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 赤植山のふもと、櫛ケ峯とのちょうど中間にあたるところに琵琶沢という小さな村落がある。わずか五十戸ほどではあるがかつて蘆名氏に仕えた武士であった名主がおり、近隣のキリシタンのまとめ役的な存在となっていた。

 名を新川作左衛門という。摺上原の戦いで負ったという武功傷のせいで、以後ずっと左足を引きずっているのが自慢である。古き豪傑風の押出の強さと面倒見の良さで彼の影響力というのは、なかな馬鹿にできぬものがあった。実際のところ近在の村がキリシタンに改宗したのはこの作左衛門の影響が大きい。

 彼の要請にこたえ、アダミたちが説教に訪問するのもそうした事情があったのである。

 この琵琶沢村の入り口には塞の神である道祖神が祭られていたが、村民のキリシタンへの改宗に伴い、近年誰も世話する者もおらず荒れ果てる一方となっていた。小さな祠は成長した藪に覆われ、その姿を見つけ出すことも難しいほどだ。

 こうして寂れゆく神社や仏閣はここだけではなかった。そのため実はキリシタンを苦々しく思っている伝統を重んじる人間も少なからず存在した。武闘派の家老、蒲生郷舎などもその一人であった。

 とまれ、そんな手入れもされず荒れ果てた塞の神の四つ辻にアダミたちが到着したのは、ようやく霧も晴れた朝四つになろうとした頃であった。

「少シ早カッタデショウカ?」

「いや、ええあんばいでっしゃろ?」

 朝の農作業はもう終わっている時間だ。農民の朝は早く、朝四つといえばすでに食事も終わって一息ついているはずである。

 藤右衛門がそう言ってアダミへと視線を向けた瞬間であった。にわかに土中から飛び出した忍び刀が、藤右衛門と重吉の脛を襲った。藤右衛門や重吉ほどの腕の持ち主でも一切気がつかない見事な土遁の術であった。

「うおっ!」

「くっ!」

 瞬きほどの時間すらないほんのごくわずかな差であろう。あるいはそんな差ではなく、運そのもの差であったかもしれぬ。とまれ、今なお武士であるものとかつて武士であった者の差は、非情な現実となって現れた。

 咄嗟に盾として鞘ごと刀を地面に突き刺した重吉は、脛を切断されるのを免れたが、後ろに飛びのいて刀を避けた藤右衛門は深々と踝から上のあたりを斬り裂かれたのである。

 皮膚感覚で戦いに身を置いている男と、信仰に寄り添って生きようとしている男、戦いの神は往々にして己の僕をひいきするものであった。

「重吉殿! アダミ様を!」

 藤右衛門の脛は出血量が多く、それと一目でわかる重傷である。むしろ斬り飛ばされていないのは、藤右衛門がかつて優秀な武士であったことの証であった。

 もはや助からぬと観念したのか、藤右衛門は重吉にアダミを託した。そして自分は敵わぬまでも身体ごと相手の邪魔をして時間を稼ぐ覚悟を固めたのであった。

 もちろんそれを許すほど伊賀組は甘くない。無言のままに土中から土煙をあげて踊りあがる伊賀忍び六名は、重吉と藤右衛門の息の根を止めんと左右から殺到した。

「と、藤右衛門殿!」

 重吉の叫びは悲痛であった。中条流の免許を持つ重吉の刀はちょうど二尺ほどの短いもので、さらに一尺四寸の小太刀がある。彼の腕をもってすれば二人や三人の忍びを相手にしても不足はないが、藤右衛門を助けに行く余裕はどこにもなかった。

 せめて一人でも相討ちに、と藤右衛門は覚悟を決めて抜刀する。しかし伊賀組はどこまでも冷静で容赦がなかった。藤右衛門の右足がすでに使い物にならないことを見て取ると、接近戦を捨て懐から苦無を取り出したのである。立っていることが精いっぱいの藤右衛門に複数の苦無を防ぐ術はない。

(ここまでか)

 殉教、という言葉が藤右衛門の脳裏をよぎった。悔いはある。しかし国外追放の苦難を乗り越え最後の希望を求め猪苗代まで来た。夢は果たせずに終わりそうだが、それもまた神の思し召しであろう。

 伊賀組の手から雷光のように苦無が放たれる。その数六本。とても躱すことのできぬ数だ。藤右衛門が無傷であったとしても躱せたかどうか。目前に迫った死そのものを藤右衛門は諦念とともに受け入れようとして――――

(何を馬鹿な!)

 藤右衛門の身体が、本能が、今まで生きてきた人生の記憶がそのまま死を受容することを許さなかった。この程度の危機など幾度となく経験してきた。大山崎でも長浜でも危うく死にかけながら生き延びてきた。死地にあってこそ力を発揮するのが武士もののふではなかったか。いったいいつから、自分はこんな腑抜けに成り下がってしまったのか。

 かっ、と刮目した藤右衛門はほとんど勘で殺到する苦無を叩き落した。頭で考えようとせず、身体に身を任せたからこそできた早業であった。それでも六本の苦無をすべて叩き落すことはできず、一本が藤右衛門の左肩口を捉える。激痛が背筋を走るが、藤右衛門は逆に嬉々として言い放った。

「まだまだっ!」

 自分は生きている。生きている限り武士は戦える。死とは結果であって待ち望むものでも受け入れるものでもない。死ぬその最後の瞬間まで武士は戦い続けるのだ。久しぶりにそんな気持ちを藤右衛門は思い出していた。

 藤右衛門がもはや哀れな獲物ではなく、油断ならぬ手負いの獣と化したことを伊賀組は見て取った。

 ならばこちらも危険を覚悟して倒すべきである、と逆手に忍び刀を持ち替え、するすると藤右衛門との距離を詰めていく。その決断に迷いの色はない。

 たちまち彼らが藤右衛門の間合いを踏みこえてくるのを、藤右衛門は端然と放置した。右足の踏ん張りがきかぬ今、ただ斬ってもおそらくは避けられる。敵を倒さんと欲すれば自ら傷つく覚悟をするしかなかった。

「ぬんっ!」

 忍び刀はその短さゆえに斬ることではなく突くことに特化している。逆にいえば、突きの軌道さえ逸らすことができれば対処は容易い。袖の下に手甲を結んでいた藤右衛門は一人の刀を逸らし、さらにもう一人の刀を束で受け止めた。最後の一人は最初から逃げるつもりなどない。己の身体で刃を受け止め相討ちに相手を倒す。今の藤右衛門が確実に相手を倒す手段はそれだけだった。

 この藤右衛門の捨て身にはさすがの伊賀組も面食らったらしい。逃げる相手を刺し貫く訓練は積んでいても、自分から刺されに来るような相手の訓練はしていないからだ。

 致命傷になるかどうかは運任せ。脇腹に忍び刀が食いこむのと同時に、藤右衛門は愛刀の千住院村正を袈裟斬りに振り下ろした。刀を突き刺すほど肉薄していた伊賀組はその一撃を避けられず肩口から肺までざっくりと斬り裂かれて絶息した。正しく甲冑武者を相手にしてきた歴戦の武士の名に恥じぬ剛力である。

 しかし同じ手を二度も許す伊賀組ではない。意表を突くのはそれは初めてであるから有効なのであって、種が知れてしまえばもう引っかかるはずがなかった。

 すぐに伊賀組は真正面から戦うことを避け、藤右衛門の泣き所である足元へ攻撃を集中させる。ほとんど片足でそれを避けなくてはならない藤右衛門は、たまらず左足にも一撃食らい、どうと後ろへ倒れた。

 間髪入れず、のしかかるように伊賀組が凶刃を煌めかせた。もはやそれを避けるのは満身創痍の藤右衛門には不可能であった。もはやこれまで――――

「がっ――――!」

 びくりと痙攣して伊賀組の男がのけぞった。胡乱な目で見つめる藤右衛門の視界に、百舌鳥の早贄よろしく一本の槍で串刺しに貫かれた伊賀組の姿が飛びこんできた。しかも槍は藤右衛門に馬乗りになった伊賀組の胸を貫通し、その斜め後方の伊賀組の腹部まで貫いていた。

 槍そのものも名槍であろうが、そもそもこの槍はどこからやってきたものか。薄れゆく意識の中で藤右衛門は視線をさまよわせた。

 すると――――――



「けしからんな。俺を抜きでこんな面白いことをしとるとは」



 手槍を投げ放ち、口の端を吊り上げひどく相好を崩した定俊の姿がそこにあった。



 重吉はアダミを背中に庇いながら三人の伊賀組を相手に、一歩も引けを取らずに奮戦していた。いや、それどころか押してさえいる。その証拠に傷を負っているのは伊賀組のほうばかりであり、うち一人は失血から足元が怪しくなっていた。

(まさかこれほどの使い手とは……)

 小六は思わぬ苦戦に内心で冷や汗をかいている。よほどの武士でもあの土遁からの攻撃を凌ぎ、かつ反撃してくることはごくごく稀であるからだ。

 重吉が修めた中条流は、中条長秀を開祖とし、京八流の流れを引く剣術の一派で、剣豪として名高い冨田勢源や鐘捲自斎を育てた名門である。小太刀による防御的な剣を得意とし、後に盲目の剣士冨田勢源がこれを昇華して越後冨田流を創始する。

 その鉄壁の防御力は、この小太刀術を極めた武人が防御に徹すれば、達人が数人がかりでも突破は困難であると謳われたほどであった。重吉はまだ達人の領域には達していないが、免許持ちの実力は伊達ではなかったということであろう。

 しかしいかに重吉といえど藤右衛門を助けにいくだけの余裕はなかった。アダミを庇うだけで精一杯である。アダミを託されたことに心を鬼にして重吉は藤右衛門の窮状を見捨てた。

 ところがもはやこれまで、というところで伊賀組二人は定俊の槍に貫かれ寸でのところで藤右衛門は絶命を免れたのである。

 一瞬、ほんの一瞬重吉の意識にゆるみが生じてしまったのは無理からぬ必然の結果であった。

「アアッ! 重吉殿!」

「なっ! アダミ様!」

 藪の一部と思われていたなかから、音松が一瞬の隙をついて飛び出しアダミを横抱きにさらった。木遁の術である。さらうと同時に音松はみぞおちに当身をいれてアダミの意識を断っている。電光石火の早業だった。土遁の術が失敗したのを確認した音松は、じっとこの隙が出るのを待っていた。仲間が傷つき、死のうとも構わずにである。こうした執念と非情さこそ忍びの最大の強みであり特質であった。

 自分の身長よりも大きなアダミを肩に抱え、音松は得意の神足通を使い一目散に赤植山へと逃走した。いや、しようとした。しかし音松の意に反して足が止まる。

 部下の二人が音松の逃走を助けるために背後を固めているはずであり、すでに手槍を放ってしまった定俊にも武器はない。もはや誰も音松を追撃できる者はいないのに、音松の足は一向に動き出そうとしなかった。

「――――忍びの考えは忍びにはお見通しですよ」

「貴様っ!」

 楽し気に謡うような女の声に、音松はようやく自分の身に何が起きたのかを察した。

 音松が睨みつけた視線の先の、村の田を潤す小川の草藪から長い竹の筒がのぞいている。おりくの吹き矢であった。よほどの急所に当たらなければ殺傷能力はないが、おりくの一撃は音松の右足の神経節を見事に貫いていた。先ほどから音松の足が動かぬ原因はこれであった。

 口惜しそうに音松はふくらはぎの神経節に突き刺さった吹き矢を取り去ると、ペロリと舐めた。毒が塗られているか確かめるためである。少なくとも音松が知る毒の類がないことを確かめ膝の裏側のツボを叩くとすぐに足の痺れは消え去った。

「殺れ」

 小川に潜んだおりくを殺すために配下に命じて、再び音松は駆け出そうとアダミを抱えなおした。

 いってみれば吹き矢は奇襲専用の武器である。非力なくのいちが得意とすることが多い。居場所が露見した以上、くのいちごときに伊賀組が後れを取るはずがない。そんな音松の目論見はしごくあっさりと潰えた。

「やれやれ、そんな腕ではお嬢の相手にはならぬぞい」

 距離にしておよそ七、八十メートルはあろうか。匂いと煙に気づかれぬために、火口ほぐちに特殊な加工を施した火縄銃を構え、達介はにんまりと笑った。久しぶりの戦いに、この老忍びも血が沸き立つ気分を隠せずにいた。

 轟音とともに一人の伊賀忍びが倒れる。ものの見事に額を撃ち抜かれており、狙撃手の腕が並大抵でないことを音松はすぐに悟った。

 どの時点からかはわからぬが、音松たちがアダミを待ち伏せ罠を張っていたように、敵もまた音松たちを待ち伏せていたのだ。

 藤右衛門が死にかけたことを考えれば、最初から待ち伏せしていたとは考えにくい。おそらくはもともと準備はしていたのだが、一足遅れてようやく追いついてきたというところだろう。

 それに火縄の持ち主が音松ではなく、配下の下忍を狙ったということはこれ以上の戦力がないことを意味した。小川に潜むくのいちを守るために貴重な狙撃の機会を失ったのだ。仲間がいるなら最初から音松を狙うはずであった。

(ならば一目散に逃げるのみ!)

 音松は自身の神足通に絶対の自信があった。先ほどの吹き矢のような邪魔が入らない限り、必ず逃げおおせて見せる。火縄の射程はそれほど長くはない。音松の身体能力をもってすれば、すぐに射程の外へ出られるだろう。アダミの巨体は音松にとって速度を落とす障害にはなりえなかった。

 しかし地獄の底から罪人を追う悪鬼羅刹がごとき咆哮が、音松の思惑の全てをぶちこわした。



「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」



 久しく絶えて聞くことのなかった戦場にのみこだまする雄叫びである。耳が痛くなるほどの大きさで身体が本能的に竦みあがるほどの恐怖を揺り起こす。味方を鼓舞し、敵を震え上がらせる稀有の武士の姿がそこにいた。

 槍や刀が上手いだけの武士なら、戦国の世は綺羅星が溢れかえるがごときほどにいた。しかし戦場の色を一人で塗り替える大音声と、敵の怖気を叩く勘働きを兼ね備えた将となると数えるほどしかいない。

 戦場の雄叫びといえば薩摩武士の猿叫が有名だが、本物の武士の声には自らの潜在力を引き出し、敵の意地を砕く不思議な力があるのである。

 正しく音松の身体は金縛りにあったように動けなかった。定俊が刀を肩に背負うようにして突貫してくる様子が目に映る。明らかに介者剣術の構えであった。ここに至り音松の理性は己の本能に屈服した。

「ひぃいぃいいいっ!」

 呪縛が解かれたように音松はアダミを投げ捨て、子供のような悲鳴をあげて逃げ出したのである。惑乱のあまり得意の神足通さえ使っていない。正しく本能に従い具現化した死そのものから逃れようとした。

「逃ぐるなや」

 無防備の背中を斬っても武功の誉れとは言えない。だからといって微塵の躊躇も見せず、憮然とした表情のまま定俊は自慢の名刀相州正宗を叩きつけるように振り下ろした。

 鈍い骨の砕ける音が響き左の肩口から侵入した刃は鎖骨と肋骨を粉砕して、なんと股関節にまで達した。

 おびただしい血しぶきと臓腑をまき散らして、痛みを感じる暇すらなく音松は絶息する。ただ瞬きほどの短い間に、音松がまだ子供であった天正伊賀の乱の際に定俊の雄叫びを聴いたことがあるような気がした。



 音松の無残な最期を見た小六は、すぐさまこのまま戦うことの無駄を悟った。

 すでに重蔵は定俊の槍に貫かれ、配下の忍びは全滅。肝心要の音松まで討たれ、下忍を三人ほど残すのみとなっている。小六自身、完全に重吉に抑えこまれていた。口惜しいことだが小六の腕では重吉一人にさえ勝てない。

 今となってはアダミを拉致してここを逃れることは不可能と言ってよかった。ではどうするか?

 ――――決まっている。逃げるのだ。そして後からやってくる黄番に情報を引き継がねばならぬ。運が悪ければ黄番も全滅し、伊賀組から二つの番が消滅することになる。それは下手をすれば伊賀組そのものが処罰の対象になりかねない失態であるはずだった。

「散――――喝」

 伊賀組にのみ通じる符牒を叫び、小六は懐に手を伸ばした。

 その一瞬の隙を重吉は見逃さない。忍びに情報を持ち帰らせればあとあとが厄介になることは重吉もよく承知していた。

 この日初めて重吉は防御から攻撃へと転じた。防御用として用いていた小太刀を本来の攻撃としての役割に戻したのである。小太刀の間合いの狭さは問題にならなかった。伊賀組の使用している忍び刀は小太刀よりもさらに間合いが短いものであるからだ。

 かろうじて小六は重吉の太刀の一撃を凌ぐが、ほとんど同時に襲いかかってきた小太刀まで懐に手を入れた状態で避けることは不可能であった。小六を支援すべき下忍は、急に攻撃に転じた重吉の豹変についていけないでいる。

 小六は懐から取り出した丸い物体を鷲掴みにして、咄嗟に小太刀の前に差し出した。もちろんそんなもので小太刀を防げないことは百も承知、だが決して効果がないわけではない。

 なぜならその丸い物体の正体は煙幕玉であり、小太刀を受け止めると同時に起爆したからである。

(ちぃっ! 指が二本持っていかれたか)

 煙幕玉が盾としての役目を果たさぬ以上、それを掴んでいた小六の指が斬られるのは自明の理である。当然のことと受け止めながらも、長年鍛えあげてきた己の一部を失うのは存外に腹立たしいものであった。

 閃光とともに濛々たる煙が湧きおこる。もちろん一流の剣士にとって視界の不良は決定的な障害ではないが、こと攻撃に関しては大いに問題であった。

 そればかりではない。煙幕を合図にして下忍たちは一斉に腰に巻きつけていた火口に火をつける。彼らは小六を逃がすために自ら自爆するつもりなのだ。

 一人でも多く道連れにせん、と三人の下忍たちは駆け出した。もちろんその標的は重吉と定俊である。

「定俊様――――」

 主の危機におりくは慌てて吹き矢を放つが、それよりも定俊が動くほうが早かった。

 爆弾を胸に道連れにしようと向かってくる伊賀組に、定俊は自分のほうから吶喊したのである。 

「ふんっ!」

 あえて鞘ごと愛刀を腰から抜き放ち、定俊は嗤う。歴戦の武士は戦いの引き出しの数が違うのだ。たかが命を懸ける程度でこの岡越後を討ち取れると考えているなら見込み違いもいいところだ。

 刃を鞘に納め、一個の鈍器と化した刀は、下忍の身体に触れるやまるで巨馬が後ろ脚で蹴飛ばしたようにその身体を弾き飛ばした。まともに刃で斬っていれば定俊も爆発に巻き込まれただろう。

 それがわかっているから、否、わかるより先に定俊の五体が行動していた。生きようとは思っていないのに身体が勝手に生き延びるために動く。だからこそ武士にとって死に場所とは得難く尊いのである。

 何かに裏切られたような驚きの表情を張りつかせたまま、空中で下忍の身体は轟音とともに四散して真っ赤な大輪の花を咲かせた。

 残る一人は達介の狙撃を受けて即死し、もう一人も重吉に小太刀を投擲されてあっさりと動きを封じられていた。刀は武士の魂などと言われるのはまだ後の世の話で、このころの武士はそれほど刀を大事にしていない。まして小太刀など投げるのに躊躇するはずがなかった。

 ただの一人も敵を減らすことができず全滅した下忍たちだが、少なくとも最低限の目的は達成した。小六はそのときすでに定俊たちから逃走し十分な距離を稼いでいたのだ。

 もう鉄砲も弓矢も届かない。音松のような神足通の使い手でもないかぎり、追いつかれることはないだろう。

 確かに小六の思惑は当たっていた。おりくも達介も、定俊も重吉も小六の逃走を防ぐことができずに切歯していた。いかに手練れの武士といえど、逃げ足では忍びには敵わない。下忍たちはその生命と身体をなげうち彼らの役割を全うしたのである。

 ――問題は彼が逃走した先にあった。



 人差し指と中指を失い、戦闘力が半減したといっていい小六は追跡の難しい山中へと逃げこみようやく一息をついた。

 予想していたより遥かに恐ろしい相手であった。わけても定俊の戦ぶり――そう、あれは正しく戦であった。たった十人あまりしかいなくとも、先ほどの戦闘は間違いなく小六の知る戦であった。戦であれば、まともに戦えば武士に忍びが勝てるはずがない。 

 もちろんまともでない戦いかたをすれば勝てるからこそ忍びは影の戦士なのであるが、もはや伊賀組のなかにも、そんな影の戦士は数えるほどしかいなくなっていた。

 いや、たとえそうだとしてもその貴重な影の戦士を投入しなくてはあの魔物のような男たちには勝てぬ。戦を知らぬ若い伊賀者など、いくら率いても刀の錆となるのが関の山であろう。

 仲間を失い、方丈斎に命じられた任務にも失敗したというのに、小六の胸にじりじりと熱い炎が燃え上がろうとしていた。

 久しく出会うことのなかった敵に会えた。闇の戦をするに相応しい敵が現れたことが小六の血を騒がせたのである。ゆえにこそ失われた指が惜しまれてならなかった。この怪我さえなければまだまだ自分は戦えるものを――――

