉強した俺としては一応は知っているのだ。
片桐さんは部下を呼びつけると、豪華な額縁に入った浮世絵を手に持った。
構図としては歌舞伎メイクをした黒スーツの人々が馬鹿でかいヘビを相手にしており、先端にスーパーボールみたいなものがついた宇宙光線銃を向けていた。
なんだこの茶番は。
「ゴッホにも影響を与えた作品です。国宝ですよ」
「なるほど、ちなみにどちらの方からお借りしたんですか?」
「国土交通大臣です」
――嘘偽りのないひたむきな目。
洗脳かな?
「お兄ちゃん! タイタニックごっこしようよぉー!」
「おおっ」
船舶に乗ってテンションがあがってきたらしいクーナが満面の笑顔で両手を挙げてばんざいしながら突貫してきた。
抱きつかれまいとひらりとかわすと、ちょうど俺の目の前にいた片桐さんと衝突した。
クーナの頭突きを片桐さんの顎先を捉え、二人とも崩れ落ちて倒れる。
「いったぁー……よけるなんてひどいよぉ」
「くっ……む、こ、こ、国宝がぁ!?」
浮世絵『大江戸妖怪退治』はぽーんっと海へと落下していった。
水面にぶつかる寸前、ぐしゃりと船の横壁にぶつかって砕け散るのが見えた気がする。
片桐さんは姿勢を立て背筋を伸ばすとしばらく黙考し、俺に向き直る。
自らのポケットから財布を取り出し、一万円札を俺の手の平にぎゅっと握らせる。
「地球外生命体の仕業ということでここはひとつ」
「はい」
大人は汚い。しかし、賢い。
◇◆◇
「まだニュースにはなっておりませんが、ここ連日の東京湾の漁獲量が半分以下へと下がっているのです。最初は魚類だけでしたが、エビや貝などにも波及し、どの海産物も捕れなくなってきております。他湾に行くはずの漁獲物を入港させることで情報統制を行っておりますが、時期に発覚するでしょう。国民への動揺は最小限にしなければなりません。なんらかの深刻な海洋汚染が進んでいると考えて間違いありません」
作戦会議室に片桐さんの説明は焦燥を感じせなかったが、物寂しい漁港の写真が貼りだると場に悲壮感が増した。
キャップを被った仲買人が空っぽの発泡スチロールを見下ろしている。
宇宙イカは相当な悪食のようでナマコやシャコといったものまでも捕食し、東京湾の海洋生物は滅亡の一途を辿っていると語る口ぶりはスケールが大きすぎて実感が湧かなかったが、海中で撮影されたと思われる宇宙イカの群れが集団でホオジロサメを襲うシーンまでも記録されており、映像が流れるとその獰猛さに寒気がした。
ビタビタと体長三十センチあまりのイカが数倍の大きさのサメに次々と張りつき、がりがりと皮膚を咀嚼して貪っているのだ。
哀れなサメは骨だけにされた。地獄の餓鬼のような貪欲な食欲。
前に先輩が口にした通り――彼らは群れをなす。
それも巨大な姿へ成長し、海中のあらゆる生物を食い滅ぼす。
彼らは地球の生き物ではないゆえに限度を知らず、本能のままに動いている。
「これは深刻な海洋汚染です。我々の政府はどんな手段を使っても宇宙イカを始末せよとの命令を下しております。そこで地球外生物の専門家である君たちに来てもらったのだが、知恵を貸してもらいたい」
どうして俺たちが呼ばれたのか理由はわかったが、俺は別に専門家じゃない。
頼みの綱の先輩は腕を組んで黙り込み。
クーナは眉間にしわを寄せ。
ミーナに至ってはなぜかレトルトの海軍カレーを食べていた。
成長期だしヤキソバじゃ足りなかっただろうが、俺の二番目の妹の胆力は半端ない。
テーブルを囲んでいる海上保安官のおじさんたちはやや呆れながら頬杖をついたり、胡乱な目で俺たちを見回したりしている。
気持ちはわからなくないが、海に生きる彼らはこの重大さが肌身でわかっているので緊張感はある。
片桐さんとは別口のお偉いさんっぽいのが机をとんとんと指で叩いてしていら立っているのが気になるが。
