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不毛な協定
不毛な協定(2)
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『静さんに、ハッキリ言わはったらええやないですかぁ』
ついポロっとそう口にしてしまったのは、あたしも酔っていたからだと思う。
あたしは別にお酒には弱い方じゃないけれど、ひたすらおいしそうにビールを呷る静さんと、どんなに日本酒を飲んでも顔色ひとつ変わらないザルな課長につられて、ついいつもよりもお酒が進んだ自覚はある。
あたしが口にした言葉に、彼はゆっくりと顔をこちらに向けた。
『――なんのことだ?』
彼がしらばっくれる様子が面白くない。
『隠しても無駄なんですぅ。課長にとって静さんがぁ特別なんやってことぉ、のんにはお見通しですよぉ?いいかげん静さんに気持ちを伝えはったらええんちゃいますかぁ』
前を向いて歩きながら得意げに言う。
『早ようせんとぉ、誰かに横からかっさらわれても知りま、……っ、』
ふと横を振り仰いだ時、鋭い瞳とぶつかった。
そこにいつもの胡散臭い笑顔はない。
『あ、』
やばい、いらんこと言ってしもうた。
そう思ったけど後の祭り。
『それをあいつに言ったのか?』
聞いたことのない低い声。あたしの背中に、ピリッとした緊張が走る。
結城課長の怒りを感じて、あたしは慌てて口を開いた。
『や、やだもぉ…課長ぉ、そんなこ、』
『あいつになにか少しでもよけいなことを言ったら、俺はおまえを許さない』
今し方よりもっと低い、地を這うような声にあたしの酔いが一気に醒めた。
こんなふうに怒りをあらわにする課長は初めてで、怯えの気持ちが体を固まらせる。
でもそれを彼に悟られるのが嫌だった。
なしてあたしが怒られんばいかんとね…!?
〈なんであたしが怒られなきゃいけないの…!?〉
好いとぅ女一人まともに口説きもせんば、黙って見とるだけのヘタレ男に負けるような希々花じゃなかとばい!
〈好きな女一人まともに口説きもしないで、黙って見てるだけのヘタレ男に負けるような希々花じゃないのよ!〉
『よけいなことって何ですか?』
自分でも驚くような低い声が出た。
『好いとぉ女に好きっち言うんが、そげんいらんことねっ…!?好きなら好きっち、さっさと言えばよかろうもんっ…!』
最後はほとんど喧嘩腰だった。
今思えば上司にそんな口を利けるなんて、あたし全然酔ってたやんか。
だけどあの時は全然そんなこと分からなくって――。
『おまえに何が分かる』
喧嘩腰のあたしとは逆に、課長は冷たく低い声で短くそう言い放った。
『何がって、』
『ここに来たばかりのあいつが、どんなに苦しんでいたか……』
『苦しんで――て、静さんが?』
『ああ。付き合っていた相手に裏切られてボロボロだったあいつは、仕事に打ち込むことで、それ以外の一切を遮断していた。そうじゃないと、あいつは立ち直れなかったんだろう』
『そんなことが……で、でもっ、じゃあ課長が癒しはれば良かったんや……』
『恋愛に拒絶反応を起こしていたあいつに、もし俺が少しでも気持ちを匂わすようなことがあったら、きっとあの時のあいつは俺のこともシャットダウンしただろう。関西に他に頼れる人が居ないあいつが、俺にすら頼れなくなったら……ふらっと消えてしまいそうだった』
『そ、そんな……』
あんなに毎日楽しそうに仕事ばかりしている静さんに、そんな頃があったなんて―――。
『だから俺は、あいつがまた恋愛をしていいと思えるようになるまで、何も言う気はない』
『………』
街灯の切れ間で足を止めているあたしたちの間に、沈黙が横たわる。
勤務時間外の上司と新入社員の間に、流れるはずもない重苦しい空気。それに耐えかねたのか、彼のほうが先に口を開いた。
『そういうわけだから、森、おまえはよけいなことはなにも、』
『じゃあ、のんが教えますぅ!』
『は?』
『希々花がぁ静さんの様子を、課長に報告したげますぅ!』
前にのめる勢いでそう言ったあたしに、課長は目を瞬かせた。滅多に見れないその表情に、あたしはずいぶん気をよくした。
『いったい何を言って、』
『だって、いつ静さんが恋愛モードにならはるかぁ分からんでしょぉ?こういうんは、女同士のほうがぁ話しやすいもんやないですかぁ?』
『………隠密か?』
『なんや古臭いですよぉ課長ぉ!せめて「スパイ」言うてくださぁい』
バチっと大きくウィンクを飛ばしてみると、くっきりとしたアーモンドアイがいぶかしげに細められる。
『森おまえ……俺の弱みを握って何がしたい?』
うっわぁぁっ、思考が既に腹黒のそれですぅっ!
『べつにぃ、課長を脅して仕事を減らしてもらおうやなんてぇ、全然思うてませんってぇ』
『じゃあ一体そんなことをして、おまえに何の得があるっていうんだ』
損とか得とかじゃなくて、ただ見ていてイライラするし、単なる暇つぶしのつもりだったんだけど。
そう言ったら面白くないし、なんとなくそれじゃあ納得してくれないかも。
腹黒い人の考えは、腹黒いからよく分かる。
ああ、きっとこれ、“同族嫌悪”ってやつだ。
本性を隠した腹黒いところがそっくりすぎて、見ているとイライラするんだろうな。おまけにヘタレやし。
(どげんすっかなぁ……)
頭の中でそう呟いた時、パッと閃いた。
そうだ!
