2 / 128
プロローグ
しおりを挟む
この世の中は不公平だ。
神などというものは人間が都合よく創り出した幻想でしかなく、人を救う力など無い。
不幸と幸福は同じだけ訪れるとか、生きていれば良いことがあるだとか、そんなものはそうであって欲しいという願望でしかない。
そうだ。
だからこんなことになっているのだ。
「何で! 何で! 何でだよ!!」
激しい雨が降りしきるその日、4畳半の一室で藤丘樹は畳に頭を擦りつけるようにして泣き叫んでいた。アパートの一室には樹の他に人の気配はなく、あるのは昨日までは人であった者の骨だ。
樹は骨の入った小さな箱を時折見つめては肩を震わせて畳を叩いた。自分でカットしたバサバサの髪が畳の上で散らばる。くっきりした二重がパンパンに腫れて一重になり、端正な顔立ちが見る影もない。
「どうして……ご飯までには帰ってくるから夜ご飯は唐揚げにしてって言ってたじゃんかよ。なんでこんなことになってんだよ」
優愛はまだ14歳なのに、と呟いた言葉はかすれて殆ど声にはなっていなかった。
19歳の樹と14歳の優愛、幼い頃両親に捨てられた二人は児童福祉施設で育った。18歳で樹が施設を出て就職して1年、優愛を引き取ってようやく二人暮らしをスタートさせたところだった。
友達と図書館に行くと出掛けた日、19時を過ぎても帰って来ない優愛に樹は何度も電話をかけた。話好きの優愛のことだ。きっと友達との話に夢中になって着信にも気が付いてないないに違いない。
あいつ、また話に夢中になってんな。
唐揚げの油が跳ねて、アチッと声を出した。優愛がいなくなるなど微塵も思っていなかった。
携帯が鳴って、電話に出て……。その後のことはあまり覚えていない。警察が言うには一目で死んでいると分かるような姿で道に倒れていたらしい。トンネルの中にでもいるかのように刑事の声響き、「腹部が半分くり抜かれたかのようになくなっていて、50メートル程離れたところに落ちていた」と樹の脳に朧げに伝わった。
「事件と事故、両方の線で捜査していきます」担当刑事はそう言っていたが手掛かりはまだないという。
妹が亡くなってから3日間。樹はひとりぼっちになった部屋でただ泣いた。泣いて、叫んで怒って、寝たのは3日間でほんの数時間だけ。
樹にとっては優愛だけが家族だった。
時折襲い掛かる記憶、母親の怒号も振り上げる手も優愛がいるから我慢できた。
「優愛……」
何度目かの名前を呼ぶ。畳の上にうつ伏せに崩れて、樹の視界には涙で滲んだ優愛の箱が映っていた。もう疲れた。もう頑張れない。
「頑張らなくていいよな」
誰に宛てたわけでもなく呟かれた言葉。
頭の内側を大きく揺さぶられているかのように反響する痛み。目が開いているのか閉じているのかも微妙なまどろみの中、樹はソレに気が付いた。
すまない、本当に申し訳ない。
頭の中に声が響く。ようやく自分の気が触れたのかと樹は思った。それでもその声に耳を澄まし、返事をしたのはその声が優愛の死は我々のせいだと謝るからだ。
「我々のせいとはどういうことだ?」
「彼女は我々が追っている事件に巻き込まれたのだ。我々があの男を止められていればこんなことには……」
樹は自分の頭の中に急速に血が巡るような気がした。
「あの男とは誰だ?」
「あの男とは……いけない、力が……」
ザザっと電波が乱れるような音が聞こえ、頭の中の声が途切れ途切れになる。
「教えろ! あの男とは誰だ!!」
「……」
「俺が捕まえてやる 俺が殺してやる!」
「あ……そっ……世界……いな……」
「なんだ? 聴こえない! もう生きる希望なんて無い。だから教えてくれ!」
音の乱れは激しくなるばかりで樹の声が向こうに聞こえているかも分からない。それでも樹は話し続けた。
「絶対に捕まえてやる」
心の内側から這うように出てきた言葉だった。その瞬間、乱れていた声がすっとクリアになった。
「ならばこちらの世界に来るか? 今の世界に戻れる保証はない」
「そいつを捕まえる為ならどこにでも行く」
「代償に体の一部を失うことになる。それでもか?」
「構わない。俺を連れていけ!!」
息も出来ないほどの雨が家を押しつぶそうとするかのように叩きつけるこの日、藤丘樹はこの世界を捨てた。
神などというものは人間が都合よく創り出した幻想でしかなく、人を救う力など無い。
不幸と幸福は同じだけ訪れるとか、生きていれば良いことがあるだとか、そんなものはそうであって欲しいという願望でしかない。
