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5.お弁当とイレギュラー***

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「どうかしたのか? ため息なんてついて」

『どうかした』の〝どうか〟は間違いなく職場のことだ。ひとりぼっちで弁当を広げてため息をついているなんて、仕事で失敗したか人間関係がうまくいっていないかのどちらかだと思われても不思議はない。

「なんでもありません」

 答えを聞いたらすぐに立ち去ると思ったのに、彼は意外なことを口にする。

「隣、空いているか?」
「あ、はい」

 反射的に答えてベンチの端に寄ったものの、どうしてわざわざここに? と疑問が浮かぶ。

「悪いな。さすがに日陰じゃないと厳しいからなぁ」

 彼は人ひとり分空けた反対側に腰を下ろすと、手に持っていたランチバッグから弁当箱を取り出した。
 どうやらここで昼食を取るつもりらしい。あたりを見回すと日陰になっているベンチで空いているのはここだけだ。納得すると同時に、気まずい思いが込み上げてくる。

 私が好意を持っていたことに彼本人も気づいていたはずだ。そうでなければあんなプライベートな重大事項をただの部下に教えるはずがない。

『彼女の息子の父親は俺だ』

 定時後に呼び出された会議室で、ドアを閉めるなり彼はそう言った。予想だにしなかった言葉の羅列に頭が真っ白になった。声も出せないでいるうちに、首席は別れた元恋人との間に子どもを授かっていたことを説明した。

 彼が子連れの若い女性と一緒にいるところにばったり出会ったときに、てっきり彼の見た目やステイタスにつられたシングルマザーだと思い込んだ。だから彼女とふたりきりになったときに、首席がどれだけすごい人かを語り、気安く子守り要員にするなと訴えた。

 結局それは私の的外れな正義感だった。

 首席から真実を聞いた瞬間、猛烈な羞恥心が湧き起こった。その場でどうにか彼女への謝罪を首席に言づけたものの、なんと言ったのか思い出せない。
 彼は真実を私に教えることで、大切な人を守ると同時に私に牽制もしたのだ。

 告白すらさせてもらえなかった片想いは、理想ばかりを追いかけて盲目になっていた自分の愚かさに気づくと同時に終わりを迎えた。今思い返しても胸の中に苦いものが充満する。

 早く食べ終わって席に戻ろう。箸の動きをこっそり速めていると、視界の端に彼のお弁当が目に入った。

「おいしそう……」

 うっかり声に出してしまい、慌てて口を押えたが遅かった。

「ありがとう」

 自分のことのようにうれしそうな笑顔で言われ、発言をなかったことにできなくなった。

「すごいですね。彼女さんの手作りですか?」
「ああ、毎日作ってくれて助かっているよ」

 彼は顔をほころばせ、愛おしげな瞳でお弁当を見つめている。仕事中は見たことのない表情に、最初からかなうはずがなかったのだと痛感した。

 首席の恋人がお弁当屋さんだとは知っていたけれど、家庭用のお弁当に詰めてあるとそのすごさがほんとうによくわかる。

 ほうれん草のごま和え、蓮根のきんぴら、肉巻きの切り口からはいんげん豆とにんじんが覗いている。仕切りのリーフレタスやミニトマトが彩りを添えていて、見るからにおいしそうだ。そっくりそのまま料理の本に出ていてもおかしくない。

 中でもひときわ目を引いたのは、焦げ目なんてどこにも見当たらない鮮やかな黄色をした卵焼きだった。
 自分の弁当に視線を戻した瞬間、盛大なため息をつきそうになったがなんとかのみ込んだ。

 きっと私は彼女が弁当屋の娘だからと心のどこかで侮っていたのだ。自分は仕事ができる。首席に近いのは自分の方だと。

 なんて愚かだったんだろう。卵焼きひとつまともに作れないくせに、思い違いもいいところだ。

「あの……彼女さんはその後……」

 うつむきがちに尋ねる。

「ん? ああ、あのことか。彼女なら本当にもう気にしていないよ。前にもそう言っただろう?」
「すみません……それならよかったです」

 相手は私の顔なんて見たくないだろうと思って首席に謝罪の伝言を頼んだが、合わせる顔がないというが一番の理由だった。本当は直接謝るべきだったかもしれない。
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