転生遺族の循環論法

はたたがみ

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第1章 民間伝承研究部編

転生遺族と少女の覚醒18

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 リリィは目を覚ました。ベッドから起き上がって最初に目に入ったのは、自分を見つめる1人の少女の姿だった。

「おはよう。何ともなさそうだね」
「微さん」
「今はディファレ」
「あちゃ、失礼しました」

 積元せきもとかすかは二重人格だ。普段の微の人格はうつろ縦軸たてじくの高校の先輩で天真爛漫な明るい女子高生だが、彼女の中にはもう1人が存在する。縦軸の前世の妹であり生まれ変わって微の中に宿った少女、ディファレだ。
 ディファレは今でも縦軸のことを兄と思っている。そしてそんな兄の現世の姉である虚あいのことも姉と思っていた。
 リリィもそんなディファレの気持ちを受け入れ、彼女を自分の妹だと心の底から信じて接していた。実際ここ数日の間に仲良くなれた気でいた。
 しかし今自分を見つめるディファレの目は、以前とはまるで違う様子を見せていた。一言で言えば目が死んでいる。

「どうしたんですか? ていうかあれ、あの杭抜けてる」
「エーレちゃんが抜いたんでしょでしょ。あれが刺さってたらいつまで経っても魔力が回復しないせいで意識戻らないし、うっかりワタシまで倒れちゃうかもしれなかったから」
「へ? ディファレさんまで?」
「それは今いいの。もっと大事なことがあるから」

 ディファレはベッドの端に腰を下ろし、そっとリリィの手を取って自分の手で包み込んだ。一見家族への心優しい仕草のようだったが、全く力を込めた様子も無く自分の手を強く握るディファレの姿は、リリィに逃げ場は無いと暗に伝えているようだった。

「単刀直入に訊くね。君は本物の虚愛じゃない。そうでしょ?」

 淡々と教科書か何かを読み上げるようだった。普段の微やディファレが持つ賑やかさや悪戯めいた口調はどこにも無い。
 リリィは発言の意味が理解できず、何も返せないでいた。

「あ、えっと……」
「その様子だと本当に自覚は無いみたいだね。じゃあ教えてあげるよ。君の親御さんもいつか言わなきゃって思ってたみたいだし」

 握った手をそっと撫でながら、ディファレは言葉を続けた。一字一句をリリィの記憶に刷り込ませるように。

「君は虚愛本人じゃない。自分を虚愛だと勘違いしてる、この世界生まれの女の子リリィちゃんなんだ」
「は……? 何を言って」
「生まれ変わりっていうのは部分的に合ってるよ。言わばワタシと同じかな。前世から引き継がれたディファレの人格にあたるのが君における愛お姉ちゃんで、リリィの人格はワタシにとっての微みたいなもの。現世で生まれた、この体の本来の持ち主。つまり君と愛お姉ちゃんは別人なんだよ」

 ほんの一瞬、リリィは頭の中が空っぽになったような気がした。今現在目の前で起きていることの記憶、その全てがまるで底に空いた穴から抜け落ちていくかのような感覚だ。

「君は生まれた瞬間から虚愛の15年間の記憶を閲覧できたから、それを受け取ったことで自分は虚愛なんだと思い込んだんだよ。でも本物の愛お姉ちゃんは、今も君の中で息を潜めてる。きっとこの会話もひっそり聞いてる筈だよ。そうでしょ?」

 最後の一言が自分に向けられたものではないことはリリィにも分かった。
 ゆっくりと、とてもゆっくりと理解していく。ディファレの言ってることはそんなに複雑ではない。ただあまりにも信じ難いというだけだ。リリィが信じさえすればすぐに理解できる。

「お兄ちゃんはとっくに気づいてたみたいだね。君の口調が微妙に違ったからかな。やっぱり同じ記憶を持ってたって、中身が別人だから少しぐらいは違いが出るみたいだね」

 信じられないと思った筈だった。しかし同時にディファレの話は真実だと認識したようにも思えた。
 まるで『リリィと虚愛は異なる人格である』と誰かの記憶や感情が頭の中に流れ込んでいるようだ。

「心当たりはそれなりにあるんじゃない? この世界への適応が早かったとか、言葉を覚えるのに時間がかかったとか」

 ディファレの言う通りだった。
 元いた世界とは常識が違う世界で魔物と殺し合うという日常を、リリィは何の躊躇いもなく受け入れていた。加えて意味のある単語を話し始めるのにも3年がかかった。一般的な乳幼児より遥かに遅い。

「ワタシも経験者だから分かるんだけど、前世の記憶って前世こっちが拒否したら現世むこうは閲覧できないんだよね。ちなみに逆も然り。まあワタシだって微には見せたくない記憶ぐらいあるよ」

