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10.佐倉の手腕
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次に見に行ったのは大学内にあるコンサートホールだ。オーケストラの生演奏を見るのは初めてだったが、向かい風でも吹いているのかと思うほど圧巻だった。大音量でも決してうるさくはない。ひとつひとつの音が水滴の様に粒になって降ったり、集まったり、水蒸気になって消えたり、形を変える音を感じることにすっかり夢中になった。演奏が終わり盛大な拍手を送ると、今度は大学の裏手にある森の中に連行された。
「ここは?」
姿は良く見えないが森の中からきゃぁ、きゃぁ、と歓声が聞こえ行きかう人も多い。
「野外ステージだよ」
早く早く、と手を引かれて小走りに駆けていくと8畳ほどの長細いステージとステージの背後にスクリーンがあり、野外ライブ会場のようになっていた。生バンドの演奏に合わせて、おおおおおおっ、わぁーーと歓声が広がり、拳を振り上げる人、踊る人。会場は大きな熱気に包まれていた。
「続いては油絵学科3年 早瀬龍一のアートライブです。テーマは決めず、今、ここで感じたことを絵で表現するそうです。音楽は音楽科3年宇藤要の【クレッシェンド】」
観客に向かって早瀬がお辞儀をすると軽快な音楽が流れた。早瀬が真っ白なキャンバスに迷うことなく絵の具をぶちまけると、わぁっと歓声が上がる。
早瀬・・・笑ってる。
早瀬は嬉しそうに笑顔になると次の色を手で掬い指先を伝わせてキャンバスに垂らした。時折音楽に合わせて踊ったり、大胆に手を動かしたり、早瀬は終始笑顔のまま絵を描き終えると、この時を待っていたかのように音が止んだ。
緩やかな傾斜で立てかけられていたキャンバスがスタッフの手を借りて垂直に立てかけられるといくつかの絵の具がキャンバスの上を流れ、線を引いた。その不規則な線さえ美しい。
絵の具が流れたことで完成した絵は緑の森に差す木漏れ日を思い起こされる。
「作品名は【起源】です」
早瀬が頭を下げると割れんばかりの拍手が早瀬を包む。僕はその光景がまぶしすぎて呆然とし、皆よりも遅れて拍手を送ることになった。
「早瀬君、すごいな。彼を観たくて足を運ぶ人結構いるんだよ」
「うん、そうだと思う。きっと彼は遠い人になっちゃうから、今のうちだね」
「それは高橋君も同じでしょ」
「え?」
壮太君は思わせぶりにほほ笑むと「ほら、見て」とステージを指さす。
早瀬が手を振りながらステージを降り、ステージ横のテントに寄り中の人物とハイタッチをしている。
「佐倉・・・くん?」
「そ。このイベント、佐倉の企画なんだよ。佐倉ってうちの科では見る目があるって有名なんだ。だからこのイベントに参加したいって人、多かったんだよ。全部佐倉が面接して参加者を決めたんだ」
「そうなんだ」
「佐倉、このイベントの中心だってのにジャージだろ?噴水に落ちたんだって。ダサいよね」
「・・・だね」
先ほどの情事を思い出し、パンツをぎゅっと握った。
その日の夕方。
帰宅しようと噴水前を通ると早瀬が噴水の淵に座っているのが見えた。
「早瀬っ」
「おー、タカ」
「凄い、絵の具だらけ」
「あー、一応水道で流したんだけど石鹸ないと無理だわ、これ」
早瀬は手をひらひらして僕に見せた。
「今日のアートライブ観たよ。すごく良かった」
「あはっ、やっぱ?俺もなんか凄く楽しくて。今日が終わるのがもったいなくてさー、今、余韻を楽しんでるところ」
「なんかそれわかるかも。僕ももっと観ていたいって思ったから」
僕が早瀬の隣に座ると早瀬は目を細めて笑った。
「タカにそう言われるなんて光栄だなぁ。あ、そういえば石像大丈夫だった?」
「?」
「変なやつに絡まれてない?」
「全然大丈夫だよ」
「よかった。俺がタカが石像になって立ってるって言いふらしちゃったからさー。タカと友達になりたいって思ってるやつ結構いるのに、タカってばいっつも黙々と絵を描いてるだろ?いい機会なんじゃないかなって思ったんだよねー」