そうだ。
だからこんなことになっているのだ。
「何で! 何で! 何でだよ!!」
激しい雨が降りしきるその日、4畳半の一室で藤丘樹は畳に頭を擦りつけるようにして泣き叫んでいた。アパートの一室には樹の他に人の気配はなく、あるのは昨日までは人であった者の骨だ。
樹は骨の入った小さな箱を時折見つめては肩を震わせて畳を叩いた。自分でカットしたバサバサの髪が畳の上で散らばる。くっきりした二重がパンパンに腫れて一重になり、端正な顔立ちが見る影もない。
「どうして……ご飯までには帰ってくるから夜ご飯は唐揚げにしてって言ってたじゃんかよ。なんでこんなことになってんだよ」
優愛はまだ14歳なのに、と呟いた言葉はかすれて殆ど声にはなっていなかった。
19歳の樹と14歳の優愛、幼い頃両親に捨てられた二人は児童福祉施設で育った。18歳で樹が施設を出て就職して1年、優愛を引き取ってようやく二人暮らしをスタートさせたところだった。
友達と図書館に行くと出掛けた日、19時を過ぎても帰って来ない優愛に樹は何度も電話をかけた。話好きの優愛のことだ。きっと友達との話に夢中になって着信にも気が付いてないないに違いない。
あいつ、また話に夢中になってんな。
唐揚げの油が跳ねて、アチッと声を出した。優愛がいなくなるなど微塵も思っていなかった。
携帯が鳴って、電話に出て……。その後のことはあまり覚えていない。警察が言うには一目で死んでいると分かるような姿で道に倒れていたらしい。トンネルの中にでもいるかのように刑事の声響き、「腹部が半分くり抜かれたかのようになくなっていて、50メートル程離れたところに落ちていた」と樹の脳に朧げに伝わった。
「事件と事故、両方の線で捜査していきます」担当刑事はそう言っていたが手掛かりはまだないという。
妹が亡くなってから3日間。樹はひとりぼっちになった部屋でただ泣いた。泣いて、叫んで怒って、寝たのは3日間でほんの数時間だけ。
樹にとっては優愛だけが家族だった。
時折襲い掛かる記憶、母親の怒号も振り上げる手も優愛がいるから我慢できた。
「優愛……」
何度目かの名前を呼ぶ。畳の上にうつ伏せに崩れて、樹の視界には涙で滲んだ優愛の箱が映っていた。もう疲れた。もう頑張れない。
「頑張らなくていいよな」
誰に宛てたわけでもなく呟かれた言葉。
頭の内側を大きく揺さぶられているかのように反響する痛み。目が開いているのか閉じているのかも微妙なまどろみの中、樹はソレに気が付いた。
すまない、本当に申し訳ない。
頭の中に声が響く。ようやく自分の気が触れたのかと樹は思った。それでもその声に耳を澄まし、返事をしたのはその声が優愛の死は我々のせいだと謝るからだ。
「我々のせいとはどういうことだ?」
「彼女は我々が追っている事件に巻き込まれたのだ。我々があの男を止められていればこんなことには……」
樹は自分の頭の中に急速に血が巡るような気がした。
「あの男とは誰だ?」
「あの男とは……いけない、力が……」
ザザっと電波が乱れるような音が聞こえ、頭の中の声が途切れ途切れになる。
「教えろ! あの男とは誰だ!!」
「……」
「俺が捕まえてやる 俺が殺してやる!」
「あ……そっ……世界……いな……」
「なんだ? 聴こえない! もう生きる希望なんて無い。だから教えてくれ!」
音の乱れは激しくなるばかりで樹の声が向こうに聞こえているかも分からない。それでも樹は話し続けた。
「絶対に捕まえてやる」
心の内側から這うように出てきた言葉だった。その瞬間、乱れていた声がすっとクリアになった。
「ならばこちらの世界に来るか? 今の世界に戻れる保証はない」
「そいつを捕まえる為ならどこにでも行く」
「代償に体の一部を失うことになる。それでもか?」
「構わない。俺を連れていけ!!」
息も出来ないほどの雨が家を押しつぶそうとするかのように叩きつけるこの日、藤丘樹はこの世界を捨てた。
0
お気に入りに追加
42
あなたにおすすめの小説
ちっちゃくなった俺の異世界攻略
鮨海
ファンタジー
あるとき神の采配により異世界へ行くことを決意した高校生の大輝は……ちっちゃくなってしまっていた!
精霊と神様からの贈り物、そして大輝の力が試される異世界の大冒険?が幕を開ける!
魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました
タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。
クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。
死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。
「ここは天国ではなく魔界です」
天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。
「至上様、私に接吻を」
「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」
何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?
虐げられ聖女(男)なので辺境に逃げたら溺愛系イケメン辺境伯が待ち構えていました【本編完結】(異世界恋愛オメガバース)
美咲アリス
BL
虐待を受けていたオメガ聖女のアレクシアは必死で辺境の地に逃げた。そこで出会ったのは逞しくてイケメンのアルファ辺境伯。「身バレしたら大変だ」と思ったアレクシアは芝居小屋で見た『悪役令息キャラ』の真似をしてみるが、どうやらそれが辺境伯の心を掴んでしまったようで、ものすごい溺愛がスタートしてしまう。けれども実は、辺境伯にはある考えがあるらしくて⋯⋯? オメガ聖女とアルファ辺境伯のキュンキュン異世界恋愛です、よろしくお願いします^_^ 本編完結しました、特別編を連載中です!
侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!
たまむし
BL
大学受験に失敗して引きこもりニートになっていた湯島秋央は、二階の自室から転落して死んだ……はずが、直前までプレイしていたR18ゲームの世界に転移してしまった!
せっかくの異世界なのに、アキオは主人公のイケメン騎士でもヒロインでもなく、ゲーム序盤で退場するモブになっていて、いきなり投獄されてしまう。
失意の中、アキオは自分の身体から大事なもの(ち●ちん)がなくなっていることに気付く。
「オレは大事なものを取り戻して、エロゲの世界で女の子とエッチなことをする!」
アキオは固い決意を胸に、獄中で知り合った男と協力して牢を抜け出し、冒険の旅に出る。
でも、なぜかお色気イベントは全部男相手に発生するし、モブのはずが世界の命運を変えるアイテムを手にしてしまう。
ちん●んと世界、男と女、どっちを選ぶ? どうする、アキオ!?
完結済み番外編、連載中続編があります。「ファタリタ物語」でタグ検索していただければ出てきますので、そちらもどうぞ!
※同一内容をムーンライトノベルズにも投稿しています※
pixivリクエストボックスでイメージイラストを依頼して描いていただきました。
https://www.pixiv.net/artworks/105819552
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。
キノア9g
BL
完結済。騎士エリオット視点を含め全10話(エリオット視点2話と主人公視点8話構成)
エロなし。騎士×妖精
※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。
気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。
木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。
色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。
ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。
捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。
彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。
少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──?
いいねありがとうございます!励みになります。
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる