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プロローグ
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この世の中は不公平だ。
神などというものは人間が都合よく創り出した幻想でしかなく、人を救う力など無い。
不幸と幸福は同じだけ訪れるとか、生きていれば良いことがあるだとか、そんなものはそうであって欲しいという願望でしかない。
そうだ。
だからこんなことになっているのだ。
「何で! 何で! 何でだよ!!」
激しい雨が降りしきるその日、4畳半の一室で藤丘樹は畳に頭を擦りつけるようにして泣き叫んでいた。アパートの一室には樹の他に人の気配はなく、あるのは昨日までは人であった者の骨だ。
樹は骨の入った小さな箱を時折見つめては肩を震わせて畳を叩いた。自分でカットしたバサバサの髪が畳の上で散らばる。くっきりした二重がパンパンに腫れて一重になり、端正な顔立ちが見る影もない。
「どうして……ご飯までには帰ってくるから夜ご飯は唐揚げにしてって言ってたじゃんかよ。なんでこんなことになってんだよ」
優愛はまだ14歳なのに、と呟いた言葉はかすれて殆ど声にはなっていなかった。
19歳の樹と14歳の優愛、幼い頃両親に捨てられた二人は児童福祉施設で育った。18歳で樹が施設を出て就職して1年、優愛を引き取ってようやく二人暮らしをスタートさせたところだった。
友達と図書館に行くと出掛けた日、19時を過ぎても帰って来ない優愛に樹は何度も電話をかけた。話好きの優愛のことだ。きっと友達との話に夢中になって着信にも気が付いてないないに違いない。
あいつ、また話に夢中になってんな。
唐揚げの油が跳ねて、アチッと声を出した。優愛がいなくなるなど微塵も思っていなかった。
携帯が鳴って、電話に出て……。その後のことはあまり覚えていない。警察が言うには一目で死んでいると分かるような姿で道に倒れていたらしい。トンネルの中にでもいるかのように刑事の声響き、「腹部が半分くり抜かれたかのようになくなっていて、50メートル程離れたところに落ちていた」と樹の脳に朧げに伝わった。
「事件と事故、両方の線で捜査していきます」担当刑事はそう言っていたが手掛かりはまだないという。
妹が亡くなってから3日間。樹はひとりぼっちになった部屋でただ泣いた。泣いて、叫んで怒って、寝たのは3日間でほんの数時間だけ。
樹にとっては優愛だけが家族だった。
時折襲い掛かる記憶、母親の怒号も振り上げる手も優愛がいるから我慢できた。
「優愛……」
何度目かの名前を呼ぶ。畳の上にうつ伏せに崩れて、樹の視界には涙で滲んだ優愛の箱が映っていた。もう疲れた。もう頑張れない。
「頑張らなくていいよな」
誰に宛てたわけでもなく呟かれた言葉。
頭の内側を大きく揺さぶられているかのように反響する痛み。目が開いているのか閉じているのかも微妙なまどろみの中、樹はソレに気が付いた。
すまない、本当に申し訳ない。
頭の中に声が響く。ようやく自分の気が触れたのかと樹は思った。それでもその声に耳を澄まし、返事をしたのはその声が優愛の死は我々のせいだと謝るからだ。
「我々のせいとはどういうことだ?」
「彼女は我々が追っている事件に巻き込まれたのだ。我々があの男を止められていればこんなことには……」
樹は自分の頭の中に急速に血が巡るような気がした。
「あの男とは誰だ?」
「あの男とは……いけない、力が……」
ザザっと電波が乱れるような音が聞こえ、頭の中の声が途切れ途切れになる。
「教えろ! あの男とは誰だ!!」
「……」
「俺が捕まえてやる 俺が殺してやる!」
「あ……そっ……世界……いな……」
「なんだ? 聴こえない! もう生きる希望なんて無い。だから教えてくれ!」
音の乱れは激しくなるばかりで樹の声が向こうに聞こえているかも分からない。それでも樹は話し続けた。
「絶対に捕まえてやる」
心の内側から這うように出てきた言葉だった。その瞬間、乱れていた声がすっとクリアになった。
「ならばこちらの世界に来るか? 今の世界に戻れる保証はない」
「そいつを捕まえる為ならどこにでも行く」
「代償に体の一部を失うことになる。それでもか?」
「構わない。俺を連れていけ!!」