 ディファレは丁寧に種明かしをするように話を続けた。

「君が知らなかっただけで、きっとお姉ちゃんは怖いとか気持ち悪いとか散々感じてた筈だよ。魔物をたくさん殺してたら」

 ゴブリンなどの魔物は比較的人間に近い見た目をしている。その他にも愛の元いた世界で見かける動物と似た姿の魔物は多く存在する。
 害虫の類ならいざ知らず、特定の職業に就いている訳でもないただの中学生だった愛が獣を殺したりその死体を処理したりすることに何の抵抗も感じないものだろうか。仮にそれらグロテスクな光景に免疫があったとして、では余程運が悪くない限り命の危機に晒されることの無い世界で育った人間が命懸けの戦闘に臆せず臨めるのは自然なことだろうか。

「それとおしゃべり。愛お姉ちゃんにとっては第二言語だからね。時間がかかってもおかしくないよ。君が体の主導権ずっと握ってるせいでスピーキングの練習なんて碌にできなかっただろうし」

 リリィは言葉を話すのには3年かかった。人より長い時間をかけて両親の言葉が理解できるようになった後、さらに長い時間をかけてようやく話せたのだ。

「さて、飲み込めたかな?」
「……」
「今は混乱してても仕方ないよ。でもいずれ全部理解できるし、嫌でも理解することになる。君の中で健気に記憶を分け与え続けている愛お姉ちゃんだって、ずっと君にばかりいい思いをさせてるとは限らないからね」

 リリィは自分の右腕を包み込んでいたディファレの腕を、震える左手で握り返した。

「私は……」
「ん?」
「私は……ワタシは何なんですか」
「そんなの知らないし、決めなくてもいいよ」

 ディファレは全く悩むことなく答えた。
 それが功を奏したのか、リリィは悩むのが馬鹿らしくなり始めた。それがリリィ自身の想いなのか、はたまた彼女が閲覧した虚愛の想いに過ぎないのかは本人にも分からなかったが、少なくとも自分が何者かを考える気はこの時点で完全に失せてしまった。

「そんなことより、ちょっと立って」

 ディファレが掴んだリリィの手を引く。リリィは戸惑いながらも、彼女に促されるまま立ち上がった。

「ワタシの目を真っ直ぐ見て」
「はい……」
「背筋をピシッと!」
「は、はい!」
「よぉしそのまま」

 訳も分からず言う通りに背筋を伸ばして立つリリィを――

「ほいっ」

――ディファレは蹴り飛ばした。

「あがっ……⁉︎」

 部屋の壁が見るからに凹んでいる。
 さっきまで壁の一部だった残骸が細かな塵となって空気中を舞っている。
 リリィは骨が折れて口から血が漏れていた。

「今のは君の分だよ。愛お姉ちゃんの自由を奪って今までのうのうと生きてきたからね。そして――」

 痛みのあまり立ち上がることも腹を抑えることもできない。
 そんなリリィの顔に真正面から、今度はディファレの拳が突っ込んできた。

「うっ……!」
「これは愛お姉ちゃんの分。お兄ちゃんたちを残して勝手に死んで、数え切れないぐらい悲しませた分だよ。1発だけで済ませてあげるなんて、ワタシもお人好しだよね」

 今度は顔が痛い。目が開けられない。鼻の下を何かが伝う感触で鼻血が出ていると分かった。

「音ちゃんが下の階に薬を取りに行ってる。少し待っててね」
「うぐ、うぅ……」
「ああ、ごめんごめん。ワタシ手加減苦手なんだ。この体って化け物みたいな性能してるからさ、あんまり表に出てこないワタシは力の調整慣れてなくて。微ならちょっと痛いぐらいでも済ませられんだけどね」

 痛い部分に手を伸ばそうとしても、触れた瞬間さらなる痛みに襲われてしまう。

「嫌いになった? 暴力なんて良くないもんね。家族が相手だろうと到底許されないことだもんね」

 ディファレは右手でリリィの髪を掴み、左手でリリィの右の瞼をこじ開け、無理矢理自分に目を向けさせた。

「そこにいるんでしょ虚愛。さあワタシを見て。あなたに暴力を振るって、下手をすれば命まで奪ってしまう妹がここにいるよ」

 そっと声をその場に置くように、ディファレの口から吐息のような言葉が漏れ出た。

「――〈連星〉」

 さらに続いて紡がれた言葉は打って変わって捲し立てる反射のようなものだった。

「虚愛はディファレのことを嫌いにならない。こうして暴力を振るっているのも何か理由があるに違い無い」

 ディファレ自身の発言の筈なのに、まるで他人のような口振りだった。
 これはディファレが前世から行なっている習慣だ。忘れないための行動。〈連星〉を解除した瞬間頭の中から無くなってしまう情報のうち、大事だと思ったものを「ディファレが発言した」という別の行動によって記憶しておくためだ。

「……そっか。ワタシと一緒か」
「一緒? どういう、ぐっ……」
「痛そうだから治してあげなきゃね。音ちゃーん」

 ディファレが呼ぶと同時にドアを開けて小瓶を手にした音が入ってきた。

「あーやっと入れてもらえた。やり過ぎてないわよね……ってリリィさん⁉︎」

 血塗れのリリィを見た音は顔を真っ青にして彼女に駆け寄った。

「ディファレ、やり過ぎよ! 死にそうじゃない!」
「死んでないじゃん。ほら早く回復薬ポーション飲ませてあげて」
「言われなくても!」

 音はリリィの口をこじ開けて半ば強引に小瓶の中身を流し込んだ。リリィはむせてしまったが、それでも音は構わず薬を最後の一滴まで飲ませた。
 するとリリィの負った傷は瞬く間に消え去り、音のいた世界の医療では説明がつかないようなスピードで、ディファレに蹴り飛ばされる前の健康な姿が息を吹き返した。

「リリィさん、大丈夫? 痛むところは無い?」
「音さん……いえ、ご心配無く」

 リリィは音に支えながらよろよろと立ち上がった。

「全部話したの?」
「彼女と愛お姉ちゃんが別人ってとこまで。呪いの件に関しては今から」
「呪い? 何の話ですか?」

 ディファレと音はどこか説明しづらそうな表情を見せた。
 リリィが首を傾げていると、ディファレは意を決したように深呼吸をして口を開いた。

「君が自分を虚愛と勘違いしたのは、君自身の記憶が無くて虚愛の記憶しか持っていなかったから。より正確に言うとしたら、リリィとして生きた記憶がいつまで経っても生まれないから」
「ワタシ自身の記憶? いやいや、ワタシはこうして今もちゃんと」
「君が君自身の記憶と思ってるそれは、君の体を通して外界を見聞きした愛お姉ちゃんの記憶を借りているに過ぎない。君自身は新たな記憶が蓄積されてないんだよ。生まれた瞬間からずっと」

 人は常に体験したことを記憶し続けている。もちろん些細なことはすぐに忘れてしまうだろうが、それでも1度は確かに覚える。
 ではその機能が欠けていたとしたらどうだろうか。瓶に注いだ水がそこに空いた穴から全て抜けていくかのように、いつまで経っても記憶が保管されない状態が続いたとしたら。
 忘れることも思い出すことも、どちらも最初に覚えることが条件だ。覚えられなかったものは、決して取り戻せない。

「君の家系はずっとそうだったんだよ。君のお母さんは10歳まで何も覚えられなくて、生まれたての赤ん坊同然の状態が続いてた」

 既に本人から証言は得ていた。
 セシリアが何かを学習するということに初めて成功したのは10歳になったぐらいのことで、それまでは言葉どころか歩くことも誰かの助けを借りずに食事をすることもできなかったという。

「それが君に、いや、君たちにかけられた呪い。何も覚えられない期間は後の世代ほど長くなっていて、セシリアさんを参考にするなら君は本来言葉を話すことも二足歩行も12、3歳ぐらいまではできない筈だった。前世の記憶というイレギュラーが無ければね」

 これについてはセシリアも怪しんでいたらしい。
 リリィは何かを『学ぶ』という様子が幼い頃から見られた。言語の習得こそ他人に比べて遅かったが、セシリアとゴードンを親と認識したり、1度食べた物は以降『食べ物』として認識しているかのような素振りを見せたのだ。
 元々魔法が得意だったセシリアが原因を探り始めたが結局見つけることはできず、ついに3歳で言葉を覚えたことをきっかけにこの異常事態をエーレに相談する決心をした。

「あの2人、元々エーレちゃんのことをちょっと信用してなかったみたい。何の意味があるのか分からない研究をずっと続けてたり、冒険者を大勢用意しないと倒せないような魔物の素材をその研究のためにギルドとは無関係のどこかから仕入れたりしてたみたいだから」
「怪しい人には見えませんが」
「それなんだけどね」

 リリィがすっかり塵まみれとなったベッドに音の助けで座らせてもらっている横で、ディファレは当たり前のように話を続けた。

「リムノさん……ううん、お母さんがワタシに教えてくれたんだ。エーレちゃんは200年前の生きていた時代に後の魔王となる吸血鬼の女の子と知り合って、その子と一緒に自分という人造人間を諜報活動のために生み出したとある司祭をやっつけたって」
「はあ……え?」
「その吸血鬼の女の子は吸血女王種カーミラっていう上位の種族に進化したおかげで今でも魔王として生きてて、君が戦ったあのキナっていう吸血鬼を通じて今でもエーレと連絡を取り合ってるの」
「ちょ、ちょっと待っ」
「でもってその魔王となった吸血鬼の子の血縁上の父親がとんでもない極悪吸血鬼だったんだけど、そいつと当時12歳の魔王様が出くわしてしまった時にたまたま出会った男の子が回復魔法はからっきしなのを除けば魔術師としてのとっても強い素質を秘めてたんだ。その子がエーレちゃんと力を合わせて魔王様を援護したおかげで悪い父親を倒すことができたんだって。男の子の名前はノヴァ。彼は後にエーレちゃんの元に弟子入りして、なんだかんだで結婚するに至ったんだけど、ある時離婚しちゃったの。彼がある魔法に対して行った実験の失敗が原因で」

 その魔法とは――ディファレはさあ注目して聞けとばかりに間を空けた。

「記憶魔法。ノヴァが生み出したオリジナルの魔法であり、この200年間ノヴァ以外に使える人物が一切確認されてないとても珍しい魔法。そして――君たちを苦しめている呪いの正体だよ」
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