「こんな昼間っから伊賀者がどうしてうろついておる?」

「何やつだっ?」

 唐突に小六の頭上から声がした。咄嗟に声のした方向へ苦無を放つが、そこにはすでにあるべき人影はなかった。気配がつかめないところを見ると最初からいなかったのかもしれない。声から居場所を掴ませないために、忍びがよく使う木霊の術であろう。

「手負いか。どうやらすでに一戦交えたようだな」

「いけねえ。遅れちまったかな御爺」

「おそらくは大丈夫であろうよ。そうでなくては手負いがこんなところまで逃げてくる理由がないゆえな」

 老齢と思われる男のほかに、もう一人若い男の声がする。どちらも小六がここまで気配がつかめないということは忍びに違いあるまい。それもかなりの腕だ。

「いずこの手の者だ? 蒲生家の子飼いの甲賀者か?」

「さて、教える義理もないが……どうせすぐわかることか。甲賀者じゃよ」

 数ある忍びの流派には、それぞれ独特の癖や特徴などが存在し、わかる人間にはすぐに相手がどの忍びの流派がわかってしまう。角兵衛が小六を伊賀者と断じたのも、その癖を見破ってのことだ。

 甲賀忍者二人を相手にどうやってこの場を逃れるか、小六はめまぐるしく思考を戦わせていた。まともに戦っては勝てない。相手の腕はおそらく小六と同等かそれ以上であり、逃げるだけでも至難の業に思われた。

「甲賀組は静観する約定があったはずだが?」

「生憎とわしらは流れでな。統領の指図は受けぬよ」

「流れとて誰にでも噛みつけばよいというものではあるまい」

 小六たちが受けた命令はアダミの誘拐であり、蒲生家を陥れることではない。下手に邪魔だてをすれば、逆に蒲生家が危機に陥ることもありうるのである。

 そう小六が言外に匂わせたことは、角兵衛にいささかの感銘も呼ばなかった。もとより角兵衛たちはおりくの助けにきたのであって、蒲生家に義理があるのではないのだ。

「…………おぬしら、蒲生家子飼いではないな?」

 蒲生家が飼っている忍びであれば、少なくともお家の損得について考えるくらいはする。最初から伊賀者抹殺の命令でも出ていれば別だが、そうした殺気は感じられなかった。であるならば、この甲賀者はいったい何者なのか。

「――逃がすわけにもいくまい。ここで出会ったが不運と諦めてもらおうか」

 角兵衛は小六がすでに戦闘力を半ば失っていることに失望していた。気配からして先日の伊賀者よりはよほど腕が立つと思われるのに残念なことである。さすがの小六も、角兵衛たちが金でも命令でもなく、義理と酔狂によってやってきたとは思いもよらなかった。

 のっそりと角兵衛が茂みから姿を現す。やはり先ほどの声が聞こえた方角とはまるで違っていた。

「ご老体、どこかで会ったか?」

 七十も過ぎた枯れた細木のような老人に、小六は妙な既視感を覚えた。古い記憶である。まだ自分が若く、敵と戦うことに恐れを感じなかったころの話だ。あの頃はまだ戦うことの怖さを知らなかった。敵に力量さえ測ることができなかった。

 はたしていつから自分は戦いの怖さを知ったのか。そこまで考えたとき、小六の記憶と感情が激しく交錯する情景があった。

「――――まさか……鵜飼藤助! 貴様、生きていたのか!」

「ほう、まだ俺の名を知っている者がいたか」

 白昼幽霊にでも出会ったかのように小六は唖然として口を開けた。

 小六が初めて角兵衛――鵜飼藤助と接敵したのはあの関ヶ原の前哨戦において、安濃津城をめぐり冨田信高が東軍に寝返ったときのことだ。

 東海道と伊勢街道を扼し伊勢湾海上交通の要衝である安濃津城の去就は、両軍にとって大きな問題であった。事実この安濃津と、同じく交通の要衝である大津が三成を裏切ったことが西軍の分散の原因となり、最終的には関ヶ原の戦いの西軍敗北の遠因になったともいえる。

 別して安濃津城主冨田信高は当初西軍に組したとみられており、彼が東軍に寝返って籠城したという事実は一刻も早く家康のもとへ知らせなくてはならぬことだった。

 それは逆にいえば、西軍としては安濃津を奪還するまで冨田信高の籠城を家康に知られたくないということだ。

 当初情報戦において優位に立っていたのは、伊賀者を大量に配下に抱えた家康のほうであった。西軍の将、長束正家は甲賀を支配していたものの、完全に掌握できていた忍びはおよそ三割程度にすぎなかった。その三割の中にあの鵜飼藤助もいた。

 彼の役目は、毛利秀元率いる攻略部隊が安濃津城を陥落させるまで、情報を家康に届けさせないことだった。東海道を下る小六たちが藤助によって捕捉されたのは、浜松を望む浜名湖のほとりである。

 正直なところいったい何が起こったのか、いまだ小六の記憶は霞がかかったように不透明なままである。気がついたときには浜名湖の入り江で藻にからまって浮いていた。おそらくは印字の一撃を受けて、意識を失い浜名湖に転落した結果、奇跡的に助かったのだろう。唯一覚えているのは、痩せぎすで矮躯の男に「鵜飼藤助、推参なり」と叫ぶ頭目の最後の言葉であった。

 とうの昔に死んだはずだと思っていた。いや、そもそも徳川家の仇敵である藤助が生きている理由がわからない。この男を生かしておくべき利点が小六には理解できなかった。

 同時に、あのときは手も足もでなかった自分が、どこまで藤助に通用するのか試したい、と歓喜にも似た感情がこみ上げてくる。もはや自分が助かるという可能性を小六は捨て去った。藤助はそれほどの相手だった。

「――――何故生きていたかは問うまい。一手おつきあい願おうか」

 小六の言葉に藤助――角兵衛は静かに頷いた。

「八郎、ここは任せよ」

「やれやれ、御爺ばかりいいところを持っていく」

 せっかく住み慣れた山を下りて腕試しにやってきたのに、骨がありそうな相手を取られて、八郎は不満そうに頬を膨らませた。

「すまぬな」

 ここで自分が鵜飼藤助だと知る人間に出会ったのも何かの縁であろう。てっきりもう自分を知る者などほとんど残っていないと思っていたが、存外戦国の生き残りというのはいるものだ。

 そう考えると、なぜか心の奥が温かくなる角兵衛であった。

「――――何のめぐりあわせかは知らねど、ここで会ったからにはいずれかが死ぬ以外の決着はないものと心得よ」

「もとより承知!」

 期せずして二人は嗤った。小六は忍び刀を手に神足通で距離詰める。指を失っている今、中距離ではまず勝ち目がないからだった。



 だが真っ正直な正攻法で鵜飼藤助に勝てると思うほど、小六は自分の腕に慢心していなかった。ぬかりなく失われた二本の指をあえて見せることで相手の隙を誘っている。もちろんその程度で角兵衛が小六を侮ることはありえないが、それでも指を失った小六の左手に対する警戒感は下がるであろう。いかに手練れの忍びでも、人差し指と中指をなしに苦無や手裏剣の狙いをつけることは難しい。

 ゆえに、投擲武器は捨て、刀での白兵戦闘に活路を見出しているよう、小六は装っていた。忍びの戦いとは、究極的に虚と実の駆け引きなのである。

 角兵衛は小六の意図に気づいていた。気づいていてなお、小六が何をするのかに興味があった。八郎には遊ぶな、と言っておきながら業が深いことだと思う。自分がまだ鵜飼藤助であったころを知る壮年の忍びが、いかほどの腕を持つか確かめたいという欲求を抑えることができない。

 たちまちのうちに二人の間合いは接近した。小六は角兵衛が得意の印字打ちを使わぬことを訝しみながらも、相討ちの覚悟でさらに踏み込みの速度を上げる。

 そして身体を屈め、忍び刀を突きたてるように見せながら、小六は口から含み針を角兵衛へと放った。熟達した忍びは小指の先ほどの針を二間ほど離れた的へ正確に命中させることができる。

 しかしその含み針ですらも囮で、小六の本命は実は足にあった。いつの間にか小六は足の親指と人差し指で器用に苦無を握っている。忍び刀の刺突を避ければ、そのまま至近距離から苦無を投擲するという二段構えの攻撃に小六は絶対の自信を持っていた。

 まるで手のように器用に足を使うことにかけて、小六は伊賀組の中でも一、二を争う腕の持ち主である。もともと忍びは蛸足と呼ばれる特殊な鍛え方で足の指先を操る修行を修めるが、なかでも小六は肌が特殊なのか、本物の蛸の足のように自由自在に獲物を指に吸いつけることが可能であった。

「うむ、見事」

 小六の意図に気づいた瞬間、角兵衛はにんまりと笑う。ちょうどうなじのあたりが、火にあぶられたかのようにチリチリと痛い。久しぶりに感じる生と死の定かならぬ境目の感覚であった。

 ほんのわずかな気の緩みや偶然が、即死と敗北に繋がる。この感覚を角兵衛は密かに待ち望んでいた。死ぬ前にもう一度、この高揚感に身を浸して死にたかった。だが――――

「ぐはっ!」

 驚いたことに角兵衛は自らの忍び刀を手放し、素手で小六の苦無を弾いた。刀では振る、という作業が必要となる。振っていては間に合わないと判断したのである。本来なら手甲は手首から肘までを覆うものだが、老齢のため角兵衛の手甲はほとんど腕輪のように手首近くしかない。それでもなお正確に苦無の軌道を逸らす技量はさすがであった。真に驚くべきは、そうした作業をこなしながらも小六に蹴りをお見舞いしているということだ。

 切り札を躱されて小六は呼吸を乱して距離を取る。激痛が脇腹から首筋を貫いて脳天にまで達した。間違いなく肋を折られたときの症状であった。

「さすがは音に聞いた鵜飼藤助、まさかこれほどの腕とは……」

 自信の一撃をあっさり躱されて、悔しいというより小六は新鮮な感動を味わっていた。今相対している老人が、真実伝説の忍びであると心から実感したのである。いつお迎えが来てもよさそうな老人になっても、人はこれほどの戦闘力を持ちうるのだ。日ごと思い通りにならなくなる身体に、少々年齢を取りすぎたと愚痴をこぼしていた小六は己の不明を恥じた。

「――――それでは最後の一手を仕る」

 おそらくは通じないであろうが、ここで最後の力を出し切らずに死ぬことは我慢がならなかった。同時に、満足のいく一撃はこれが最後になるであろうことも自覚している。体力の低下と激痛がこれ以上の戦闘を小六に許さないのだ。

「……彼岸花」

 両手を軸として逆立ちし、駒のように回転しながら、小六は一呼吸の間に十六本もの苦無を放った。とっておきの奥の手であり、苦無も通常のものより一回り小ぶりで鈎型に曲がっている。それを左右の足に八本づつ握った様からついた名前が彼岸花。いかに角兵衛が伝説の忍びであってもこの同時攻撃を捌ききれるものか。

 ところが角兵衛の対応は小六の予想の遥か上を行った。迫りくる鈎型苦無を数で倍する礫によって迎撃したのである。もとより攻撃力はいらない。苦無の軌道さえ逸らしまえばよいのだ。 

 それにしても高速ですれ違う礫で十六本もの苦無を迎撃することが現実に可能なものであろうか。天下の伊賀組といえど同じ真似をできる忍びは一人としているまいと小六は思った。さらに――――

「お、お見事…………」

 口唇から一筋の血を零して小六はどう、とうつ伏せに倒れた。その背中には忍び刀が深々と突き刺さっている。先ほど苦無を防ぐために角兵衛が捨てたはずの忍び刀であった。

 その刀が、なぜ、いつどうやって小六の背後に突き刺さっているのか。理解できぬままに小六は嗤った。

 忍びの技のなんと遼遠なることか。戦国の昔は、こうした妖怪のような使い手が幾人もいたという。それにしても小六の背後にあったはずの忍び刀を、いったいどうやったら突き刺すことができるというのか。

 小六は最初から自分に勝ち目があるなどとは思っていなかった。それでも十分満足だった。至高の芸術ともいうべき術理を目の当たりにできたうえ、最低限の仕事は果たしたのだから。

 角兵衛も八郎も小六が果たした最後の仕事に全く気づいていない。一斉に放たれた十六本の苦無。そのなかに一本だけ、角兵衛からわずかに逸れて放たれたものがあった。角兵衛もまた、放っておいても命中しないものをあえて迎撃しようとはしなかった。

 ――――その一本にはしっかりと、『鵜飼藤助』の名が刻まれていたのである。



 ――二日後、遅れて到着した黄番の伊賀組たちは、小六の働きを無駄にしなかった。彼らは本来アダミを誘拐する任を果たすべきであったが、『鵜飼藤助』の名はそれを躊躇させるだけの重大な懸念材料であり、当然のように彼らは江戸の方丈斎へ指示を仰いだのである。





 慌ただしく達介とおりくが藤右衛門の応急処置を施していく。定俊は村長の作左衛門に説教の中止を伝えると、すぐさま家臣の林主計を呼んだ。

 定俊より一回り若い林主計は、洗礼名をコスモといい歴としたキリシタンである。計数に明るく定俊にとっては分身ともいえる岡家の勘定役を任されている男で、岡家の経理で彼が知らぬものは何もない。残念ながら戦のほうはからきしであるが、この男はひとつの特技を持っていた。本草学に明るいのである。そのため主計は稀少な薬草を金に飽かせて大量に所有していた。

「どれだけ金がかかっても構わん。藤右衛門殿を死なすな」

「無論、兄弟のために物惜しみする気はありません」

 もともと主計は責任感だけは人一倍な苦労性の男である。融通の利かないそんなところが弟の岡重政を彷彿とさせた。だからこそ定俊の莫大な富をほとんど無制限に任されていたともいえるだろう。藤右衛門の患部を一瞥した主計はすぐさま薬草を取りに屋敷の蔵へと駆け出した。

「おそらく藤右衛門殿は命を拾うでしょう」

「そう簡単に死ねるくらいなら武士とは言わぬ」

 おりくの言葉に定俊は力強く頷く。怪我が重いのは確かだが、本当に危険なのは脇腹に受けた忍び刀の刺し傷だけであり、それも本能的に藤右衛門はうまく致命傷を避けている。藤右衛門ほどの武士が、体力が保たずに衰弱死するとは定俊は毛頭考えていない。

 何より定俊の武士としての勘が、藤右衛門から死臭を全くといっていいほど感じていなかった。死臭とはいっても、それは匂いというよりは気配である。どれほど意気軒昂にみえても、どこか距離が離れているような、光の当たり方が異なるような違和感がある。戦場ではそんな男はなんの前触れもなく唐突に死んでしまうことが多かった。

 幸いにして藤右衛門からそうした気配は感じられなかった。ならばしぶといことこの上ない武士であれば助かるであろう。

「――――藤右衛門殿……」

 おそらくは助かるし、死んだときは運がなかっただけのことだ、と当然のように割り切っている定俊とおりくとは違い、アダミは沈鬱そのものであった。素人である彼の目には藤右衛門が助かる確率はそれほど高くないものに思われたのである。

 ともに海外へ追放され、命を賭して日本へ帰還した同志でもある。もしアダミが言い出さなければ今も藤右衛門はマカオで健やかにいられたかもしれない。そう思うとアダミの胸は張り裂けそうに痛んだ。否、それ以上にアダミには後ろめたさを覚えなくてはならぬ事情が存在した。

「――――私はあの忍びを追ってみます。あれでも深手を負っておりましたゆえ」

「達介を連れていけ。手負いといっても忍びを甘くみるでない」

 このままじっとしていることに耐えられなくなった重吉が駆け出そうとするのを、定俊は静かにたしなめた。重吉の腕は先の戦いでも見た通り見事だが、忍びが本気で死力を尽くしたときの恐ろしさを定俊は天正伊賀の乱で幾度も味わっている。手負いだからといって絶対に油断などしてよい相手ではなかった。

「やれやれ、お館も人使いが荒い」

 そうぼやきながらも達介は火縄の整備に余念がない。年齢とともに体術が衰えた達介が、現役であり続けるために火縄銃は欠くことのできない武器なのである。

 やがて藤右衛門は近習たちの手によって猪苗代城へ運ばれ、伊賀組たちの無惨な死体も回収された。忍びの死体は、送りこんだ幕府にとっても送りこまれた側にとっても厄介ものでしかないのだった。

 

 ――戦いの痕跡が薄れ、琵琶沢の村からも喧騒が遠のいたころである。

 辻から少し離れた水路を見下ろす土手から、土に塗れた男が一人、倒れこむようにして太いため息を吐いて脱力した。息をひそめて気配を殺し続けること半日近く。このときまで男は微塵の油断もなく隠形し続けてきたのであった。

 気が緩んだためか、男の額から背中から、滝のような冷や汗が流れて落ちた。隠形中の忍びは心の動揺が身体に現れぬよう訓練を積んでいる。その反動である。

 浅黒い肌に痩身の男は、黒脛巾組の横山隼人であった。かねてより、伊賀組と定俊たちを互いに傷つけあわせるのが隼人の策であった。その策が正しく図に当たったという期待は、もろくも崩れ去った。

「――――あれが本物の武士というものか」

 定俊の耳をつんざく咆哮を聞いて、よくも恐怖に叫びださなかったと隼人は自分を褒めたかった。すぐにも尻尾を巻いて逃げ出したい衝動を耐えるのにどれだけの意志力を必要としたことか。

 自分がうぬぼれていたことを隼人は認めぬわけにはいかなかった。少なくとも純粋な戦闘行動で忍びが武士に勝つことは難しい。そもそも黒脛巾組は政宗の代に組織されたもので、忍びとしては歴史の浅さが際立っている。ゆえに伊賀や甲賀のように大規模な不正規戦闘をした経験が乏しかった。創設時から無頼の者をはじめ武士の次男や三男を動員しているため戦いができないわけではないが、忍びらしい不正規戦は苦手というのが黒脛巾組の瑕瑾であった。

 とはいえ、情報収集や流言飛語などにおいて、あの摺上原の戦いでも黒脛巾組は活躍しており、むしろ新しい時代に相応しい忍び組織であるともいえる。

 しかしながら少なからず自分の腕に自信を持っていた隼人にとって、先ほどの戦闘はその自信を木っ端微塵に打ち砕くものであった。もし黒脛巾組の一隊が定俊たちを襲っていれば、あの伊賀組より容易く殲滅されていたに違いなかった。隼人の目にも、伊賀組の土遁の術は実に見事なものであったのである。

「口惜しいことだが、これはわが手には余る…………」

 無表情な隼人には珍しく、頬の筋肉が無意識にひくひくと痙攣していた。あれと戦うためには今の黒脛巾組では歯が立たない。その事実が悔しかった。あれはまだ時代が戦国であったころに生まれた仇花のような鬼子である。同じ鬼の血を引く者にしか対抗することはできないだろう。

 しかし忍びにとって主命は絶対である。なんとかアダミを誘拐しなくてはならないことも確かであった。しかも伊賀組が近い将来さらに多くの戦力を投入してくる前に。

(…………鬼の血か)

 ふと隼人は一人の配下の顔を思い出した。厳密には配下というよりも協力関係にある戦闘員と呼ぶべき男である。諸国を流浪して修行に明け暮れ、剣の腕を磨くためだけに黒脛巾組の裏仕事を請け負うあの男――――奴ならばまさに剣の鬼と呼ぶに相応しいだろう。

 運のいいことに先年に柳生新陰流の免許皆伝を受けて帰国し、今は仙台で新たな流派を立ち上げたらしいと聞いた。

 確かその名を柳生心眼流――その創始者となった男の名を竹永隼人兼次という。黒脛巾組のなかでも随一の対人戦闘能力を持つ男であった。





 桃生郡中津山(現在の宮城県石巻市)に神取山という標高四十メートルほどの小さな山がある。かつてはこの地域を支配した葛西氏の城が築かれ、関白秀吉の奥州仕置きによって蒲生氏郷に攻め落とされた過去を持つ。

 今は往時の面影も少なく、大山祇を祀った神社がかろうじてその名残をとどめているだけだ。そんな神取山のふもとに、最近剣術の道場が開かれたことが中津山では密かに噂になっていた。

 中津山は後に仙台藩の直参足軽が家屋敷を与えられ、集団で北上川流域藩境を警備することになるが、今の時点ではごく鄙びた田舎町である。とはいえ、仙台藩と南部藩は先代の伊達政宗と南部利直の時分から折り合いが悪く、藩境にはいまだ少なからぬ兵が配置されていた。

 そんなところに物好きにも道場を開いた男がいる、しかも今では将軍家指南役として天下第一の剣として名高い柳生新陰流の免許皆伝を受けてきたという。

 たちまち道場には藩境警備の足軽たちが列をなして、道場主――竹永兼次を見定めようと訪れた。

 そこにいたのは、身の丈五尺にも届かぬ、およそ四十も半ばほどの僧侶のように柔和な男であった。もっともその表情とは裏腹に腕の冴えはすさまじく、たちまち道場には足軽たちが門人となって溢れた。

 柳生心眼流の特徴は剣のみならず体術や柔術を体系化して修行に取り入れているところにあり、非常に実践的なものであった。当然修行は過酷なものとなったが、師である兼次は試合であろうと稽古であろうと、その柔和な微笑を絶やすことはなかった。否、かつて一度だけ、後に一番弟子となり二代目柳生心眼流継承者となる吉川市郎右衛門と試合った際には、決して消え去ることのなかった兼次の笑顔が消えたという。

