17 / 59
第17話
しおりを挟む「どうしたの?こんな時間に。とっくに寝たんだとばっかり思ってた」
他の宿泊客の迷惑にならないような、いつもよりも幾分か抑えた声で、私はロイドに問いかけた。
するとロイドは、苦笑いにも似た困ったような微笑みを浮かべながら、頬を掻くような仕草をする。
「寝るつもり、ではあったのですが……少し、コトハと話したくて」
「私と?え、でもロイドは寝なくて大丈夫なの?」
「大丈夫、というか――どうしても眠れそうになかったもので。もし貴女がまだ眠くないようでしたら、少しお時間をいただきたいと……ご迷惑なのは重々承知の上です。どう、でしょうか?」
「んー……」
佇むロイドを前に、私は数秒考える。
私自身は今まさに歯磨きして寝るつもりではあったけれど、かといってそこまで眠いというわけでもない。ベッドに入ってさえしまえば、疲労も手伝ってきっとすぐに寝てしまうだろうけど、せっかく訪ねてきてくれたロイドをこのまま追い返すのも忍びない。
「いいよ。入って」
結局、私は扉を大きく開けてロイドを招き入れることにした。
ロイドはほっとしたような表情を浮かべてから、私の部屋に足を踏み入れる。入室する際にやや躊躇したのは、もしかして遠慮からだろうか。私は別にかまわないのに。
「こんな夜分に、女性の部屋を訪れる非礼をどうかお許しください」
半分私の予想通りの台詞が、ロイドの口から滑り落ちる。
確かに、夜分に女性の部屋を訪れるというのは、人によっては失礼に当たる場合もあるかもしれない。見方によっては、特別な意味を孕む場合も。だけど、私とロイドはそういう特別な関係なんかじゃないし、何より大切な仲間だ。私が一人になりたい時とか、とにかくプライベートな時間以外は、別段気にならないと思う。もちろん気持ち的に遠慮したいときは断るだろうけど。
「ううん、そんなの全然気にしないでいいよ。それからごめん、もう寝るだけだと思ってたからちょっと部屋散らかってるかも」
服はクローゼットに仕舞い込んであるし、そこまで物は無いはずだけど、そう前置きしておく。
とりあえず真っ先に目についた、ベッドの上に置きっぱなしだったタオルを引っ掴んで、洗面所の方に持っていく。洗面所には大きめの竹籠が一つ置いてあって、そこに洗濯物を入れておけば、余程のことが無い限り宿の方で回収して洗濯してくれるそうだ。ちなみに余程のことというのは、血液汚染があまりにひどいものとか、モンスターの体液がべったりと付着しているものとか――つまるところ、冒険者にはあまり優しくないという話である。
竹籠に洗濯物をさっと放り込んで、洗面所から戻ってみると、ロイドはテーブルに置いたランプの灯を所在なさげに眺めていた。
“真夜中のお客様”をこのまま立たせておくわけにもいかないので、この前ロイドが私にしてくれたように椅子を勧めてみる。ロイドは部屋主を差し置いて、と逡巡していたようだったが、私が早々に自分のベッドに腰掛けているのを見た途端、素直に椅子に座ってくれた。私も以前の不毛なやり取りから少しは学んだのだ。先手を取っておいてよかった。
「何のおもてなしもできなくてごめんねー。こんなことなら女将さんに何かもらっておけばよかったなあ。次からはそうするね」
「お気遣いありがとうございます。ですがお気になさらずに。無理を言って押しかけたのはこちらですので」
「だからそんなの全然気にする必要無いんだってばー!せっかくロイドが話したいって来てくれたんだもん。優先させるに決まってるじゃない。あ、お開きはどっちかが眠くなったらでいい?」
「……はい」
私の言葉に同意しながらも、何故かロイドは嬉しそうにしている。別に喜ばせるようなことは言ってないはずなんだけど。内心首を傾げてみたものの、すぐにまあいいか、と思考を放棄した。
「コトハ」
「?なに?」
「コトハは、あの男のことを――――あのクロノスという男のことを、どうされるおつもりですか?」
唐突な問いかけに、私はロイドの顔を見ながら数回目を瞬かせた。
(……随分と直球ねえ)
世間話とかお互いのこととか今後のこととか、話題はたくさんあるはずなのに、まさかそれを一番に持ってくるとは。取り留めもない話で時間をつぶし、眠たくなったら寝る感じだと勝手に思っていたので、少し驚く。だけど、よくよく考えてみればそうかもしれない。今日の出来事は、ロイドが私の部屋を訪れなければならないほどに思い悩む“理由”としては充分すぎる。きっと、一刻も早く相談したかったのだろう。
「どうって……うーん、そうだなあ。クロノスはオカマだけど強いし、仲間にしたら今後楽にはなるだろうね。ほら、私は戦えないから」