「<海邸星>の宇宙イカは天敵である生物がいた。それらを採取して戻ってくれば一定の個体数は削れる」
片目を開けての先輩の提案に片桐さんは疑問を呈した。
「なるほど、それらは地球の生物に影響はないですか?」
「彼らは人語を解するので取引次第になるが、新たな海洋汚染を引き起こす可能性もある」
「それでは容易には国は許可しないでしょうね。時間がかかりすぎます」
「漁師さんに頼んで大量に捕っちゃうのは?」
クーナの提案は多少なりともよいものに思えたが、肩をすくめられた。
既に試みた結果を教えてくれる。
「網も釣り糸も噛み切るのです。鋼材を編み込んだものを用意しましたが、彼らは仲間意識が予想以上に強く、一匹でも釣り上げると船を転覆させるほど攻撃してくるのです」
「打つ手がないのだ。こんなことをしている暇はない。他国の領海へ生息域が広がれば我が国の責任問題となる。正直なところ猫の手でも借りたい」
官僚っぽい身綺麗なスーツの人が憤懣やるかたなく拳をテーブルに打ちつけ、ぷるぷると震わせながら訴えてくる。
誰もが具体的に対処案を述べられない。
議会はしんとして、まるでお通夜みたいだった。
彼らにとって俺たちは頼みの綱だったかもしれないが、遠い星で生息していたイカのことなんて先輩が知らなければ俺だってわからない。
俺があのときにきちんと始末しておけば――しかし、クーナの救出を優先した結果でもあるし、後悔はしていない。
ぽつりと、また誰かが口を開いた。
それまでずっと黙り込んでいた彼女はこの場で一番無関係だったはずだ。
「<海邸星>のジャイアント・イカロンは夜行性……得に赤色の光に集まる生態。そこを爆薬をぶつけて気絶させ、浮かび上がってきたのを機関銃で一掃すればいい」
「ミーナ?」
「ロンサムの子供たちはあと約八十時間で産卵できるように変化する。<海邸星>の過酷な環境を経験しているイカたちは地球のイカよりも何百倍も成長スピードが速い。それがか弱い彼女たちの生存戦略」
「か弱い? はは、船を転覆させて鋼材を噛み切る生物がか?」
「人間は陸の生き物だから……そもそも、海で勝てるわけない。この戦いで負ければ海から追い出されるのは必然」
ミーナはカレーに入ったニンジンを皿から押し出しながらぽつぽつと語った。
俺は俺の小さい妹の方まで宇宙の馬鹿どもに関わっていると知り、やり場のない怒りに震えていたが貴重な意見だったことは間違いなく、片桐さんは「それでいこう」と支持した。
夜間作戦のための会議が始まる。
俺たちにできることはほとんどなく、機銃掃射の保安官とランチャー式の爆薬の充填作業の割り振りが決まっていく。
小休止が入ると俺は会議室から廊下へ出た。
事前にミーナに目配せしておいたので俺のあとについてくる。
あてがわれたのは個室とはいかず、上下の二段ベッドの置かれた狭苦しい部屋だったが、快適とはいなくても寝ることはできそうだ。
「にいちゃん。ごめん」
関の口一番、ミーナは謝罪した。
クーナのごっこ遊びや地球外生物の騒動に関わり合いがないと思っていたミーナが関わっていたことは少なからず俺に衝撃を与えたが――責めるつもりはない。
「いや、いいんだ。ただ、どうしてそんなに宇宙のことを知ってるんだ?」
ベッドに座らせ、俺もその隣に腰かけて極力優しい顔を作って問う。
叱るのではなく、ただ疑問を解消するために。
「うん……あたしは、あの畜生並に頭の悪い淫乱デブと違って……賢いから、ママの遺した検索ツールを使うことができたの」
「検索ツール?」
「家にあるよ。でも、たとえ、にいちゃんでもあの部屋には入れられない」
ミーナの自室は入ったことはあるが――もっと別の隠し部屋でもあるのだろうか。
まあそれはいい。
