異世界転生騒動記

高見 梁川

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第百七十九話 祝うべきもの

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「くそっ!」
 バルドは私室に入るなり豪奢な赤いマントを床に叩きつけた。
「勝手なことばかり言いやがって!」
 バルドが少年のころから頑張ってきたことが、端から世界存続の危機を招くと言われて平静でいられるはずがなかった。
 全てが順調にいったわけではない。
 試行錯誤を繰り返し、様々な人々の助けを得て実現してきた技術はもはやバルド一人の手を離れている。
 マウリシア王国の新アントリム公ウィリアムなどはそのいい例だ。
 すなわち、今さら地球の知識や思想を封印することなどバルドをもってしても不可能なのだった。
 ということは――――

『そうは言うけど、もう答え出てるよね?』
「う…………」

 雅晴に冷静に突っ込まれてバルドは言葉を失った。
 理性ではすでに理解はしているのである。ただ感情が納得してくれないだけで。

『アドルフ・ヒトラーにオリバー・クロムウェルだって? 冗談じゃないよ。そんなDQNが内政チートしたらアウレリア大陸の歴史が終わるっての』

 バルドだから異世界の知識を正しく制御できている。
 この世界の秩序や歴史、伝統に配慮したうえで手綱を握る力量がバルドにあるからこその芸当であった。
 異世界からの転生者が無秩序にブルジョア民主主義革命や天賦人権思想をこのアウレリア大陸で広めようとすれば破綻は避けられないだろうし、生物学者にこの世界にはまだ存在しない病原菌などを生産された日には最悪世界が滅びるだろう。
 さらには地球ではない異世界の知識や力が流入した場合の影響は、もはやバルドにも想像すらつかない。
 何より異世界の人間にこのアウレリア大陸の良識を期待できる可能性は低かった。
 地球の転生者ですらそれは難しいのに、まして全く知らない異世界にそれを求めるほうがどうかしていた。

『教団やアンサラー王国相手ならともかく、こっちの常識が通用しない異世界人からトリストヴィー王国や嫁たちを守り切る自信ある?』
「………………」
 雅晴の問いに答えることがバルドにはできなかった。
 どのような知識体系かもわからない。どのくらい科学技術の水準が離れているかもk.わからない。そんな得体の知れないものから守りきれると断言できるはずがなかった。

『――死生はこれ一場(いちじょう)の夢なり』
 
 固い言葉だが、左内の声はどこまでも優しかった。
 直接声が聞こえるわけではないが、その言葉を受け取ったバルドにはそれがわかった。

『楽しき夢も朝には覚める。楽しめわけもん、我も楽しむ』

 異世界に転生するという、決して人に望めぬ楽しい夢を見た。
 それだけで左内にとっては十分すぎる。
 もしこれが自分自身の人生であったなら、左内は最後の最後まで足掻いたかもしれない。
 しかしこの人生の主役はバルドなのであり、自分はたまさかそこで意識を得た幽霊のようにあやふやな存在であった。
 正しく一睡の夢である。
 心地よい夢に身を任せてずっと目を覚ましたくないなど、間違っても左内の認める男の生き方ではなかった。
 ならば楽しむだけ楽しんで、ふと目が覚めたときによい夢を見た、と思うことができればそれでよいではないか。
 武士(もののふ)は未練と言い訳を嫌う。
 それは自分の人生の否定であり、そうでなければ全力で生きてこなかったと認めることでもあるからだ。
 ゆえに、人為を尽くしながらも天に運を任せる。
 成功も失敗も、懸命に生きた結果として受け入れてなお、戦うために立ち上がることができるのが戦人たるの証。
 人生とは、戦とは理不尽なもの。
 戦国の戦人は、現代と違い理不尽が当たり前な世界に生きていた。今日の生が明日には理不尽に奪われるのが日常の世界に。
 左内にとって、この奇妙な転生の終わりとはその程度の存在だった。

『気を悪くしないで欲しいんだけど…………』

 今度は雅晴が気まずそうに言った。

『この世界での生活はとても楽しかったけど、バルドが成長してこの大陸ですごいことを成し遂げようとしてるんだってわかって、思ったんだ。僕も僕だけの生を生きたいって』

 最初は新鮮な喜びに満ちていた。
 バルドを通して生前に夢想してきた内政チートを実現していくことに達成感も覚えた。
 しかし雅晴はあくまでも傍観者にすぎない。
 王となり、複数の嫁をもらったバルドをうらやましいと思う気持ちもあり、同時に生命の危険や国を背中に背負う責任を担うのは自分には無理だと思う気持ちもある。
 異世界転生を経験して、雅晴は自分が夢見た異世界転生よりも、他愛ない現実の日本での生活が貴重で愛しいものであったと思うようになった。
 知識があれば、腕力があれば、それだけで人は英雄にはなれない。
 英雄の器というのは、与えられた人間によっては不幸しかよばれないものになる。
 バルドの曽祖父ヴィクトールやヴァレリーの末路がまさにそれであった。
 英雄の器を持つことと、英雄になれるということは違う。
 それは天に選ばれる運命の力が必要なのだ、と雅晴は思うようになった。
 信長、秀吉、家康という天下人を間近に目撃している左内はとうの昔に承知している。むしろ天命を信じない戦人などいないといってよいくらいだ。
 すなわち、来るべきものが来た。と二人はごく自然に受け入れていたのだった。

