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第ニ話【ひんやりさっぱり梅ゼリー】こぼれる想いはジュレで固めて

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「ただいま。――あっ、」

小さく口にしてから、玄関の靴に目が入った。

(れいちゃん、帰ってる)

いつものようにバイトを四時に終わらせた美寧は、途中公園の中をぶらぶらと散策してから帰宅した。
平日の今日。いつもなら五時にもならないこの時間に美寧が帰宅しても、怜はまだ大学で仕事中だ。
今日もそのつもりで帰って来た美寧には何の心づもりもなく、三和土にそろえられた革靴を見て、固まってしまった。

「おかえりなさい、ミネ」

キッチンの引き戸を開け怜が顔を出す。

「公園に寄って来たのですか?暑かったでしょう。お風呂、すぐに入れますよ」

私服に黒いエプロンの彼は調理中らしい。引き戸からこちらには出て来ずにそう言ってすぐにキッチンに戻っていった。

バイトに行く前よりは落ち着きを取り戻した美寧だが、やっぱり怜を見ると顔が赤くなってしまう。

美寧は怜に言われた通りに、速攻で風呂へと向かった。


「いただきます」

ダイニングテーブルで怜と向かい合った美寧は、そう口にすると箸を取って自分の前に置かれた皿を見た。

今日のメニューは、アジの南蛮漬に長芋とアボカドのわさび和え。箸休めの胡瓜の浅漬けと豆もやしのナムルは、怜が作る定番の常備菜だ。

綺麗なガラスの大皿にどれも少量ずつ、小さくこんもりとに盛りつけられている。大葉が敷いてあったりミニトマトが添えられてあったりと、上品且つ綺麗な見た目と器のガラスが涼しげだ。
皿の向こう側には吸い物椀。丹生麺仕立てのお吸い物だ。

食べ盛りの男子高生なら一分とかからず食べ終わるだろうその量は、食の細い美寧にとって負担にならないよう、且つしっかりと栄養が採れるように怜によって計算されたものだった。

(おいしい……)

南蛮漬けの味を口に入れた美寧は、心の中でそう呟く。

小さめの一口大に揚げられた鯵は、脂が乗っているけれど臭みはまったく無い。甘みと酸味のバランスが絶妙で、出汁の香りが全体を優しくまとめている。今日みたいに暑さと労働で疲れた体にもするりと入っていく。

同じ皿に盛りつけられたアボカドは、美寧の好物だ。長芋の粘り気とアボカドのまったりした触感は喉越しもよく、わさびが良いアクセントになっていて、いくらでも食べられそうだ。

小さく盛られたご飯を口に入れ、もぐもぐと咀嚼しながら向かいをちらりとうかがうと、いつもと変わらず綺麗な所作で食事をする姿が目に入った。

(れいちゃんのご飯、いつもとおんなじ。どれもおいしい……)

吸い物椀を手に取って口にする。可愛らしい花麩に、ほっこりと口元が緩む。
吸い物に入っている丹生麺にゅうめんは、一人前の量のご飯を食べきることの出来ない美寧に少しでも炭水化物を、という怜の工夫なのだが、美寧それを知らない。

けれど、出された料理の全てに、怜の美寧への優しさが詰まっていることは最初から分かっている。

―――彼女がここに来た最初から。

(変わらない……れいちゃんのご飯も、れいちゃん自身も……)

きちんと背筋を伸ばして食事をする怜は、食べていてもとても美しい。
長い睫毛を伏せてテーブルの上に視線を落としている怜を、こっそりと観察する。

(なんにもなかったみたい……れいちゃんはふつう。私だけが一人で恥ずかしがって一人で慌てて……)

風呂から上がった美寧の髪をいつも通りに乾かした時も、夕飯を出した時も。怜はいつも通りに落ち着いた表情のままだった。
もっと言うなら、美寧が帰宅した時、いや、朝出掛ける時からまったく変わらなかった。

ゆうべのことは美寧の夢だったのかもしれない。

(キスのこと、訊けそうにないかもしれません。奥さん……)

べっ甲色の眼鏡を掛けた優しいその人に、心の中で美寧がそう問いかけた時、怜がふと顔を上げた。

目が合った。ばっちり、視線が交わってしまった。
一瞬で顔が熱くなった。

盗み見見ていたのがバレて居た堪れない。それより何より、あれから彼と目を合わせるのはこれが初めてなのだ。恥ずかしくて堪らなくて、美寧が慌てて視線を逸らそうとしたその瞬間。

フッと困ったように眉を下げ微苦笑を浮かべた怜に、美寧は目を丸くした。

あれから初めて見る怜の“普段通りじゃない”表情。

外しそびれた視線をどうしていいのか分からないまま固まっていると、怜はいつも通りの冷静な表情に戻り、口を開いた。

「ミネはもうお腹いっぱいですか?」

「え?」

きょとんとする。
手元の皿を見ると、ほとんどの料理があと少しずつになっていて、このまま全部食べきればちょうど良い腹具合になることは必然だ。

「……うん」

「そうですか。…今日はデザートもあるのですが、少しだけでも入りそうにないですか?」

「デザート!?」

食の細い美寧とて、女子の端くれ。デザートが別腹なのは道理。

「食べる、食べたいっ!」

さっきまで黙ったままだった美寧の、勢いのよい返事に、怜はにっこりと微笑んだ。
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