多感な時期なのだから秘密の一つや二つあって当然だし、ここは兄として寛容になるべきだ。
「そうか……にいちゃんはお前の大事な物に勝手に触ったりしないから、心配するな」
「うん、ありがとう、にいちゃん……ふにゃん」
よしよしするとミーナは気持ちよさげな鳴き声をあげた。
わき腹をくすぐったり、顎元を指でいじったりするとケラケラと笑いだした。
「にいちゃん。もう、だめっ……あははっ……うんっ、もう」
「くくっ……ここがいいのか?」
「もう、にいちゃぁん……だめだって」
嬉しそうな悲鳴をあげながらも桜色に頬を染め、とろけた顔のミーナはついに陥落したようで後ろ向きにベッドに倒れ込んだ。
脱力しながらふぅーふぅーっと呼吸を乱している。
それなのになぜか、「もっと」とでも言いたげに揺れる瞳は妖しく濡れている。
「みっ、ミーナ?」
「にいちゃん……だいちゅき」
だっこ、とでも言いたげに伸びる両手。
背中に手を回して抱きしめてやると、ふにふにとした小さな体は驚いたことに女の子をしていた。
ウェストにくびれもできかけているし、寸胴に見えた身体は女性らしい丸みを備えてきている。
脳みそを焼く甘い匂いが鼻孔に忍び込み、胸板に押しつけられるふくらみ。
ミーナも着実に成長してきている。
柔らかい髪を後ろからなでると、さらさらとして心地いい。
俺の可愛いもう一人の妹はそろそろ――兄離れさせなければならない。
心苦しいが、いつまでも俺に依存させたままではいけない。
俺の愛は変わらないが、とき厳しく接することも必要だ。
それに俺は兄でありながらも親代わりにもなっていたつもりだがちょっとなんか最近、ミーナも違ってきている気がする。
クーナと同じく方向性が間違ってきてるというか……なぜか両手をクロスさせて上着を脱ぎ捨てたかと思えばチュチュスカートのホックを外してるし、あわれもない下着姿になりながらも俺を見て艶然と唇をなぞり、甘い体臭を漂わせているっていうか、兄妹ですることはもうこれ以上ないっていうか。
流れで何をしようとしてるっていうか。
「コラァッ!」
バンッと扉が開いて鬼の形相でクーナが現れた。
不動明王を背負いながら憤怒に燃える瞳が動揺している俺とパンツを下そうとしているミーナを見下ろし、足を踏み鳴らしてつかつかと接近してくる。
俺はひぃと声を漏らしたが、ミーナは毅然として立ち向かった。
「お姉ちゃん、消えて。ここから先はあたしとにいちゃんのラブストーリーの開幕なの」
「みぃー、妹の分際で兄を寝取ろうなどと生意気な。万死に値する」
ポキポキと拳を鳴らして凄味を利かせるクーナだったがミーナはハンッ、と鼻で嘲笑した。
「お姉ちゃん。あたしの方が若くてぴちぴちなの。高校生なんて既にBBA。にいちゃんはあたしとの愛の終着駅を目指してマッハゴーゴーゴーなの」
「なっ……姉を差し置いて音速を越えようというの……!」
クーナは口許をわなわなと痙攣させて瞠目する。何言ってんだこいつら。
「ふふっ、そこで指を咥えて見ていればいい。にいちゃんとあたしがスカイラブハリケーンするのを」
「許さないから……みぃー……決して許さないからね!」
「おい、なんだかわからんが、お前らの兄は何もするつもりはないからな。ミーナ、ふざけてないで着崩れた服を直しなさい。クーナ。いい加減に落ちついて座りなさい」
「はーい」
「はーい」
語気を強めると返事だけはいい二人はいわれた通りにした。
そそくさと服をまとうミーナを盗み見て俺は安堵した。正直なところ、かなり危ないところだった。
ミーナを甘やかしたくなる何かを持っている。
魔性の女というべきか――しかし、なぜ俺の妹たちはちょっとアレなんだよ……。
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