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3話
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250年目の私は、簡易な修道女の服に身を包み歩いている。腕にひっかけたバスケットにはリンゴが3つ、そして薄青い花の束がある。
村の中央に位置する教会には帰らず、寄り道をして宿屋の跡地へ向かった。
宿があったはずの小高い土地にはもう何もなかった。
5年前、落雷が宿屋に落ち、火の手があがり、すっかり損壊してしまったのだ。
その後は激しい雨が通過し火は消えたが、宿の主人はこれを機に宿をたたんだ。
その時はちょうど私も、手鏡で新しい自分になるためだが……村を去ることを宿の主人に伝えていたため、それが後押しになったのかもしれない。もう2人で切り盛りしていたようなものだったから。
「あの!」
跡地からの寒々しい景色をながめていた私に、声をかける者がいた。エテルだ。
あの綺麗な顔があきらかに狼狽している。
私はあの日、宿が崩れる様を見て、もうエテルは来ないと漠然と感じていた。
それでもわずかな可能性を思い村の住民となったが、本当に彼は来てしまったのだ。何も知らずに。
「はい、何でしょうか」
穏やかに微笑んで答える。私の心は、これまでのどの再会の時よりも凪いでいた。
「ここに宿屋があったはずだが」
「5年程前に焼け落ちました」
「……そうなのか」
「村長のご自宅か教会で泊ることができますよ」
「……」
エテルはかなり気落ちしているようだった。沈うつな表情をながめて不思議に思う。習慣にしていた事が断たれただけで、ここまでの落胆を見せるのか。
「あの宿屋に何か、思い入れが?」
尋ねるも、答えてはくれなかった。ためらいがちに首をふるだけだった。
私は彼を村長の家へ案内した。教会でも泊れるなんて言ったものの、村長の家の方がしっかりとした寝床があるに違いなかった。
村長はエテルの宿泊を快諾した。くたびれた旅人ならば拒否したかもしれないが、エテルは身なりもしっかりしているので大丈夫だ。
用が終わり去ろうとする私を、エテルが呼び止めた。
「その花をくれないだろうか」
私はバスケットから花を一束渡す。教会の祭壇と自分の部屋に飾るための花だったが、まるで墓参りに使う花のように見えた。
今度は寄り道もせずまっすぐに教会へと帰った。
夜が過ぎ、朝日が昇りきらない時分に私は起きだす。教会に座す神の石像に祈りをささげるのが日課だからだ。
部屋から教会に繋がる木戸を開けると、石像の前にエテルがいた。
お互い存在に気付き、あいさつを交わす。エテルが立ち去らなかったので、彼の隣に並び立って祈りをささげた。
エテルのささやく声が横から聞える。
「神を信じているのか」
私はきょとんとしてしまった。
「私に聞くんですか?」
「すまない、失礼なことを」
エテルは目をそらして謝ってきた。つい口に出てしまったらしい。教会の中はあまりに静かで、ささやきもしっかり拾えた。
ふと考える。司祭は私に早起きを課すが、司祭自身は朝が苦手で今日も寝ているはずだと。
私はついエテルにしゃべる気になった。
「実は信じていません」
エテルの目が丸くなった。私は続けざまに話す。
「今まで一切、神が私に語りかけたことなどありませんから」
「では何故、ここに」
返答に悩み、石像をながめる。記憶を少しさかのぼって理由を探した。
「……あの宿屋が無くなった時に思ったんです。
神を信じていなかったのが悪かったのかな、なんて」
そうだ、あの時そう思った。
思い返してみれば、宿の主人よりも私の方が放心していた。
エルテが押し黙っているので見やると、彼は私の顔をずっと見続けていた。
「俺は、神はいるのだと思っているよ。
でも信仰という意味でなら、信じていない。だから、こうなのかな」
「こう、とは?」
「俺は不老不死なんだ。身に覚えはないが、天罰かもしれない」
天罰。後頭部を殴られたような衝撃だった。違うと言いたかった。
彼は私の表情を読み取ろうとしているようだった。
だがエテルは次には笑っていた。信じないでくれ。でも、と言った。
「でも、俺は同じ事を悩み続けている。
時が止まっているのと同じだ。それが永遠に続くように思う」
そんな言葉を聴いた私の思考はゆっくりと止まる。夢からさめた直後と似た感覚があった。そして自己嫌悪が湧き出てきていた。
「私も、そうです」
絞り出した同意の言葉に胸が痛んだ。エテルは追及もなくただうなずいた。
「時たま教会や聖地などに寄ると、そういった人は多いのだと感じるよ。
君もそうか……」
……あの、とエテルは言葉を続けた。
「君の名前を聞いてもいいかな」
私はひどく悲しい気持ちで答えた。
「覚える必要はありませんよ」
