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【番外編】男の矜持(プライド)と斜め上の彼女***
男の矜持と斜め上の彼女(4)
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洗い物もあらかた済み、最後にフライパンを洗うだけになった。
三十センチほどのフライパンを洗うのは小ぶりなシンクでは難しい。四苦八苦する希々花を見ながら、小さなフライパンも買おうかと考える。
いや、いっそのこと、キッチンが広めの2LDKに引っ越そうか。家族が増えることも考えたら3LDKのほうが……。
「あきとさん?」
横から呼ばれてハッとした。
「どうしはったんですかぁ、ぼうっとして……」
「いや別に」
「そうですかぁ? 朝から騒いでしもうたからぁ、疲れてしもうたんやないですかぁ」
伺うように見上げられたので、「そうじゃない」と言う。
「今度卵焼き器を買いに行こうかと思っていただけだよ」
さすがにフライパンから引っ越しまで、思考が一足飛びしたとは言いにくい。
卵焼き器だけでなくほかの調理器具や食器なども一緒に見に行こうと話しているうちに、最初に浮かんだ疑問を思い出した。
「そういえばなんで突然卵焼きを作ろうと思ったんだ?」
「え、」
これまで数回泊まりに来た時には、料理なんてしなかった。基本的にここに連れてくる途中でなにかを買って帰るか、デリバリーを頼んでいたのだ。
だから希々花がキッチンに入るのは、冷蔵庫から飲み物を出すときと食器を下げるときくらい。自分もそうだからわかるのだけれど、普段あまり料理をしないのだろうな、と思っていた。
特に変わったことを聞いたわけでもないのに、彼女は驚いたように目を見開き動きを止めている。「希々花?」と呼ぶと、分かりやすすぎるくらいに目が泳いだ。
「希々花――なにか俺に隠していることでもあるのか?」
まさかほかの男に弁当を作ることになんてことになっていないだろうな。
そう考えたらおのずと眉間に深いしわが寄ってしまう。
するとなにやらもごもごとした声が聞こえた。
「なんだ?」
「だってぇ……も……ら…ん……なんてぇ……」
口の中で唱えられているせいで、ところどころしか聞き取れない。
「きちんとわかるように話しなさい」
じっと見つめると、彼女は観念したように口を開く。
「卵焼きぃのひとつも作られへんような奥さんやなんてぇ……すぐ旦那さんに愛想尽かされるんやって……」
「は……? いったい誰がそんなことを」
「ネット掲示板」
ふう~~~っ、と自分でも呆れるくらい長い溜め息がこぼれた。
「希々花」
低い声で呼ぶと、小さな肩がピクリと跳ねる。
「俺はおまえに卵焼きを焼いて欲しくて一緒にいるんじゃないんだけど?」
「で、でもぉぉ……」
「別に卵焼きなんて焼けなくても生きていける。ゆで卵でもスクランブルエッグでも別に問題ない。だけどおまえが頑張るというのなら、今度は俺も一緒に作ってみようか。ふたりでやればなんとかなるだろう」
一人暮らしが長い割に俺はあまり料理らしい料理は出来ない。けれど二人とも働いているのだ。自分だってそれなりに出来るに越したことはない。もし子どもが生まれるとしたら、なおのこと。これを機に、自分も料理を覚えることにしようか。
「じゃあ、なんで……」
「希々花、なに?」
顔を覗き込もうとしたところで、彼女は顔を上げてこちらをキッと睨んだ。
「『問題ない』んやったら、なんで一回だけなんですかぁ?」
「は? それってどういう、」
「ゆうべも一回しかしぃひんかったでしょ? その前も、その前の前もそうやって……セフレのときに散々シたからぁ、あたしの体にもう飽きてしもうたんやって……。奥さんになるんやったら体の相性だけじゃダメ……みんなそう言っとりますぅ!」
「……みんなって誰」
「ネットの掲示板」
しばらく絶句したあと、「はぁ~~~~~っ」とため息がこぼれた。
希々花の顔がみるみる曇っていく。
化粧をしていない彼女の顔は、あどけないのにどこか凛々しい。
そのほうが自分好みだと気付いたのは、いったいいつだっただろう。
昼間よりもスッキリとした目元に、うるうると涙が盛り上がるのを見ながら、本当どうしてくれようかと、グラグラ沸き立つものを必死に抑え込む。
「卵の一つもろくに焼けへん女なんてあかんってぇ、ご家族から反対されたりとか……」
「そんなことあるわけないだろう?」
「じゃあなんでぇアレを使うんですかぁ!?」
「は?」