「魔術師としてはかなり優秀な部類なのでしょう?確かに即戦力にはなり得るでしょうが、あの男をそう簡単に信用して良いものでしょうか?素性を明かしていないのはこちらも同じですが……何というか……」
はっきりとは言わないけれど、ロイドはクロノスのことをどこか怪しいと思っているみたいだ。
まあ、そうだよね。確かにあれはちょっと胡散臭いかも。
だけど、クロノスは私達に危害を加えようとはしなかったし、彼に悪意があるようにはどうしても思えなかった。私は私の直感を信じてみたい――そう考えるのは、私が甘いからだろうか。
「いいんじゃない?信用しちゃっても」
さらりとそう口にすれば、ロイドは少しだけ渋い顔をした。
うん、無責任なこと言ってるなーっていうのは、自分でもわかってる。
「あの人の真意はよくわからないけどさ。だけど私は、私を助けてくれた人のことをあんまり疑いたくない気持ちもあって……仲間になってくれるって言うんならそれでも良いかなーって思うんだ。だって初対面の私達を騙したところで何のメリットも無いし、単に旅の仲間が欲しかっただけかもしれないよ?」
「それは……そうですが」
「それに、あの人魔術師でしょ?言い換えれば、あの人は魔法のエキスパートってことだよね。だったらさ、私が元の世界に帰る方法も教えてくれるかもしれないなーって……ちょっと思ったんだ」
可能性は限りなく低いけど、魔法に精通しているのならあわよくば、と思ったのだ。
だけど、そのためには私の抱えている事情をクロノスに説明しなければならない。あまり大っぴらにしたい話じゃないけれど、仲間となる人物になら話してみても良いのではないだろうか。私の話を信じてくれるかどうかは話してみないとわからないが。
「ね、どうかな?」
期待を込めて、ロイドをじっと見つめてみる。
ロイドは私の視線を正面から受け止めつつも、まだどこか納得しきれていない様子だったが、しばらくするとため息をつき、苦く微笑んだ。
「……ここで私が反対したとしても、コトハはきっと納得しないのでしょうね」
「う、うん。やっぱりロイドは反対なの……?」
「……正直、あまり賛成はできませんね。いくらクロノスが強かろうと、怪しい人間を引き入れることには変わりありませんので。ですが」
ここでロイドは言葉を切り、ふっと相好を崩した。
「彼がコトハの命を救ってくれたのも事実です。コトハがクロノスを信頼したいというのであれば――私は反対できません」
「!じゃあっ!?」
「ええ。彼を……迎え入れましょう」
「ほんと!?ありがとう!」
同意を得られたことが嬉しくて、私は思わずその場に立ち上がってしまう。
それと同時に、夜中なのに大声を出してしまった事実に気付き慌てて口元を押えるが、もう遅い。
やってしまった、とそのままの体勢で視線だけをロイドに投げると、彼は仕方ないといったような穏やかな微笑みを浮かべていた。
「……ごめん、夜中だった。気を付ける」
「そう、ですね。コトハの素直な反応はとてもかわいらしくて良いと思うのですが」
「か、かわっ!?」
自然な流れでそんなことを言われ、思わず動揺してしまう。
しかしロイドは私の動揺をそれほど気にした様子もなく、さらに言葉を続けた。
「しかし――――クロノスが羨ましいですね」
「え?」
予想外の台詞に、私は動揺も忘れて聞き返した。
すると彼は、微笑みの中にほんの少し別の何かを滲ませたような、どこか曖昧な表情を私に向けてくる。
「コトハは、彼のことを信頼を向けるに値すると判断したのでしょう?それが少し、羨ましい」
「えっ、どうして?私はロイドのことも信頼してるのに」
「どうして、でしょうね。私にもよくわかりませんが……ただそう思ったのです」
理由はよくわからないけど、羨ましいのか。私からしたら、私に信頼されることが羨ましいっていう気持ちがよくわからないよ。
うーんと私も首を傾げてみるが、ロイド自身にわからないのなら私が考えても仕様がない。
もしかしたら、私を危険な目に遭わせたという負い目から、劣等感のようなものを抱いてしまっているのかもしれない。うん、きっとこれだ。これに違いない。
そんな微妙にずれた考えのもと、私は少しでも負の感情を払拭させるべく、ロイドにゆっくりと歩み寄っていった。
「ねえロイド?別に羨ましいなんて思わなくっても、私はロイドのことすごく信頼してるんだよ?」
「……コトハ」
「主人とか何とかは抜きにしても、ロイドは保護する必要のない私を拾って面倒みてくれてるじゃん。私これでもロイドにすごく感謝してるんだよ。ありがとねロイド」
「いいえ、そのようなこと……私こそいつもコトハに感謝しております」
「ううん、私は何もできてないよ。守られてばっかりだもん。今回の依頼だってそう。大角鹿の群れ相手に何もできなくて、ロイドに任せて逃げちゃった」
