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新天地
[2]ー2
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彼は静かにドアの方へと歩いて行くとドアを開け、隙間から食堂の様子をうかがう。
「なにもないようだが……ん?」
首をかしげたアルはゆっくりと振り返ってこちらをじっと見た。
「どうされたのですか?」
「リリィ=ブランシュ嬢」
「リリィで結構ですわ」
「リリィ。おまえ、今日なにを買った」
「なにって……野菜の種とドライフルーツと膨らし粉、スパイスを数種類。えっと後は……あ!」
マノンに支えられながら食堂へ向かうと、テーブルの下でヒヨコが三羽、紙袋をつついている。
「ああ……すっかり忘れておりましたわ」
街でヒヨコを買ったときに、竹かごに布をかけ紙袋の底に入れておいたのだった。
ニワトリを放し飼いにしておけば、虫や雑草を食べてくれる。ふんは肥料にもなる。なにより産んだ卵を使って料理を作りたいという野望があった。
「お嬢様ったら」
脱力したようにマノンが息をついたが、リリィの頭の中はヒヨコのことで忙しい。
「ニワトリ小屋を用意しなければいけませんのに、この足では難しいですわよね」
「小屋もないのか?」
「それが、あるにはあるのですが」
庭の隅にあるニワトリ小屋は長い間使われておらずぼろぼろだった。修理してからヒヨコを迎えようと思っていたのに、つい勢いで先に買ってしまった。
アルは腕を組んで黙ったままリリィをじっと見てから、おもむろに口を開いた。
「その足が治るまでここにいてやる」
「え?」
「護衛兼修繕屋だ。その間にちゃんとした護衛を探せ」
「どうして……」
さっき街でリリィの悪名を聞いたはずだ。それなのにどうして。
「おまえの料理が気に入った。報酬は三食とおやつ付きでいい」
どうしよう。とても助かるけれど、素性のわからないものを屋敷に置くなんてマノンが反対するに違いない。
そう思って隣を見たら、目を輝かせた彼女が口を開いた。
「いい考えですわ! 人手が集まるまでの間、アルに屋敷を守ってもらいましょう」
予想外の前向きな答えに、リリィはほっとしながら改めてアルに向いた。
「決まりだな」
手を差し出され、リリィは目をしばたたかせた。黒い革の手袋がはめられた手をじっと見つめる。
「どうした?」
「いえ」
握手くらいでドキドキするほど、初心な乙女ではない。
今のリリィは間違いなく正真正銘の清らかな乙女だ。パーティのダンス以外で男性と手をつないだこともなければ、接吻すら未経験である。
けれど中身は酸いも甘いも噛分けた二十九歳。交際人数も片手では収まり切れないほどある。
大きな手に自分のものを重ねると、革越しにほのかな温もりが伝わってくる。それを意識しないよう、にこりと微笑みながら握手をする。
「よろしくお願いいたしますわね」
〝聖女の微笑み〟とまで謳われた見事な営業スマイルを向けると、アルがふっと笑った。
なにがおかしいのだろう。そう思った次の瞬間、手を持ち上げられ、甲に薄い唇を押し当てられた。
「……っ!」
「よろしくな、リリィ」
長い前髪に覆われたグリーンの瞳が、緩く細められたような気がした。
「なにもないようだが……ん?」
首をかしげたアルはゆっくりと振り返ってこちらをじっと見た。
「どうされたのですか?」
「リリィ=ブランシュ嬢」
「リリィで結構ですわ」
「リリィ。おまえ、今日なにを買った」
「なにって……野菜の種とドライフルーツと膨らし粉、スパイスを数種類。えっと後は……あ!」
マノンに支えられながら食堂へ向かうと、テーブルの下でヒヨコが三羽、紙袋をつついている。
「ああ……すっかり忘れておりましたわ」
街でヒヨコを買ったときに、竹かごに布をかけ紙袋の底に入れておいたのだった。
ニワトリを放し飼いにしておけば、虫や雑草を食べてくれる。ふんは肥料にもなる。なにより産んだ卵を使って料理を作りたいという野望があった。
「お嬢様ったら」
脱力したようにマノンが息をついたが、リリィの頭の中はヒヨコのことで忙しい。
「ニワトリ小屋を用意しなければいけませんのに、この足では難しいですわよね」
「小屋もないのか?」
「それが、あるにはあるのですが」
庭の隅にあるニワトリ小屋は長い間使われておらずぼろぼろだった。修理してからヒヨコを迎えようと思っていたのに、つい勢いで先に買ってしまった。
アルは腕を組んで黙ったままリリィをじっと見てから、おもむろに口を開いた。
「その足が治るまでここにいてやる」
「え?」
「護衛兼修繕屋だ。その間にちゃんとした護衛を探せ」
「どうして……」
さっき街でリリィの悪名を聞いたはずだ。それなのにどうして。
「おまえの料理が気に入った。報酬は三食とおやつ付きでいい」
どうしよう。とても助かるけれど、素性のわからないものを屋敷に置くなんてマノンが反対するに違いない。
そう思って隣を見たら、目を輝かせた彼女が口を開いた。
「いい考えですわ! 人手が集まるまでの間、アルに屋敷を守ってもらいましょう」
予想外の前向きな答えに、リリィはほっとしながら改めてアルに向いた。
「決まりだな」
手を差し出され、リリィは目をしばたたかせた。黒い革の手袋がはめられた手をじっと見つめる。
「どうした?」
「いえ」
握手くらいでドキドキするほど、初心な乙女ではない。
今のリリィは間違いなく正真正銘の清らかな乙女だ。パーティのダンス以外で男性と手をつないだこともなければ、接吻すら未経験である。
けれど中身は酸いも甘いも噛分けた二十九歳。交際人数も片手では収まり切れないほどある。
大きな手に自分のものを重ねると、革越しにほのかな温もりが伝わってくる。それを意識しないよう、にこりと微笑みながら握手をする。
「よろしくお願いいたしますわね」
〝聖女の微笑み〟とまで謳われた見事な営業スマイルを向けると、アルがふっと笑った。
なにがおかしいのだろう。そう思った次の瞬間、手を持ち上げられ、甲に薄い唇を押し当てられた。
「……っ!」
「よろしくな、リリィ」
長い前髪に覆われたグリーンの瞳が、緩く細められたような気がした。
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