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7. 聞こえる声と見えない心

心臓の痛みに

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 反射的に街路樹の陰に身を隠すと、その姿を樹の脇から盗み見る。

 道行く人の波から、頭一つ分飛び出た姿。
 スーツにコートを羽織った仕事の時の姿ではなく、細身のパンツの上にファーのついたフードジャケットを羽織り、掛けているのは太いフレームの眼鏡。
 十数メートル離れた所にいる千紗子の目に、彼のその姿だけが切り取ったようにはっきりと映った。

 「雨宮さん……」 

 千紗子の口から、その名が自然とこぼれ落ちる。
 彼の姿を目で追っていると、彼の隣に並んで歩くもう一人の姿が目に飛び込んできた。

 雨宮の奥には、髪の長い綺麗な女性がいた。
 背の高い彼と並んでも遜色ないスラリと伸びた背。遠目に見ても分かるほど小さい顔に長い脚。モデルと言われても驚かないくらい整ったプロポーションを持ったその女性は、雨宮を見上げながら楽しそうに笑っている。
 
 笑いかけられた雨宮が、苦笑を浮かべながら、隣の彼女の頭をポンっと叩くように撫でた。

 それを目にした時、千紗子の胸はこれまでにないほどひどく絞り上げられた。あまりの痛みに息が止まりそうになる。

 これ以上彼らの様子を見ていられず、千紗子は踵を返してマンションに駆け戻った。


 部屋に飛び込んだ千紗子は、ドアを背にしたまま、忙しく鳴る心臓の動悸に身じろぎできないでいた。
 胸に当てた手が小刻みに震えて、それを逃がすように、ふーっと長い息を吐く。

 「あの二人……すごくお似合いだった。私のことなんて、もうきっと気にもしてないわよね……」

 口にした途端、心臓を襲った激痛に、千紗子は顔をしかめた。
 自分で発した言葉が鋭利な刃となって、こんなふうに自分を痛めつけることを知る。

 怖ろしいほど容姿端麗で仕事も出来て優しい、そんな彼がいつまでも自分に構っているわけはないのだ。

 隣の女性を見る雨宮の瞳は優しく、二人の間にはとても気安げな雰囲気があった。
 まだ朝早いこの時間に駅に向かって歩いているということは、二人は雨宮のマンションから一緒に出てきたかもしれない。

 ―――雨宮が自分とは違う女性と一晩を共にした。

 そう想像しただけで、千紗子は声を上げて叫びたくなった。

 両手で口を押えてドアに背を預けてずるずるとしゃがみ込んだ千紗子の瞳からは、次々と涙がこぼれ落ちていく。

 (わたし、いつのまにか、雨宮さんのことを………)

 涙が溢れて止まらず、手でふさいだ口からは嗚咽が漏れた。

 「ううっ、うう~、っひっく、っく…」

 婚約者に浮気された挙句振られて、まだ一週間しか経っていない。なのに、もう他の男性のことを好きになってしまった自分が信じられなかった。

 しかもその相手は自分を好きだと言ってくれたのに、臆病な自分はそんな彼から逃げ出したのだ。

 (こんな私のことなんて、ずっと好きでいてくれるわけないんだわ………)

 雨宮への好意を自覚した途端振られたも同然で、千紗子の胸はいつまでも痛んで涙が止まらなかった。

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