何か言いたげに口を開くロイドを制すように、私は彼の両手を取った。
「クロノスにももちろん助けられたけど、ロイドにだって助けられた。ロイドがいてくれなかったら、今の私は無いんだよ。だから、ええと……うーん、なんて言えばいいのかな。言いたいことまとまらないけど、要するに、私はロイドのことめちゃくちゃ信頼してますよってこと!わかった!?」
自分の言葉に対して恥ずかしくなってきてしまったので、照れ隠しも合わせてうやむやにそう締め括った。ロイドは驚いたように目を見開いたまま、無言で瞬きを繰り返していたが、やがて嬉しそうな表情で「ありがとうございます」と言い、私の手をぎゅっと握り返してきた。
(……うん。なんとか伝わったのは良いことだ。だけどやっぱこれ!恥ずかしいよ!)
信頼について軽く語り合い、手を握り合う男女。
――傍から見れば、何をしているんだと突っ込まれそうな状況は、確実に私の心臓の鼓動を早めてしまっていた。
(やばいこれ。めちゃくちゃ照れる……!私本当こういうの慣れてないんだって!そ、そうだ、とりあえず離れよう!うんそうしよう!)
「か、解決したようで良かったね。あ、あはは……」
うろたえまくりながらも、私はロイドから離れるべく握られた手を軽く引いた。
私の意志を汲んだのか、ロイドの力が緩み手が離れる。しかし、放したばかりの手をすぐにロイドに掴まれる。
結局握られたままの私の手。
え、何この状況。
不思議に思い、ロイドの表情を仰ぎ見れば、彼は何故か真剣な表情を浮かべていて。
「コトハは主人であり、私が仕えるべき大切なお方。何があっても、貴女を守る騎士であれるよう、努力は惜しまぬつもりです」
「う、うん……?」
「こんな私に――信頼を預けてくださってありがとうございます。貴女は、私の――」
その続きは、私の右の手の甲に触れた唇の奥に封じられ。
まるで騎士の誓いのようだと、頭のどこかでぼんやりと考えながらも、私の意識はすべて手の甲に口づけられたという事実に持っていかれてしまっていた。
「な、な……!」
頬を真っ赤に染め上げながら、言葉にならない声を漏らす私を見て、ロイドはくすりと笑みを零した。
「……さあ、もう夜も遅い。そろそろ寝ましょうか」
今度は呆気なく自由になった私の両手。
私はロイドの行動に戸惑いながらも、身体的にも精神的にも疲れが溜まっていたので、素直に了承した。
(……もういろいろと疲れたから、何も考えないで寝るよ!寝るったら寝る!)
そう結論付けた私は、ロイドを送り出した後、すっきりするために歯を磨いてからベッドに入った。
ロイドの妙な行動はこの際無理やりスルーすることにして、目を瞑る。
――結局、なかなか寝付けないまま時間は過ぎ。
ようやくやってきた穏やかな眠りは、ロイドの手によって起こされる昼過ぎまで続いたのである。
0
お気に入りに追加
248
あなたにおすすめの小説
半分異世界
月野槐樹
ファンタジー
関東圏で学生が行方不明になる事件が次々にしていた。それは異世界召還によるものだった。
ネットでも「神隠しか」「異世界召還か」と噂が飛び交うのを見て、異世界に思いを馳せる少年、圭。
いつか異世界に行った時の為にとせっせと準備をして「異世界ガイドノート」なるものまで作成していた圭。従兄弟の瑛太はそんな圭の様子をちょっと心配しながらも充実した学生生活を送っていた。
そんなある日、ついに異世界の扉が彼らの前に開かれた。
「異世界ガイドノート」と一緒に旅する異世界
とある中年男性の転生冒険記
うしのまるやき
ファンタジー
中年男性である郡元康(こおりもとやす)は、目が覚めたら見慣れない景色だったことに驚いていたところに、アマデウスと名乗る神が現れ、原因不明で死んでしまったと告げられたが、本人はあっさりと受け入れる。アマデウスの管理する世界はいわゆる定番のファンタジーあふれる世界だった。ひそかに持っていた厨二病の心をくすぐってしまい本人は転生に乗り気に。彼はその世界を楽しもうと期待に胸を膨らませていた。
幸せな人生を目指して
える
ファンタジー
不慮の事故にあいその生涯を終え異世界に転生したエルシア。
十八歳という若さで死んでしまった前世を持つ彼女は今度こそ幸せな人生を送ろうと努力する。
精霊や魔法ありの異世界ファンタジー。
異世界営生物語
田島久護
ファンタジー
相良仁は高卒でおもちゃ会社に就職し営業部一筋一五年。
ある日出勤すべく向かっていた途中で事故に遭う。
目覚めた先の森から始まる異世界生活。
戸惑いながらも仁は異世界で生き延びる為に営生していきます。
出会う人々と絆を紡いでいく幸せへの物語。
わたくし、お飾り聖女じゃありません!