次の朝も彼は教会に来ていた。滞在の日数を決めていないというので、明日は教会に泊まってはどうかと提案した。
村の中央に位置する教会には帰らず、寄り道をして宿屋の跡地へ向かった。
宿があったはずの小高い土地にはもう何もなかった。
5年前、落雷が宿屋に落ち、火の手があがり、すっかり損壊してしまったのだ。
その後は激しい雨が通過し火は消えたが、宿の主人はこれを機に宿をたたんだ。
その時はちょうど私も、手鏡で新しい自分になるためだが……村を去ることを宿の主人に伝えていたため、それが後押しになったのかもしれない。もう2人で切り盛りしていたようなものだったから。
「あの!」
跡地からの寒々しい景色をながめていた私に、声をかける者がいた。エテルだ。
あの綺麗な顔があきらかに狼狽している。
私はあの日、宿が崩れる様を見て、もうエテルは来ないと漠然と感じていた。
それでもわずかな可能性を思い村の住民となったが、本当に彼は来てしまったのだ。何も知らずに。
「はい、何でしょうか」
穏やかに微笑んで答える。私の心は、これまでのどの再会の時よりも凪いでいた。
「ここに宿屋があったはずだが」
「5年程前に焼け落ちました」
「……そうなのか」
「村長のご自宅か教会で泊ることができますよ」
「……」
エテルはかなり気落ちしているようだった。沈うつな表情をながめて不思議に思う。習慣にしていた事が断たれただけで、ここまでの落胆を見せるのか。
「あの宿屋に何か、思い入れが?」
尋ねるも、答えてはくれなかった。ためらいがちに首をふるだけだった。
私は彼を村長の家へ案内した。教会でも泊れるなんて言ったものの、村長の家の方がしっかりとした寝床があるに違いなかった。
村長はエテルの宿泊を快諾した。くたびれた旅人ならば拒否したかもしれないが、エテルは身なりもしっかりしているので大丈夫だ。
用が終わり去ろうとする私を、エテルが呼び止めた。
「その花をくれないだろうか」
私はバスケットから花を一束渡す。教会の祭壇と自分の部屋に飾るための花だったが、まるで墓参りに使う花のように見えた。
今度は寄り道もせずまっすぐに教会へと帰った。
夜が過ぎ、朝日が昇りきらない時分に私は起きだす。教会に座す神の石像に祈りをささげるのが日課だからだ。
部屋から教会に繋がる木戸を開けると、石像の前にエテルがいた。
お互い存在に気付き、あいさつを交わす。エテルが立ち去らなかったので、彼の隣に並び立って祈りをささげた。
エテルのささやく声が横から聞える。
「神を信じているのか」
私はきょとんとしてしまった。
「私に聞くんですか?」
「すまない、失礼なことを」
エテルは目をそらして謝ってきた。つい口に出てしまったらしい。教会の中はあまりに静かで、ささやきもしっかり拾えた。
ふと考える。司祭は私に早起きを課すが、司祭自身は朝が苦手で今日も寝ているはずだと。
私はついエテルにしゃべる気になった。
「実は信じていません」
エテルの目が丸くなった。私は続けざまに話す。
「今まで一切、神が私に語りかけたことなどありませんから」
「では何故、ここに」
返答に悩み、石像をながめる。記憶を少しさかのぼって理由を探した。
「……あの宿屋が無くなった時に思ったんです。
神を信じていなかったのが悪かったのかな、なんて」
そうだ、あの時そう思った。
思い返してみれば、宿の主人よりも私の方が放心していた。
エルテが押し黙っているので見やると、彼は私の顔をずっと見続けていた。
「俺は、神はいるのだと思っているよ。
でも信仰という意味でなら、信じていない。だから、こうなのかな」
「こう、とは?」
「俺は不老不死なんだ。身に覚えはないが、天罰かもしれない」
天罰。後頭部を殴られたような衝撃だった。違うと言いたかった。
彼は私の表情を読み取ろうとしているようだった。
だがエテルは次には笑っていた。信じないでくれ。でも、と言った。
「でも、俺は同じ事を悩み続けている。
時が止まっているのと同じだ。それが永遠に続くように思う」
そんな言葉を聴いた私の思考はゆっくりと止まる。夢からさめた直後と似た感覚があった。そして自己嫌悪が湧き出てきていた。
「私も、そうです」
絞り出した同意の言葉に胸が痛んだ。エテルは追及もなくただうなずいた。
「時たま教会や聖地などに寄ると、そういった人は多いのだと感じるよ。
君もそうか……」
……あの、とエテルは言葉を続けた。
「君の名前を聞いてもいいかな」
私はひどく悲しい気持ちで答えた。
「覚える必要はありませんよ」
次の朝も彼は教会に来ていた。滞在の日数を決めていないというので、明日は教会に泊まってはどうかと提案した。
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