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財布が無い

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 僕は一人旅をしていた。

 お腹が空いたので、食事処を探しているとひなびた定食屋を見つけた。
「ここにしよう」
 僕は汚れたのれんをくぐり、メニューを見た。
「ステーキ定食? 美味しそうだな」
 僕はその店で一番高いステーキ定食を頼むことにした。

 店の奥で背の曲がったおばあさんが巨大な肉を焼き始めた。
 僕のお腹が鳴った。
 しばらくして、肉が焼き終わると無精ひげを生やしたおじさんがステーキ定食を運んできた。
「いただきます!」

 僕は肉を一口頬張った。赤身が美味い、良い肉だった。味付けも塩胡椒のバランスが絶妙だ。
 僕はパクパクと食べて、お会計を済ませようとした。
 その時、気付いた。
 
 財布が、無い。
 
 どこかに落としたのか、すられたのか分からないが、とにかく財布が無い。
 僕は青くなったまま、おじさんに事情を話した。
 すると、おばあさんが厨房から出てきて僕のことを上から下までじっくり見た。
「まず、警察に電話しなさい。電話は貸してあげるよ」

「はい、ありがとうございます……」
 僕は警察に財布を無くしたことを伝えた。そして、カード会社に言ってクレジットカードを止めた。幸い悪用された様子は今のところ無かった。

 おばあさんは電話が終わると、ちょっと考えてから僕に言った。
「お兄さんは男前だし、ちょっとこの店でアルバイトをしてくれ」
「はい……」
 おばあさんは奥からエプロンを取り出すと、僕に店の外で呼び込みをするように言った。
 僕は言われたとおりに呼び込みをした。

 すると、女子大生みたいな4人組がやって来た。
「あ、お兄さん格好いいね」
「webに写真UPしていい?」
「お店に入って頂ければ」
 僕はなんとか店のお客さんになって貰おうと頑張った。

「でも、店構えって言うか見た感じなんかちょっと汚いんですけど?」
 僕は笑顔で言い切った。
「料理はとても美味しいですよ」
「じゃあ、入ってみようか」

 僕はお店のドアを開いて言った。
「四名様ご案内です」
「接客もお兄さんがしてくれ」
 おばあさんが店の奥から僕に声をかけた。

「じゃあ、メニューはこちらです。決まりましたら、お声をかけて下さい」
 僕は初めての接客でドキドキしながら、女性陣にメニューを渡した。
「うーん、お薦めは?」
「ステーキ定食です」
「え、二千円!? 高っか」

 僕はそれを聞いて、首を振った。
「この店のステーキ定食はなかなか食べられない美味しさですよ」
 そう言って、僕は店の奥から大きな肉を持ってお客さんに見せた。

「うわ、デカい」
 お客さんが驚いてスマホで写真を撮った。
「でしょう。味もとっても良いんですよ」
 僕は笑顔で言った。

「じゃあ、ステーキ定食四つ」
「はい」
 僕はおばあさんにオーダーを通した。

 しばらくすると肉の焼ける良い匂いが店に立ちこめた。
「うわ、マジやばい。お腹すいてきた」
 僕は水とおしぼりをだして、肉が焼けるのを待った。

「おまたせいたしました」
 僕がステーキ定食を机の上にのせると、撮影会が始まった。
「スゲー肉!! お兄さんも写真に入って!!」
 僕は困りつつも笑顔でピースサインをした。

「イケメンの居る激うま定食屋って宣伝しておくよ」
「……ありがとうございます」
 騒がしいが気持ちの良い笑顔のお客さんだった。

「兄ちゃん、泊まれる場所も無いんだろ? 二、三日ここで働いて行きな。バイト代も出すよ」
「良いんですか?」
「ああ。いつも不細工な親父の顔を見てるのにも飽き飽きだったしね」
 おばあさんは歯の抜けた口を開けて笑った。
 僕はおばあさんの好意に甘えることにした。

 次の日、お客さんが店に列を作っていた。
 どうやら昨日のお客さんはインフルエンサーだったらしい。
 僕は必死で接客を頑張った。
「あんた、良いね。お客が増えたよ」
「おばあさんの料理が美味しいからですよ」

 そして三日後、警察から財布が届いたと言う知らせが来た。

 残念ながら、現金は抜かれていたがカード類は無事だった。
「兄ちゃん、ここに住み込みで働かないか?」
「おばあさん、残念だけど僕はそろそろ帰ります」
 おじさんも少し寂しそうに笑った。

「それじゃ、ありがとうございました。家に着いたら、お礼の手紙を送ります」
 そう言って、僕は定食屋の名刺を一枚もらい胸ポケットにしまった。

「もう、財布を落とすんじゃねーぞ」
 おばあさんは笑いながら大声でそう言うと、僕に手を振った。 
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