友坂 悠
ファンタジー
「この私、レムレス・ド・アルメルセデスの名において、アナスターシア・スタンフォード侯爵令嬢との間に結ばれた婚約を破棄することをここに宣言する!」
その声は、よりにもよってこの年に一度の神事、国家の祭祀のうちでもこの国で最も重要とされる聖緑祭の会場で、諸外国からの特使、大勢の来賓客が見守る中、長官不在の聖女宮を預かるレムレス・ド・アルメルセデス王太子によって発せられた。
ここ、アルメルセデスは神に護られた剣と魔法の国。
その聖都アルメリアの中央に位置する聖女宮広場には、荘厳な祭壇と神楽舞台が設置され。
その祭壇の目の前に立つ王太子に向かって、わたくしは真意を正すように詰め寄った。
「理由を。せめて理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「君が下級貴族の令嬢に対していじめ、嫌がらせを行なっていたという悪行は、全て露見しているのだ!」
「何かのお間違いでは? わたくしには全く身に覚えがございませんが……」
いったい全体どういうことでしょう?
殿下の仰っていることが、わたくしにはまったく理解ができなくて。
♢♢♢
この世界を『剣と魔法のヴァルキュリア』のシナリオ通りに進行させようとしたカナリヤ。
そのせいで、わたくしが『悪役令嬢』として断罪されようとしていた、ですって?
それに、わたくしの事を『お飾り聖女』と呼んで蔑んだレムレス王太子。
いいです。百歩譲って婚約破棄されたことは許しましょう。
でもです。
お飾り聖女呼ばわりだけは、許せません!
絶対に許容できません!
聖女を解任されたわたくしは、殿下に一言文句を言って帰ろうと、幼馴染で初恋の人、第二王子のナリス様と共にレムレス様のお部屋に向かうのでした。
でも。
事態はもっと深刻で。
え? 禁忌の魔法陣?
世界を滅ぼすあの危険な魔法陣ですか!?
※アナスターシアはお飾り妻のシルフィーナの娘です。あちらで頂いた感想の中に、シルフィーナの秘密、魔法陣の話、そういたものを気にされていた方が居たのですが、あの話では書ききれなかった部分をこちらで書いたため、けっこうファンタジー寄りなお話になりました。
※楽しんでいただけると嬉しいです。
七代目は「帝国」最後の皇后
江戸川ばた散歩
ファンタジー
「帝国」貴族・ホロベシ男爵が流れ弾に当たり死亡。搬送する同行者のナギと大陸横断列車の個室が一緒になった「連合」の財団のぼんぼんシルベスタ・デカダ助教授は彼女に何を見るのか。
「四代目は身代わりの皇后」と同じ世界の二~三代先の時代の話。
理由あり聖女の癒やしの湯 偽物認定されて処刑直前に逃げ出した聖女。隣国で温泉宿の若女将になる
でがらし3号
ファンタジー
万病に効く名湯!
最果ての地、魔の大樹海に近い辺境のひなびた温泉宿の湯に浸かればどんな身体の不調も立ち所に治ってしまうと噂になっている。
だがその温泉宿『一角竜』の若女将、エマには秘密が有る。
エマの正体は、隣国で偽聖女として断罪されたスカーレット。
だがスカーレットを本物の聖女だと信じて疑わない者達によって、処刑直前に逃される。
他人の身分証を得たスカーレットは名前を改め、忠誠を誓う侍女と共に国外に逃亡する。
そして逃げた先の隣国で、辺境の温泉宿屋の若女将としてスローライフを満喫しつつ、客の持ち込むトラブルに奮闘する。
※小説家になろう様でも掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる