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ファーストアタック/第一階層

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=== ダンジョン第一階層 ===

 ダンジョン第一階層は薄暗い。
 壁にある小さな窓からほのかに明かりが差し込んでいる。
 さらに、第二階層に降りる階段の横に足元を照らす光があった。

 カズヤが第一階層の通路に足を踏み出すと、木の床がギシッと鳴る。

 勇者カズヤが攻略に挑むダンジョンは家屋型であるらしい。
 実家なので。木の床、というか単なるフローリングだ。階段の足元灯は便利ですね。

「ダンジョン、ダンジョンね。ははっ」

 家族が寝静まった深夜、カズヤが部屋を出るのはいつものことだ。
 食料の確保、トイレ、シャワー、ゴミ出し。
 ワンルームじゃない以上、部屋から出ないとできないことは多い。

 ライブ配信中にもかかわらず、カズヤに説明セリフはない。
 薄暗いダンジョンで大きな音を出せば、モンスターが聞きつけて出てくるかもしれない。ダンジョンの攻略には隠密性が求められるのだ。

「第一階層も第二階層も、モンスターがうろつく気配はなしっと」

 それでもぼそぼそと視聴者に向けて呟きながら、カズヤは足音を殺して通路を歩く。
 モンスターを警戒しながら忍び足で進み、やがて一つの小部屋の前に立った。

「カギは開いてる。明かりもついてない。罠はないってことか」

 右手でドアレバーを下げて木の扉を引き開ける。
 左手で壁面の仕掛けを押す。
 小部屋はまばゆいほどの光で満たされた。

「まあ最初に用を足しておかないとな。なんだろ、いつものことなのに気分が違う」

 小部屋に入って、カズヤは白い陶製のイスに座った。
 トイレである。ちゃんとスウェットもパンツも下ろしている。スマホは外に置いてきた。

「はあ、やっぱり深夜は落ち着く。昼間だとモンスターが徘徊してるからなあ」

 カズヤが攻略に挑むダンジョンは、第一階層からモンスターが出現するらしい。
 母親である。モンスターて。

「よし。んじゃ下に潜るか。第一階層から第二階層へ」

 カズヤの言葉は水音とともに流れていった。


 勇者カズヤのダンジョン攻略は続く。



=== ダンジョン第二階層 ===

 カズヤはそろりそろりと第二階層に繋がる階段を降りていく。
 行く手は暗い。
 端に足を置いても、木の床は時おりギシッと軋んでそのたびに肩をすくめる。

 かなりの時間をかけて、ついにカズヤはダンジョン第二階層に降り立った。
 ダンジョン第二階層に降りてすぐに、頑丈な鉄扉が目に入る。

 ダンジョン第三階層への入り口は、侵入を拒むがごとく二重三重に施錠されていた。
 玄関なので。チェーンもかかっている。内側から。

 いまは用はないとばかりに、カズヤは鉄扉をちらっと見ただけで進む方向を変えた。

名無しの勇者:いま三階層への扉あっただろ!
冷やかし勇者:スルーかよ
真の勇者08:仕方ない。いきなりは危険すぎる
自宅警備員X:ファーストアタックはまず様子見から。勇者の鉄則だよね
ベテラン勇者LV.1:無理すると続かないからな

 視聴者のコメントをスルーしたカズヤは階段の登り口をまわって、鉄扉を背にして通路を進む。
 乾いたくちびるをぺろりと湿らせる。

 ダンジョン第二階層、カズヤが無視した小部屋には二体のモンスターが眠っている。
 これまでよりいっそう慎重に、音を立てないように行動するのは当然だろう。
 物音で目覚めて不意に遭遇したら命が危ない。危なくない。メンタルは危ない。

 息が詰まる時間が過ぎて、ダンジョン第二階層の深部が見えてきた。
 開いたままの入り口をするりと抜ける。
 内側から扉を閉める。
 小部屋の扉がすべて閉まっていることを確認すると、カズヤは手を伸ばして壁の仕掛けを押した。
 部屋の半分が明かりに照らされて、一部の金属が光を反射する。

 明るくなったダンジョン第二階層の小部屋で、カズヤはふうっと安堵の息を漏らした。
 必ずしも安全というわけではないが、ひとまずの安全は確保できたようだ。

 だが。
 モンスターは、勇者が油断した瞬間に襲いかかってくるものだ。

 勇者カズヤと、カズヤが攻略するダンジョンに生息するモンスターも例外ではなかった。

 カズヤの気配を感じたのか、あるいはその鋭敏な耳で物音を聞きつけたのか、単純に明かりに反応したのか、それとも優れた嗅覚・・で嗅ぎつけたのか。

 カズヤがカチャカチャというわずかな爪音に気付いた時にはもう遅い。

「うわっ!」

 モンスターは、二本の前脚でカズヤの腰あたりを素早くホールドした。
 後脚で立ち上がって、鋭い牙をカズヤに近づける。
 ハッハッハッと荒い息で、ベロンと舌を出して。
 黒い瞳で、もう逃がさない、とばかりにじっとカズヤを見つめる。

 立ち上がらなければ体高は1メートル弱。
 嗅覚・聴覚で勇者を見つけ出し、灰と銀の毛並みで誘惑する、鋭い爪と牙を持ったモンスター。

 シベリアンハスキー実家の愛犬である。

「あー、びっくりした」

 モンスターに襲われたにもかかわらず、カズヤは冷静だった。
 そういえばひさしぶりだな、などと言いながら、恐れずモンスターの顔に手を近づける。
 頭を撫でる。
 顔をわしわしする。
 モンスターは仲間を呼ぶ吠えることなく、気持ちよさそうに目を細めた。

名無しの勇者:あああああ! ハスキーかわいいぃぃぃぃいいい!
ベテラン勇者LV.1:大人しくて賢いな
自宅警備員X:名前、名前はなんていうの!?
真の勇者08:初遭遇したモンスターをテイムするとは。この勇者にはテイマーの才能があったのか?
冷静な勇者:テイムって。間違ってないけど

「そういえばひさしぶりだなあ、ハス美」

自宅警備員X:ハス美www
ベテラン勇者LV.1:テイマーの才能はあっても名付けの才能はないんだな
名無しの勇者:俺わかったかも。ハス美ってもしかして…………メスじゃない?
雪国勇者:もう勇者はいいからハス美映せ!

 ひとしきり撫でまわし、視聴者向けに全身を写してモンスター紹介ハス美自慢して、カズヤはまた歩き出した。

「さーて、宝箱を漁るとするか」

 目的地は小部屋の奥。
 安置されていた宝箱に手をかける。
 宝箱はでかい。
 上から下までの高さはカズヤの身長を超えて、横幅は1メートル弱。
 一つの宝箱が仕切られているのか、開け口はいくつも存在していた。

 宝箱、というか冷蔵庫である。
 中身がちょくちょく変化するランダムタイプの宝箱だ。妖精の仕業か。

 カズヤが冷蔵庫を開けたのを見て、すかさずハス美が後脚で立ち上がる。
 ぐっとカズヤに体を押し付けて冷蔵庫の中を覗き込む。
 中にお気に入りの美味しいオヤツ犬用ささみ(要冷蔵)が入っていることを知っているのだ。賢いモンスターである。

「おっ、ポーションも携帯食料も入ってる。はいはい、ハス美のもね」

 言って、カズヤは三角形の携帯食料が乗ったお皿とポーションの容器を宝箱の向かいの段差に置いた。
 続けて真空パックの封を切って、専用の皿に何切れかのささみを出す。
 カズヤは立ったまま携帯食料を頬張り、ゴクゴクとポーションを口にする。
 食事中でも「モンスターに侵入されたらいつでも逃げられるように」と構える勇者の鑑である。テイムした犬型モンスターハス美はオヤツに夢中でモンスターに気付きそうもないので。気付いてもカズヤを裏切るまである。なにしろ最近ではカズヤよりモンスターに懐いている。

 それにしても。
 もしカズヤがモンスターに見つかっても、せめて逃げる前に感謝は伝えるべきだろう。もごもごと、言葉にならない言葉であっても。

「どうだ、ハス美? 美味しかったか?」

 食べ終わったハス美にカズヤが話しかける。
 もはやライブ配信中であることなど忘れたかのような振る舞いだ。
 ハス美は無言で、閉じた宝箱——冷蔵庫——の扉をカチャカチャ引っ掻いた。開けて、ここ開けて、とばかりに。

「ダメダメ、夜中にあんまり食べると太るぞー」

 自分のことは棚に上げて、気を紛らわそうと灰と銀の毛並みに両腕をまわす。
 しゃがみ込むと、ハス美は「遊んでくれるの?」とカズキに顔を近づけた。

 だが。

 スンスンと鼻を鳴らしたハス美が、目を見開いて、口も開けてベロンと舌を出す。カズヤから体を離す。

「え? ハス美?」

 真顔に戻ったハス美がふたたびスンスンとカズヤの匂いを嗅いで、またべろーっと舌を出す。

犬好き勇者:臭いのに何度も繰り返すハス美かわいい
名無しの勇者:アホの子かな?
自宅警備員X:これフレーメン反応ってヤツだ! 動画で見たことある!
かませ勇者A:おお、勇者よ、風呂に入らないとは情けない
冷やかし勇者:マジで。風呂ぐらい入れ

 ライブ配信の視聴者はすっかりダンジョン攻略のことなど忘れている。テイムされたモンスターシベリアンハスキーに夢中だ。

 着古したスウェットを自分でも嗅いでみて。
 ようやく気付いたのだろう。

 カズヤは、宝箱があった小部屋を出た。
 仕掛けを押して明かりを消すことは忘れない。
 侵入した痕跡をできるだけ消しているつもりらしい。バレバレである。

 一度ダンジョン第二階層の通路に出て、すぐにカズヤは隣の小部屋に侵入した。
 テイムしたモンスター、シベリアンハスキーのハス美は、扉の前で大人しくお座りしている。ハス美いかないよ? おふろはこわくないけどいかないよ? とささやかな抵抗だ。
 ハス美を置いて中に入ったカズヤはガチャリとカギを閉める。
 施錠できる小部屋に安心したのか、鼻歌まじりに上下のスウェットを脱ぐ。
 全裸だ。ダンジョン内で。勇者ではなくニンジャなのか。
 勇者らしい体つきを露わにしたカズヤは、中折れ式の戸を開けた。

 回復の泉である。
 おふろ——回復の泉である。
 浸かってのんびりすると体力と気力が回復するのだ。回復の泉である。

「あー、生き返る。ダンジョン探索って言っても、ここまではいつも通りなんだよなあ」

 泉のお湯をかぶって汚れを落として、清浄な泉に身を浸す。
 ちゃぷちゃぷと手遊びしながら、カズヤはこの先の探索のことを考えていた。

 カズヤは完全に部屋から出ないタイプの引きニ——勇者ではなく、深夜になると食料やトイレ、風呂を求めてさまようタイプの勇者だった。
 そう、初のダンジョン攻略とはいえ、これまでしてきた行動と違いはない。ここまでは。

「まあ行ってみるか。掲示板に『ちょっと攻略してくるわ』って書き込んじゃったしな」

 回復の泉から上がる。
 深夜とはいえ、季節は夏の終わり。
 まだ冷え込む季節ではない。
 体と髪を拭くのもそこそこに、カズヤは新たな装備一式に袖を通した。ジャージの上下である。

 カギを解除して、カズヤは通路に出た。
 ダンジョン第三階層に続く頑丈な鉄扉は、回復の泉があった小部屋からまっすぐだ。
 だからカズヤが迷ったのはダンジョンの地形のせいではない。
 ダンジョン攻略なのにマッピング地図作成してなかったせいでもない。

 カズヤは鉄扉の前の段差に座り込んだ。
 ダンジョンの第三階層は裸足では攻略できない。
 震える手で足元の装備を整える。
 履き古したサンダルに足を突っ込む。

 準備ができても、カズヤは座り込んで動かなかった。動けなかった。
 すぐ横の小部屋にモンスターがいるのに、じっと座り込んでいた。

 うつむいたカズヤの脳裏によぎるのは、ライブ配信の先にいる視聴者、ではない。
 スマホこそ構えているものの、ライブ配信のことなどすっかり忘れている。
 カズヤが思い出したのは、さっきまで見ていた掲示板だ。
 モニターの向こうで、勇者たちは戦っていた。

 モンスターと遭遇して逃げ帰る。
 わずかな時間を第一階層で過ごしただけで拠点に戻る。
 最深部に挑んですごすごと引き返す。
 あるいは成し遂げる。

 日本中に発生したダンジョンで、勇者たちは戦っていた。

 ほかの勇者の活躍を思い起こしたせいか、あるいは『ちょっと攻略してくる』って言ったのにいつもと変わらないんじゃ情けない、とでも思ったのか、それとも配信中なことを思い出したのか。

 いや。

 カズヤは、両足を割って入ってくる温もりに気がついたのだ。

 先ほどテイムしたモンスター——長い付き合いのハス美——が、カズヤの足の間に入って顔を覗き込んでくる。
 心配そうに。

 優しい。
 ただ口にはリードを咥えている。
 おさんぽいくの? ハス美、いっしょにいってあげてもいいよ? とばかりに。
 優しいうえに賢い。

「ははっ。ハス美はあいかわらずだなあ」

 目に涙を溜めながら頭を撫でる。
 やわらかな毛並みを、温もりを感じる。

「よし、行くか」

 そう言って。

 カズヤは立ち上がり、頑丈な、二重三重に施錠された扉に手を伸ばした。

 勇者が勇者であるのは、勇気を持って物事に臨むからだ。
 その意味では、ダンジョン第三階層に挑むカズヤはやはり勇者なのだろう。
 たとえ「ダンジョンをダンジョンと認識できない者たち」がなんと言おうとも。

 ダンジョン第三階層の入り口の鉄扉が開く。

 玄関の扉が開く。

 ガチャっと響いた音は、やけに重く聞こえた。

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