「この前は勢い余っただけで、あとから冷静になったら『やっぱマズイ』って……やからのん、ちょっとでもぉ理想の……っ」
噛みつくようにその口を塞いだ。
三十センチほどのフライパンを洗うのは小ぶりなシンクでは難しい。四苦八苦する希々花を見ながら、小さなフライパンも買おうかと考える。
いや、いっそのこと、キッチンが広めの2LDKに引っ越そうか。家族が増えることも考えたら3LDKのほうが……。
「あきとさん?」
横から呼ばれてハッとした。
「どうしはったんですかぁ、ぼうっとして……」
「いや別に」
「そうですかぁ? 朝から騒いでしもうたからぁ、疲れてしもうたんやないですかぁ」
伺うように見上げられたので、「そうじゃない」と言う。
「今度卵焼き器を買いに行こうかと思っていただけだよ」
さすがにフライパンから引っ越しまで、思考が一足飛びしたとは言いにくい。
卵焼き器だけでなくほかの調理器具や食器なども一緒に見に行こうと話しているうちに、最初に浮かんだ疑問を思い出した。
「そういえばなんで突然卵焼きを作ろうと思ったんだ?」
「え、」
これまで数回泊まりに来た時には、料理なんてしなかった。基本的にここに連れてくる途中でなにかを買って帰るか、デリバリーを頼んでいたのだ。
だから希々花がキッチンに入るのは、冷蔵庫から飲み物を出すときと食器を下げるときくらい。自分もそうだからわかるのだけれど、普段あまり料理をしないのだろうな、と思っていた。
特に変わったことを聞いたわけでもないのに、彼女は驚いたように目を見開き動きを止めている。「希々花?」と呼ぶと、分かりやすすぎるくらいに目が泳いだ。
「希々花――なにか俺に隠していることでもあるのか?」
まさかほかの男に弁当を作ることになんてことになっていないだろうな。
そう考えたらおのずと眉間に深いしわが寄ってしまう。
するとなにやらもごもごとした声が聞こえた。
「なんだ?」
「だってぇ……も……ら…ん……なんてぇ……」
口の中で唱えられているせいで、ところどころしか聞き取れない。
「きちんとわかるように話しなさい」
じっと見つめると、彼女は観念したように口を開く。
「卵焼きぃのひとつも作られへんような奥さんやなんてぇ……すぐ旦那さんに愛想尽かされるんやって……」
「は……? いったい誰がそんなことを」
「ネット掲示板」
ふう~~~っ、と自分でも呆れるくらい長い溜め息がこぼれた。
「希々花」
低い声で呼ぶと、小さな肩がピクリと跳ねる。
「俺はおまえに卵焼きを焼いて欲しくて一緒にいるんじゃないんだけど?」
「で、でもぉぉ……」
「別に卵焼きなんて焼けなくても生きていける。ゆで卵でもスクランブルエッグでも別に問題ない。だけどおまえが頑張るというのなら、今度は俺も一緒に作ってみようか。ふたりでやればなんとかなるだろう」
一人暮らしが長い割に俺はあまり料理らしい料理は出来ない。けれど二人とも働いているのだ。自分だってそれなりに出来るに越したことはない。もし子どもが生まれるとしたら、なおのこと。これを機に、自分も料理を覚えることにしようか。
「じゃあ、なんで……」
「希々花、なに?」
顔を覗き込もうとしたところで、彼女は顔を上げてこちらをキッと睨んだ。
「『問題ない』んやったら、なんで一回だけなんですかぁ?」
「は? それってどういう、」
「ゆうべも一回しかしぃひんかったでしょ? その前も、その前の前もそうやって……セフレのときに散々シたからぁ、あたしの体にもう飽きてしもうたんやって……。奥さんになるんやったら体の相性だけじゃダメ……みんなそう言っとりますぅ!」
「……みんなって誰」
「ネットの掲示板」
しばらく絶句したあと、「はぁ~~~~~っ」とため息がこぼれた。
希々花の顔がみるみる曇っていく。
化粧をしていない彼女の顔は、あどけないのにどこか凛々しい。
そのほうが自分好みだと気付いたのは、いったいいつだっただろう。
昼間よりもスッキリとした目元に、うるうると涙が盛り上がるのを見ながら、本当どうしてくれようかと、グラグラ沸き立つものを必死に抑え込む。
「卵の一つもろくに焼けへん女なんてあかんってぇ、ご家族から反対されたりとか……」
「そんなことあるわけないだろう?」
「じゃあなんでぇアレを使うんですかぁ!?」
「は?」
「この前は勢い余っただけで、あとから冷静になったら『やっぱマズイ』って……やからのん、ちょっとでもぉ理想の……っ」
噛みつくようにその口を塞いだ。
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