 師の笑顔を消し去るには、師に匹敵する腕を身につけるしかない、と弟子たちが発奮したのは当然の成り行きであろう。

 そのためか吉川以後も優秀な剣士を輩出した柳生心眼流は仙台藩に確固とした地位を築き、仙北を中心に隆盛を極めることになる。

 剣士としては何の不足もない人生である。すでに活躍の場である戦場を失った江戸の世であればなおのことだ。

 ――――それでもそこに満足できないのが兼次という男であった。

 そもそも満足しているのなら、わざわざ黒脛巾組の闇仕事を請け負ったりしない。剣士は人を斬ってこそ剣士だという思いが兼次にはある。黒脛巾組の依頼を受けるのは殺人のための体のいい言い訳であった。

 飽くなき強さへの憧れは、兼次が心眼流を修めた後も首座流、神道流、戸田流、柳生新陰流と渡り歩いてきたことにもよく表れている。

 しかし最後の柳生新陰流を学んだことをきっかけに、兼次は懊悩していた。柔和な微笑は、この懊悩を人に知られまいとする兼次必死の強がりなのであった。

 剣一筋に生きてきた。だからこそ兼次は、いかに剣というものが人を効率的に殺すために培われた技術であるかということを知っている。もちろん主君への忠義や信仰への帰依などの規律はあったが、その本質は古来より変わったことはなかった。

 ところがその剣の概念が変わろうとしている。柳生但馬守宗矩という一人の怪物の手によって。

 宗矩は『兵法家伝書』のなかで殺人のための剣術は活人剣と名を変えて、人を生かすために振るわれ最終的には禅と同じ境地に至ると説いたのである。



『兵法の、仏法にかなひ、禅に通ずる事多し。 中に殊更着をきらひ、物ごとにとどまる事をきらふ。 尤も是親切の所也。とどまらぬ所を簡要とする也』



 所謂「剣禅一如」であった。さらに



『兵法ひとつに限るべからず、よろずの道此の如き也』



 すなわち、相手の先を読みあらゆる変化に対応する柳生新陰流の奥義『転まろばし』の思想は、剣だけではなく治国に際しても有用であるとした。柳生新陰流をして『活人剣・治国平天下の剣』と呼ぶゆえんである。



 いかに平常心や精神性が勝負を左右するといっても、それまでの剣術とは相手に勝利するため、相手を倒すための技術であった。この点に関しては柳生石舟斎の師匠にあたる剣聖上泉信綱も、生涯不敗の不世出の剣士塚原卜伝ですら、剣が殺人術であることを否定しなかった。

 柳生但馬守宗矩が目指した思想性が、当時どれほど破格で常識外のものであったかわかるであろう。

 当然こうした綺麗ごとに関して反発する剣士は多く、兼次もまたその一人だった。あるまじき偽善であると思ったのだ。

 兼次自身、両手では利かない数の敵を斬ってきた。今さら天下の剣、活人剣と言われても納得できないのは当然である。

 所詮は将軍家紐付きの成り上がり者、政治の世界にうつつを抜かして剣の道を誤ったと兼次は信じた。

 そんな兼次に宗矩は免許を与えると同時に短く言葉を贈った。

「生きよ。武士はその死にこそ価値を見出すものだが、剣士には生き続けた先にしか見えぬものがある」

 その生きよという意味が、いまだ兼次には理解できずにいる。

 死すべきときに死なぬ武士は恥である。勝負に際して命を惜しむ剣士は剣士ではない。そうした生死の境を超えた場所に剣の理想というものはあるのだ、と兼次は信じていたし、そう教えられてきた。

 だからこそ宗矩の言葉が理解できず苦しんでいるのである。苦しまず間違っていると断言するには兼次は柳生新陰流の術理に惚れこみすぎていた。

 合理的にして繊細、正しく天下第一の剣と誉れ高いだけのことはある。さらに免許皆伝持ちには門外不出の初見殺し、影太刀もまた伝授されていた。そんな究極の殺人技まで伝承しておきながら、なぜ宗矩は生きよと言うのか。

 ――――実はひとつの答えから兼次は無意識に目を逸らし続けている。

 この戦のない太平の世で、昔ながらの殺人術などもう誰も必要としていないことを。

 武士が、忍びが、キリシタンがこの世界から居場所を失っていくように、剣士もまたその居場所を失おうとしていた。宗矩はたとえ形を変えながらも、剣の道は未来へと存続していかなければならないと言っているのだった。

 同時に、変わることを受け入れられないものは滅びゆくしかないのだ、と。

 確かにこの太平の世で、人を斬ったことのない剣士がほとんどとなるまで、それほどの時間はかからないであろう。それにいったい何の価値があるのかと兼次は思う。

 剣とは人を斬るためにこそ存在するのだ。ごく短い期間をのぞき、生きるために敵を殺すのが当たり前の時代が続いていた。剣の術理もその歴史のなかで発展してきたのである。特に戦国期以降の発展には目覚ましいものがあった。

 しかしこのままでは、剣は斬りあいではなく、試合での見栄えと技巧を競うだけの踊りと化すことは目に見えている。

 はたしてそんなもののために自分は人生の全てを懸けて強さを求めたのか?

 人生も残りを数えるような歳になった。今さら違う生き方などできるはずがないと思う。だが自分より年上のはずの宗矩は見事に変わった。変わって見せた。

 ――――わからない。自分が何をしたいのか、どうするべきなのか、いくら考えてもわからない。

 いつの間にかとっぷりと日が暮れ、誰もいなくなった道場で兼次は時間を忘れて瞑想していた。蛙の鳴く声がやけに耳について離れないのは、瞑想に没頭していた後遺症のようなものか。

「――――何か御用かな?」

 片目だけを開けて兼次は道場の隅に蹲る陰に向かって声をかけた。

「ふん、もう耄碌したのではないかと肝を冷やしたぞ」

 黒い影がぬらり、とまるで液体のように不安定に動いたとみるや、黒装束の男が立ち上がった。横山隼人である。

 もちろん兼次の懊悩の理由を隼人が知るはずもないが、様子がおかしいと察せられるほど兼次は没入していたらしい。剣士としてありえぬ不覚だ、と兼次は密かに己を恥じた。

「腕が鈍ってはいまいな?」

「試すか?」

 剣士にとって試すということは試合うということだ。そんなことをすれば隼人などひとたまりもないことは明白だった。そもそも兼次に勝てるくらいなら最初から隼人はここに来ていない。

「無用だ。口惜しいが我が腕では試しにならぬ」

「ほう…………」

 珍しく隼人が吐いた弱音に兼次はひどく興味をそそられた。この操り人形のように淡々と任務をこなすだけだった隼人とは思われぬ変化であった。

(何があった?)

 いや、考えてみればこの男がわざわざ道場まで足を運んだのだ。殺してほしい人間がいるのに決まっていた。それも隼人では勝てないと判断した者が。

「どうや相手はよほどの腕利きとみえる……」

「まあな、正直なところ俺も武士もののふというのを侮っておったわ」

 武士という隼人の言葉に兼次はわずかに眉を顰めた。宮本武蔵がそうであるように、戦国の剣士の大半はもともと戦場で功名をあげることを目的として腕を磨いている。ところが彼らはほとんど戦場で活躍をすることができぬままに太平の世を迎えていた。 

 だからこそ――武士なにするものぞ。我が剣は決して武士に劣らぬという屈折した思いが兼次にもあるのだった。

「横山、お主負けたな?」

「おう、逃げたこともしくじったことも両手に余るが、負けたと思ったのは今生で初めてのことよ」

 直接戦ったわけでもない。まだアダミを誘拐する、という任をしくじったというわけでもない。それでも隼人の心にははっきりと敗北の二文字が刻まれていた。伊達成実や片倉小十郎の武を目の当たりにしたことのある男が、岡定俊には敗北を認めたのだ。

「面白い」

 つい先ほどまでの懊悩が、嘘のように晴れていく。それがなぜか天啓のように兼次には感じられた。剣士の悩みは、剣士らしく戦いのなかでその答えを出すべきである、と。

「貴様にそう言わせるほどの強者とはいったい誰だ?」

 たちまちまだ見ぬ敵に恋情にも似た熱い思いを募らせる兼次に、隼人はほんの少し口の端を吊り上げて嗤った。やはり隼人の見込んだ通り、兼次は戦いの中でこそ生きる意味を見出すことのできる剣の鬼であった。この男であれば、あの恐るべき武士に対抗することも能うであろう。

「蒲生家中、岡越後守定俊。貴様に斬ってもらいたいのはその男だ――――」

「岡……定俊」

 兼次の広い肩がぶるりと震えた。岡定俊といえば、伊達に仕える者にとっては悪鬼にも等しい嫌な名であった。同時に、敵に回せば恐ろしい男であるという強い認識がある。

「よいのか?」

「構わぬ。どうせ我らが斬らなければ伊賀組か蒲生家の誰かが斬るだけのこと」

 隼人にとって、定俊を誰が斬ろうと知ったことではないが、定俊を斬った者こそがアダミを手にするであろうと確信していた。それに伊賀組が動いたことが明らかになれば、幕府に忖度する蒲生家も定俊をただでは置かないだろう。

「その仕事――――引き受けた」

 もうそこにいつもの柔和な微笑を浮かべている道場主の姿はなかった。強者と相まみえることに歓喜する剣の鬼が、獰猛な薄笑いを浮かべているのだった。 





 藤右衛門は定俊の予想通り命を拾った。それでも二日ほどは意識も戻らず、やはり命を拾ったのは生まれ持った幸運によるところが大きかった。主計の適切な治療と何より内臓に致命的な損傷がなかったおかげである。

 予想以上に傷が重かったのは、最初に受けたふくらはぎへの斬り傷であった。主計の見立てでは、まず生涯足を引きずることになるであろうということである。むしろよく斬り落とされずに済んだということらしい。さすがは歴戦の武士というところだが、残念ながらおそらく二度とかつての強さを取り戻すことは叶わないだろう。

 その事実を告げられた藤右衛門は、さっぱりとした、それでいて深い覚悟を決めた表情で受け入れた。戦えなくなったことで、かつて武士であった記憶を断ち切り、すべてを信仰に捧げる覚悟が得られたのである。強者であった自分が明らかな弱者となったことで、より神との距離が近づいたように藤右衛門は感じていた。本来神の前で人は等しく弱者であり、その実感を藤右衛門は体得したのだ。

 しかしそのように都合よく考えられない人間もいる。その筆頭がアダミであった。まるで藤右衛門の怪我が己自身の責任であるかのように苦しんでいる。

 あの日以来、アダミは寝る間を惜しんで藤右衛門の看病をしたかと思えば、鬼気迫る勢いでセミナリオで教鞭をとる。明らかに温和で聖人然としたアダミの姿ではなかった。定俊も藤右衛門も、アダミの胸中に何か穏やかならぬものがあることは承知していたが、あえて追及するつもりもなかった。



「もう一手! もう一手頼む!」

「田崎様、そう言ってもう五回目ですよ……」

「今度こそ! 今度こそ避けてみせるから! 頼む!」

 本人たちはいたって本気なようだが、定俊の目には子猫がじゃれているようにしか見えなかった。実に微笑ましい光景である。重吉と八郎がここまで意気投合するとは、さすがの定俊にも予想外の出来事だった。

 ことは数日前に遡る。

 角兵衛と八郎が小六の首をもって猪苗代城を訪れると、必死になって小六の行方を追っていた重吉は理不尽であるとは思いながらも憤慨した。同志である藤右衛門が生死の淵を彷徨っているなか、やりどころのない不安と後悔が重吉に勝負を挑ませたのである。

 高齢の角兵衛に挑むのはさすがに気が引けたのか、重吉は敢然と八郎に勝負を挑んだ。そして驚くべきことにあっさりと敗れた。

 思わず見ていた定俊の背筋が震えるほどの技の冴えであった。二刀を抜き相対する重吉に対し、八郎は得意の印字打ちで迎え撃ったのである。

 無造作に放たれた四つの礫は、重吉の目前で弧を描きながら交差し、ひとつは砕けて目つぶしとなり、残る三つは加速しつつ、また減速しつつ異なる軌道を描いて重吉に殺到する。さらに神足通を用いた八郎自身が地面を這うような姿勢から重吉の脛を狙っていた。

 この同時攻撃を重吉は捌ききることができなかったのだ。

 それがよほど悔しかったのか、以来何度も八郎に印字を打ってもらっている。

 重吉の腕はあの伊賀組の土遁から逃れたとおり、決して悪くはない。それどころか一流と呼んで差し支えないほどのものを持っている。その重吉をも翻弄する八郎の腕は、もはや天才というしかなかった。

「――――ありがたいことで。八郎もあれで相当喜んでおりまする」

 そんな二人のじゃれあいを見物していたのは定俊だけではなかった。角兵衛もまた縁側に座って楽しそうに観戦している。

「そうなのか?」

「はい。あれは某以外の者とはほとんど関わりというものがありませんでな」

 角兵衛は好々爺然と笑った。しかしその笑みからは一切内心をうかがうことができない。自分が鵜飼藤助であることを知っても眉一つ動かさない定俊という男を角兵衛は測りかねていた。

「あの八郎という若者、角兵衛殿の身内ではないのか?」

「子供の時分に統領より預かりましてな。今では実の孫以上に思っておりますわい。某の立場上、外に出すこともできず、あれには寂しい思いをさせてしまいました」

「統領というと佐治殿の?」

「はい。何も聞かずに育ててくれ、と言われたときには往生いたしました」

 言外に角兵衛は八郎について自分が何も知らぬことを匂わせる。はたして定俊も、すぐに角兵衛の意図に気づいた。

「これはいらぬことを問うてしまったな」

 忍びにとって秘密は絶対である。情報を取り扱うことになれているからこそ、彼らの秘密は不可視の城壁に守られている。その強固さは武士のそれをはるかに上回っていた。

 同時に、八郎の血にはよほどのいわくがあるのであろうと定俊は推察する。角兵衛は別に隠しているのではなく、最初から佐治義忠から何も知らされていないということであるからだ。そもそも子供を角兵衛のような特殊な身の上の男に託すこと自体が尋常ではなかった。

 だがあの持って生まれた才能は隠しようもない。忍びではなく武士として育ててみたかったと定俊をして思わせるほど、八郎の天稟は素晴らしかった。

「御爺様に手ずからお教えをいただくとは、幸運な子ですわね」

「さて、こんな世捨て人に見込まれたのが八郎にとって幸運であったかどうか」

 おりくの言葉をお世辞と受け取ったのか、あるいは何か思うところがあるのか、角兵衛の返答はそっけない。

 角兵衛は実の孫のように可愛い八郎にとって、自分と修行の日々を送ったことは決して幸福なことではないと確信していた。それでもなお、八郎が自分の技を受け継いでくれることに後ろめたい喜びを感じてもいる。忍びらしからぬ甘さであるが、元来忍びというのは実は身内には甘いものなのであった。

「――――ところで八郎という名は御爺様が?」

「某が統領に聞いたところでは、名付けだけは母親がしたと」

「そうですか」

 茫洋とした視線を彷徨わせているおりくに角兵衛は尋ねた。

「それが何か?」

「いえ……よい名だな、と。昔の定俊様を思い出しましたので」

「はははっ! 懐かしいことをいう。もう俺を源八郎と呼ぶ者は一人もいなくなってしまったがな」

 愉快そうに定俊は哄笑した。

 そういえば定俊の通称は左内がことに有名であるが、まだ蒲生家の一部将にすぎなかったころはよく源八郎と呼ばれたものだ。敬愛する蒲生氏郷も、「源八郎はおるか?」と死の床につくまで定俊をそう呼び続けていた。親友である横山喜内などは「源八」と人前で読んで憚らなかった。

 そう思えば重吉と八郎のやり取りも、どこかかつての自分と横山喜内や坂源兵衛(蒲生郷舎)の仲を思い出させるから不思議であった。

「本当によい腕をしております……御爺様といい、心強いことですわ」

 次に伊賀組が来襲すれば、その戦力は前回の比ではない。おりくや達介だけではさすがに手に余る。一騎当千の戦力を得たことは正しく僥倖というべきであった。

 決してその言葉に嘘偽りがないのは確かであったが、長年連れ添った定俊は、おりくの佇まいに漠然とした違和感を覚えた。しかし問うたところで答えてはもらえぬ頑固な女であることもまた、重々承知していた。

「あっ! しまった!」

「田崎様、お約束です。もう終わりですよ」

「うぬぬ……やむをえん。明日また挑むといたそう」

 どうやら話している間に勝負はまた八郎の勝利に終わったようだ。額の汗を拭い角兵衛のもとに八郎が戻ったとき、すでにおりくの姿はそこになかった。





 元和七年八月二十六日

 そろそろ乾いた風に秋の気配を感じる時候である。夕刻になれば蜩の声が切ない楽を奏で、磐梯山を下りてくる風にはすでに冬の冷たさが潜んでいた。

 しかしまだまだ昼の強い日差しに温められた熱気は、むっとするような蒸し暑さを残していている。弁天庵の茶室で定俊に正対する小太りの老人は、せかせかと汗を拭きながらうまそうに茶を飲みほした。すでに七十の半ばに達した間垣屋善兵衛その人であった。

「結構なお手前でんな。この暑さには参りましてんけど」

「はっはっはっ! 相変わらず息災でうれしいぞ善兵衛」

「ま、わてはそれだけが取柄ですねん」

 柔和で愛嬌のある印象は今も変わっていない。しかし人生もそろそろ終わりを間近に控え、福々しい丸顔には深い皺が刻まれ歳月の長さを物語っている。

 こうして定俊と善兵衛が顔を合わせるのは、実に七年ぶりのこととなる。お互いに歳を重ね簡単に行き来できる間柄ではなくなっていたからだ。

「よくいうわ」

 堺の街から往年の隆盛ぶりが衰えて久しいが、まだまだ日本の経済を支える大きな屋台骨であることに変わりはない。間垣屋の身代はかつての納屋衆には及ばずとも、十分に大店おおたなと呼ばれるにふさわしいものとなっていた。

 善兵衛が堺における指導者層に入っていないのは、身代の問題ではなく善兵衛が気性的に公儀の統制を嫌悪していることに尽きる。あの関ヶ原の戦い以降、太閤秀吉のもとで活発な海外進出を果たしてきた堺商人に対する公儀の管理と規制は年々厳しさを増していた。

 間垣屋が扱う主力商品のひとつであった生糸も、幕府の肝いりで茶屋四郎次郎を中心に糸割符仲間が組織され価格決定権を独占してしまった。幕府の許可を受けた仲間でなければ生糸を購入することが許されないため、南蛮商人は安く生糸を売るか、赤字を覚悟で生糸を持ち帰るかという選択を迫られたのである。これでは善兵衛のような独立独歩の商人はまともな生糸商売などできるはずがなかった。

 商売の技を競うのではなく、公儀との癒着によって既得権が保護され御用商人ばかりが優遇される。織田信長が破壊した既得権益の自由化のなかをのしあがってきた善兵衛にとって、それはありうべからざる堕落に思えた。

 しかし時代の流れから一介の商人である善兵衛が逃れる術はない。そのため善兵衛はこの数年というもの間垣屋の支店を置いたアユタヤへ資金と人材を移し始めていた。事実善兵衛がアユタヤから帰国したのはつい数か月前のことなのである。

 六十半ばにしてこの行動力にはさすがの定俊も呆れ笑いしかでてこなかった。自分より年上であるはずの善兵衛に対する定俊なりの敬意の言葉であった。

「もうこの日本はあきまへんな。堺の人気じんきも悪うなったもんでっせ。外海そとうみも知らん商人が商いなんぞできますかいな」

 定俊は善兵衛の嘆きがよくわかった。同種の嘆きは、定俊もまた共有するところであるからだ。戦を知らぬ武士、海を知らぬ商人、正しく世の中は変わったのだ。

 慶長十四年、幕府は五百石以上の大船の所有と建造を禁止する大船禁止令を発する。これにより蜂須賀家や池田家など水軍を維持していた大名の大安宅船は、ほぼ幕府に没収されることとなった。

 唯一の例外は幕府が許可した朱印船である。ここでも幕府との癒着による独占の構造が幅を利かせていた。 

 海外貿易において、船体の大きさはそのまま輸送量や居住性、安全性に直結する重要事である。この船体の規格制限が日本の鎖国を物理的に決定づけたといっても過言ではなかった。

 そのため自ら海外へと出向く堺商人は激減している。年々堺における海外貿易の取引量は減少の一途をたどっていた。なかには早くも海外市場を捨てる若い商人が出始めている。利権に入りこめない若者はもはや海外貿易にそれほどの魅力を感じられないのだった。善兵衛にはそれが腹立たしくてならなかった。

「さて、わてをわざわざ岩代まで呼ばはったんはどういうわけでっしゃろか?」

 何も善兵衛はこんな北国まで旧交を温めに来たわけではない。老骨に鞭うって直接猪苗代を訪れたのは、定俊たっての頼みであったからだ。互いの年齢を考えれば、その頼みが尋常のものないことはわかっていた。

「すまんがお前に預けていた俺の金を返してもらおうと思ってな」

「本気でっか??」

 思わず善兵衛は素っ頓狂な声をあげて立ち上がっていた。預けていた金を引き上げるということは、金儲けを止めることに等しい。定俊の莫大な富の大半は間垣屋を通した交易にあるのだから。善兵衛の知る定俊は間違ってもそんなことを考える男ではなかった。

「死ぬ前には形見分けが必要だろう?」

「…………定俊はん、死なはるんでっか」

 善兵衛はまだ衝撃冷めやらず、胡乱な目で定俊を上から下まで眺めまわした。血色はよく肌艶は老いてなお若者のように輝いている。とても病魔に侵されたような体には見えない。狐に化かされているかのように善兵衛は首をひねった。

「いかほどになる?」

 そんな善兵衛にはお構いなしに定俊は尋ねる。

「ざっと七万両ほどになりまっしゃろか……」

 打てば響くように善兵衛は答える。いかに動揺していてもこの程度で返答に詰まるようでは本物の堺商人ではない。

 さすがに百万両には遠く及ばないが、蒲生家の一家臣が持つ資金としては破格も破格なとてつもない金額であった。おそらくは大藩である伊達家でもこれほどの金額を自由に動かすことは難しいだろう。

「いつまでに戻せる?」

「急な話でんな。ま、三月というところでっしゃろが……長年の付き合いに免じてひと月でなんとかしますわ」

 そこまで反射的に答えて、ようやく善兵衛は本気で定俊が死ぬつもりであることに気づいた。病でないとするならば、重政のように政争に巻きこまれた可能性が高い。あるいは定俊がキリシタンであることが影響しているのかもしれなかった。自らもキリシタンである善兵衛は、堺においても公儀からの監視が強まっていることを自覚していた。

「…………理由を話してくらはりますか?」

「まあ、いろいろと込み入った事情があってな……そんなわけでそろそろ腹を割って話してくださいませんか? 宣教師アダミ殿」

 定俊の視線が向けられた先――茶室のにじり口の扉がかたり、と鳴った。

 その言葉に促されるようにして、大柄のアダミは窮屈そうににじり口をくぐって茶室のなかへ腰を下ろす。その表情は憑き物が落ちたようにどこか晴れ晴れとしていながら、何か強い決意が表に現れていた。

「御覚悟は決まったようですな」

「ハイ――ドウカキイテクダサイ。私ノ罪ノ懺悔ヲ――――」



 アダミはゆっくりと胸の前で十字を切った。たとえどんな酷薄な現実があろうとも、裏切りの記憶に良心を苛まれることがあろうとも、もう逃げない。自身の信仰から目を背けないと決めたのだ。

「サキホド藤右衛門殿ニ謝罪シテキマシタ。笑ワレテシマイマシタガ」

 絶対に許されないことをしたはずなのに、藤右衛門はどこまでも優しかった。これこそが主のお導きなのだと胸を張っていた。もし、これが本当に主のお導きであるのなら、私は――

「私ハ私ノ欲望ノタメニ皆サンニ嘘ヲツキマシタ。改メテオ詫ビイタシマス」

「はっはっはっ! 嘘を吐かずに生きていける男なぞこの世にはおらん! 気に病むようなことではないぞ!」

「信用ちゅうもんは、ほんまのことを言ったからええ、ちゅうもんやおまへんで?」

 本気とも冗談ともつかぬ顔で定俊と善兵衛は笑った。

「藤右衛門殿モソウ言イマシタ。ソノタメニ危ウク命ヲ落トストコロダッタノニ。失ッテ初メテ得ルモノガアルト」

 人は失うことなしに本当の意味で大切さを自覚することができない生き物だ。藤右衛門は戦う力を失ったことで信仰のために全てを捧げる覚悟ができた。

「我々ガ清貧ヲ己ニ課スノハ、何物モモタナイ自分トシテ神ト向キアウタメデシタ。ソンナコトモ私ハ忘レテイタノデス」

 人の心が裸になったとき、何か心に残るものがある。合理的でいかに雄弁に語ろうとも、その何かほどに心を打つことはない。信仰とは合理や非合理を超えた何かにたどり着けるかどうかこそが何より尊いのだ。アダミと藤右衛門は今こそその何かを体得した。



「――――百万両ハコノ日本ニハアリマセン。シカモ今モアルカドウカモ疑ワシイノデス」



 絞り出すようにアダミは言った。

 それはこのアダミが、藤右衛門や重吉を伴いこの猪苗代へやってきたことに対する全否定であった。

「ま、そりゃそうだろうさ」

「そうでんな」

「……知ッテラシタノデスカ?」

 まるで最初からわかっていたという風情の定俊と善兵衛の反応に、アダミは正しく面食らった。大久保長安の隠し財宝があるというのは決して嘘というばかりではない。ただ必ずしも真実ではないというだけだ。

「そもそも石見守の屋敷に蓄えられた百万両は蔵にも入りきらず、書院や床下にまであふれていたという。この俺の持つたった七万両でもそれを移動させるのは並大抵のことではない。まして百万両という大金をいったいどこに隠す? 本拠地でもない場所で隠し通せる? 要するに石見守(長安)からキリシタンが受け取った金なのだろう? 国外にあると考えるのが妥当ではないか?」

「…………ソノトオリデス」

 技術協力の見返りとして長安からイエズス会に支払われた百万両が、国内のどこかに隠匿されていると考えるほうが無理がある。確かに長安は金山奉行として全国の鉱山を好きにできる立場にあった。

 しかし百万両を隠すためにはそのための人員が必要であり、監督すべき部下が必要であった。もちろんそんな大きな形跡があれば伊賀組をはじめとした諜報機関が見逃すはずがない。

 いまだ百万両が見つからないとすれば、それはない、と考えるのが当然だと定俊は思う。商人として荷役に一家言ある善兵衛も同様だった。

「モトモトアノ資金ハ、イエズス会ノ直轄デ貿易運用ノタメニ使用サレテイマシタ」

 それも決して表には出せない裏金で、しかも東インド管区には秘密の、日本管区だけが知る裏金であった。

 ここでイエズス会について少々語らなければならない。

 一四九四年六月七日ローマ教皇の主導でスペインとポルトガルの間で世界を分割する条約が締結される。これがトルデシリャス条約である。西経四十六度三十七分をもって東と西を両国で分割するという恐るべき条約であった。

 この条約によってポルトガル王国はアジアにおける植民地支配と貿易の独占権を教会に認められ、同時にアジアにキリスト教を布教するという義務が生じた。

 その布教の推進役として選ばれたのがイエズス会である。

 イエズス会はイグナチオ・デ・ロヨラを発起人としてフランシスコ・ザビエルら名門子弟六名の同志とともに設立された。非常に信仰心の厚い組織であり、発起人であるロヨラは「自分の目には黒に見えても、教会が白というのならそれを信じる」とローマ教皇パウルス三世の前で誓ったという。

 当時はルターやエラスムスにより始まった宗教改革の真っ最中であり、プロテスタントの拡大に対してカトリックは決断を迫られていた。すなわち、プロテスタントと戦い彼らを改宗させるか、それとも新たな信者を開拓するか、である。後者を選択し先兵としてアジアに乗り出したのがまさにイエズス会であった。

 ロヨラが体系化したイエズス会の思想は、ある種とても過激なものである。イエズス会の修道士はまず「霊操」と呼ばれる独自のイメージ修行により、強固な宗教的団結心を持つにいたる。洗脳的と言ってもいい。体操が身体を健康にするように、霊操とは魂を準備し整える方法であるとされる。その修行はすでに霊操を実践した指導者にほぼ一対一で導かれるものであった。

 その修行はまずイエス・キリストが福音を伝道している情景の想像から始まる。

 

 人間味あふれる一人の王を眼前に想像する。この人は主なる神から直接に王に選ばれた ので、他のすべてのキリスト教諸侯とすべての信者はこの王を尊敬し従うのである。

               岩波文庫 門脇佳吉訳 霊操

 次に「永遠の王であるイエス・キリスト」が全世界の人々に呼びかけているところを想像する。

 「私は、全世界とすべての敵を征服し『わが父』の栄光に入ろうと思う。 これが私の揺るがぬ意志である。それであるから、私に従おうと思うものは、私と共に働かなければならない。 私と労苦を共にするものは、私と栄光をも共にするであろう」

               岩波文庫 門脇佳吉訳 霊操

  

 そして霊操者は二つの旗、すなわち神と悪魔ルシフェルの旗を黙想する。最後に聖書に書かれたキリストの生涯を眼前にありありと思い描くことで、復活したキリストがともに歩み、自分を強く導いてくれていることを体感する。そして神がどれほどの愛を世界に注ぎ、正義、善、慈悲といってあらゆる良きものが、神から世界に注がれていることを悟るようになるのである。その過程はどちらかといえば日本の禅による悟りに近い。



 あまり知られていないが、ザビエルやアダミも当然この霊操による修行を受けており、形骸化、慣習化したカトリックと違い、異端にすらなりかねないほど過酷な修行を積んだイエズス会は、なんの掛値もなく当時最強の戦闘的宗教集団であった。

 同時にそれは、神への感謝と、それによって世界が全て肯定的な存在に変容することを至上命題とする集団の世界進出であったわけである。

 そうした先鋭的な集団が、目的のために手段を択ばなくなるのは、歴史上数えきれないほど繰り返されてきたことだった。

 その結果、イエズス会はアダミのような聡明な知識と奉仕の心で布教に専念する者たちと、布教拡大のためにポルトガル王国や現地の日本人領主との間で、権謀術数をめぐらす者に二極化していったのである。無論それは立場と行動に違いはあっても、双方とも強固な信仰心に基づいていた。

 民衆に奉仕するにも資金というものは必要になる。炊き出しや診療、土木工事などと通じて布教の助けとしていた宣教師たちは、あえてそうした上層部の闇の面には目をつぶってきた。見て見ぬふりをしてきたのである。またポルトガル商人と手を結ぶイエズス会上層部も、組織を拡大するためには、東洋の異教徒を騙し奴隷として売ることも神の御心には反しないと信じた。

 何より彼らが絶対の忠誠を誓うローマ教皇アレキサンドル六世自身が、贈与大勅書において奴隷を容認したともとれる言質を与えていた。

 しかし一五八〇年彼らの後ろ盾であったポルトガル王国がフェリペ二世のスペイン王国に吸収合併されてしまうと、スペイン王国が保護するフランシスコ会が急成長し、逆にイエズス会は予算の獲得に苦慮するようになる。長安からの秘密資金百万両を上位組織の東インド管区ではなく、日本管区で秘匿しているのはこのためだ。

 だがこの時点では、日本国内に確固とした根を張っていたイエズス会には組織力に一日の長があった。大久保長安との交流もそうしたイエズス会が築いた人脈のひとつであろう。

 そうした人脈や経験を生かして資産の運用を任された部署を「プロクラドール」という。その責任者こそあのカルロス・スピノラなのである。

 ところがイエズス会をさらなる不運が襲う。天敵ともいえる新教プロテスタントウィリアム・アダムスとヤン・ヨーステンが徳川家康の知己を得て日本国内の貿易シェアを奪い始めたのだ。

 東アジア、東南アジナにおける各国の力学はオランダ、イギリスという新教国の進出により大きく変容した。また、日本との貿易内容もかつてのような旨味がなくなりつつあった。

 日本との貿易でもっとも利幅の大きい商品は、硝石と生糸と奴隷である。日本人奴隷は特に西欧で人気の高額商品であったようで、徳富蘇峰の『近世日本國民史』によれば実に五十万人の日本人奴隷がキリシタン大名によって輸出されたという。(徳富蘇峰はこれをフランス人パジェスが記した「日本耶蘇教史」から引用している)

 しかし関白秀吉の禁教令以降、奴隷の輸出は中央政府から厳しい目で監視されるようになり、関ケ原の戦い以降激減した硝石需要がそれに追い打ちをかけた。太平の世になれば火薬や鉄砲はそれほど必要なものではなくなってしまったからである。

 さらに止めを刺すように、一六〇四年から糸割符仲間制度が始まると、あれほど巨万の富を生み出した生糸取引まで昔ほど旨味のあるものではなくなってしまった。

 かつて一世を風靡した硝石一樽で奴隷五十人と交換し、奴隷を売り払って再び硝石を買うという錬金術の方程式はいまや全く当てはまらぬことになっている。

 イエズス会の裏金として大久保長安から支払われた百万両という資金は、一時は好景気に支えられ倍の二百万両以上にまで増加したものの、じりじりとその残高を減らすようになった。

 幕府に弾圧された宣教師や信徒の、生活費や逃走用の資金が激増したこともその減少に拍車をかけた。

 最後に資金を調査したカルロス・スピノラが把握した時点では七十万両を割っていたという。カルロスが捕らわれた今となっては、総額がどうなっているのかアダミには見当もつかなかった。

 少なくとも適切な運用ができる人材を失った以上、資金はさらに目減りしていることが予想された。

 現在資金の大部分は寧波ニンポーに停泊するイエズス会所属の艦船に重石バラストとして秘匿されていて、合言葉キーワードと資格者の紋章を持つ者だけがその資金の使用を認められている。下手に船が難破するようなことがあれば、それだけで資金が枯渇することすらありえた。

 もはやこの隠し資金の運用を知る者は、イエズス会日本管区のなかでもアダミを含め非常に少ない人数になろうとしていた。

「私ハ知ッテイマシタ。モウ百万両ガナイコトモ。ソシテポルトガル王国ガ裏デ奴隷貿易ヲ行ッテイルコトモ。自分ノ信仰ヲ守ルタメニ、ソレラカラ目ヲ背ケ、イツノ間ニカ自分ノ野心ノタメニ仲間ニマデ嘘ヲツイテイマシタ」

 アダミは神とカトリック教会のためならばどこまでも非情になれるイエズス会宣教師であるが、同時に同胞として懐に入れた人間に対しては心を鬼にできない人間でもあった。

 守るべき民と見捨ててきた民、殉教を誉れと思う心と仲間を失いたくないという心、藤右衛門の生命の危機をきっかけにアダミは長く目を背けてきた己の心と向かいあった。

 ――――この偽りは己の信仰を濁らせる。

 おそらくこのまま弾圧が進めば遠からず自分も殉教する日が来るだろう。キリシタンの王国が夢幻であると自覚した以上、それ以外の未来をアダミは想像できない。であればこそ、嘘を全て吐き出しておきたかった。この後悔を抱えたまま神の御元へ行くわけにはいかなかった。

「私ノ野心ガ、嘘ガ、貴方タチマデ巻キコンデシマッタ。コノ命奪ワレヨウトモ決シテ恨ミニハ思イマセン」

 ありもしない百万両という夢が、重吉を惹きつけ、遂には伊賀組までこの猪苗代に呼び寄せてしまった。その重大さがわからぬほどアダミは愚かではなかった。

 信者たちに説教しているアダミにはわかる。この地がいかに自由でのびのびと信仰を維持しているか。この日本ではそれがどれほど貴重であるかということを。その自由を破壊しようとしているのは、ほかならぬアダミ自身なのだ。

 追放された澳門マカオで、現地での布教に甘んじていればこうして猪苗代というキリシタンの楽園を危機に陥れることもなかった。

 定俊に殺されてもいい。定俊ではなく藤右衛門でも重吉でも構わない。誰かにこの罪を裁いて欲しかった。しかし定俊の反応はアダミの予想を完全に裏切るものだった。

「兄弟の間に遠慮は無用。何より、たとえ嘘でも危険でも、何を犠牲にしてもこの日本ひのもとにて布教したいというその意気を恥じることなし」

 アダミを労わるように定俊は微笑した。磐梯山に咲く小さな蝦夷竜胆を愛でるような清々しい目だった。

「我ら武士は己の欲のために人を殺す。宣教師殿アダミに比べれば罪深すぎて怒る気にもならぬ」

「わてもそうですわな。金は戦よりようけ人を殺しますわ。海賊のまねごとも何度やらかしたかわからへん」

「……シカシ私ハ神ニ仕エル身デス」

「宣教師殿アダミであろうと、武士であろうと、商人であろうと、何人も避けられぬことがある。――――人はいつか必ず死ぬということだ」

 くつくつと定俊は肩を揺らして笑った。

「決して逃れられぬからこそ満足な死を迎えたいと思う。武士とは死が身近にありすぎていつしか死が楽しみに変わってしまった愚か者どものことよ」

 太平の世の人間とは死生観が違う。戦のたびに藁のように人が死ぬ。時には病気や飢えでも当たり前に人は死ぬのだ。だからこそ意義ある死を迎えたい。名誉ある、華のある、愛のある死をどのように迎えるか、それを考えるのが武士にとっての何よりの楽しみだった。定俊にとって死すべき場所は二つあった。ひとつは主君氏郷が死んだ際に殉死することであり、もうひとつは伊達政宗の首を冥途の土産に討ち死にすることだった。もはや武士としての死に場所も失い、畳の上で死ぬとはなんたる空虚な贅沢か、と思っていたが思いがけず三つ目の死に場所が転がり込んできた。

「死を思うからこそ己の本性がわかる。命を賭しても、仲間を欺いても、誰かを犠牲にすることがあってもどうしても諦められない秘められた己の意志がな。宣教師殿アダミはそのすべてを背負ってもこの日本で神の教えを広めたかったのだ。誰がそれを咎める資格があろう」

 定俊の言葉にアダミは声をあげて泣き崩れた。アダミを許すことができるのは神だけだが、定俊の言葉はアダミがずっと一人で抱えてきた闇を優しく認知してくれた。それだけで涙をこらえることのできない喜びがあった。

「――――だがこの太平の世では死の価値が失われつつある。誰もが同じ明日がいつまでも続いていくと信じ、死を忘れて生を生きるのだ。武士にとっては寂しい限りだが、それもまたこの世の真実であろう」

 死に場所を探す武士は絶え、どこまでも生き汚く、生こそに意味を求めるものが残る。それを定俊は間違っているとは思わなかった。ただ、そんな生き方を自分はできないというだけのことであった。

「むしろ宣教師殿アダミには感謝しかない。よくぞこの猪苗代に来てくれた。この岡定俊に最後の晴れ舞台を与えて下すった」

 思えばあの伊賀組たちも、この太平の世には行き場のない連中だ。このあたりでお互いに身の置き所のない者同士、派手にやりあうのも一興というもの。

「――――さて、そんなわけで善兵衛、ひとつ貴様に頼みたいことがある」

 そう言う定俊の表情は、子供が楽しいおもちゃを見つけたかのように輝いていた。





 四谷仲町の伊賀組屋敷――その一角で四人の伊賀組頭たちが顔を揃えていた。

 その表情は一様に思いつめたような苦悩に満ちたものであった、本来感情を表に出さない忍びとしては非常に稀なことである。その事実が何より現実の深刻さを物語っていた。

「――百万両の隠し財宝だと? 本気でそれを信じたというのか方丈斎! しかも敵に鵜飼藤助がいるだと? 世迷言もたいがいにしろ!」

 年長の方丈斎に配慮する余裕もなくし、怒りを隠そうともせず怒鳴りつけたのは組頭の筆頭格である音羽六左衛門である。あまりの怒りに歳とともに垂れた頬肉がぶるぶると震えていた。本来の方丈斎なら、いや、伊賀忍びならありえぬ話であった。

「我らが石見守(長安)の財産を調べなかったとでも思うたか!」

 そうなのである。伊賀は言うに及ばず、甲賀も柳生も各地の鉱山をめぐってまで大久保長安の隠し財産がないか調べて回った。その事実を方丈斎が知らぬはずがないのだ。

「先代(服部正重)殿はあると仰せられた」

「かつてあったものが今もあるとは限らぬ! そんな簡単なこともわからぬほど耄碌したか! 方丈斎!」

 六左衛門は定俊とほぼ同じく、隠し財産はこの日本には存在しないと思っている。人と金の動きを追跡すればその想像は容易であるはずだった。そのことに気づかぬ方丈斎がどうかしているのだ。

「どこにあろうと知ったことか! 誰より先に見つけること、それなくして我ら伊賀組に未来などあるものか!」

 仲間たちから詰問され、針の筵に座らされていた方丈斎は吼えるように叫んだ。海外だろうとどこだろうと、いかなる手段を用いても百万両を手に入れる。そんな途方もない夢に方丈斎は酔っていた。

 幕閣には見捨てられ、柳生との抗争では劣勢を強いられて久しく、若者たちはつらい忍びの道を捨て、安定した新しい人生へ足を踏み入れている。そんな伊賀組が再び隆盛を取り戻すとすれば、それはこんな夢のような話にすがるしかない。

 みじめで過酷な現実を覆すには、夢のようなあやふやなものに頼るしかないほど、伊賀組は落ちぶれていた。

「世迷言を……この伊賀組をつぶすつもりか!」

「……二代目の争議の折、忍びではなく役人として生きていくくらいなら戦って死ぬ、そう言ったのは貴様ではなかったか、六左衛門!」

 鋭い方丈斎の言葉に、六左衛門は「うっ」と呻いて言葉をなくした。

 初代服部半蔵の跡を継いだ二代目服部正就のもとで、伊賀組はあたかも家人のように酷使されていた。服部家は職務上の上司ではあっても、決して伊賀組にとっての主君ではない。その扱いを不当であると公儀に訴え、ついには一部が武装して笹寺に立てこもるという事件が発生した。武徳編年集成によれば服部家没落の遠因と記載される。六左衛門はその首謀者に近い男であった。もともと世渡りの旨い男であった六左衛門は巧みに責任を回避し処罰を免れてついに組頭にまで出世したのだ。

「…………忍びでない伊賀組に何の意味がある? 小役人として汲々として生きていくために我らはあの故地を捨てたのか?」

 方丈斎の声は弱弱しくしわがれていた。

 伊賀同心に与えられた知行は低く、生活をしていくのが精いっぱいという者は多い。それでも忍びとして影働きができればその不足を補うことができる。また、そうした余裕がなければ技を伝えることも技を磨くこともできなくなり、ついには伊賀流は途絶える。

 いくらあがいてみても、所詮は忍びの長程度では世の中の流れに抗うことなど到底不可能であると方丈斎は思い知らされてきた。

 戦国の時代ならいざ知らず、この太平の世では忍びの技はそれほど大きな金にはならない。暗殺や諜報の影仕事がいくらかあっても、その量は絶対的に不足していた。しかもその少ない量ですら柳生に奪われて、なかなか伊賀組には回ってこない。

 避けようもなく伊賀組は――伊賀忍びは滅ぶ。名だけはかつて忍びであった者の末裔として残るだろう。在りし日の残滓を後世に引き継ぐことも可能かもしれない。しかし方丈斎たちがその生命をかけて守り抜いてきた伊賀流という忍びはことごとく死に絶えてこの世から消え去るのだ。

 もう自分の力ではどうしようもない。そんな無力感が方丈斎の背中から溢れていた。隠し財宝のような夢に頼るしか、もはや伊賀忍びの生きる道はなかった。

「今さら方丈斎を責めても仕方あるまい」

 それまで黙って聞いていた町井大善が口を開いた。

「今必要なのはこの始末をどうつけるか、ということであろう」

 もう一人、中林帯刀が言葉を重ねる。筆頭格とはいえ基本的には同じ組頭同士である。六左衛門は不満そうにではあるが矛を収めた。

「どうするもこうするも、隠し通す以外に法があるか!」

 まかりまちがって伊賀組が百万両を横領しようとしたことが知られては、伊賀組そのものの存続の危機である。闇から闇へ全精力を傾けて隠蔽するしかないと六左衛門は確信している。

 しかし大善の言葉は六左衛門の意表を衝くものであった。

「ふん、戦わずして滅びるくらいなら、最初から二代目に逆らわず小役人に甘んじておればよかったのだ」

 伊賀忍びは小役人にあらず。影の戦士なり。

 大善は方丈斎のように百万両が伊賀組を救ってくれるなど素直には信じていない。だが鵜飼藤助の名は大善にとって特別な意味があった。伊賀と甲賀、忍びと忍びが鎬を削っていたあのころ、大善は神技ともいえる鵜飼藤助の技の冴えを目撃した記憶があった。

 ――――あの伝説の忍びと戦いたい。戦って死にたい。方丈斎とはまた違う意味で、老いた忍びの闘志に火がついてしまったのだ。下手に将来に希望を抱いていない分こちらのほうが性質が悪いかもしれなかった。

「まさか正面から戦うつもりなのか? そうなればもう隠蔽などできぬぞ? 甲賀にも柳生にもすぐに知られる!」

 六左衛門は惑乱したといってよい。まさかこの馬鹿げた事態に積極的に関わろうとする人間が方丈斎以外にいるとは思わなかったのだ。そんなことをすれば十中九まで伊賀組はつぶれる。貧しい土地を離れ、少ないながらも安定した禄を得る生活が破綻する。せっかく組頭にまで出世した甲斐もない。

 太平の世に忍びが生きていく余地はないのだ、と六左衛門はこの十年余の間に嫌というほど思い知らされてきた。かつては忍びとしての生き方を貫くために上司、服部正就に公然と逆らったが、そのころの気概はもう六左衛門にはなかった。

 だが方丈斎と大善はそれを認められないのである。まだ忍びには戦う力と場所が残されていると信じたいのだ。世の流れのわからぬ愚か者め、と六左衛門は思う。

「……甲賀はまあ、よい。鵜飼藤助が生き延びていたとなれば、そこに甲賀の手が加わらなかったはずがない。問題は柳生だが――」

 帯刀は眉を顰めて困ったように方丈斎を睨んだ。

「あの蒲生家に出入りをしている堺商人、確か間垣屋といったか。おそらく柳生家にも出入りしていたはずだ」

「なんだとっ?」

 これには六左衛門ばかりか方丈斎と大善も驚きの声をあげた。まさか蒲生家と柳生家にそんな接点があるとは考えていなかったのである。

 もっともこの時点で彼らは定俊と善兵衛が莫逆の友であることを知らないし、定俊が善兵衛に工作を頼んだことも知らない。いずれにしろもはや傍観することだけは許されなかった。進むにしろ退くにしろ、決断することを彼らは迫られていた。

「――――忍びが生きる時代は終わるであろう。貴様もそう考えているな? 六左衛門」

 声からまるで刃物が飛び出てくるような鋭さで、帯刀は六左衛門に問いかけた。その場しのぎの返答は許さないとその瞳が告げていた。

「戦のない世に忍びの生き場があるものか!」

 六左衛門は叫んだ。本音では認めたくない。認めたくないがゆえに誰一人言葉に出さなかった答えであった。

 柳生は良い。活人剣という発明は太平の世に剣術の生き場というものを創造した。戦のない世に武士の気風を残すために、今後ますます剣術は隆盛を極めるであろう。しかし忍びの技はそうはいかなかった。

 忍びとはまさに影に潜む戦士、奇襲騙し討ちが当たり前、その技も相手の不意を衝くことに特化されている。間違っても人が好んで修めるものではない。

 手裏剣、鈎手、煙玉、撒菱、寸鉄、仕込み鉄扇、鎖鎌、そんな光の当たらぬ武器を修めていったい誰に誇るというのか。

 戦うために、生き抜くために、必要に迫られたからこそ忍びの技は代々伊賀の地に受け継がれてきた。だがもう未来に受け継がれるべき理由が、六左衛門には見いだせなかった。

 まだ方丈斎や大善に比べ六左衛門が若いという視点の違いもあろう。六左衛門にとって、人生とは先が長くこれからも生きていかねばならない道であった。概ねこの六左衛門の考えが今の伊賀忍びの若手の考えでもある。

「聞き捨てならぬ。伊賀忍びに滅べというのか?」

「実際、滅びかけておるだろうが!」

 色めき立つ方丈斎に冷たく帯刀は言い放った。若者は去り、幕閣の支持も失い、さらに致命的な弱みまで露呈しようとしている。伊賀忍びの滅亡は遠い先の未来ではなく、つい手が届く先に存在していた。

「――――ゆえに夢を見たいものは夢ととともに死ね。百万両が夢でなければ浮かぶ瀬もあるであろう」

「それは――――」

 帯刀の言葉の意味を測りかねた六左衛門が問おうとするのを遮るように、大善が立ち上がる。その顔は喜びに満ちていた。

「よくぞ申してくれた帯刀! 戦を捨てられぬ伊賀忍びの精鋭の最後の晴れ舞台、とくと魅せてくれようぞ!」

 ようやく六左衛門は合点した。

 頭の古い大善や方丈斎には、猪苗代の地で死んでもらおう、と帯刀は言っているのだった。そして伊賀組は今後忍びであることを捨てる。ただの幕府の小役人として生きていくことを条件に、柳生に見逃してもらうのだ。労せずして競争相手が減るのだから、柳生にとって悪い取引ではないはずである。大善や方丈斎はいわばそのための生贄であった。

「…………よかろう。どうせ死ぬる身にどれほどのことができるか見ているがよい」

 方丈斎の骸骨のように落ちくぼんだ瞳にも、往時の光が戻ろうとしていた。その瞳から先ほどまでの狂気が消えている。

 優れた忍びにとって、戦いの場に狂気が入り込む余地はない。どこまでも冷静で冷酷で現実主義に徹することが優れた忍びの条件である。人生最後の戦いを目前にして、ついに方丈斎も狂気から現実へと立ち返ったのだった。

 もともと伊賀組の将来をどうにかするような政治力も構想力もない、優れた忍びの技を持つだけの男である。ゆえにこそ方丈斎は伊賀の未来のため、狂気に身をゆだねなくてはならなかった。

 今となってはもはや伊賀組の未来などどうでもよかった。

 持てる秘術の限りを尽くしてあの鵜飼藤助と、蒲生氏郷のもとで伊賀征伐に加わっていた岡定俊と戦えるのだ。強敵と戦って死に場所を得られるという幸運を、むしろ方丈斎は感謝したといってよい。

 その気持ちがわかるだけに帯刀の心中は複雑であった。

 六左衛門とは違い、帯刀の心にはまだ方丈斎や大善のように戦いを求める欲求がある。しかし忍びとしては滅びても伊賀の血脈だけは後世に維持していかなければならない。そのためには戦わずに柳生と折衝する人間が必要であった。

「我ながら損な役回りよ」

 ふん、と鼻を鳴らして帯刀は呟いた。その呟きは誰に聞かれることもなく、すでに彼らの話題は猪苗代へと送りこむ手練れの選抜へと移っていた。





 すでに陽光は磐梯山の稜線に落ち、紫色の夕焼けに淡い月の光が漏れだした時分である。まだ暑さの残るしっとりとした空気に、切り裂くような気合の声が轟いた。

「はっ!」

 一呼吸で打ち出される印字の数およそ十六、しかもどれひとつとして同じ軌道を取るものがない。石の形と握り、そして絶妙な力の加減によって八郎はそれらを全て標的の木の葉に命中させる。

 驚くべきは、それが十六の木の葉に命中しているのではなく、たった一枚の木の葉に対して、地面に落ちるまでの間にわずかな時間差をおいて十六の礫が殺到するのだ。

 文字通り木っ端みじんにされた木の葉が風に吹き散らされるまで、ほんの一瞬の出来事であった。

「――――見事ですね」

「こ、これはおりくさま……!」

 普段の修行に精を出していたため、おりくの接近に気づかなかったというのは言い訳であろう。おりくの隠形が八郎の警戒力を上回ったのだ。まだまだうぬぼれるには早すぎると八郎は内心で冷や汗を流した。

「すでに印字打ちでは御爺殿を超えたとは聞いておりましたが……」

 鵜飼藤助の名は甲賀においては絶大なものがある。もちろんよい噂ばかりではないが、その技量に関しては伝説の領域なのは間違いない。その藤助――角兵衛が手塩にかけた愛弟子、どれほどのものかと思っていたが、正しくおりくの予想を超えるものであった。

 ――――だからこそ、虚しい。

「あと二十年早く生まれていれば、きっと果心居士もかくやという活躍もできたのでしょうが……」

 すでに八郎が腕を振るうべき場所はこの日本ひのものとにはないのだ。

 要人の暗殺や、盗賊稼業に精を出すことも可能であるかもしれないが、それはもう忍びとはいえぬ別のものである。忍びが忍びであることを許されぬ、そんな時代にこれほどの才が現れたことが哀れでもあり、逆に天命のようにも思えた。

 なぜなら八郎は技量は卓越していても、いまだ心は忍びとは言えないからであった。

「ねえ、八郎、貴方は忍びとはなんだと思いますか?」

「…………さあ……? 御爺はもう人に仕えるのは懲り懲りだ、としか言わないから」

「まあ、あの人ならそうでしょうね」

 角兵衛が身命を賭して仕えた主人、長束正家はすでにこの世にいない。自由を貴ぶ伊賀と違い、甲賀は一度仕えた主君に最後まで殉じる者が多かった。特に角兵衛にとって、正家は仕えるに値した天下の鬼才であった。経理能力に関するかぎり、近代以前で彼に匹敵する人間は誰もいない。

 北条征伐においては、豊臣政権で五本の指に入る能吏である石田三成や大谷吉継の補佐を「不要」と一蹴し、ほとんど独力で兵站を差配しきった男である。まだ天下が統一されていないころ、関ケ原や大坂の陣以上の困難な仕事を正家は見事に成し遂げたのだった。それほどの男に仕えた角兵衛が新たな主君を求めるはずもない。それはすなわち、八郎に忍びのなんたるかを教えてもいないということであった。

「覚えておきなさい。忍びとは仕える主君のために忍ぶ者です」

「はあ……」

 明らかにわかっていなそうな気の抜けた返事である。角兵衛も忍びの技以外は存外甘く育てたようだ、とおりくは微笑した。

「わかりませんか?」

「申し訳ないことにございます」

 八郎は率直に認めておりくに頭を下げた。その率直さは人としては好ましいものだが、忍びとしてはいささか問題であるようにおりくは思えた。

「忍びとは文字通り心に刃を持つ者。すなわち心を武器として戦う者です。だから奇襲騙し討ちは当たり前。正々堂々などもってのほか。忍びのもっとも大切な要諦は、優れた剣技や貴方のような天性の才の印字打ちではありません。人の心の隙間に潜み人の心の隙間を利用して敵を殺すことこそ忍びの要なのです。ほら、このように」

「えっ?」

 八郎が意識した瞬間には、すでに首におりくの仕込み扇が金属の冷たさが押し当てられている。おりくに殺意があればこの時点で八郎は死んでいたはずであった。

「私の術は貴方に大きく劣るでしょう。それでも時と場所を選べば私が貴方を倒すことはそれほど難しいことではありません」

 ただでさえおりくも八郎も、甲賀という組織から見ればはみだしものにすぎない。何かのきっかけで仲間に裏切られるというのは警戒してしかるべきなのだ。否、目的のためには大切な仲間ですら躊躇なく犠牲にするのが忍びという生物であった。おりくは八郎にそう言っているのだった。だからこそ

「忍びは陽の当たる場所を歩くことは生涯できないと心得なさい。それだけが心に刃を持ち続けられる唯一の手段です」

 心を武器に戦場を駆ける忍びが、戦場からもっとも縁遠い場所にある家庭に安住することは許されない。おりくが定俊の妻となることを承知しない理由はそれであった。

 おりくの生来の頑なさはともかく、忍びが我が子を物心がつかぬうちに手放し、赤の他人に修行を任せるのはよく見られる光景であった。肉親では情が修行の邪魔をするからである。

 おりくの言葉の深刻さを、八郎はからり、と受け止めた。

「まあ、俺はこの世にいていないようなもんですから」

 今まで角兵衛と二人で山中に隠れ住んできた。友もいない、親もいない。あの庵で死んだとしたら誰にも気づかれぬままに身体は土へと還るだろう。そういう意味で、八郎は無意識的に求道的な生活を歩んできたのかもしれなかった。

「――――そう、でも腕前は素晴らしいけれど私は貴方が忍びには向いていないような気がする。どうしてそう思うのかはわからないけれど」

 自分でも何を言っているのかわからなくて、おりくは自嘲気味に微笑った。

「そうでしょうか?」

「もう忍びが生きていく時代は終わりです。今はまだわからないかもしれないけれど、自分が何がしたいか、何ができるか、忍びでない生き方を考えてみるのも悪くはないわ。だって貴方はまだ若いのですもの」

 そういって嫣然と笑うと、現れたときと同じように空気に溶けるようにしておりくは去った。

 見事な隠形である。傍目には消えたように感じたかもしれないが、先ほどとは違い八郎の視線はおりくの滑るような美しい足さばきを捉えていた。

 それは八郎がおりくの術を見破ったからではない。おりく生得の体臭であろう木蓮のような香りから視線が離れようとしなかった。ただそれだけのことであった。

 なぜかおりくの美しくも悲しそうな笑みが、八郎の瞼に焼きついていた。





 それから善兵衛と帯刀が、全く別の伝手から柳生の黙認を取りつけようと暗躍しているころ、猪苗代城を訪れる一人の男がいた。細身に怜悧な瞳がいかにも気難しそうである。姿形は全く似ていないが、纏っている雰囲気が亡き重政を彷彿とさせる男であった。

 武ではなく政でお家の重責を肩に背負っている男の空気である。この空気が戦国気質の武士には珍しく定俊は好きであった。

「これは珍しい。猪苗代へ来られるのはいつ以来のことか?」

「さて、いつも通り過ぎるばかりにて挨拶もせず越後守にはご無礼を」

 男の名を町野幸和という。白河小峰城の城主にしてかつては重政の懐刀であった男である。現在では重政の後釜として藩政に辣腕を振るう蒲生家の執政であった。

 のちに蒲生郷喜、郷舎兄弟との権力闘争に敗れ、蒲生家を追放されたのちは徳川家光に仕えた。亡き岡重政の嫡男岡吉右衛門の義父でもあり、吉右衛門と娘おたあ、との間に産まれた孫お振りの方はいかなるめぐり合わせか将軍家光のお手付きとなり、家光の第一子である千代姫を産み落とした。その血筋は徳川三千の入内により皇室にまで受け継がれ、現代へと続いている。吉右衛門の母は三成の娘なので、現在の皇室にはわずかながら石田三成の血もまた受け継がれていることになる。

「いやいや、町野殿の多忙さはよく存じ上げておる。して、その多忙な町野殿がこの老体に何用かな?」

「生前より重政殿に頼まれていた一件がございまして」

 重政の名を聞いて定俊の眉がぴくりと動いた。

「ほう、この兄には頼み事など何一つ残さなかった薄情な弟が、町野殿に頼みとは」

 心底意外そうに定俊は腕を組み、興味深そうに町野に視線で先を促した。あの融通の利かない頑固な弟が、何を言い残したのか本気で気になっていた。

「――蒲生家にとって災いとならば、越後守のお命を奉れと申しつかっております」

 一切悪びれもせず堂々と言い放った町野に、定俊は驚くというより呆れた。なるほどお家のために命を捨てた重政が言いそうな遺言であった。胸を逸らしてぴしり、と自分にくぎを刺す往時の重政を思い出して、定俊は懐かしそうにくつくつと笑った。

「――――やはり」

「やはり、とは?」

「越後守は怒るより笑うであろうと重政殿が申しておりました」

「お見通しか」

 生まれたときからの付き合いである。重政がどのように判断し、どのような思いで町野に託したか定俊には手に取るようにわかった。それが決して脅しではないのだということも。

 重政も町野も蒲生家のためならばいつでも命を捨てることのできる男である。武においては定俊の足元にも及ばぬ町野だが、定俊を殺すことはそれほど難しいことではない。

 蒲生家の執政である町野がここで命を落とせば、理由がどうあろうと定俊も無事にはすまない。結果的に蒲生家から定俊を除くことができるであろう。

「死んでいただけますか?」

 まるでちょっと物を取ってきてもらえますか? というようにあっさりと町野は言った。

「無論、死ぬとも。今、その死を楽しんでいるところだ」

「その楽しみのためにお家に災いが及ぶとしても?」

「災いが及ばぬようにするには死に方というものがあるのさ」

 ここで定俊が腹を切ったところで、伊賀組はアダミを見逃さないであろうし、定俊という枷がなくなればキリシタンがどう動くかもわからない。落としどころを見つけるために、一度は伊賀組と戦う必要があったし、定俊もまた死ぬ必要があった。

 定俊の真意を探るように町野はしばらく微動だにせずに定俊の顔を見つめ続けていた。およそ小半時もそうしていただろうか。

「――――結構、後始末が必要ならなんなりと申しつけください」

「痛み入る」

 ふと定俊は気になることがあって、立ち上がろうとした町野に尋ねた。

「この有様も重政は予想していたのか?」

「いいえ」

 我慢できなかった様子で、町野は噴き出すように笑った。普段は謹厳実直であるだけに、定俊も一度も見たことのない衒いのない笑いであった。

「兄上は本当に自信がないときは、指で膝を叩く癖がある。真意を問いたくば小半時兄上の様子を眺めてみよ、と」

「う、うぬ…………」

 一度も自覚したことのない己の癖に、妙な気恥しさを覚えて定俊は唸った。あの世の重政がしてやったりと舌を出しているような気すらした。

「しかしながら」

 ほんの一瞬で笑顔を引っ込め、また元の感情を隠した表情に戻ると、叩きつけるように町野は言った。

「越後守亡きあと、この猪苗代を公儀の目から庇い続けることは不可能となりましょう。必要なら我が手を汚すことも厭いませぬ」

 それはキリシタンの楽園の終焉を意味した。キリシタンは弾圧され、追放か殉教か、あるいは改宗かを選ばされることになる。しかしそれは、定俊にとって最初からわかりきった話であった。

「存分にいたされるがよろしかろう」

 そこで再び町野はわずかに口の端を緩ませる。

「と、申されるであろう、と重政殿も申しておりました」





 柳生家は下屋敷に品川の西(現在の西五反田)に約一万二千坪余の広大な敷地を有しており、将軍家の剣術指南役として、代々故郷柳生に帰ることなく、この下屋敷に常駐することを常とした。

 すでに江戸の街は深い闇に包まれ、行燈のぼんやりした明かりだけが室内をゆらゆらと照らしている。

 正座して静かに文机に筆を走らせているのは江戸柳生の総帥、柳生又右衛門宗矩であった。

 将軍家の信頼も厚く、いまだ旗本の身ではあるが将来大名へと立身するであろうことは確実と当然のように思われている。それは宗矩が単なる剣術家ではないことに起因していた。

 さる元和二年のことである。将軍秀忠の長女である千姫との結婚の約束を反故にされた坂崎直盛が謀反を画策した。輿入れする千姫を兵を率いて奪おうとしたのである。さすがにそんなことをされては坂崎家はお取りつぶしを免れない。家老の一人が幕閣に訴えでて事態が発覚し、穏便にことを済ませるため直盛を説得に単身赴いたのが宗矩であった。結局坂崎直盛は家老に暗殺され家は取りつぶしとなるが、寸鉄帯びず説得に赴いた宗矩の株は大いに上がった。

 そして今までの剣術の概念を覆す活人剣という発明、剣の境地が政治にも生かせるという主張は、宗矩が一剣術家でいることを許さなかった。

 のちに宗矩は総目付(大目付とも)という大名の監視役にまで出世し、将軍に次ぐ権力者である老中にすら恐れられることになる。その萌芽がすでに芽を吹かせつつあったといえるだろう。

「よろしいのですか? お館様」

 宗矩に影のように従う矮躯の男――狭川新左衛門はそう問いかけずにはいられなかった。先刻、伊賀の組頭中林帯刀が退出したばかりである。柳生忍軍にとって、伊賀組は年来の宿敵であった。その敵がせっかく弱みを見せたのに、わざわざそれを看過する道理がわからなかった。

「わからぬか? 我が新陰流の高弟ともあろうものが」

「いまだ修行がいたらず、不甲斐なきことにて」

 そう頭を下げはしたものの、新左衛門に納得した様子はなかった。一門の同志には伊賀組に討たれた者もいる。お互いに簡単に許せるような関係ではないはずだった。

「心は万境に随って転ず。転処、実に幽なり」

 その言葉は新左衛門には知る由もないが、禅宗伝法祖師二二祖の摩拏羅まぬら尊者の伝法の偈げである。実に柳生新陰流の奥義、転まろばしの意を体現した言葉であり、活人剣の思想性の核であったといえるだろう。

 心が決して一か所に留まっていてはならない。転まろばしとはすなわち、球体のごとく相手の動きに応じて自由に対応すること。そして球体が坂を転がるごとく自然の力を利用して勝利することである。

 それは単なる剣の理のみならず、世の中の流れ、政治の流れ、人としての生き方全てに通じる真理というのが宗矩の主張であった。ゆえにこそ柳生新陰流は治国天下の剣でありえた。

 しかしその思想性は当時の異端であったともいえる。あるいは宗矩ではなく、柳生新陰流の道統が甥の柳生利厳へと伝えられたのは、そうした異端の思想性に対する石舟斎の危惧であったのかもしれない。また宗矩と利厳の後年の対立も、そうした思想性の食い違いを抜きには考えにくいのではあるまいか。

「――――我ら柳生はこの太平の世にいかにして生きるべきか」

 生きることすなわち変わり続けること。その思想は常に死を身近に感じ、死をもって人生の価値とする戦国の武士には受け入れがたいものがあった。歴戦の武士である細川忠興などは「新陰は柳生殿より悪しく成申候(新陰流は宗矩になって悪くなった)」と罵倒しているほどである。 

「死を美化し、死を背負って戦う者は強い。しかし死んだ者の名は遺せても、家も技も道も残すことはできぬだろう」

 死に物狂いとなった伊賀組の戦力は、少なくとも裏の世界においては柳生忍軍を確実に上回る。流浪の土豪にすぎなかった柳生家には伊賀組ほどの実戦経験がないからだ。その伊賀組が、わざわざ戦力をすり減らしてくれるという。しかも戦いの結果にかかわらず、裏の世界からは手を引くというのだ。あえて火中の栗を拾いにいく理由がなかった。

「はあ…………」

 わかったようなわからぬような、狐につままれたような顔をする狭川に宗矩は機嫌よさそうに笑った。

「伊賀組は死に花を咲かせようとしているのだ。死にゆくものを黙って見守るのが武の礼ではないか?」

 勝手に死んでくれるのなら喜んで見送ろうという気持ちが宗矩にはある。もし宗矩ならたとえどれだけ醜く汚くとも、なりふり構わず柳生の生き残りに手を尽くすに違いなかった。美しく満足な死など畜生に食わせてしまえばよい。柳生宗矩個人ではなく柳生新陰流が後世にまで伝世していくためなら、武士の誇りなどいくらでも投げ捨てて見せる。

 なまじ神君伊賀越えの功績があるばかりに、変わることをよしとしない伊賀組は、宗矩に言わせれば冬眠し損ねた巨熊のようなものであった。冬の山中に餌は少なく、人里に下りて餌を探そうとして猟師に殺されようとしている。どれだけ優秀な遺伝子を誇ろうと殺されてしまえば巨熊の血は絶える。せめて猟師を多く道連れにして後世に名を残すことができれば御の字であろう。

 そんな手負いの気の荒い熊と戦うのは愚かだ。戦わずに済むのならあえて戦わずとも恥にはならない。事実宗矩は武芸者から勝負を挑まれても、幾度もその勝負を避けている。むしろ剣を伝えるために不要な勝負は極力避けるべきだと考えていた。

 戦国という時代が終わり、戦がなくなると人は刹那的な個人の生き方を改め、組織と家を守っていくための生き方へと変わっていく。この元和、寛永という時代はその過渡期であったといえるだろう。

 正しく宗矩は個人を捨て、柳生新陰流のために、柳生家のために、徳川幕府のためにその生涯をささげた。宗矩の最後の絶筆は肥後藩主鍋島元茂に兵法家伝書を贈るため、弟子の村川伝衛門に支えてもらいながら書いた非常に乱れた書体である。これを乱れ花押という。死に臨んでも宗矩は柳生新陰流安泰のためにその最後の力を振り絞ったのだ。

 死ぬこととは美しきこと、生きるとはすなわち汚れること。しかし汚れることを嫌うその怠惰を宗矩は侮蔑する。

「恨みに捕らわれるな新左衛門。恨みも嫉みも欲も色も否定はせぬが、それに捕らわれては柳生が奥義、転まろばしは極められぬと心得よ」

「――しかと心に刻みまする」

 完全に理解したとはいえないながらも、宗矩の言葉はなぜか新左衛門の胸の深い部分に響いた。この若者、狭川新左衛門であるが、後年柳生新陰流を離れ自らの流派である古陰流を創始する。あるいは彼の心には、この日の宗矩の言葉があったのかもしれない。





 月明かりに石が飛ぶ。闇の中で淡い光とともに求愛の最中であった蛍が、石に草葉をちぎられて風に飛ばされ落ちていく。それが幾度も繰り返されたかと思うと、いつしか数十匹の蛍が一か所に集まってまるで灯ともしびのように大きな光の塊となっているのだった。

 縁側でそれを見つめる角兵衛――鵜飼藤助は人生最後の戦いを前にして静かに闘志を燃やしていた。このまま伊賀組が諦める可能性はまずない。そもそも忍びとは執念深い種族である。さらに屈辱を忘れぬ種族でもある。そうした常軌を逸した思いの深さが忍びに対する偏見を産むのだが、こればかりは抑えようとして抑えられるものではなかった。

「お若いですな」

「おう、久しぶりに若い頃に戻った気分じゃよ」

 からかうような達介の言葉に、角兵衛は照れくさそうに応えた。達介は角兵衛より二つほど年下で、甲賀ではよく見知った仲であった。お互いに老いを自覚して久しいだけに、年寄りの冷や水を見られたような気分になったのである。

「それにしてもよう、生きておられました」

「佐治の頭領には感謝しかない。生き恥をさらしたと思うていたが、この俺にかけがえのない孫と死に場所を用意してくだされた」

 亡き主君長束正家に殉ずるつもりだった。殉死を止められ、山深くに隠棲し、いったい何のために生きるのかと自答したことも数えきれない。しかし角兵衛は八郎という才能を天から与えられた。才あるものは才を愛す。血の繋がった家族以上の愛情をこめて角兵衛は八郎を育てた。

「まこと、あれほどの孫をこの達介、見たことがございませぬ」

 達介には角兵衛の気持ちがよくわかる。なんとなれば達介自身がおりくを育てながら、彼女に実親以上の愛情を抱いてしまったからだ。こうしてわざわざ甲賀を抜け、猪苗代までついてきているのがその証拠であった。もちろんそれを角兵衛もわかっている。だから二人は何も言わなかった。

「――――しかしあれほどの才、いかなる血を引くものか。角兵衛殿は気になりませぬかな?」

 無論、何の血を引かなくとも才をもって生まれる人間はいる。だが、その考えは甲賀という地で同族婚を繰り返し優秀な血統を維持し続けてきた戦国の忍びには通じない。あくまでもそれは例外であり、選りすぐられた遺伝の力の恐ろしさというものを、彼らはその目でその体で知っているからだ。

「知ってはならぬ、ということもある」

 詮索無用、角兵衛は八郎を預かった際にそう固く申しつけられている。逆説的にただの生まれでないことはその時点でわかっていた。

「想像するのは勝手でありましょう。何より死人になんの法がありましょうや」

 鵜飼藤助という人物はすでに死んだことにされている。死人を裁く法は存在しない。まして角兵衛はすでに死を覚悟している。というより死ぬと決めている。今語らなければ秘密は永久に失われるだろう。それを承知で達介は問うているのだった。

「俺ばかりが語るのは不公平であろう?」

 問うからには先に語るべきことがあるのではないか? 角兵衛は目線で達介に促した。

「先代から氏長様に頭領が譲られた折、おりく様が江戸に赴かれた。一族内の私事ということで某は同行しておりませぬ」

「――――義忠様が八郎を連れてきたのも引退して間もなくのことであった」

「やはり」

 達介は自分の想像が正しかったとでも言いたげに二、三度大きく頷いた。

「江戸で性質の悪い風邪にかかった、と半年近くも戻られませなんだ。あのおりく様が珍しいこともあるものだ、と思っておったが……」

「嘘をつけ、そのときからお主すでにこの事態を予想しておったな?」

「まさかまさか! 半ば以上は子供は堕胎したものと思っておりましたよ」

「予想しているではないか!」

 角兵衛は苦く笑った。うすうすは予感していたが、その予感が的中していたことを角兵衛は確信した。

「八郎の母親はおりく様だというのか…………」

 おりくが母親なら父親は一人しかいない。おりくがその秘密を墓場まで持っていくつもりなのもそこに理由があるのだろう。なるほど詮索無用と先代が釘をさすわけだ。

「こんな話、知りたくはなかったぞ……」

「でも疑ってはおったでしょう?」

「先代との約束だ。俺は何も知らん。語るつもりもない。お主もそのつもりでおれ」

 達介は表情を読ませぬ作り笑いでひょひょひょ、と笑った。

「某ですら気づいたのです。当人が気づかぬと思いますか?」

 角兵衛はギョッと目をむく。うかつにもその可能性について考えていなかったのである。

「そんなそぶりはなかった……と思うが?」

「認めるつもりもないでありましょう。しかし戦いの場ではどうでしょうか?」

 いくら捨てたとはいえ目の前で息子が殺されるのを見過ごす母親がいるだろうか。達介はおりくが自らの危険を省みず八郎を助けようとするなら、おりくに代わって自分が死のうと覚悟を決めていた。

「ありがたいことです。某にもようやく死に場所がきたらしい」

 娘のように思っているおりくのために死ぬ。しかも忍び働きで死ねるのならこんなにうれしいことはない。達介もまた角兵衛とは目指すところは違うが、同じく伊賀組との闘いを死に場所にしようとしていた。

「一杯やるかね」

 思わぬ旅の道連れができたかのように、角兵衛は眉尻を下げて腰に下げていたどぶろく入りの竹筒を達介に差し出す。

 うれしそうに達介はそれを両手で受け取った。

「ご相伴に預かりましょう」





 このところ定俊はおりくと過ごす時間が多くなっていた。

 いつもなら一人で訪れる日課の釣りも、今日は傍らにおりくを伴っている。

 特に話すことがあるわけでもない。ただお互いに傍にいるだけで、風の音やふとした指先の仕草にも過ぎ去った遠い記憶を呼び起こすには十分だった。それだけで二人は懐かしい思い出と互いの深い愛情を交歓しあった。

 ――あえて何も語る必要はなかった。寄り添う互いのぬくもりが、息遣いが、触れあう目と目が、言葉よりも雄弁に心を通わせていた。

 定俊の姿を探していた重吉は、猪苗代湖の畔で肩を並べた定俊とおりくを見つけて、思わずその光景に立ち尽くしたまま心を奪われた。二人の濃密な魂の交歓が可視化したように感じられたのである。男と女というものはかくも深い絆を結べるものか。人と人というものは、かくも言葉なくしてわかりあえるものなのか。

 アダミのためならば命もいらぬと思い定めたはずの己の覚悟が、まるで取るに足らぬもののように思えて重吉は必死に頭を振った。そんなことがあってよいはずがなかった。

 関ケ原を生き延び、主デウスの教えに導かれて幕府の目を逃れ仲間たちとの信頼を頼りに生きてきた。神が与えてくれた、かつて小西家に仕えていたときには得られなかった魂の充足感は決して取るに足らぬものなどではない。

 しかし定俊とおりくほどに自分たちは信頼しあっていたか。相手の心を慮っていたか? 現に重吉もアダミや藤右衛門に本心を隠し、あのアダミですら我々に秘密を抱えていたではないか。

 では人と人の繋がりとはいったいなんなのだ? そんな根源的な疑念に捕らわれ重吉が途方に暮れようとしていたとき、期せずして定俊は重吉の名を呼んだ。

「こっちに来ておぬしも一杯やらぬか」

「…………お邪魔をいたします」

 本気で無粋な真似ではないかと心配してしまうほど、定俊とおりくの佇まいは一幅の水墨画のようであり、恐る恐るといった風情で重吉は定俊の隣に腰を下ろした。

 つい先ほどまで定俊とおりくの逢瀬に見蕩れていただけにいささか居心地が悪い。その居心地の悪さを振り払うように顔を俯かせたまま重吉は問いかけた。

「私はどうすればよいのでしょうか?」

 重吉が追い求めた百万両は泡沫の泡のように消え去った。あるいはいまだ百万両は存在するのかもしれないが、手の出せない国外にあるのでは重吉にはどうすることもできない。

 それではいったい何のために自分はここまで来たのか。

 アダミと藤右衛門はこの猪苗代でその命尽きるまで布教を続けるという。この猪苗代がキリシタンの楽園である時間は残り少ない。それでもなおこの地に信仰の種を撒き続けるのだと藤右衛門は笑っていた。

 自分にも同じ主に対する信仰心があると重吉は信じていた。しかしこうして目の前の目標が失われてみれば、アダミや藤右衛門と同じ気持ちになれない自分がいた。

 はたしてこのまま猪苗代で布教三昧の生活を送っていていいのか。座して滅びを待つ受け身でいてよいのか、という疑問は日ごと重吉の胸で大きくなっていくばかりであった。

「殉教が嫌なわけではありません。いつでも命を捨てる覚悟はできている。それでも今ここで滅びを待つのは嫌なのです」

「――――それがお主の答えではないか」

 優しく定俊は答えた。同じような葛藤を幾度も繰り返してきた定俊だから言える言葉だった。

「お主が本当に悩んで心の底から出した思いを恨みに思うような方ではあるまい。アダミ殿も、藤右衛門殿も」

 重吉はまだ戦うことを諦めていないのだ。それがどんなに奇跡のような見果てぬものであっても、敗北を座して受け入れることを認められない。正しく古き武士もののふの心意気であった。

 アダミや藤右衛門と重吉はその有様が違う。定俊はほとんど直感でその魂の在りようを見抜いていた。

「馬鹿なことを考えているのはわかっています。戦うということは犠牲を増やすということです。勝ち目のない戦いに信者を駆り立て、死ぬ必要のない民草を殺すことになる。悪魔の所業でありましょう」

 すでにこのとき、田崎重吉の胸のうちには後年、江戸期最大の大乱である島原の乱を引き起こす萌芽があった。数万を超えるキリシタンの蜂起となった島原の乱は、幕府に内通した一部の農民を除き、一切の降伏も許されず参加したキリシタン全てが皆殺しにされるという悲劇となった。別して板倉勝重を殺された幕府の怒りはすさまじく、島原の城跡からは死後も遺体を石で砕いたと思われる無惨な遺体が数多く発掘されている。そんな地獄に駆り立てようともキリシタンの敵である幕府と戦いたい。そんな悪魔のような衝動を受け入れるべきか受け入れざるべきか、重吉は葛藤しているのだった。

「人は生まれ培ってきた本来の自分には抗えぬ。いや、抗うことはできるのかもしれないが、それは生き方として正しくないと俺は思う」

 どれほど愚かに思われようと、誰が指をさしてあざ笑おうと譲れぬものが定俊にはある。そしておりくにもアダミにも藤右衛門にもあり、重吉にもそれがあったというだけの話だ。

「金のために年来の仲間を見捨てたと人は嗤うでしょう」

 徒手空拳で幕府と戦えるとは重吉は思っていない。残り少なくなったかもしれないとはいえやはりイエズス会の隠し資産は必要であった。そのためには日本を捨て、一度は海外へ逃れる必要があるだろう。それも一年や二年の話ではない。だがそこに望みを託したいと今の重吉は考えている。

 間違いなくその間に、国内ではキリシタン弾圧の嵐が吹き荒れるはずであり、重吉の直感ではアダミと藤右衛門の命もない、と思われた。

 その直感は正しく、アダミと藤右衛門は寛永十年、捕らえられて厳しい拷問の末信仰を貫いて殉教する。むしろ十年近くも生き延びることができたのは僥倖とすらいえるであろう。寛永二年にはすでに会津でキリシタンの弾圧は始まっており、定俊の財布を知り尽くした腹心の林主計はその資産をめぐり斬首の刑に処せられている。その未来が見えるだけに重吉は二人を置いていってよいのか、という疑念がぬぐえないのであった。

「所詮、他人は他人だ。親も、兄弟も、友も、言い訳にするな」

「アダミ殿と藤右衛門殿を他人と申されるか!」

「魂とは神と己のもの。神と語る術を持たぬ以上、我らは己の魂に忠実でなくてはならぬ。己の魂を見出すことができるのは他人ではない。己のみぞ」

 どうしてそこまで強くいられるのか。否、あそこまで心を通わせていたおりくもまた、他人と切り捨てることができるのか。これが歴戦の武士たる定俊と自分の差なのか、と重吉は正しく絶望した。

 ふと、重吉の視線がおりくへと向いたのを敏感に感じ取ったのだろう。いささか極まり悪そうに定俊ははにかむように笑う。

「俺は死ぬまで武士だし、おりくは死ぬまで忍びとして生きる。夫婦めおとになることはできずとも惚れて生涯を共にすることもできるというわけだ。己の魂に忠実に生きるということは、何も他人を捨てる道というばかりではあるまい」

 重吉が見てきたどの夫婦よりも夫婦らしい定俊とおりくである。この齢にしてまだ若々しい恥じらいを残したままの二人に、唐突に重吉のなかで笑いの衝動が爆発した。

「なんともお若い! 私もぜひ肖りたいもので」

 孤高ともとれる定俊の決意が、これほどまでに爽やかで温かいのは、おりくを筆頭に定俊の生き方を理解し、許してくれる存在がいるからであろう。

 神は愛であり、愛は許しである。許してくれる仲間がいるからこそ、自分が本当に目指すところへ踏み出せる。そんな単純な事実に重吉はようやく気がついたのだった。

 アダミや藤右衛門を捨てていくのではない。自分の本義へ戻るのだ。それを温かく理解してくれるからこそ仲間なのである。顔も見たこともない世間の有象無象が何を言おうとそれがどれほどのものだろうか。

 同時に、重吉は定俊という武士もののふの本当の恐ろしさを見た思いであった。領地も名誉も財産も、この男にとってはそれほど価値のあるものではないのである。それらは生きるための方便であり、装飾品であり、本当に大切なのは己の魂に従って生きることだけだ。 

 はたしてそこまで己を割り切って生きることができる人間がどれだけいるだろうか。かつての主君、小西行長がそのように生きていたか。あの太閤秀吉にしてそこまで魂が自由であっただろうか?

 人は生きていくうえで、苦労して手に入れた成果や経験を手放すことは難しい。いってみれば、天下人となった秀吉が、かつて成り上がりの小者であったころのように自由で身軽に賭けにでることができたか。答えは否である。むしろ手に入れた権力を守るために明るさを失い自由を失い、陰険な独裁者として晩節を汚したことを重吉は知っている。

 利殖家として蓄えた大金も、猪苗代一万石の領地も、そしておそらくはアダミや重吉でさえもその気になれば定俊は軽々と捨てることができるのだろう。武士としての生き方を全うするためならば。

 だからといって重吉は定俊を憎む気にも恐れる気にもならなかった。なるほど人には自分の魂が命じる生き方があるのかもしれない。しかし人はたった一人でその生き方を貫くことはできないのだ。誰かがその生き方を理解し、肯定してくれなければ。定俊にとってその相手が誰であるかなど、物心ついた子供にすら一目瞭然であった。

 強かで、勇ましく、千年も生きた狸のように賢い。そんな歴戦の武士たる定俊もまた、誰かに背中を押してもらうことで胸を張って立っていられる。そのことが重吉にはたまらなくおかしかった。

 ――こんな楽しく愛しいことに今まで気がつかずに生きていたとは。

「ふん、悔しかったらお主も見つけて見せろ」

「残念ながらおりく様のような女性はとても手が届きませんな。私のような武骨者には気安い男同士が性に合うようでして」

 わずかながらあの定俊が照れている様子が見て取れて、重吉の笑みはますます深くなった。

「寧波ニンポーへ行きます」

「そうか」

「幕府と戦うには十分な資金です。このまま滅びを迎えるくらいなら、せめて足掻いて足掻いて、戦った先に受け入れるのが戦国を生きたキリシタンであるべきでしょう」 

 このとき重吉は、はっきりとアダミや藤右衛門と袂を分かった。このまま猪苗代で布教に尽くすより、幕府と戦うことを選んだのである。

 すでに幕府と戦って地上にキリシタンの王国を打ち立てられるとは重吉は考えていなかった。しかし弾圧に屈して滅ぶより、抵抗して抵抗してこの世に痕跡を留めるのには意義があると重吉は思う。

 ――事実、後年重吉たちが中心となって引き起こされた島原の乱が終息した後、領民の半数以上を失った地域は荒れに荒れた。とても年貢を集めるどころではなく、入植者を募り失われた人口が再び回復するのは半世紀以上経ってからのことである。幕府はあまりに地域被害が大きいのを恐れ、あまり過激ではない隠れキリシタンをキリシタンではなく宗門心得違いの者として、その信仰を黙認していく方向に舵を切る。全国各地に隠れキリシタンの痕跡が明瞭に残されているのはそのためだ。

 島原で無惨にも皆殺しにされた数万の命は決して無駄にはならなかったのである。

 無論、それを非道といい、外道の兵法と呼ぶこともできよう。罪のない民を犠牲にした悪魔の所業といえるかもしれない。その非難もそしりも重吉の戦う覚悟を止める理由にはならなかった。

「楽しめ、若者わけもん」

「楽しむ、ですか?」

 自分の心のままに生きるなら、空腹も痛みも疲労もすべからく楽しい。死すら楽しむのが武士の流儀であろう。この太平の世にまだ武士の心意気を持つ若者がいることが定俊はうれしかった。それがたとえあだ花であるとしてもである。

「では、お別れまでに今一度戦を楽しむといたしましょう」

 すぐには旅立たぬ。再び襲い来るであろう伊賀組を一掃し、置いていくアダミたちの憂いを少しでも解消してから出ていく。それが重吉の最後の義理の返し方であった。

 憑きものが落ちたように晴れ晴れとした顔で帰る重吉を見送った定俊は、静かにおりくの肩を抱き寄せる。おりくの木蓮のような体臭に包まれて、定俊は太いため息を吐いた。

「戦はいいのう」

 戦は容赦なく人の命を奪い、そのあまりに身近な死が人をより成長させる。たった一度の戦が若者を一人前の兵つわものに変えることもある。死こそが人を成長させ、死こそが人の生きざまを美しく際立たせるのだ。生は死のためにあるのであって、生自体は決して目的にはなりえない。

 重政や町野幸和は尊敬すべきよき男ではあるが、お家の存続のために醜くとも生を選ぶという覚悟は、定俊の知る武士の覚悟とは似て非なるものであった。

「ええ、大坂城が陥ちてからの定俊様とは別人のように幸せそうです。本当に困ったお人」

 全く困っていない顔で優しくおりくは微笑む。戦のない世におりくがどれほど献身的に尽くしてもついに取り戻すことのできなかった本当の定俊であった。そのことを喜びこそすれ恨むつもりは毛頭ない。やはり戦あってこその定俊、そしてその定俊に忍びとして仕えることこそおりくの喜びなのである。

「すまんなおりく。どれだけお主に惚れていてもこの性分だけは抑えられん」

「定俊様が定俊様らしくいられることがおりくの幸せでございます」

「――――おりく」

「はい?」

 何かを伝えようとして定俊がその言葉を飲みこんだのが、おりくにもわかった。おそらくは何を言おうとしたのかも。しかし伝えることを潔しとせず定俊が飲みこんだ以上、それを尋ねるのは無粋であった。

「おりくは幸せでございます」

 忍びとして、女として、夢のように幸せな時間をおりくは生きた。定俊がどう思おうともそれがおりくにとっての真実だった。

 定俊は何も言わない。ただおりくの肩を抱いたまま、猪苗代湖の水面に揺らめく十六夜の月を眺めて静かに時を過ごすのだった。





「――――こたびは伊賀組の誇りをかけた戦である」

 方丈斎は集められた精鋭たちを前に、ぽつりとつぶやくように告げた。しかしその言葉は凍てついた冬の木枯らしよりも冷たく鋭利であった。

 その声に、覇気に、何かを感じた者たちが思わず顔を上げる。かつて全く同じセリフを聞いたことがある者たちだった。

 天正九年九月二十七日、織田信長の大侵攻を受けた第二次伊賀の乱は最初から勝ち目などどこにもなかった。信じていた仲間は裏切り、第一次伊賀の乱とは比べ物にならない大兵力が投入され、蒲生氏郷や明智光秀のような煌びやかな将帥たちが旗を連ねて殺到としている。

 降伏するか、それがいやなら逃げるべきであった。しかし伊賀忍びたちは敢然として勝ち目のない戦に身を投じたのである。

 結果は悲惨なものだった。指揮官が織田信雄であった第一次伊賀の乱と異なり信長が本腰をあげた第二次伊賀の乱は凄惨な殲滅戦となった。非戦闘員を含め伊賀の人口が四割減となるという恐ろしいもので、さらに大半の住人は他国へと逃げ、一時的に伊賀の国は人口の空白地帯になったほどであった。

 そんなときに、若き忍びのまとめ役であった方丈斎が同じ言葉を語っていた。

「忍びは忍ぶものである。忍びは心に刃を持つものである。世の影に潜み飽くなき執念をもって闇から敵の命を奪う者である。日の当たる世からは決して褒められることも敬われることもない外道の者である。ではその忍びに誇りは必要ないか? 断じて否!」

 光あるところ必ず影が必要になる。そして影には光のように報われることがないからこそ、より強固な誇りが必要となるのである。その覚悟なしに影に甘んじて生きていくことは難しい。

 生きていくために信長へと内通した福地、耳須の二家のほうが選択としては正しいのかもしれないが、両家とも乱の以後は武家として生き、忍びたることを捨てている。

 誇りだけが忍びを存続させてきたと方丈斎は信じていた。その思いは、あの第二次天正伊賀の乱から変わることなく彼の胸のなかで生き続けている。そんな方丈斎の熱い思いは、ともに影の世を生き抜いてきた古い忍びたちの胸を打った。

「懐かしきかな。天魔信長何するものぞ、と血が騒いだ時代を思い出しましたぞ」

「勝敗は論ずるに及ばず!」

「我ら伊賀忍びの誇りのために死にまする!」

 涙ながらに老忍たちが叫ぶ。

 勝てるから戦うのではない。思えば第二次伊賀の乱において信長に勝つ可能性など、信長を暗殺するくらいしか残されていなかった。当時信長は忍びを雇ってはいなかったが、忍びの危険性については熟知していた。だからこそ忍びを敵視していたともいえる。戦えば敗北することなど、方丈斎たち若き忍びにも十分すぎるほどわかっていた。

 ――――それでも彼らは戦った。彼らが忍びであり続けるためには戦うしか法がなかった。

 この太平の世に生き場を失くしていた戦国の忍びが今こそ蘇ろうとしていた。

「伍平」

「はっ」

「一衆を任せる。佐助、勘蔵、六郎を率いよ」

「ははっ!」

 伍平はうれしそうに方丈斎へ向かって叩頭した。

「孫六」

「はっ」

「勝郎、太助、小六を率いて大善を助けよ」

「ははっ!」

「大善は村雨、左門、小次郎とともに岡定俊と配下の甲賀衆を頼む」

「ふん、貴様はどうするというのだ? 方丈斎」

「知れたこと」

 大善に問われ、ししし、と歯と歯の隙間から笑い声を漏らして方丈斎は肩を揺らした。

「俺は一人であの鵜飼藤助と戦わせてもらおう」

「やはりか」

 方丈斎だけが誰も率いることなく一人で戦う、となればそれ以外の理由は考えられない。

「止めぬのか?」

「止めてきくお前ではあるまい。それに、少々気になる話を聞いてな」

「ほう」

 大善ほどの古強者が気になる、と聞いて方丈斎も俄然その話に興味を抱いた。

「どうやら鵜飼藤助が後継者として手塩にかけた男が猪苗代にいるらしい。それに俺は岡定俊には因縁がある」

 第二次伊賀の乱において、伊賀北部玉滝口方面を担当したのが蒲生氏郷であり、岡定俊もまた、その軍内において先手を任されていた。大善はその玉滝口から佐那具城へ至る山道の守備隊に組み込まれており、蒲生勢に散々に打ち負かされたという記憶があった。

「――――死を尊び、死を華とするのが武士ならば、忍びは誇りとともに死してもお役目を果たすことが本懐。されど今回ばかりはお役目より解き放たれ、我らが誇りだけのために戦い、忍びの華咲かせようぞ」

「おう!」

 いつしか本来寡黙で感情を表に出さないはずの忍びたちが泣いていた。ほとんど声を出さずに静かに彼らにもわかっている。太平の世に忍びたちは生きていけない。自分たちは捨てられようとしているのであり、誇りとともに死ぬことだけが花道なのだ、と。

 すでに九月も半ばを過ぎ、季節は秋の匂いが深くなろうとしていた。心地よい風に叢雲が割れ、十六夜の月が穏やかな哀しい光を放っていた。





 そんな伊賀組の集団が日光街道を北上していることを掴んだ横山隼人は、予想をはるかに超える伊賀の顔ぶれに驚愕したといってよい。そもそも彼らの情報を掴めたこと自体が奇跡のようなものであり、すでに配下の忍び二人が探る間もなく倒されていた。

「まさかそこまで……伊賀組は戦でもするつもりか?」

「戦をするつもりなのであろうよ」

 竹永兼次は混乱する隼人を揶揄するように軽く嗤った。組頭を含む伊賀組の実力者が勢ぞろいの感がある。もちろんそれは過去の栄光ではない。現時点での実力であった。

「やはり百万両が本当にあるということか?」

「それだけなら何も組頭が出張る必要はあるまい」

 百万両という隠し財産があるからといって、組頭まで投入して他国へ潜入するのはあまりに危険が高すぎる。そもそもこの太平の世では忍びは決して表に出てはならないのであって、戦国のように戦を影から左右するような働きは今は認められていないのである。伊賀組は歴とした幕臣であり組頭ともなればそれなりに高位の御家人であった。そんな立場の人間が他国で戦って素性を明らかにされるようなことがあれば、幕府は天下の面目を失うことになるだろう。

「ではいったい何のために?」

「わからんか。そうか、お主にはわからんか……」

 やはりというべきか、新しい時代の忍び――戦うことに誇りを抱かぬ隠密である隼人には古い伊賀忍びが求めているものがわからないのだ。そのことが兼次にはひどくむなしかった。

 同じむなしさを古い伊賀忍びたちも感じているに違いない。となればむしろ隼人よりも伊賀忍びに親近感を覚える兼次である。大阪の陣よりわずか八年、戦のない世とはかくも早く人から戦うことを忘れさせるものか。

 剣士は道場で竹刀だけを振るい、隠密が密かに闇に隠れて秘密を奪う。そこに死という緊張感もなければ終着点もない。そんな時代がやってきていた。

「伊賀組の老人たちは死ぬつもりなのだよ。百万両があろうがあるまいが、戦って誇りある死を迎えたいのだ」

「そ、そんな馬鹿な! そんなことをすれば伊賀忍びの将来はどうなる?」

「もう忍びの世ではないということだ。どうやら黒脛巾組にはまだまだ将来がありそうだがな」

 暗に黒脛巾組は伊賀組のような影の戦士ではない、と兼次は言っているのだが、隼人がそれに気づくはずもない。

「なんと愚かな……しかしこれは困ったぞ。とてもではないが我らでは太刀打ちができぬ」

 戦いを主眼に据えていないとはいえ、隼人もまた忍びである。彼我の戦力差があまりにかけ離れていることをすぐに察した。いかに人斬り兼次を擁しているとはいえ、完全に覚悟を決めた伊賀組を敵にすることは難しい。なんといっても伊賀組はこの時代最強の忍び集団なのである。

「何を言う。俺は一人でも行くぞ」

「兼次?」

 死ににいくつもりか、と聞こうとして隼人は尋常ならざる兼次の鬼気に口を噤んだ。

 充血して見開かれた兼次の目が、どうしてお前は死なないのだ、と告げている気がした。

 冗談ではない。死んでしまっては任が果たせない。生きてこそ主君の役に立てるのだ。犬死は隼人に言わせれば唾棄すべき責任の放棄であった。

「伊賀組がやすやすと倒せるほど岡定俊という男は甘くはない。それは伊達家中のお主がよく知っているのではないか?」

「ふん、俺は伊賀組の恐ろしさも知っているがな」

「奥州は伊賀組の庭というわけではない。これが戦なら、地の利を得たほうが有利に決まっている。あくまで戦ならの話だが」

 万が一伊賀組が積極的に戦う意志がなく、手練れの忍びたちが情報収集に徹したら定俊は苦境に立たされていただろう。逃げにかかる忍びを討つのは歴戦の武士をもってしても至難の技であった。

 しかしその恐れはほぼ皆無に近いと兼次は踏んでいる。

「正面から争う力がないことはわかっている。我らは伊賀組からしばし遅れて猪苗代に入るとしよう」

「…………異存はないが、ことの次第を殿に報告してからのことだ」

「勝手にしろ」

 どこまでも任務に忠実な隼人に、面白くもなさそうに兼次は吐き捨てた。

 独断専行は戦の華であったが今の世は違う。

 隠密はただ情報を集めるだけの意志のない手足と化し、それを自分の頭で考え判断する能力は必要とされなくなっていく。いや、いずれ情報を集めるのに忍びなどという存在すら必要なくなっていくのだろう。

 剣士もまた存在する意味を失い、形だけの踊りとして見世物になっていくに違いなかった。

(わかりません師匠――――生きた先に何があるというのですか? 戦いのない世に誰が剣を必要としてくれるのですか?)

 兼次の胸に宗矩の言葉がのしかかる。その答えはまだ遼遠の彼方であった。





 元和七年九月二十八日

 その日は朝から西風が強かった。夕刻にはひどい勢いで夕立が降り、定俊は日課の釣りが果たせずいささかお冠であった。夜になって雨はあがり月が顔を出しても、なお風は強いままで蕭々とした風の音が、笛の音ねのようなか細い楽を鳴らしていた。

「――――来たか」

 角兵衛が片目を開けて、床からむくり、と起き上がる。聞きなれた笛の音を感知したためであった。

 甲賀忍びが好んで使用する警戒用の笛は、特殊な訓練をした者にしか聞こえない。音というよりは波が脳の外郭を揺さぶるような感覚を覚えて、角兵衛は真っ黒な塊と化した夜の山へとまなざしを上げた。

 これは宣戦布告であった。あの程度の仕掛けに引っかかるような伊賀組ではない。少なくとも先日猪苗代で散った伊賀組より手練れであれば、一目で見抜いてしかるべきだ。それでも仕掛け笛が鳴っているということは、あえて鳴らしているのに違いなかった。

「御爺…………」

「ああ、呼んでおる」

 これみよがしに、我々はここにいるぞ、と呼んでいる。放置しておくという選択肢はない。奇襲を旨とする忍びは、存在が暴かれた時点でその戦力が半減するものだ。このまま放置して居場所を見失うほうが危険性は高かった。だが――

「ここは俺が――――」

「それがあやつらの狙いであろう」

 当然そんなことは伊賀組も百も承知であるはずである。それでもあえて挑発してくるのにはそれなりの理由があるはずだった。物事には常に表裏があり、ここ奥州では地の利のない伊賀組でも、地域を限定すれば待ち伏せの罠を張ることもできる。特に伊賀組はそうした山岳での不正規戦を得意としていた。

「信長であれば数に任せて四方八方から攻め寄せるところであろうが……下忍もおらぬ有様ではな」

 伊賀と同様、甲賀でも下忍に対する扱いは過酷である。下忍を囮として相手の出方を見るのは常套手段といえた。しかし今の角兵衛には一人の下忍もいない。

 ならば罠と知りつつ噛みやぶるか。

「――――いかんな」

 二者択一を迫られたとき、角兵衛はいつも直感を信じて生きてきた。今のところその直感は外れたことがなかった。だからこそこの年齢まで角兵衛は凄惨な忍びの世界を生き延びてくることができたのだ。

 生きて帰ることができるかわからない。どうやらよほどの手練れが派遣されてきたらしかった。さすがの角兵衛も、このとき方丈斎を含む伊賀組の組頭が、自ら部下を率いてやってきたとは思ってもみない。

 ただ、尋常ならざる気迫と覚悟だけは、こうして距離を隔てた部屋の中まで不可視の圧力となって届いていた。

 これは死を覚悟しなくてはならない相手だ。そう思った瞬間、角兵衛の唇は無意識ににんまりと吊り上がっていた。

「本音が出てるぞ、御爺」

「おう、いかんいかん。あんまりうれしくてつい本音がでてしまったわい」

 およそ角兵衛はある時点から自分より強いかもしれない忍びと戦ったことがなかった。あの先代頭領佐治義忠ですら、技量において角兵衛には及ばなかった。本当の意味で角兵衛が敗北を覚悟するほどの忍びと戦える。そう思うとどうしても笑みが浮かぶのを止めることができないのだった。

「まともにやりあえば危うい。小当たりして退くからそのつもりでおれ」

「これでようやく腕試しができるな」

 八郎も愁眉を開いた思いで笑った。

 日野の山奥を出て、満足する敵とも出会えずにいた。その鬱憤がついに晴らすことができそうなのである。友人もいない。娯楽も知らない。ただ角兵衛と腕を磨くことが全てであった八郎にとって、実に腕試しこそが生きてきた証であった。これまでの人生が、労苦が決して無駄でなかったことを実感したい。

 それ以外の人生、生き方を八郎は知らないのだ。

 もとより死ぬことが怖いなどとは思っていなかった。死を恐れるには、八郎はあまりに人生の多様性を知らな過ぎた。恋人を、家族を、立身出世を、色事や芸事の悦楽をなにひとつ八郎は知らない。師である角兵衛と忍びの術だけが八郎の人生の全てに等しかった。その人生の価値を推し量る術がそこにある。我知らず、八郎は角兵衛以上に満面に歓びの笑みを浮かべていた。

 そして次の瞬間、二人の姿はとん、という軽い音を残して寝床から掻き消えていた。



 ほぼ同じころ、おりくもまた警戒の笛音に気づいている。

 ほんのわずかにおりくが身じろいだだけで、床で肌を合わせていた定俊はすぐに目を覚ました。

「来たか?」

「警戒の忍び笛が鳴っています。おそらくは挨拶のようなものでしょう」

 おりくは角兵衛ほど挑発的な意味では受け取らなかった。最初から戦力の少ないおりくは、挑発に乗って相手の土俵で戦うなど考えてもみない。いくら挑発されようがなんとも思わなかった。

「――だが傾奇者はその挨拶にも命を懸ける」

 亡き氏郷は謹厳実直を絵にかいたような男であったが、定俊は関ヶ原の戦いの折、上杉家で同僚となった前田利益などの傾奇者と親しく交わっていた。定俊自身は傾奇者というよりは数寄者であったが、両者の気質は割合近いものがある。 

 それは他者からは戯れにみえるような些細なことに、平気で命を懸けられるという気質である。

 敵に挨拶するためだけに、あえて銃の射程距離に身をさらし、悠々と口上を述べる勇士もいた。もちろん運がなければその戯れのためにあっさり死ぬこともある。しかし傾奇者はそうした死すら楽しむのだ。

「定俊様がお望みならばいつなりと」

 定俊が戦いたがっているのが、すぐにおりくにはわかった。

 本来ならばこちらの縄張りで有利に戦いたいところではある。

 しかしおりくにとって大切なのは定俊だけであり、その定俊が望むのならば安全のひとつやふたつ、いつでも差し出す覚悟であった。

 愛おしそうに定俊はおりくの頬を撫でた。以心伝心、定俊の心は誰よりもおりくが知っている。そのことに甘えてしまっていることへの謝罪であった。

「すまぬな。老いても武士の流れる血と性分までは変えられぬ」

「そんなこと、最初からわかっておりますとも」

 嫣然とおりくは微笑む。そこに死の危険に対する恐れはまるで見受けられなかった。

 定俊の性分をわかっているから惚れたのか、惚れたから全てを許せるのかはわからない。そんな女の懐の深さに、男は終生かなわぬのだろう、と定俊は密かに頭を下げた。





「来ると思いますか?」

「別に来なくとも構わん。最初からここで決着をつけるつもりもないしな。だが――」

 大善は角兵衛たちが設置した警戒用の笛を、くるくると手のひらで弄んで引き攣れるように嗤った。

「せめて最後の敵には、それなりの度量を期待したいものだな」

「要するに来るんですね」

「さて、な」

 太郎兵衛に見透かされて、大善は鼻を鳴らした。

 来るか来ないかは正直五分五分ではないか、と大善は思っている。もし大善であればいかないだろう。しかしあの鵜飼藤助がいるならば、顔見せくらいはあってしかるべきだ。うまくすれば方丈斎ではなく、自分が鵜飼藤助と戦うことも可能かもしれない。

 猪苗代へと到着したのは伊賀組のなかでも大善が率いる衆が一番早かった。笛を鳴らした挑発は大善の独断である。若い日に忍びとして戦いに身を投じて以来、一度としてやったことのない初めての稚気であった。

 任務ではなく誇りだけのために戦う。これほどの贅沢を許された伊賀者がかつてあったろうか、と大善は微笑した。

 あるいは天正伊賀の乱もそうした誇りゆえの戦いであったかもしれないが、あれは生存闘争でもあった。

 生きるか死ぬか、そればかりに追われて、あの当時は今ほど戦いを楽しむ余裕などなかった。戦いを楽しむ? そんな境地にいたったのははたして良いことか悪いことか。

「――――組頭」

「うむ」

 大善はうれしそうに頷く。聞き間違えようのないそれは、自分たちが挑発のために鳴らした甲賀の笛の音であった。

 どうやらあえて挑発に乗ってくれたらしい。やはり彼らは自分たちが最後に戦うに値する敵であったのだ。

「悪く思うなよ、方丈斎」

 ゆえあればいつでも味方を裏切る。それが忍びというものであり、戦う理由があるのなら迷わず戦うことを選択するのが忍びの本能であった。



 月明かりがあるとはいえ、深夜の山中はほとんど視界の利かない闇だけが広がっている。獣ですら行動を躊躇するような暗黒の空間を、飛ぶように走る二人の男がいた。

 角兵衛と八郎の二人である。あの人里離れた竜王山の夜を過ごした二人にとって、この程度の暗闇は珍しいものではない。そもそも忍びは夜を友とする夜行性の種族であって、子供のころから夜目を鍛えるのは当然のしきたりであった。甲賀には夜猫丸という目を鍛えるための漢方薬すら処方されていた。

 忍びが暗闇で身動きがとれなくなるようでは、それはもはや忍びではない。

「読めるか? 八郎」

「四人、ってとこかな?」

「うむ、おそらくは先発隊であろうが、伊賀組もよほど人を選んだものらしい」

 人の数が増えたところで、伊賀組の被害が増すばかりである。ただ勝つだけでよければ被害は考慮する必要はないが、この太平の世で大損害を出せば隠し通すことができない。それにしても四人だけで挑発してくるとはよほどの自信があるとみえた。

「御爺!」

「わかっておる!」

 風上から漂ってくる草の香りに、二人は同時に左右に飛んだ。伊賀忍びが得意とする痺れ薬の香りであった。

 風上をとられたのはまずかったやもしれぬ、と角兵衛は内心で舌を打つ。山岳での不正規戦闘に特化した忍びは、火術や毒にも精通している。特に秘伝の痺れ薬は伊賀忍びの十八番であった。

 二人がそう反応することを待っていたかのように、三人が角兵衛に向かい、一人が八郎の抑えに回った。

 咄嗟に罠にはまったことを悟った八郎は、得意の印字を放つ。相手は木々を利用して印字を避けようとするが、八郎の印字はそれを許さない。弧を描いた印字が木の陰に隠れようとした相手を左右から挟み込むように襲いかかる。

「何?」

「ふん、木の陰に隠れていれば左右から狙うしかあるまいが、わかっていて食らうほど伊賀組は甘くはないぞ」

 あっさりと手甲に印字を弾かれて、八郎は敵がどうやら相手が容易ならざることを悟った。

「常にはないが、今日は名乗らせてもらおう。伊賀の村雨だ」

「甲賀の八郎」

「若いのによい腕をしている。だが俺が若いころにはもっと腕の立つ忍びが綺羅星のようにいたことを知るがよい」

 忍びは腕だけでは足りない。運と勘が備わってこそ、腕の良い忍びは生き延びることを許される。村雨がここまで生き延びてきたのにはそれなりの理由がある。修羅場を経験していない八郎にはそれがわかるまい、と村雨は言っているのだった。実際に八郎はそんなことを考えてもみない。ただ愚直に力量で相手を上回ることだけを考え、運や奇跡に頼ることを恥として角兵衛に教え込まれてきた。村雨の指摘、というより挑発は、八郎に何の感銘も呼び起こさなかった。

 八郎が全く気後れしていないことに、村雨はむしろ歓喜した。取るに足らない若い忍びを相手に蹂躙することなど望んでいない。もちろん自分が敗北するとは思ってもみなかった。強敵に勝利してこそ最後の戦いに華を添えることができるのだと信じた。

「行くぞ、小僧」

 村雨は一気に跳躍した。

 猿飛の術に関して、村雨は伊賀組のなかでも一、二を争う達者であり、両腕だけではなく足も胴まで利用して、正しく木々の間を縫うように走る。それはもはや猿をも超えた究極の体術の成果であった。

 変幻自在の高速移動で相手の死角から奇襲するのが村雨の十八番である。たとえ慣れ親しんだ伊賀ではなくとも、この山林で戦うかぎり負けることはないと村雨は確信していた。

「どこを見ておる」

 八郎が完全に自分を見失っている。背後をとった村雨は不敵に嗤った。狼狽し、怯える八郎の顔を拝んでから殺してやろう。

 楽しかった。幕府の密命ではなく、ただ自分の意志で自由に戦えるということは、病みつきになりそうな愉悦があった。もしこれが任務であれば、村雨は声をかけるようなことをせず、有無を言わさず八郎を殺したであろう。が――――

「ちぃっ! 小僧、貴様……!」

 八郎の無防備な背後を取ったはずなのに、なぜか村雨の足元から印字が放たれた。咄嗟にその全てを避けることはできず、腿と脛をしたたか印字に打たれて村雨は呻いた。

「秘技、柱舞」

「勝ったつもりか? うぬぼれるでない!」

 まだまだ村雨は致命傷を負ったわけではない。勝負はこれからだ。少々足が痛む程度で戦闘力を失うなどあってはならない。

「いや、終わりだよ」

 何の気負いもなく淡々と事実を告げるかのように、八郎は呟いた。すでに八郎の心が角兵衛たちのほうへ向いているのを悟って村雨は激怒する。見下された、いや、見下す価値すら見出されていなかった。そんなことは村雨の人生でも初めて経験する屈辱だった。

「嘗めるな!」

 猿飛の術以外にも村雨は体術の達者である。接近して八郎が得意としているらしい印字打ちを封じればまだ勝ち目はあるはずだ。

 ――だが無情にも、現実は接近するどころか印字を避けることすら難しかった。本物の天才だ。村雨は目の前の若者に自分が技量で劣っていることを認めざるを得なかった。

 すでに左ひじに印字の痛撃を受け、痺れは回復せず、おそらくは筋か骨を痛めたものと思われる。それだけでも戦力は半減したも同然だが、脇腹や耳にも一発食らっていた。すでに村雨の肉体は限界に達しようとしていた。

(だからどうした)

 最初から華々しく死のうと覚悟を決めて臨んだ戦いである。村雨が恐れるのは死ではない。伊賀組として恥じとならぬ死に方ができるかどうか、それだけだ。

「見事な腕だ。この時代に生まれたことが惜しまれてならぬ」

 本心であった。八郎ほどの天賦の才があれば、戦国ならば果心居士のごとく伝説の領域まで達したであろう。もはや忍びが不要となりつつある今の時代にはあだ花にしかなるまい。敵ながらそれが惜しまれてならなかった。

 しかしそれはそれ、勝負は別の話である。たとえ死しても、まだ村雨は敗北を認めるつもりはなかった。もし八郎に勝つ可能性があるとすれば、それは死を決した肉体を凌駕する心の動きに他ならなかった。

 ごつり、と鈍い音がして左手が肩が外れた。左手がまともに動かない以上、身体の左部分は守り切れないと村雨は割り切った。いや、それどころか左手そのものを一気に斬り落とすとそのまま八郎へと投げつけたのである。

 これには八郎も面食らったといってよい。たかが腕を投げつけられたところでなんの脅威にもならないが、切り裂いた村雨の腕から噴き出る血が問題だった。

 何より捨て身、決死の村雨の気迫に生まれて初めて八郎は気圧されるということを体験していた。技量には天賦のものがあっても、本気の死を決した忍びと戦った経験が八郎にはなかった。

 下忍が自爆する程度の攻撃とは違う。腕を、命を犠牲にしても必ずや相手を殺す。そのために彼らは人生で一度だけしか使わぬ数々の外法を身につけていた。

 自らの血で目つぶしを行うのもそのひとつである。

 ほんのわずかに八郎が怯んだ隙に、村雨は最後の準備を終えていた。八郎との距離はおよそ三間ほど。あと少しで必殺の間合いに入る。

「御爺から聞いていなかったら危なかったな」

 村雨の気迫に一瞬怯んだとはいえ、八郎はまだ冷静さを失ってはいなかった。それは角兵衛から、本当の忍びは痛みや怪我では決して倒れないとあらかじめ言われていたからだ。

 村雨もまた、命が尽きるその瞬間まで戦うことを止めないのだろう。戦いを終わらせるためには確実に殺すしかない。普通の打撃では村雨は止まらない。

 ここにきて八郎はついに印字ではなく、忍び刀を手にした。一撃で生命まで仕留めるためには印字では届かないと考えたのである。

 ――――その八郎の決断に、村雨は歓喜した。

 気力が肉体を上回ることのできる時間には限りがある。確かに今、村雨は肉体の限界を超え痛みも疲労も超越したところにいるが、それも残りわずかであるという自覚があった。

 戦で高揚している間は無敵のように思われた兵が、限界を超えると同時に案山子のように動けなくなるのと同じである。

 だから八郎が接近戦を決断してくれたのは村雨にとって僥倖であった。距離を取られ、なぶり殺しに遭うこともありえただけに、張り詰めた心がほんの少し和らいだ思いである。

(天祐我にあり)

 村雨最後の手段は、自らの血を武器とした秘技、毒魂――己の身体を毒に慣らし、その体をも死に至らせる毒を血中に巡らせることで返り血で相手を屠る外法であった。

 ごくわずかでもいい。村雨の血を付着させただけで八郎の命脈は断たれる。八郎にあえて忍び刀で自分を貫かせても良いし、接近して自ら動脈を切り裂いても良かった。刀は躱せても、面で飛び散る血液の全てまでは躱せないからだ。

「見よ我ら伊賀組の意地を!」

 無防備に胴を空けて、村雨は大きく忍び刀を振りかぶった。そのまま刺されても良し、そうでなければ振りかぶった忍び刀で頸動脈を掻き切るのみ。

 最後の力を振り絞り、村雨は神足通で加速する。刹那の間に二人の距離が詰まった。八郎の忍び刀が村雨の心臓を正確に狙って突き出される。もとより刺される覚悟ではあったが、村雨は無意識に心臓を庇った。心臓と脳だけは即死して意識を失ってしまうので、頸動脈を掻き切れない可能性があったからだ。

 その一瞬の逡巡が、八郎に手を止めさせた。このまま刺してはいけない。それは勘でしかないが、八郎の勘は長年の山での修行で動物並みに研ぎ澄まされていた。遅れて村雨も八郎が忍び刀を突きさすことを止めたことに気づく。だがもう遅い。すでに村雨の忍び刀は頸動脈に達しようとしていた。

 鮮血が噴水のように噴きあがり、避けようもなく八郎は正面からその血を浴びた――はずであった。

 返り血に染まった忍び装束が主の重さを失い、はらりと大地に落ちる。村雨は目をむいて叫んだ。

「変わり身の術!」

 村雨の意識が頸動脈を掻き切ることに向いてしまったほんの一瞬のことであろう。八郎は忍び装束から脱皮するがごとく抜け出して、忍び装束のみが毒血を浴びたのだ。最後の最後で自分の技に酔ってしまった村雨の不覚であった。

「み……見事…………」

 うつ伏せに倒れる村雨の背中に、八郎の忍び刀が深々と刺さっている。褌一枚になった八郎は荒く肩で息をついて呟いた。

「御爺に伊賀組と戦うときは毒に気をつけろと言われていなかったら危なかったよ」

 それにしても自分の血液そのものを毒として利用するという発想は、八郎も思考の埒外であった。ほんの少しでも運命の天秤が傾いていれば、八郎もまたここで村雨とともに斃れていただろう。

 忍びが持つ執念の恐ろしさに肌が粟立つ思いがするとともに、八郎は角兵衛が苦戦しているであろうことを確信した。



 八郎の予感は完全に正しかった。

 角兵衛は組頭大善をはじめとする手練れに追い回されていた。

「どうした、鵜飼藤助ともあろうものが逃げまわるだけか?」

「生憎と今の俺は甲賀の角兵衛と申すのでな」

 そんな会話を交わしながらも、角兵衛は抜かりなく空耳の術を駆使して伊賀組の精鋭たちを幻惑している。腹話術の応用で、声の距離感を錯覚させる術である、こうした細かい芸の引き出しが、忍び同士の戦いでは馬鹿にならない。そうした虚実の駆け引きこそ忍びの戦いの真骨頂であるからだ。

「よいのか? こんな老いぼれに三人も回してしまって?」

「鵜飼藤助を追うのに三人は少ないくらいだと思うがな」

 もっとも方丈斎ならば余人を交えず一人で戦いたいというだろうが。生憎と大善は敵を倒すことのみにこだわる性質であった。

「――――やれやれ、老いたのは俺だけではないということか。この俺に三人が必要なら、八郎には五人が必要になるぞ」

「なんだと?」

 ざわり、と大善の背筋に冷たいものが走った。

 もちろんこちらを迷わすための嘘である可能性は高い。普通に考えれば嘘と考えるべきなのだろう。しかし大善の第六感は角兵衛の言葉が真実であると告げていた。

「だからといって貴様を追わぬ理由にはならぬ」

 と、即座に大善は村雨を切り捨てる。今さら助けにいったところで間に合わない。二兎追う者は一兎をも得ずという。何より鵜飼藤助を相手に戦力を減らすということを認められるあずがなかった。

「やれやれ、こんなことなら様子を来るんじゃなかったわい」

 こぼすように言いながらも角兵衛の顔は充実感に満ちていた。久しく忘れていた感覚を、今こそ角兵衛は満喫していたからだ。追い詰められている、下手をすると死ぬかもしれないという緊張感が、若いころの高揚感を取り戻していくかのようであった。

「…………に、してもまさかお主自ら参るとは思わなかったぞ。火渡り大善」

「方丈斎には俺から詫びておいてやる。獲物を横取りしてしまってすまなかった、とな!」

 角兵衛の逃げる方向に、炎の柱が出現した。火薬術に関して大善の右に出るものは伊賀組にはいない。鉄砲の大量投入という数の暴力がなければ、大善の火薬術は優に一千の兵力に匹敵するのである。

「見事よの。これも戦国の徒花というものか」

 しかしその火薬術も第六天魔王織田信長には勝てなかった。威力よりも射程と数で圧倒するのが信長の思想であり、それは槍の長さや行軍と補給の速さにも表れていた。第二次天正伊賀の乱において、大善は織田勢を待ち伏せているつもりが別動隊に退路を断たれ、その実力を見せる間もなく敗走した。

 これほどの見事な術も、たった一人では戦略で圧倒されてしまう。忍びが影の世界の戦士でありながらついに陽のもとへ出ることを許されなかった所以である。彼らには万を超す兵を鼓舞するような華々しい武辺を示すことはできない。徹底した小集団での陰からの奇襲だけに特化されている。見事だと思うからこそその事実が角兵衛には哀しかった。

「――――何?」

 大善の目に、角兵衛が火柱に身を躍らせるのが映った。自殺か? いや、そんなことはありえない。たとえ相手を道連れに自爆することはあっても、忍びが自殺することなどあることではない。

「比翼の術か?」

 比翼の術、それは、比つばさと翼、似たものを重ねる術を言う。すなわち、火柱へと飛びこんだのは角兵衛の偽物である。だとすればどこかに本物がいる。

「どこだ?」

 がさり、と叢に蠢く気配があって、思わず大善を除く左門と小次郎の二人が叢めがけて反射的に苦無を放った。

 獲物が刺さる軽い手ごたえがあって、左門と小次郎は顔をしかめた。

「いかん、囮か」

 叢のなかの正体は野ウサギであった。第六感が二人に生命の危機を告げる。咄嗟に飛んだ左門と、身を屈めた小次郎に角兵衛の印字が襲いかかった。しかももっとも気がつきにくい真上からである。一瞬の判断の差が二人の明暗をわけた。小次郎は頭蓋を割られてぱったりと前のめりに声もなく倒れ伏した。

「そうか! 自らあの火柱に飛びこんだか、鵜飼藤助!」

 偽物と思わせておいて本物。あえて火柱のなかに飛びこんで死中に活を求めたのである。それに気づかなかったこちらが間抜けであった。

「おちち……無茶は老体には堪えるわい」

 もちろん角兵衛も無事には済まなかった。急所は防火布で守ったとはいえ、あちこちに火傷の跡がある。それは決して浅いものではない。

 肉を斬らして骨を断つ。死んだふりや逃げたふりなど当たり前、それが忍び同士の戦いである。まして相手があの鵜飼藤助だというのに、まともに比翼の術を使ったと信じた迂闊さを大善は呪った。

 だが――――

「年貢の納めどきだぞ、鵜飼藤助!」

 藤助の負傷は絶好の機会であった。いかに鍛錬を怠らずとも、加齢に伴う体力の衰えは隠せない。それは大善たちにも言えることだが、まだ藤助よりは一回り以上も若かった。長期戦は大善たちに有利、相手が負傷しているのならなおのこと。

 むしろ今こそが千載一遇の機会!

(これはいかん)

 角兵衛も内心で苦笑している。大善の追跡が巧妙すぎて、八郎から随分距離を離されてしまった。先刻自分が感じた、生きて帰れぬかもしれぬという予感はどうも正しかったらしい。だからといって諦めるという選択肢は忍びにはない。最後まで諦めない執念深さこそが忍びの真骨頂であるからだ。

 残り少なくなった印字で逆転の機会を窺いながら、角兵衛はなんとか八郎と合流しようと足掻いた。

「どうした鵜飼藤助! 足元がふらついておるぞ!」

「そっちこそ俺のような老人にまだ追いつけぬではないか。鍛錬が足りぬのではないか?」

 減らず口を叩いてはいるものの、そろそろ逃げ続けるのも限界に達しようとしている。大善と分かれた左門が迂回して退路を断とうとしているのだが、それを防ぐだけの力がもはや角兵衛には残されていなかった。

 そもそも伊賀組の組頭とそれに匹敵する精鋭を相手に、ここまで逃げおおせてしかも一人を倒しているだけでも空恐ろしいことなのである。さすがは伝説の忍び鵜飼藤助の面目躍如というところであった。

「ここまでだ!」

 ――角兵衛の足がついに止まった。

 左門が退路を断つことに成功したのである。前後を挟まれて一気に距離が詰まる。左右に逃げようにも足が疲労で痙攣し始めていた。下手に逃げるほうが危険が大きいと角兵衛は判断したのであった。

「油断するな。呼吸を合わせろ」

「承知」

 大善と左門はなお油断なく角兵衛を前後から同時に挟み撃ちにするべく呼吸を合わせる。伝説の忍び相手には一瞬の隙さえ命とりになることを知っているからだ。伝説の忍びといえど後ろに目があるわけではない。当然人としての限界があり、集中力と体力も人の領域を超えることはないのである。徹底した現実主義者である大善はそれをよく承知していた。

(……さて、相討ちに持ちこむ、という手もあるが……)

 この二人を相手に逃げきるのはさすがの角兵衛でも厳しい。最悪相討ちに持ちこむだけの切り札が角兵衛にはある。しかしそれはまだこのときではない。なぜかそんな気がした。

「もらった!」

「ぬうっ!」

 両面同時攻撃を完全に避け続けることはやはり無理があった。致命的ではないが、苦無のいくつかが角兵衛の皮膚をかすめ、右足の踏ん張りがきかなくなって角兵衛の体勢が崩れた。あえて角兵衛は地面に転がりこんで避ける。しかし一度転がった角兵衛に起き上がることを許す大善ではなかった。詰将棋のようにもはや角兵衛は逃げられぬ詰み筋に入った。大善はそれを確信した。

「かっかっかっ! 危うく間に合わぬかと思ったぞ!」

「んなっ? 岡定俊!」

 暗闇から西洋甲冑に身を包んだ定俊があらわれたのはそのときであった。

 刹那、大善は逡巡する。定俊はもともと大善が殺さなくてはならない標的だ。その標的が軍勢も連れず、この夜の山までのこのことやってきた。こんな機会が二度とあるとは思えない。かといって鵜飼藤助を逃がすわけにもいかなかった。仲間を一人犠牲にしてまで追い詰めたのだ。最初からやり直しでは小次郎は犬死である。

 やはり藤助に止めを刺すべきか。そんな大善の思惑は、ほんの一瞬で打ち崩された。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 咆哮、鬨の声、戦場に必ず鳴り響く勇者の雷鳴。定俊が吼えた瞬間、鬱蒼とした闇の山中は馬蹄轟く戦場と化した。

 抜刀した定俊ががちゃがちゃと鎧の金属音を響かせて突進してくる。それ自体は大した問題ではない。確かに早いが、忍びのそれに比べれば歩いているに等しいものだ。

 だが隙がない。鎧というものは、その使い方に熟練している者が着れば、それだけで城塞のような堅牢さを発揮する。忍びの使う苦無程度では容易く弾かれ、忍び刀どころか弓鉄砲すら距離によっては通じない。

 何より定俊が全く背中からの攻撃に注意していないことに気づいた大善は、潮時だと直感した。おそらくは大善ほどの男ですら気づくことのできない隠形の達人が、定俊の背中を守っているに違いなかった。

「――――退け、左門」

「は?」

 大善と違い、左門はまだ潮時であるという危機感は感じていなかったらしい。大魚、鵜飼藤助という獲物を逃すことに大善ほど恬淡になれなかった。その一瞬の迷いが左門の運命を決めた。

「痛っ!」

 角兵衛の印字が強か左門の脛を打ち、激痛に膝から崩れ落ちる左門に、太刀を大上段に振りかぶった定俊が襲いかかった。

「この借り、必ず返す」

 もはや後ろを振り返ろうともせず闇に消えていく大善の背後で、左門の魂消るような絶叫があがった。
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