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-9-『氷壁のシフル』
しおりを挟むどの世界にも言えることだが、魔界にも序列がある。
最高峰は魔王であるが、次点として四魔将という階位が存在した。
魔界の外周を囲う諸外国との紛争が絶えない頃、各方面の戦線に指揮官を送るため、必然的に生まれた職位である。
雑多な生態を持つ魔族の中でも、特に抜きんでた実力者がその権力の座に就いた。
四魔将は魔王の手足であり。
人類を畏怖させる武の象徴であり。
異世界勇者でさえ、戦うことを回避した怪物たちとされている。
その魔人の一角。
〝氷壁〟のシフルは、厳しい表情で領収書を睨んでいた。
紙の両端を摘まむその手は、ぷるぷると細かく揺れていた。薄氷色の目玉が横走りする。請求書の金額を再確認したのだ。
数字が間違いではないと認識すると、頬がわなわなと動いた。
主計長の肩書もあわせ持つ彼女は、現在では魔軍の台所を管理する役目を負っていた。つまり、財務の責任者ということになる。
そして本日は月末の決算日であるが、結果はよろしくない。
「なん……だよ、これ。
最近、食費かかりすぎだろ。
あたしの知らない間に、竜の多頭飼いでも始まってるのかよ」
シフルは目頭を揉みほぐし、嘆きながら首を左右に振った。
肩まで伸びた、美しい藍色のツインーテールがたなびく。
そうすると、不思議なことに髪の束がキラキラと輝き始めた。その正体は細かい氷の粒だった。室内光に反射しているのだ。
極地に浮かぶ氷山から精霊化したシフルは感情が昂ぶると、冷気を放射する悪癖があった。
苦悩するシフルを中心として、周囲の空気が冷却されていく。
白い靄がじわじわと室内を浸食し始め、床や天井に霜(しも)が降り、ピキピキと乾いた音を立てて拡大していった。
急激な室温の降下により、事務室で仕事に励んでいた同僚たちが顔を上げた。
一様にアザラシの亜人たちだ。
分厚い皮下脂肪を蓄えた彼らは、裸でも寒冷地に適応できる種族であるのだが、首もとにマフラーを巻き、着膨れするほど防寒着を羽織っていた。
理由は言わずもが、シフルが巻き起こす寒波対策だ。
「主計長、寒いでごんす」
「うるせぇー、我慢しろや!
あたしは暑いくらいなんだよ!」
「理不尽でごんす」
「心までも冷たい女でごんす」
「だから五百年も生きてて、嫁の貰い手がつかないでごんす」
「最後の奴、ぶち殺して生皮剥ぐぞ」
三名のアザラシ亜人にコンボで煽られ、青筋を立てたシフルはギロリと凄んだ。
アザラシたちは強烈なプレッシャーに身をすくませる。その弱々しい反応に満足して、シフルは揺らめかせていた冷気を制御した。
寒波の渦は霧散し、動いていた気流がとまる。
「はぁー……しっかし、
うちも貧乏になっちまったなぁー」
指先で請求書を摘まみ、ひらひらさせながらシフルは魔軍の財政難に思いを馳せた。
前魔王バクスイの死後、右肩下がりで税収は減っている。
魔界での魔王の影響力が失われつつある証拠だ。
昔はよかった。
各地に点在するエリアボスは敬意を払って貢物を納めたし、土地の支配者たちは嬉々として金品を献上してくれた。
配下のモンスターたちも大活躍だった。
レベル上げという名目で弱者をイジメる冒険者たちを薙ぎ倒し、大量の戦利品を持って帰ってくれた。
前魔王バクスイが異世界勇者に敗れるまでは、魔族にとって住みやすい世の中だった。
凋落の日のことを、シフルはよく覚えている。
真夜中の月のない晩だった。
若い勇者は手勢を引き連れ、卑怯にも就寝中の魔王を襲ったのだ。
四魔将たちが現場に駆けつけ、勇者を炭に変えたときはすべてが手遅れだった。
秘剣を胸に刺されたバクスイは絶命しており、手の施しようがなかった。
物言わぬ亡骸にすがりつくネムエルの姿は、今でもシフルの網膜に焼きつき、鮮明に思いだすことができる。
――ねえ、起きてよ、パパ。
朝だよ。ねえ、起きてよ。
ネムエルは死を理解しようとしなかった。
二度と動かない父を揺すり、声をかけ続ける姿は哀れみを誘い、シフルの目尻を熱くした。
あんな、身が切られるような悲しみを抱いたことはなかった。
この一人ぼっちの幼子は、自分が護ってやる。
シフルがそう固く決意してから、早五年。
過保護に育てられたネムエルは、立派な引きこもりへと育った。
完全に教育の仕方をしくじったのだ。
「シフルの姉さんっ!
北門に人間の侵入者がきましたぜ!!」
事務室の戸口が、ドコンッとけたたましい音を立てて開かれた。
現れたのはレーザージャケットを着た青肌のトカゲ男だ。種族名はブルーリザードマン。ウロコに覆われた肉体を持ちながらも、知性を獲得した魔物らしく二足歩行している。
(まーた、厄介事かよ)
蔑称で名指しされたシフルは、追想から現実に引き戻された。
首をコキコキと鳴らし、椅子を回転させて身を戸口へ向ける。シフルは普段は主計長をしているが、四魔将として戦闘も秀でている。
「人間だぁ?
いつも通り、ボコにして丸太にくくりつけて川に流しちまえばいいだろ。
あたしを呼ばなきゃいけないほどの馬鹿が来たのか?」
命知らずの冒険者が一旗揚げようと、魔王城を攻略に来ることは稀にある。
概ね、地の利を活かした物量で押すので撃退は難しくないが、四魔将を呼びに来るレベルの強者は珍しい。
わずらわしいと思う反面、血肉の沸き立ちを覚えてシフルは微笑を浮かべた。
ストレス解消の手段として、闘争は悪くない。
「いや、そういうバトルの感じじゃねーんだわ。
なんつーか、一般人なんだわ。
だから、問題になっちまってる」
「あっ? 一般人だと?」
魔界は人類にとって、過酷な環境だ。
大地には生命をおびやかす怪物もひしめいている。
快適に住める気候でもない。
好んで足を運ぶ者などいないのが、通説である。
例外として、冒険者のように土地の資源を漁りに来る者もいなくはないが、それならば一般人という呼称は用いられないはずだ。
「とにかく、来てくれよ。
俺らじゃ、どう対応していいかわかんねえ」
「しゃーねえな」
シフルは重い腰を上げた。
事情により、他の四魔将が出奔している現在では、残されたシフルが<ロストアイ>の最高責任者となる。
城内で問題が発生したのならば、すみやかに対処しなければならない。
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