ついポロっとそう口にしてしまったのは、あたしも酔っていたからだと思う。
あたしは別にお酒には弱い方じゃないけれど、ひたすらおいしそうにビールを呷る静さんと、どんなに日本酒を飲んでも顔色ひとつ変わらないザルな課長につられて、ついいつもよりもお酒が進んだ自覚はある。
あたしが口にした言葉に、彼はゆっくりと顔をこちらに向けた。
『――なんのことだ?』
彼がしらばっくれる様子が面白くない。
『隠しても無駄なんですぅ。課長にとって静さんがぁ特別なんやってことぉ、のんにはお見通しですよぉ?いいかげん静さんに気持ちを伝えはったらええんちゃいますかぁ』
前を向いて歩きながら得意げに言う。
『早ようせんとぉ、誰かに横からかっさらわれても知りま、……っ、』
ふと横を振り仰いだ時、鋭い瞳とぶつかった。
そこにいつもの胡散臭い笑顔はない。
『あ、』
やばい、いらんこと言ってしもうた。
そう思ったけど後の祭り。
『それをあいつに言ったのか?』
聞いたことのない低い声。あたしの背中に、ピリッとした緊張が走る。
結城課長の怒りを感じて、あたしは慌てて口を開いた。
『や、やだもぉ…課長ぉ、そんなこ、』
『あいつになにか少しでもよけいなことを言ったら、俺はおまえを許さない』
今し方よりもっと低い、地を這うような声にあたしの酔いが一気に醒めた。
こんなふうに怒りをあらわにする課長は初めてで、怯えの気持ちが体を固まらせる。
でもそれを彼に悟られるのが嫌だった。
なしてあたしが怒られんばいかんとね…!?
〈なんであたしが怒られなきゃいけないの…!?〉
好いとぅ女一人まともに口説きもせんば、黙って見とるだけのヘタレ男に負けるような希々花じゃなかとばい!
〈好きな女一人まともに口説きもしないで、黙って見てるだけのヘタレ男に負けるような希々花じゃないのよ!〉
『よけいなことって何ですか?』
自分でも驚くような低い声が出た。
『好いとぉ女に好きっち言うんが、そげんいらんことねっ…!?好きなら好きっち、さっさと言えばよかろうもんっ…!』
最後はほとんど喧嘩腰だった。
今思えば上司にそんな口を利けるなんて、あたし全然酔ってたやんか。
だけどあの時は全然そんなこと分からなくって――。
『おまえに何が分かる』
喧嘩腰のあたしとは逆に、課長は冷たく低い声で短くそう言い放った。
『何がって、』
『ここに来たばかりのあいつが、どんなに苦しんでいたか……』
『苦しんで――て、静さんが?』
『ああ。付き合っていた相手に裏切られてボロボロだったあいつは、仕事に打ち込むことで、それ以外の一切を遮断していた。そうじゃないと、あいつは立ち直れなかったんだろう』
『そんなことが……で、でもっ、じゃあ課長が癒しはれば良かったんや……』
『恋愛に拒絶反応を起こしていたあいつに、もし俺が少しでも気持ちを匂わすようなことがあったら、きっとあの時のあいつは俺のこともシャットダウンしただろう。関西に他に頼れる人が居ないあいつが、俺にすら頼れなくなったら……ふらっと消えてしまいそうだった』
『そ、そんな……』
あんなに毎日楽しそうに仕事ばかりしている静さんに、そんな頃があったなんて―――。
『だから俺は、あいつがまた恋愛をしていいと思えるようになるまで、何も言う気はない』
『………』
街灯の切れ間で足を止めているあたしたちの間に、沈黙が横たわる。
勤務時間外の上司と新入社員の間に、流れるはずもない重苦しい空気。それに耐えかねたのか、彼のほうが先に口を開いた。
『そういうわけだから、森、おまえはよけいなことはなにも、』
『じゃあ、のんが教えますぅ!』
『は?』
『希々花がぁ静さんの様子を、課長に報告したげますぅ!』
前にのめる勢いでそう言ったあたしに、課長は目を瞬かせた。滅多に見れないその表情に、あたしはずいぶん気をよくした。
『いったい何を言って、』
『だって、いつ静さんが恋愛モードにならはるかぁ分からんでしょぉ?こういうんは、女同士のほうがぁ話しやすいもんやないですかぁ?』
『………隠密か?』
『なんや古臭いですよぉ課長ぉ!せめて「スパイ」言うてくださぁい』
バチっと大きくウィンクを飛ばしてみると、くっきりとしたアーモンドアイがいぶかしげに細められる。
『森おまえ……俺の弱みを握って何がしたい?』
うっわぁぁっ、思考が既に腹黒のそれですぅっ!
『べつにぃ、課長を脅して仕事を減らしてもらおうやなんてぇ、全然思うてませんってぇ』
『じゃあ一体そんなことをして、おまえに何の得があるっていうんだ』
損とか得とかじゃなくて、ただ見ていてイライラするし、単なる暇つぶしのつもりだったんだけど。
そう言ったら面白くないし、なんとなくそれじゃあ納得してくれないかも。
腹黒い人の考えは、腹黒いからよく分かる。
ああ、きっとこれ、“同族嫌悪”ってやつだ。
本性を隠した腹黒いところがそっくりすぎて、見ているとイライラするんだろうな。おまけにヘタレやし。
(どげんすっかなぁ……)
頭の中でそう呟いた時、パッと閃いた。
そうだ!
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