異世界転生騒動記

高見 梁川

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第百八十九話 クーデター前夜

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「これはちょっと予想外だったな」
 地図を見ながら渋面をつくりバルドは唇を噛んだ。
 ネドラス王国派遣軍が大きく後退したことで、アンサラー王国包囲網の一部が開放されてしまった。
 そればかりか、返す刀でエカテリーナとプーシキンはノルトランド帝国軍の先遣隊をも撃破しており、連戦連勝であった大同盟としては冷や水を浴びせられた結果となった。
「そのエカテリーナという王女に関する情報はないのかい?」
「残念ながら生まれながらに病弱で、ほとんど社交界にも顔を出さぬ幻の王女であったそうで」
「なんで今頃……って、それ、転生者の可能性高いよね?」
 死に近くづくことによって次元境界を越えるのが転生者であれば、その病弱な王女が突然転生者の記憶に目覚めるのも無理な話ではない。
 いったいどんな人間が転生したというのか。
 とはいえバルド率いる大同盟が戦力で優位に立っている現状は動かない。
 兵力、経済力、兵器の開発力の全てで、大同盟はアンサラー王国の上を行く。
 だが、悠長にしていられないのがバルド側の事情である。
 敵に転生者らしき存在が現れたとなれば、それはより深刻な事態の証左でもあるのだ。
「魔法戦力だけは大同盟をもってしてもアンサラー王国を超えることはできません。魔法士の効率的な運用を図られると少々面倒ですな」
 ラミリーズは眉を顰め、バルドは頷きながらもどこか違和感を感じていた。
(仮にその王女が転生者であるとして、病弱な乙女の身体がどうなるものでもあるまいに)
 バルドにはマゴットに鍛え上げられ、仲間とともに死線を潜り抜けてきた経験がある。
 転生者の記憶だけでは今こうして生き続けることは叶わなかったであろう。
 おそらくは勝利を糧に腹心を育て、勢力を拡大するところから始めなければならないはずだ。
 そして同じ王族が足を引っ張る可能性も高い。それほどに彼女は目立ちすぎた。
 早晩、王女は今のようには行動できなくなる。いかに優秀な武将であっても、ぽっと出が急に国家の中枢を動かすことはできない――そのはずなのだ。にもかかわらずこの違和感、危機感はいったいなんだ?
「少しでも情報が欲しい。もし転生者であるとして、どの時代の人間であるかで脅威度がまるで変わってくるからな」
 もし現代の、しかも専門的な知識を有する高級軍人であった日には目も当てられない。
 現在のアドバンテージが失われれば、戦争の行方がどちらに転ぶかわかったものではなかった。
「そういえば――――」
 情報将校がメモを数枚めくるとこう呟いた。
「ネルソン閣下が不思議な家紋を目撃したと。アンサラー王国らしからぬ意匠で……鶴のような鳥が向かい合っていたと」
 ガツン、と鈍器で殴られたような衝撃を覚えてバルドは思わず頭を抱えた。
 その衝撃を受けたのが、自分自身でないことに気づくまで数瞬の時間が必要であった。
(対い鶴の家紋……まさか蒲生家じゃというんか?)
 もはや静かに解放の時を待つだけだったはずの左内が、雷に打たれたかのように震えていた。


 エカテリーナの活躍によって、ようやくにして反攻の切っ掛けを掴んだアンサラー王国では、主導権を争い愚かな政争が勃発していた。
 アレクセイ三世の皇太子であるピョートルは、今こそ求心力を自分に取り戻すべき、と積極的に多数派工作に乗り出していたが、反響は芳しくなかった。
 若手を中心に軍部の支持がエカテリーナに固まっていて、名門軍閥の支持こそ得られたものの、現場レベルを全く掌握できずにいたのである。
 アレクセイ三世のは八人の子供がおり、なかでも第三王子のセルゲイは経済界と文官の支持を得て資金力が豊富であった。

「――――それで私の登極を姉上が支持してくださると?」
 微笑しながらセルゲイはすっかり性格も顔つきも変わってしまった姉を見あげた。
 かろうじて表情は変えずにいたが、セルゲイの背中はびっしょりと冷や汗に濡れていた。
 身長からいえばセルゲイがエカテリーナを見上げるなどありえない話だ。
 しかし心理的には確実にセルゲイはエカテリーナを見上げていた。
 エカテリーナからの接触を受けて、一対一での面談を受けたのは失敗であったと後悔にすらかられる。
 いったい明日にも死ぬかに思われていた姉に何があったというのだろう。
 今やエカテリーナの支持者――いや、もはや信者といっていい。信者は軍部の半ば以上に達しようとしていた。
 エカテリーナこそがこのアンサラー王国でもっとも多くの兵力を掌握している。
 文官には全く支持されていないのは不幸中の幸いであろうか。
 セルゲイには想像もつかないが、エカテリーナには軍人を惹きつける天性のカリスマがあるらしい。
「私のやることに邪魔をしなければ結果的にそうなるでしょう。どうせ私の命はもって一年もありはしない。私が死んだあとでどうしようと貴方の勝手よ」
 平然と自分の死を口にするエカテリーナの表情に悲壮感は一切うかがえない。
「何をするおつもりで?」
「私が好きな戦をするために――この國が勝つための戦をするために――邪魔者には消えてもらわないと、ね」
「まさか父上まで――?」
「父上がいたら、貴方国王になれないでしょう?」
 血を分けた肉親を、父を主君を殺そうというのになんの衒いもなく微笑む姉が、セルゲイは心底恐ろしくなった。
 人の形をした化け物と、丸腰で対峙しているという恐怖に全身の震えが止まらない。
 答えられずにいるセルゲイに、エカテリーナは大仰にため息を吐いた。
『あいやら、ほととすぎひん?(ああ嫌だ、気が長すぎないか?)』
「姉上?」
「――――セルゲイ、この国があとどれほど保つと思いますか? 多めに見積もっても一年を超えるか超えないか程度でしょう?」
「まさか、そんなに早く?」
「大同盟に海上封鎖されている現状、いかに大三角といえど来年以降は資金が半減します。つまりは国家財政も軍事費を支えられなくなる。その程度のことは貴方も文官から聞いているはず」
「確かに」
 際限なく増える軍事予算をなんとか食い止めるよう、セルゲイは自分を支持する文官勢力から突き上げられていた。
 このままでは来年以降の後宮予算や祭事予算、インフラの整備といった予算が枯渇する。
 国家とは軍事のみで成り立つものではないのだ。
 歴史を振り返れば、戦争に勝利しながらも経済が破綻した国家は枚挙に暇がない。
「どうせ滅びるなら、私に賭けてみるのも悪くはないでしょう? もし勝ったとしても私は寿命で死ぬわけだし」
 大陸で最強を誇った国家アンサラー王国が滅びるなどあってたまるか! 感情はそう叫んでいたが、セルゲイの理性はエカテリーナの言葉に一理ありと感じていた。
 皇太子ピョートルは愚かとは言わないが、危機感が全く足りていない。この期に及んでエカテリーナを陥れようとしているのがその証左であった。
 救国の英雄と呼ばれるのは、決してエカテリーナであってはならない。次代の太陽であるピョートルでなくては。
 そう考えたピョートルが明日、宮中においてエカテリーナ暗殺を計画していることをセルゲイは知っている。
 もちろん、エカテリーナもそれを承知のうえで、セルゲイに釘を刺しに来たのだろう。
 エカテリーナ亡きあとのアンサラー王国の担い手として、自分が選ばれたのは僥倖だとセルゲイは信じた。
「しかし、そのような荒療治をして勝てますか? あの獣王バルドに」
 クーデターの成功はもはや疑っていない。
 今のエカテリーナを敵に回して生き延びる未来がセルゲイには全く思い描けないからだ。
 だが、国王に忠誠を誓う守旧派は抵抗するであろうし、国力のいくらかをすり減らすことは避けられまい。
『限りあれば吹かねど花は散るものを心短き春の山風』
「は?」
「死を前にして我慢するなんて愚かなことだと思うの。私が私であるためにも」
 身体が動くかぎり戦って戦って勝利を目指す。
 緩慢に死を先延ばしにするだけの人生などなんの価値があるだろうか。
 思うようにならない身体、生まれついた柵(しがらみ)、現実と意思の乖離にずっと我慢し続けてきた。
 これ以上我慢してなんの人生、エカテリーナ・ミハイロヴィッチ・アンサラー、あるいは蒲生忠三郎氏郷だ。
「負けるのは怖くない。戦わずに諦める人生が何より怖いの。わかって欲しいとは思わないけど」
「わからないほうがきっと私にとってよいことなのでしょう。姉上と戦うなんて、考えただけで寒気がしますよ」
 それは偽らざるセルゲイ・ミハイロヴィッチ・アンサラーの本音であった。
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