息も出来ないほどの雨が家を押しつぶそうとするかのように叩きつけるこの日、藤丘樹はこの世界を捨てた。
神などというものは人間が都合よく創り出した幻想でしかなく、人を救う力など無い。
不幸と幸福は同じだけ訪れるとか、生きていれば良いことがあるだとか、そんなものはそうであって欲しいという願望でしかない。
そうだ。
だからこんなことになっているのだ。
「何で! 何で! 何でだよ!!」
激しい雨が降りしきるその日、4畳半の一室で藤丘樹は畳に頭を擦りつけるようにして泣き叫んでいた。アパートの一室には樹の他に人の気配はなく、あるのは昨日までは人であった者の骨だ。
樹は骨の入った小さな箱を時折見つめては肩を震わせて畳を叩いた。自分でカットしたバサバサの髪が畳の上で散らばる。くっきりした二重がパンパンに腫れて一重になり、端正な顔立ちが見る影もない。
「どうして……ご飯までには帰ってくるから夜ご飯は唐揚げにしてって言ってたじゃんかよ。なんでこんなことになってんだよ」
優愛はまだ14歳なのに、と呟いた言葉はかすれて殆ど声にはなっていなかった。
19歳の樹と14歳の優愛、幼い頃両親に捨てられた二人は児童福祉施設で育った。18歳で樹が施設を出て就職して1年、優愛を引き取ってようやく二人暮らしをスタートさせたところだった。
友達と図書館に行くと出掛けた日、19時を過ぎても帰って来ない優愛に樹は何度も電話をかけた。話好きの優愛のことだ。きっと友達との話に夢中になって着信にも気が付いてないないに違いない。
あいつ、また話に夢中になってんな。
唐揚げの油が跳ねて、アチッと声を出した。優愛がいなくなるなど微塵も思っていなかった。
携帯が鳴って、電話に出て……。その後のことはあまり覚えていない。警察が言うには一目で死んでいると分かるような姿で道に倒れていたらしい。トンネルの中にでもいるかのように刑事の声響き、「腹部が半分くり抜かれたかのようになくなっていて、50メートル程離れたところに落ちていた」と樹の脳に朧げに伝わった。
「事件と事故、両方の線で捜査していきます」担当刑事はそう言っていたが手掛かりはまだないという。
妹が亡くなってから3日間。樹はひとりぼっちになった部屋でただ泣いた。泣いて、叫んで怒って、寝たのは3日間でほんの数時間だけ。
樹にとっては優愛だけが家族だった。
時折襲い掛かる記憶、母親の怒号も振り上げる手も優愛がいるから我慢できた。
「優愛……」
何度目かの名前を呼ぶ。畳の上にうつ伏せに崩れて、樹の視界には涙で滲んだ優愛の箱が映っていた。もう疲れた。もう頑張れない。
「頑張らなくていいよな」
誰に宛てたわけでもなく呟かれた言葉。
頭の内側を大きく揺さぶられているかのように反響する痛み。目が開いているのか閉じているのかも微妙なまどろみの中、樹はソレに気が付いた。
すまない、本当に申し訳ない。
頭の中に声が響く。ようやく自分の気が触れたのかと樹は思った。それでもその声に耳を澄まし、返事をしたのはその声が優愛の死は我々のせいだと謝るからだ。
「我々のせいとはどういうことだ?」
「彼女は我々が追っている事件に巻き込まれたのだ。我々があの男を止められていればこんなことには……」
樹は自分の頭の中に急速に血が巡るような気がした。
「あの男とは誰だ?」
「あの男とは……いけない、力が……」
ザザっと電波が乱れるような音が聞こえ、頭の中の声が途切れ途切れになる。
「教えろ! あの男とは誰だ!!」
「……」
「俺が捕まえてやる 俺が殺してやる!」
「あ……そっ……世界……いな……」
「なんだ? 聴こえない! もう生きる希望なんて無い。だから教えてくれ!」
音の乱れは激しくなるばかりで樹の声が向こうに聞こえているかも分からない。それでも樹は話し続けた。
「絶対に捕まえてやる」
心の内側から這うように出てきた言葉だった。その瞬間、乱れていた声がすっとクリアになった。
「ならばこちらの世界に来るか? 今の世界に戻れる保証はない」
「そいつを捕まえる為ならどこにでも行く」
「代償に体の一部を失うことになる。それでもか?」
「構わない。俺を連れていけ!!」
息も出来ないほどの雨が家を押しつぶそうとするかのように叩きつけるこの日、藤丘樹はこの世界を捨てた。
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