「僕、自分が近寄りがたいって思われてるって、ここ2、3日で初めて知った」
ぷっと声に出して早瀬が笑う。
「なすがままの石像になってるのにそんな宣伝して変なやつが来たらどうするんだって佐倉に怒られて、まずかったかなって思ってたんだ」
「そんなことないよ。おかげで結構稼がせてもらってます」
ニヤっと笑うと早瀬が「お主も悪よのぅ」っと僕の背中を叩いた。
「あれ?へー、タカもそういう相手いるんだ。やるなぁ」
急に早瀬が含み笑いをした意味が分からず「ん?」と首を傾ける。
「ここ」
早瀬が指さしたのは自身の首のところ。丁度Tシャツで隠れるか隠れないかくらいの場所だ。
「キスマークついてる」
「えっ」
咄嗟に手で隠しつつも先ほどの佐倉との情事を思い出し、恥ずかしさよりも早瀬に見られたことの方がショックで思わず硬直した。
「そんな顔しなくても大丈夫だって。タカもちゃんとやることはやってるんだなって、安心感?人間だったなって。彼女がいるなんてちっとも知らなかったよ」
「あ、あぁ。うん」
「じゃ、俺、そろそろ行くわ。実はまだ片付け終わってないんだ」
早瀬が立ち去っても僕はその場を動くことが出来なかった。
早瀬に見られた。
相手は誰かなんてバレるはずもないけど、付き合っている人がいると思われた。早瀬とどうこうなれるなんて万が一の可能性もないとは思っている。思っていながらも理解していない心のどこかが軋んだ。
最悪だ・・・。
ぎゅっと首の跡を握って爪を立てた。そして僕はその勢いのまま走り出した。
森の中にある野外ステージはあらかた片付けも終わり、人もまばらになっていた。そこに、会場全体を見つめる人物、佐倉だ。
「佐倉君、ちょっといい?」
「ん?あぁ、いいけど」
呑気に返事をする佐倉に腹が立つ。人がいない場所まで引っ張っていくと佐倉の腕を勢いよく払った。
「どういうつもり?こんなのつけて」
「なっ、どうしたそれ、爪あと!?」
「そんなことはどうでもいい!なんでこんなことするんだよ!」
僕がキスマークの上にギュッと爪を食い込ませたのを見て佐倉が慌てて僕の手を掴んだ。
「悪かった。ごめん。調子に乗った」
佐倉の手を振りほどく。
「もういい。もう僕に触れるのはやめてくれ。こんな関係はもうお終いにする!」
「ちょっと、ちょっと待って」
僕は吐き捨てるように言うと佐倉の声を無視して走り去った。
「ここは?」
姿は良く見えないが森の中からきゃぁ、きゃぁ、と歓声が聞こえ行きかう人も多い。
「野外ステージだよ」
早く早く、と手を引かれて小走りに駆けていくと8畳ほどの長細いステージとステージの背後にスクリーンがあり、野外ライブ会場のようになっていた。生バンドの演奏に合わせて、おおおおおおっ、わぁーーと歓声が広がり、拳を振り上げる人、踊る人。会場は大きな熱気に包まれていた。
「続いては油絵学科3年 早瀬龍一のアートライブです。テーマは決めず、今、ここで感じたことを絵で表現するそうです。音楽は音楽科3年宇藤要の【クレッシェンド】」
観客に向かって早瀬がお辞儀をすると軽快な音楽が流れた。早瀬が真っ白なキャンバスに迷うことなく絵の具をぶちまけると、わぁっと歓声が上がる。
早瀬・・・笑ってる。
早瀬は嬉しそうに笑顔になると次の色を手で掬い指先を伝わせてキャンバスに垂らした。時折音楽に合わせて踊ったり、大胆に手を動かしたり、早瀬は終始笑顔のまま絵を描き終えると、この時を待っていたかのように音が止んだ。
緩やかな傾斜で立てかけられていたキャンバスがスタッフの手を借りて垂直に立てかけられるといくつかの絵の具がキャンバスの上を流れ、線を引いた。その不規則な線さえ美しい。
絵の具が流れたことで完成した絵は緑の森に差す木漏れ日を思い起こされる。
「作品名は【起源】です」
早瀬が頭を下げると割れんばかりの拍手が早瀬を包む。僕はその光景がまぶしすぎて呆然とし、皆よりも遅れて拍手を送ることになった。
「早瀬君、すごいな。彼を観たくて足を運ぶ人結構いるんだよ」
「うん、そうだと思う。きっと彼は遠い人になっちゃうから、今のうちだね」
「それは高橋君も同じでしょ」
「え?」
壮太君は思わせぶりにほほ笑むと「ほら、見て」とステージを指さす。
早瀬が手を振りながらステージを降り、ステージ横のテントに寄り中の人物とハイタッチをしている。
「佐倉・・・くん?」
「そ。このイベント、佐倉の企画なんだよ。佐倉ってうちの科では見る目があるって有名なんだ。だからこのイベントに参加したいって人、多かったんだよ。全部佐倉が面接して参加者を決めたんだ」
「そうなんだ」
「佐倉、このイベントの中心だってのにジャージだろ?噴水に落ちたんだって。ダサいよね」
「・・・だね」
先ほどの情事を思い出し、パンツをぎゅっと握った。
その日の夕方。
帰宅しようと噴水前を通ると早瀬が噴水の淵に座っているのが見えた。
「早瀬っ」
「おー、タカ」
「凄い、絵の具だらけ」
「あー、一応水道で流したんだけど石鹸ないと無理だわ、これ」
早瀬は手をひらひらして僕に見せた。
「今日のアートライブ観たよ。すごく良かった」
「あはっ、やっぱ?俺もなんか凄く楽しくて。今日が終わるのがもったいなくてさー、今、余韻を楽しんでるところ」
「なんかそれわかるかも。僕ももっと観ていたいって思ったから」
僕が早瀬の隣に座ると早瀬は目を細めて笑った。
「タカにそう言われるなんて光栄だなぁ。あ、そういえば石像大丈夫だった?」
「?」
「変なやつに絡まれてない?」
「全然大丈夫だよ」
「よかった。俺がタカが石像になって立ってるって言いふらしちゃったからさー。タカと友達になりたいって思ってるやつ結構いるのに、タカってばいっつも黙々と絵を描いてるだろ?いい機会なんじゃないかなって思ったんだよねー」
「僕、自分が近寄りがたいって思われてるって、ここ2、3日で初めて知った」
ぷっと声に出して早瀬が笑う。
「なすがままの石像になってるのにそんな宣伝して変なやつが来たらどうするんだって佐倉に怒られて、まずかったかなって思ってたんだ」
「そんなことないよ。おかげで結構稼がせてもらってます」
ニヤっと笑うと早瀬が「お主も悪よのぅ」っと僕の背中を叩いた。
「あれ?へー、タカもそういう相手いるんだ。やるなぁ」
急に早瀬が含み笑いをした意味が分からず「ん?」と首を傾ける。
「ここ」
早瀬が指さしたのは自身の首のところ。丁度Tシャツで隠れるか隠れないかくらいの場所だ。
「キスマークついてる」
「えっ」
咄嗟に手で隠しつつも先ほどの佐倉との情事を思い出し、恥ずかしさよりも早瀬に見られたことの方がショックで思わず硬直した。
「そんな顔しなくても大丈夫だって。タカもちゃんとやることはやってるんだなって、安心感?人間だったなって。彼女がいるなんてちっとも知らなかったよ」
「あ、あぁ。うん」
「じゃ、俺、そろそろ行くわ。実はまだ片付け終わってないんだ」
早瀬が立ち去っても僕はその場を動くことが出来なかった。
早瀬に見られた。
相手は誰かなんてバレるはずもないけど、付き合っている人がいると思われた。早瀬とどうこうなれるなんて万が一の可能性もないとは思っている。思っていながらも理解していない心のどこかが軋んだ。
最悪だ・・・。
ぎゅっと首の跡を握って爪を立てた。そして僕はその勢いのまま走り出した。
森の中にある野外ステージはあらかた片付けも終わり、人もまばらになっていた。そこに、会場全体を見つめる人物、佐倉だ。
「佐倉君、ちょっといい?」
「ん?あぁ、いいけど」
呑気に返事をする佐倉に腹が立つ。人がいない場所まで引っ張っていくと佐倉の腕を勢いよく払った。
「どういうつもり?こんなのつけて」
「なっ、どうしたそれ、爪あと!?」
「そんなことはどうでもいい!なんでこんなことするんだよ!」
僕がキスマークの上にギュッと爪を食い込ませたのを見て佐倉が慌てて僕の手を掴んだ。
「悪かった。ごめん。調子に乗った」
佐倉の手を振りほどく。
「もういい。もう僕に触れるのはやめてくれ。こんな関係はもうお終いにする!」
「ちょっと、ちょっと待って」
僕は吐き捨てるように言うと佐倉の声を無視して走り去った。
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