「な、なんだよそれ――――」

 まるで見捨てられた子供のように目じりに涙を溜めてバルドは首を振った。
 理性ではすでに理解していることを、受け入れることを拒否するかのように。

『バルドが嫌いになったわけじゃないよ。僕たちは今も三心同体だと、本当にそう思ってる』

 何も隠し事をできない同一存在として、家族以上の絆が三人には結ばれている。
 これからもバルドの力になりたいし、この世界で何かを実現できる達成感もあるのは本当だった。
 しかし、このままあやふやな存在としてい続けることに、少し心が疲れてしまっているのもまた確かなことであった。
 まして自分たちの存在がこの世界の危機に繋がると言うのなら――――

『祝えや、わけもん――――』

 声だけなのに、左内のにんまりした意地の悪そうな笑顔が浮かんできそうな声であった。

『肉もない体もない。それは所詮泡沫の夢、生きてはおらん。相手が父でも母でも、迷うた霊が成仏するならば祝い喜んで送り出すのが義理というものぞ』

 自我はあっても、彼らはバルドを通してしかこの世界と触れ合うことができない。要するにとりついた幽霊のようなものだ。
 たとえそこに意志があり、思いがあるとしてもそれは生きているとは言えないだろう。
 彼らを大切に思うならば成仏させてやるのが情というものではないか。

「薄情者……僕を今さら一人にするのに、すっきりしたようなことを言って……」

 なんのことはない。理性ではすでにわかっていたことだ。
 バルドが活躍する生きた英雄譚となる姿を見て、彼らが自分自身として本当の生を生きることを願わなかったはずがないのである。
 ものごころついたときからずっと同じ身体で生きてきた。
 その絆と憐憫が、最後の言葉を飲みこませ続けてきた。自分の思いがバルドの重荷になってしまうのを躊躇わせてきたのである。
 だが今や道は開かれた。
 どうして左内と雅晴はこの世界へやってくることになったのか。
 このまま惰性でいることがこの世界にとっての重荷となってしまう。同時にそして二人が再び生まれ変わる道が示されたのである。
 前向きにその選択を捉えようとしているのは、バルドに対する思いやりでもあるのであった。
 もちろん、バルドもまたそれを承知していた。
 日本に戻るにしろ、このアウレリア大陸にしろ、二人が今度こそ本当の自分として転生するとすれば、バルドは祝ってそれを送り出さなくてはならないのだ。

「また……会えるかな?」
『生まれ変わるなら日本よりこの世界がいいね』
『戦さえあればどこだろうと文句は言わんが…………』

『もっとも、わえの勘じゃすんなりとはいかんじゃろが……』

 左内の戦人としての勘が正しいことを、バルドは近い未来に実感することになるのだった。



 翌日、腹をくくったバルドはシュエの提案に同意する。
「教団の既得権、領地、布教の自由はこれを承認する。しかし宝珠の引き渡しと獣人に対する迫害の禁止は譲れん。これは最後通牒だ」
「ありがとうございます。陛下のご英断を持ちまして世界は救われることでありましょう」
 シュエはバルドが理性的な判断をしてくれたことに心から安堵していた。
 もしバルドが封印を拒んだ場合、たとえバルドを殺したとしても異世界の侵食は止めることはできなかったであろう。
 バルドという男に賭けた自分の判断は正しかった。
 あとは教団との交渉をまとめるだけだ。
 すでにシュエはカディロス王国を通じて教団の複数の幹部に調略の手を伸ばしており、アウグスト指揮下の諜報部もかなり教団上層部にまで浸透していた。
 戦えば勝つことは確実であり、すでに教皇領はトリストヴィー王国とノルトランド帝国の連合軍によって包囲されていた。
 このまま長期戦になれば、まともな産業のない教皇領の衰退は免れず、戦力においても完全に劣勢となった教団には、講和に傾く幹部たちもいた。
 いまだ戦意は高く、タカ派が主流派ではあるものの、恫喝と交渉によって要求をのませることはそれほど難しいように思われていた。
 しかしいかに調略と情報収集が進んでいたとはいえ、全く彼らには手が触れられずにいるものがあることを忘れていたのである。
 すなわち、教皇自身の断固たる意志を、シュエもアウグストも甘くみていたのであった。
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