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第一章 愛多ければ憎しみ至る
他人の僻み、自身の嫉み
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研究室の一角で、俺は件の女性と対峙した。
「片蔵、ちょっといいか?」
「はぁい。なに?」
少し猫撫で声の混ざった甘ったるい声の持ち主が、この件の中心人物である片蔵由良だ。
ちなみにこの発言からすでに俺はたくさんの情報を読み取っていた。
なるべく可愛く、あざとく、男性から気に入られやすい態度で。あれ? 新倉くんが話しかけてくるなんて珍しい。もしかしてとうとう私の手中に落ちた? そりゃそうよね、私が弄べない男なんてこの世にいないわ。穴熊くんはよくわからないけど、あの人はまあいいや。タイプじゃないし。
ーー騒がしいなぁ。
最近大志や逢坂みたいな静かな人間と話してばかりいたせいか、こんなに心中騒がしい人に少し圧倒されていた。もはや現実の発言より心の中の発言の方が多いじゃないか。
「……時間あるか? 飯食いに行こうぜ。おごるし」
昨日逢坂と話した結果はこうだ。
『いい? まずこの手のタイプの子にもいくつかのパターンがあるの。一つ目が、ただただ構って欲しい寂しがりや。二つ目が、チヤホヤされたい目立ちたがりや。三つ目が、そういうもんよねと適当に生きてるだけのクズ。まずはこれを見極める必要があるわ』
『なるほどな。だけど話してわかるもんなのか?』
『ある程度はね。けど正確に知ろうと思うと少し捻りが必要だわ』
『味方のフリをする、とか?』
『冴えてるわね。結局どのパターンにでも言えるのは承認欲求の塊なわけ。だったら承認してあげる立場を演じれば勝手に闇を話してくれるのよ。特に話を聞いている限り片蔵さんは際限なく承認されたい欲求が溢れ出てる人みたいだから、味方が何人増えようがなんの疑問ももたないと思うわ』
以上一部。要は今から俺は片蔵の囲いを演じることになる。
「えっほんと? いくいく!」
逢坂の分析力は鋭い。本当に何の疑問ももたずに付いてくるようだ。
ちなみに今の発言の裏では、俺が完全に手中に落ちたと確信していたようだった。
浅はかだ。正直自分も何を思っているかより、周りから見てどんな風に見えるかが全てだと思っているので、結果的にはうまく、囲いになろうとしている一般男性を演じられている、ということなのだろう。
「キリがいいようなら先に降りてて。あとで追いかけるから」
「はぁい」
実験の切り上げを促して、自分も自分の実験装置のセッティングを済ましに装置の前に向かう。
「どういう風の吹き回しだ」
その道中、小声で大志に声をかけられた。
「囲いになろうかなって」
「あの引きつった顔でよくそんなことが言えるな」
「孔明様にはバレバレでござったか」
さすが洞察力なら大志も相当だった。
「無駄なことになるとは思うがな。どれだけ手間をかけようと、ああいうやつは核心を突かれると大抵言い訳に走るか黙る」
「もうちょっと懐柔してから核心を突こうとは思ってるがな」
逢坂との話でも出たが、そもそも現状の自分がいくらおかしな状況にあっても、それを自覚し変わりたいと思っていない限り、話題に上げるだけで敵意と取られる可能性がある。それを防ぐためにも、まずは絶対的な味方にならないといけない。
「最強の囲い目指しますわ」
「ふん。罪滅ぼしのつもりか?」
その言葉に、俺の動きはピタリと止まった。
罪、なのかどうかはわからないが、おそらく大志が言っているのはあの件のことだろう。
「いくら親友でもそれを突かれるのは嫌だな」
俺を文字通り芯から変えたあの日。俺は今だにその時の自分を抱えたままでいる。
「一度人に対して全てを諦めたと言っていた人間が、ここまで人に執着すること自体が危なっかしいと思っただけだ」
「ご忠告どうも」
お互い冷淡に言葉を吐いた。
「……路頭に迷った時に右往左往するのは危険だと思う。誰よりもお前が一番わかってると思うが。もし冷静さを欠いてるなと思ったらいつでも来い。酒の一杯くらい奢るぞ」
「フォロー?」
「まあそんなところだ。俺も大切な親友を失いたくないからな」
最後の言葉にはきちんと温度が存在していた。
大志もそのキツめな性格のせいで、いわゆるウェイ系大学生とつるむことはできなかった。そのため半年前から俺と仲良くなれたことをすごく感謝している、と酔ってる時に言っていたのを聞いたことがある。おそらく本心だったのだろう。
照れ隠しに背中側でバイバイと手を振って俺は研究室を出た。
一階に降りると片蔵が入り口前で待っていた。
「あ、おーい!」
俺を見つけるなり手を振る片蔵。
なんだろう。片蔵の後ろにお花が見えるのだが。
本物の囲いならこれにコロっとやられるのだろうが、あいにく俺は囲いのフリをしているだけなのでそうはいかない。
「おまたせ」
「んーん、全然待ってないよ」
あざとさ全開の営業スマイル。どうやったらここまで顔に仮面を貼り付けられるのだろうか。俺にはいささか疑問だ。
さて、飯に誘ったはいいが……実はまだどこに行くかは考えていない。囲いが姫と一緒に行きそうなところってどこなんだ……?
と、そのタイミングで俺の携帯が振動した。画面には逢坂智美の名前が映し出されている。
悪い、と手で片蔵に合図してから電話に出る。
「もしもし」
『お困りのようね』
「どっから見てるんだよ」
『見てないわよ? そろそろかな、と思っただけ』
「余計なお世話だ」
『差し詰めどこにいけばいいか迷ってるってところでしょ』
「どうしてこうもお前は鋭いんだよ」
片蔵に聞き取られないように少しだけ離れる。
『いい? 囲いを侍らせてるような女の子は軒並みオシャレなカフェとかが好きよ。だけど、安直にそこにしてはダメ』
「じゃあどうしろと」
『聞くのよ、どこに行きたいか。その時に言った願いを叶えられるかが最強の囲いになるための試練』
逢坂曰く、いかなる時でも姫の願い叶えられるのが最強の囲いらしい。安直ではあるが、単純に欲求解消してくれることが優しさだと思いがちだそう。
『今日はあくまで偵察。相手の話をよく聞いて、どんな傾向があるのか読み取るのよ』
「了解」
『じゃ、頑張ってね』
そこで電話は途切れた。インカムみたいなので誘導してくれたらいいのになと、若干思ってしまった。
「長かったね、どちら様?」
背後から片蔵が声をかけてきた。
長く話しすぎたか? 時間的には二、三分程度のはずなんだが……。
「友達だよ、最近知り合った」
「ふーん」
そう言って不機嫌そうな感じの顔になる片蔵。
おや……? まだ囲い認定もされてないのに早くも地雷を踏んだか……?
「と、とりあえずどこ行こうか? 行きたいお店とかある?」
慌てて話題を転換する。ていうか、なんで片蔵を助けようとしてるのに片蔵に気を遣わないといけないんだ。
「アタシ今日はパスタが食べたいな」
「ほいほい」
確か、この前逢坂と会ったカフェにはパスタがなかった。どこに行きたいか聞いといて正解だったな。
適当に地図アプリでパスタが食べられるお店を探す。幸い、学校からそう遠くないところに良さげなお店があるみたいだ。
「こことかどうよ」
「ん、美味しそう! いこいこ!」
どうやらお気に召したようだ。心の中の声も少し弾んでいる。
車を走らせ三分。ついたのは洋食屋のdelizioso。
店内はいかにもな洋風の内装で、暖色系の照明に植木が照らされている、と言った感じのシンプルな場所だった。
席に座って各々注文する。
「最近モデル活動はどうなの?」
だんまりしていても仕方ないのでこちらから仕掛ける。
「順調だよ。今度地元のファッションショーに出る予定なの」
「ほう、そりゃすげぇな」
「結構有名なデザイナーさんも来るみたい。知名度上がっちゃうかもね!」
「かもしれないな」
うん。正直つまらない話だなって思ってしまった。
発言の裏で、すごいところを見せたらもっと懐柔できるんじゃ? みたいな短絡的な考えが渦巻いてるのが見えてるからな。
「それとね、今度東京の方で撮影会もするの! あと、関西の方でも撮影会して、そのあと取材受けるの!」
思ったような反応が得られなかったからか、まくしたてるように自身の情報を公開していく。
自分の情報を公開していくことは友好的であることを証明するものになる。言い換えるなら、簡単に仲良くなれるということだ。
例えば何も知らない異性に対して第二者が自分の情報を公開していけば、敵意がないことが示せる。敵意がないことを確認した人は少なからず心を開くし、そこに好意を注ぎ込めばあら不思議、一瞬で懐柔が完了するわけだ。
たまに無差別に異性に好き好き言ったり甘い言葉を吐いたりする頭のイカれた人がいるが、だいたいが無意識にこの行為を行なっている。男女間での好意は同性間でのそれより大きな意味をもつことを知っている上で無意識に悪用している、というわけだ。
おそらくだが何人かの男が逢坂にそれをやっていると思われる。まああいつなら一瞬で蹴散らしそうだが。
今回はこれを敢えて実践してみる。そうすることで短期に距離を縮めよう、という寸法だ。
相手が情報公開しているので、敵意がないことは確実にわかる。相手が心を開いているということなので、こっちが懐柔される前に甘い言葉を言えばいいだけだ。
考えを巡らせている間も片蔵は自分のことを散々話しているようだった。
ーーそろそろかな。
「すごく頑張ってて偉いね。尊敬するよ」
きゅん、と、言葉通りの音が片蔵の心の中で鳴った。
ほらね、簡単でしょ。
特にこういう承認欲求の塊はこれを自分で得た承認だと勘違いしやすい。それに甘やかしてくれるなら誰でもいいとも思いがちなため、甘い言葉を言うだけでコロッといってしまうのだ。承認欲求の塊はチョロい。
さて、それが終わると今度は悩み相談が始まる。大抵が過去か今の付き合ってるやつの話。そこをオープンにすることで現状の不幸を悔やんでいる風を装う。風を装うと言ったのは、本当は大して悩んでなどいないからだ。
なんなら付き合ってるやつも駒の一人。都合が悪くなるまで嫌でも離さず、悪くなった瞬間さようなら、とする。
「私さ、今付き合ってる人と喧嘩よくするんだ」
ほらね。
ちなみにこの時彼女たちが求めているのは、逢坂が大っ嫌いな表面上の肯定だ。
別れた方がいいかな? には、別れた方がいい! って言ってあげるのが正解で、別れたくないんだよねには、そのままでいいんだよ、が正解。どうしたらいいと思う? には、難しい問題だね……と言ってお茶を濁すのが正解。
そんなこんなで話をしていると再び電話が鳴った。
「悪い、ちょっと出てくるな」
「はぁい」
店員さんに行って一旦外に出る。画面には逢坂智美の四文字。
「なんだ?」
『なんだとは失礼ね。必要な情報はあらかた集まったから、そろそろいいんじゃないかなと思って』
「ん? どこかで見てたのか?」
「ええ、すぐ後ろの席でね」
スマートフォンとは明らかに違うところから声が聞こえてきたので振り向くと、そこには腕を組んだ逢坂本人が立っていた。
「盗み聞き?」
「人聞き悪いわね。実際に私が聞いた方が正確でしょ」
「まあそれも確かに」
二人とも見える心には制限があるから、二人の情報を掛け合わせる方が正確になるのは確かだ。
「じゃあそろそろお開きにしていいか? そろそろキツイ」
「でしょうね。心を見るって割と疲れるものね」
「まあそれもあるんだが……」
意図的に見ようとしなくても片蔵からは無尽蔵に承認欲求が垂れ流されているため、その波が大きすぎてキツイところがある。
俺の顔を見て何を考えてるのか察したのか、逢坂は手で、さっさと行きなさい、と合図した。
待たせても悪いと思い、少し小走りで片蔵の元へ戻る。戻ったら適当に話をつけて切り上げればいいだろう。
「ただいま」
「おかえりぃ」
「実験終わる頃だろうし、そろそろ戻ろうと思うんだけど」
「そうだねー」
ん? と俺は心の中で小首を傾げた。
確かに少し無理矢理な切り上げ方ではあったが、それにしてもさっきまでに比べて明らかに態度が冷たい気がするのだが。
「私さー」
冷たい口調そのままに、片蔵が口を開いた。
「何もしないで人気を得てる人が嫌いなんだよねー」
「……何を突然……」
そこでハッとする。
さっき電話していたところは店の入り口。この席から、結構はっきりと見えるところだ。
「……逢坂智美とはどういう関係?」
迂闊だった。逢坂がやってくるのが想定外だったとは言え、見えない場所まで行くべきだった。完全に見られていた。
「と、友達……」
「ふーん」
片蔵が無表情のまま立ち上がり、顔を俺の顔に近づけてきた。思わず目を瞑る。
「な、何を……」
「何を考えてるのか知らないけど、新倉くん、あなたはそんなに必要な人じゃないかもしれない」
冷酷な声だった。ただ淡々と、お前はいらないやつだ、という言葉通りの意味を最も伝わりやすい口調で口から吐き出していた。
「か、片蔵……?」
「……どうしたの?」
目を開けるとそこには、逢坂との電話に出る前と同じ口調、表情の片蔵がいた。
「……え?」
瞬き、目をこすり、もう一度見る。しかしそこにいるのは明らかにあざとさ全開の片蔵だ。
「変な新倉くん。そろそろいこ!」
「あ、ああ……」
なんだったんだ今のは……。黙ってても溢れかえっていた心の声が、あの瞬間、確かに途切れていた。あの一瞬、夢でも見ていたのか、と錯覚させられるくらいには。
「片蔵、ちょっといいか?」
「はぁい。なに?」
少し猫撫で声の混ざった甘ったるい声の持ち主が、この件の中心人物である片蔵由良だ。
ちなみにこの発言からすでに俺はたくさんの情報を読み取っていた。
なるべく可愛く、あざとく、男性から気に入られやすい態度で。あれ? 新倉くんが話しかけてくるなんて珍しい。もしかしてとうとう私の手中に落ちた? そりゃそうよね、私が弄べない男なんてこの世にいないわ。穴熊くんはよくわからないけど、あの人はまあいいや。タイプじゃないし。
ーー騒がしいなぁ。
最近大志や逢坂みたいな静かな人間と話してばかりいたせいか、こんなに心中騒がしい人に少し圧倒されていた。もはや現実の発言より心の中の発言の方が多いじゃないか。
「……時間あるか? 飯食いに行こうぜ。おごるし」
昨日逢坂と話した結果はこうだ。
『いい? まずこの手のタイプの子にもいくつかのパターンがあるの。一つ目が、ただただ構って欲しい寂しがりや。二つ目が、チヤホヤされたい目立ちたがりや。三つ目が、そういうもんよねと適当に生きてるだけのクズ。まずはこれを見極める必要があるわ』
『なるほどな。だけど話してわかるもんなのか?』
『ある程度はね。けど正確に知ろうと思うと少し捻りが必要だわ』
『味方のフリをする、とか?』
『冴えてるわね。結局どのパターンにでも言えるのは承認欲求の塊なわけ。だったら承認してあげる立場を演じれば勝手に闇を話してくれるのよ。特に話を聞いている限り片蔵さんは際限なく承認されたい欲求が溢れ出てる人みたいだから、味方が何人増えようがなんの疑問ももたないと思うわ』
以上一部。要は今から俺は片蔵の囲いを演じることになる。
「えっほんと? いくいく!」
逢坂の分析力は鋭い。本当に何の疑問ももたずに付いてくるようだ。
ちなみに今の発言の裏では、俺が完全に手中に落ちたと確信していたようだった。
浅はかだ。正直自分も何を思っているかより、周りから見てどんな風に見えるかが全てだと思っているので、結果的にはうまく、囲いになろうとしている一般男性を演じられている、ということなのだろう。
「キリがいいようなら先に降りてて。あとで追いかけるから」
「はぁい」
実験の切り上げを促して、自分も自分の実験装置のセッティングを済ましに装置の前に向かう。
「どういう風の吹き回しだ」
その道中、小声で大志に声をかけられた。
「囲いになろうかなって」
「あの引きつった顔でよくそんなことが言えるな」
「孔明様にはバレバレでござったか」
さすが洞察力なら大志も相当だった。
「無駄なことになるとは思うがな。どれだけ手間をかけようと、ああいうやつは核心を突かれると大抵言い訳に走るか黙る」
「もうちょっと懐柔してから核心を突こうとは思ってるがな」
逢坂との話でも出たが、そもそも現状の自分がいくらおかしな状況にあっても、それを自覚し変わりたいと思っていない限り、話題に上げるだけで敵意と取られる可能性がある。それを防ぐためにも、まずは絶対的な味方にならないといけない。
「最強の囲い目指しますわ」
「ふん。罪滅ぼしのつもりか?」
その言葉に、俺の動きはピタリと止まった。
罪、なのかどうかはわからないが、おそらく大志が言っているのはあの件のことだろう。
「いくら親友でもそれを突かれるのは嫌だな」
俺を文字通り芯から変えたあの日。俺は今だにその時の自分を抱えたままでいる。
「一度人に対して全てを諦めたと言っていた人間が、ここまで人に執着すること自体が危なっかしいと思っただけだ」
「ご忠告どうも」
お互い冷淡に言葉を吐いた。
「……路頭に迷った時に右往左往するのは危険だと思う。誰よりもお前が一番わかってると思うが。もし冷静さを欠いてるなと思ったらいつでも来い。酒の一杯くらい奢るぞ」
「フォロー?」
「まあそんなところだ。俺も大切な親友を失いたくないからな」
最後の言葉にはきちんと温度が存在していた。
大志もそのキツめな性格のせいで、いわゆるウェイ系大学生とつるむことはできなかった。そのため半年前から俺と仲良くなれたことをすごく感謝している、と酔ってる時に言っていたのを聞いたことがある。おそらく本心だったのだろう。
照れ隠しに背中側でバイバイと手を振って俺は研究室を出た。
一階に降りると片蔵が入り口前で待っていた。
「あ、おーい!」
俺を見つけるなり手を振る片蔵。
なんだろう。片蔵の後ろにお花が見えるのだが。
本物の囲いならこれにコロっとやられるのだろうが、あいにく俺は囲いのフリをしているだけなのでそうはいかない。
「おまたせ」
「んーん、全然待ってないよ」
あざとさ全開の営業スマイル。どうやったらここまで顔に仮面を貼り付けられるのだろうか。俺にはいささか疑問だ。
さて、飯に誘ったはいいが……実はまだどこに行くかは考えていない。囲いが姫と一緒に行きそうなところってどこなんだ……?
と、そのタイミングで俺の携帯が振動した。画面には逢坂智美の名前が映し出されている。
悪い、と手で片蔵に合図してから電話に出る。
「もしもし」
『お困りのようね』
「どっから見てるんだよ」
『見てないわよ? そろそろかな、と思っただけ』
「余計なお世話だ」
『差し詰めどこにいけばいいか迷ってるってところでしょ』
「どうしてこうもお前は鋭いんだよ」
片蔵に聞き取られないように少しだけ離れる。
『いい? 囲いを侍らせてるような女の子は軒並みオシャレなカフェとかが好きよ。だけど、安直にそこにしてはダメ』
「じゃあどうしろと」
『聞くのよ、どこに行きたいか。その時に言った願いを叶えられるかが最強の囲いになるための試練』
逢坂曰く、いかなる時でも姫の願い叶えられるのが最強の囲いらしい。安直ではあるが、単純に欲求解消してくれることが優しさだと思いがちだそう。
『今日はあくまで偵察。相手の話をよく聞いて、どんな傾向があるのか読み取るのよ』
「了解」
『じゃ、頑張ってね』
そこで電話は途切れた。インカムみたいなので誘導してくれたらいいのになと、若干思ってしまった。
「長かったね、どちら様?」
背後から片蔵が声をかけてきた。
長く話しすぎたか? 時間的には二、三分程度のはずなんだが……。
「友達だよ、最近知り合った」
「ふーん」
そう言って不機嫌そうな感じの顔になる片蔵。
おや……? まだ囲い認定もされてないのに早くも地雷を踏んだか……?
「と、とりあえずどこ行こうか? 行きたいお店とかある?」
慌てて話題を転換する。ていうか、なんで片蔵を助けようとしてるのに片蔵に気を遣わないといけないんだ。
「アタシ今日はパスタが食べたいな」
「ほいほい」
確か、この前逢坂と会ったカフェにはパスタがなかった。どこに行きたいか聞いといて正解だったな。
適当に地図アプリでパスタが食べられるお店を探す。幸い、学校からそう遠くないところに良さげなお店があるみたいだ。
「こことかどうよ」
「ん、美味しそう! いこいこ!」
どうやらお気に召したようだ。心の中の声も少し弾んでいる。
車を走らせ三分。ついたのは洋食屋のdelizioso。
店内はいかにもな洋風の内装で、暖色系の照明に植木が照らされている、と言った感じのシンプルな場所だった。
席に座って各々注文する。
「最近モデル活動はどうなの?」
だんまりしていても仕方ないのでこちらから仕掛ける。
「順調だよ。今度地元のファッションショーに出る予定なの」
「ほう、そりゃすげぇな」
「結構有名なデザイナーさんも来るみたい。知名度上がっちゃうかもね!」
「かもしれないな」
うん。正直つまらない話だなって思ってしまった。
発言の裏で、すごいところを見せたらもっと懐柔できるんじゃ? みたいな短絡的な考えが渦巻いてるのが見えてるからな。
「それとね、今度東京の方で撮影会もするの! あと、関西の方でも撮影会して、そのあと取材受けるの!」
思ったような反応が得られなかったからか、まくしたてるように自身の情報を公開していく。
自分の情報を公開していくことは友好的であることを証明するものになる。言い換えるなら、簡単に仲良くなれるということだ。
例えば何も知らない異性に対して第二者が自分の情報を公開していけば、敵意がないことが示せる。敵意がないことを確認した人は少なからず心を開くし、そこに好意を注ぎ込めばあら不思議、一瞬で懐柔が完了するわけだ。
たまに無差別に異性に好き好き言ったり甘い言葉を吐いたりする頭のイカれた人がいるが、だいたいが無意識にこの行為を行なっている。男女間での好意は同性間でのそれより大きな意味をもつことを知っている上で無意識に悪用している、というわけだ。
おそらくだが何人かの男が逢坂にそれをやっていると思われる。まああいつなら一瞬で蹴散らしそうだが。
今回はこれを敢えて実践してみる。そうすることで短期に距離を縮めよう、という寸法だ。
相手が情報公開しているので、敵意がないことは確実にわかる。相手が心を開いているということなので、こっちが懐柔される前に甘い言葉を言えばいいだけだ。
考えを巡らせている間も片蔵は自分のことを散々話しているようだった。
ーーそろそろかな。
「すごく頑張ってて偉いね。尊敬するよ」
きゅん、と、言葉通りの音が片蔵の心の中で鳴った。
ほらね、簡単でしょ。
特にこういう承認欲求の塊はこれを自分で得た承認だと勘違いしやすい。それに甘やかしてくれるなら誰でもいいとも思いがちなため、甘い言葉を言うだけでコロッといってしまうのだ。承認欲求の塊はチョロい。
さて、それが終わると今度は悩み相談が始まる。大抵が過去か今の付き合ってるやつの話。そこをオープンにすることで現状の不幸を悔やんでいる風を装う。風を装うと言ったのは、本当は大して悩んでなどいないからだ。
なんなら付き合ってるやつも駒の一人。都合が悪くなるまで嫌でも離さず、悪くなった瞬間さようなら、とする。
「私さ、今付き合ってる人と喧嘩よくするんだ」
ほらね。
ちなみにこの時彼女たちが求めているのは、逢坂が大っ嫌いな表面上の肯定だ。
別れた方がいいかな? には、別れた方がいい! って言ってあげるのが正解で、別れたくないんだよねには、そのままでいいんだよ、が正解。どうしたらいいと思う? には、難しい問題だね……と言ってお茶を濁すのが正解。
そんなこんなで話をしていると再び電話が鳴った。
「悪い、ちょっと出てくるな」
「はぁい」
店員さんに行って一旦外に出る。画面には逢坂智美の四文字。
「なんだ?」
『なんだとは失礼ね。必要な情報はあらかた集まったから、そろそろいいんじゃないかなと思って』
「ん? どこかで見てたのか?」
「ええ、すぐ後ろの席でね」
スマートフォンとは明らかに違うところから声が聞こえてきたので振り向くと、そこには腕を組んだ逢坂本人が立っていた。
「盗み聞き?」
「人聞き悪いわね。実際に私が聞いた方が正確でしょ」
「まあそれも確かに」
二人とも見える心には制限があるから、二人の情報を掛け合わせる方が正確になるのは確かだ。
「じゃあそろそろお開きにしていいか? そろそろキツイ」
「でしょうね。心を見るって割と疲れるものね」
「まあそれもあるんだが……」
意図的に見ようとしなくても片蔵からは無尽蔵に承認欲求が垂れ流されているため、その波が大きすぎてキツイところがある。
俺の顔を見て何を考えてるのか察したのか、逢坂は手で、さっさと行きなさい、と合図した。
待たせても悪いと思い、少し小走りで片蔵の元へ戻る。戻ったら適当に話をつけて切り上げればいいだろう。
「ただいま」
「おかえりぃ」
「実験終わる頃だろうし、そろそろ戻ろうと思うんだけど」
「そうだねー」
ん? と俺は心の中で小首を傾げた。
確かに少し無理矢理な切り上げ方ではあったが、それにしてもさっきまでに比べて明らかに態度が冷たい気がするのだが。
「私さー」
冷たい口調そのままに、片蔵が口を開いた。
「何もしないで人気を得てる人が嫌いなんだよねー」
「……何を突然……」
そこでハッとする。
さっき電話していたところは店の入り口。この席から、結構はっきりと見えるところだ。
「……逢坂智美とはどういう関係?」
迂闊だった。逢坂がやってくるのが想定外だったとは言え、見えない場所まで行くべきだった。完全に見られていた。
「と、友達……」
「ふーん」
片蔵が無表情のまま立ち上がり、顔を俺の顔に近づけてきた。思わず目を瞑る。
「な、何を……」
「何を考えてるのか知らないけど、新倉くん、あなたはそんなに必要な人じゃないかもしれない」
冷酷な声だった。ただ淡々と、お前はいらないやつだ、という言葉通りの意味を最も伝わりやすい口調で口から吐き出していた。
「か、片蔵……?」
「……どうしたの?」
目を開けるとそこには、逢坂との電話に出る前と同じ口調、表情の片蔵がいた。
「……え?」
瞬き、目をこすり、もう一度見る。しかしそこにいるのは明らかにあざとさ全開の片蔵だ。
「変な新倉くん。そろそろいこ!」
「あ、ああ……」
なんだったんだ今のは……。黙ってても溢れかえっていた心の声が、あの瞬間、確かに途切れていた。あの一瞬、夢でも見ていたのか、と錯覚させられるくらいには。
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