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心に触れて ③
しおりを挟む幸いな事に、夕方にはすっかり熱も下がって食欲も戻って来た。久しぶりにシャワーを浴びて全身をすっきりさせた後、万が一の時のために取っておいたカップラーメンを食べる。この3日間、テキトウな物しか食べていなかった体に温かいスープが染み渡った。
食べおわりそのゴミを捨てて、薬を飲むためにまずコップを洗っていたら……ピンポーン、とチャイムが鳴った。時刻は夜の八時を回っている、こんな時間に誰だろう? 思い当たる人もないない私は、ドアの穴を覗き込む。そこにいたのは、いつも通り何を考えているのかさっぱり分からない、副島課長だった。私は慌てて鍵を開け、勢いよくドアノブを回す。
「副島課長、どうしてここに?!」
勢いが良すぎて、ドアが少し副島課長が持っている袋にぶつかった。
「……思っていたよりも、元気そうですね」
「え? あの……もしかして」
「風邪を引いたというから、見に来たんです。木下さんは一人暮らしでしょう、不自由していないかどうか」
「し、心配してくれたんですか?」
「そうですよ」
思いがけない来客に、私は慌てふためく。あわあわと口をパクパク開けたり閉じたりしていると、副島課長は「入れてもらえないんですか?」と私に聞いた。私は、慌てて玄関の中に課長を引き入れる。
「あの、とっても散らかってるので……見ないで頂けると助かります」
脱ぎ捨てたブラウスとスカートだけじゃなく、下着もそこらへんに転がっている。慌てて回収して、見られない様にベッドの下に押し込んだ。くたくたになった座布団を見つけ出し、課長に差し出す。課長はその座布団の上で、丁寧に正座した。
「何か食べました?」
「え? あ、あのさっきカップ麺を」
「そんな栄養にならないものばっかり食べて……体調管理はしっかりお願いします」
「はい、本当にすいません……」
深々と頭を下げると、副島課長は深く長い溜息をついた。そして、静かに「包丁貸してもらえませんか」と、傍から聞いていたらとても恐ろしい事を言いだした。私は真っ青になって首を静かに横に振ると、「勘違いするのもいい加減にしてください」と小言が飛ぶ。
副島課長は、袋の中から赤いリンゴを取り出した。
「お見舞い、だからリンゴですか?」
「ええ、悪いですか?」
「いや、何か……意外だなって思っただけです。あ、今包丁持ってきます」
台所から、包丁とまな板、ついでに少し塩を入れた水が張ったボウルを持って、数歩先の課長が座るテーブルまで戻る。テーブルの上にそれを置くと、課長は右手に包丁、左手にリンゴを持つ……しかし、その手はぴたっと止まった。
「あの、課長? もしかして……」
その次の言葉は、恐れ多くて紡げそうにない。しかし、お腹からふつふつと笑いが溢れてくる。私が噴きだすと、課長は「そんなにおかしいですか?」と少し憮然とした。
「貸してください、ソレ」
「……貴女は寝ていてもらっても結構です」
「もう大丈夫ですから、それに、課長に怪我されたら困りますもん」
副島課長は包丁とリンゴをまな板の上に置いて、私に向かって差し出す。それを受け取った私は、リンゴを六等分して、皮をむいていく。その様子を、課長はなぜかまじまじ見ていた。
「な、何ですか?」
その視線がどうしても気になる。問いかけると、副島課長からは「思っていたより上手いですね」と少し失礼な言葉が返ってきた。
「一人暮らしも長いですし……」
「私は、貴女より長く一人で暮らしているつもりですけど」
「あ、あと、ファミレスのキッチンでバイトしてたこともあるので……」
慌てて取り繕うと、副島課長は少し納得したように頷いた。私は皮をむいたリンゴを別の容器に移し替えて、はいっと課長に差し出した。課長を目を丸くさせ、私を見つめる。
「え? いや、剥いたのでどうぞ……」
「貴女に買ってきたものなので、貴女が先に食べてください」
「でも、課長お客さんですし」
副島課長はリンゴを一切れ摘まむ、私の言葉にあっさり観念したのかと思えば、それを私の目の前に差し出した。
「どうぞ」
「え? こ、このままですか?」
「ええ」
課長の真っ黒な瞳が、私の行動を待っていた。私はおずおずと少し口を開いて、一口、リンゴをかじる。じゅわっと口の中で甘酸っぱい果汁がはじける。
「おいしい?」
まるで小さなこどもか、もしくは……可愛がっているペットに聞くような言い方だった。たしかに、私は今課長の『ペット』だけど……。私が食べている様子を見ながら、課長はとても優しげに笑っていた。その笑顔を見ていると、『ペット』としての役割も悪くないような気がしてくる。……きっと、ただの勘違いだろうけど。
結局、一個まるまる私が食べてしまった。お腹が少しきついけれど、食べる度になぜか副島課長が褒めてくるから少し調子に乗ってしまった。
「それじゃ、これで失礼します」
「え?」
「何ですか?」
「いや、本当にお見舞いだけだったんだって思ってしまって……」
「ああ、抱かれたかったですか?」
「そ、そういう訳じゃありません!」
「病人を抱く趣味はありませんから」
人を脅して抱く趣味はあるくせに……私が心の中で悪態をつきながら、玄関まで課長を見送る。課長はそんな私をあやす様に頭を軽く撫で、ゆっくりと顔を近づけてきた。思わずぎゅっと目を瞑ると、頬に生暖かいものが掠めた。目を開けて微笑む課長を見て、それがようやっと彼の唇だったと悟る。
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