蒼天の城

飛島 明

文字の大きさ
上 下
121 / 142
第三章 次世代編

命のみなもと(2)

しおりを挟む
 生憎。
 領主の寝所へ、忍んでいける人間はこの世には一人しかおらぬ。

 領主が異様に気配に敏い為、気配を殺す事に長けている忍ぶですら、寝所に侵入することは叶わない。功刀や疾風ですら、次の間までがせいぜいである。
 ――しかも。
 以前、功刀が冗談で領主の寝所に忍んでいく草太に茶々を入れたら、テレ屋の領主と想い人はそのまま姿をくらましてしまった。そんな訳で、寝室内にいるのかすらわからぬ者たちへ、どうやって他の者が邪魔できるというのか。

 時苧ならば忍ぶことも可能であろうが、何が悲しくて孫同様の娘に、夜這いをかけねばならぬのか。
(そんなことをしたら亭主を誰よりも愛し、そして領主に誰よりも忠誠を誓っている彼の女房に殺される)

 第一、時苧は子種を領主に授けることは出来ても、それでは命題の”妻の血筋を領主の血に戻す”、という意義は叶わない。で、あれば。時苧が忍ぶ価値も、意味もないのだ。



 ごくり、と知らず功刀の喉がなる。

(兄者……)
 寝所から姫の気配が功刀に向かって発信されてきた。その気は露ほども彼を『兄者』ではないと疑ってはおらぬ。男の背中に、どっと冷たい汗があふれた。

『兄者。申し訳ないけれど、月の障りなのです。
今宵は一人で寝たいのです』
 とでも言ってくれないか、と功刀は最後の頼みをかけていたのだ。
 だが。
(お待ちしておりました)

 優しい声で言われたとき、功刀は卒倒しそうになった。
 覚悟を決めて、次の間に居る侍女に気づかれぬよう、姫の寝室の戸を開けた。なかば自棄になりながら、部屋に一歩を踏み出す。
ほふられる獣の気持ちがわかったぜ)
 わかった処でどうなる事でもなかった。彼は紫湖を連れてしばらく出奔しようかと、半ば本気で考えていた。


 寝所の中では、姫が冬の月のような澄んだ瞳で彼を見つめていた。





 ◆


 翌日。

「草太に、探索に出て貰おうと思っているの」
 御前会議で、諏名姫は言った。
 領主の座の後ろには、草太が静かに控えている。

「はて」
 時苧は穏やかに言った。
「ご領主が瘤瀬の次期を遣わそうとは、いかなる御用事ですかな」
 時苧の何も変わらぬ表情の中に、領主の真意を探ろうとする狡猾さを感じているのは、領主とその伴侶。そして疾風や功刀だけであったろう。

「『蛾楽どのへのご機嫌伺い』と言えば、わかって貰えるかしら?」
 諏名姫は悪戯っぽく微笑んだ。
 蛾楽といえば、時苧のかつての愛人のひとり。時苧の作った情報網、『蜘蛛の巣』の間者のひとりでもあったのだ。

 時苧はしゃっくりを飲み込んだような表情になった。



 時苧は以前、菜をと草太の仲を取りもとうと画策していた。先に潜伏していた草太を追わせて、菜をを蛾楽の里に出立させたことがあった。
 草太を蛾楽が気に入り、更に蛾楽が菜をを里の男に娶わせようとした為、あわやの事態に陥る処であった。後に、菜をが蛾楽の里を訪れた事自体が、祖父の計画だったことを知った草太からこっぴどく叱られたのだ。

『じじー、なに考えてやがる!
一歩間違えば、てめぇの領主を知らない男の毒牙にかませるところだったんだぞ!』
 帰ってくるなり、鬼の形相のような草太の貌をみて、計画は失敗したのを悟ったのだった。

『てめぇの愛人の性格くらい、頭に入れて計画を練っておけ!』



 以来、『蜘蛛の糸』が結びなおされた蛾楽からは、たまに連絡がくるようになった。
 ……、だ。
 時苧や草太には、ぴたりと何も寄越してこない。それゆえに、諏名姫が草太を蛾楽に遣るというならば。時苧はあえて、それ以上探る気にはなれなかったのである。


 気を取り直して、時苧が訊ねた。
「……して。どれくらいをお考えなのですかな」
「一年くらいかしら。
その間の、私の寝所の”警護”は入れ替わり、瘤瀬や諏和賀の者にして貰うから」
 聞き捨てならない事をさらり、と言われて瘤瀬の棟梁は、無礼と知りながら訊き返した。
「は?」
 祖父であり配下である男の無礼を咎めることなく、領主はにこやかに微笑んだ。
「草太は諏和賀の領主の寝室の警護役よ。その草太が留守中に、賊が私の寝所に入りでもしたら、大変でしょう」


「……は」
 時苧は平伏して承知した。
(つまりは、諏名姫は違う子種を探すことを決意されたということなのだろう)
 ただ、その場に草太にはいて欲しくない。
 その為の任務なのだと、皆は理解したのであった。
 その場にいた者は気の毒そうな顔をしていた。雄として役立たずを宣告されてしまった男の顔を、これ以上見たくない。この場に居たくない。いたたまれない、やりきれない。皆、複雑な表情を浮かべていた。

 石女と評されるおんなよりも、種がないと宣告されるおとこの方が辛いというが。

 ある者は草太から目をそらし、ある者はこっそりと草太の顔を窺った。草太はというと、事前に諏名姫から用の向きを言い遣っているのか、平常とかわらぬ静かな顔であった。





 だが翌日、草太は姿を消した。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

極楽往生

岡智 みみか
歴史・時代
水飲み百姓の娘、多津は、村名主の家の奉公人として勤め始める。同じ奉公人の又吉やお富、八代と日々を過ごすうち……。あの日の晩に、なぜ自分が泣いていたのか。あの時になぜあたしはついていったのか。その全てが今ここに答えとしてある。あたしはどうしても乗り越えられない何かを、風のように乗り越えてみたかっただけなのかもしれない。

希うは夜明けの道~幕末妖怪奇譚~

ぬく
歴史・時代
古来より人間と妖怪という二種が存在する国、「日ノ本」。その幕末、土佐の貧しい郷士の家に生まれた岡田以蔵は鬼の血を色濃く継いだ妖怪混じり。兼ねてより剣にあこがれていた以蔵は、ある朝家の近くの邸宅の庭で素振りをしていた青年を見かける。彼の名は武市半平太。その邸宅の主であり、剣術道場を営む剣士であった。彼の美しい剣に、以蔵は一目で見とれてしまう。そうして彼はその日から毎朝そっと、邸宅を囲む生垣の隙間から、半平太の素振りを見るようになった。 やがて半平太は土佐勤王党を結成し、以蔵をはじめ仲間を伴い倒幕を目指して京に上ることになる。彼らは京で、倒幕派と佐幕派、そして京都の鬼を中心勢力とする妖怪たちの戦いに巻き込まれてゆく。 これは武市半平太の陰で動く岡田以蔵の、闘いと葛藤、選択を描いた物語。 *これはpixivで連載しているものを修正したものです

夜に咲く花

増黒 豊
歴史・時代
2017年に書いたものの改稿版を掲載します。 幕末を駆け抜けた新撰組。 その十一番目の隊長、綾瀬久二郎の凄絶な人生を描く。 よく知られる新撰組の物語の中に、架空の設定を織り込み、彼らの生きた跡をより強く浮かび上がらせたい。

夜珠あやかし手帖 ろくろくび

井田いづ
歴史・時代
あなたのことを、首を長くしてお待ちしておりましたのに──。 +++ 今も昔も世間には妖怪譚がありふれているように、この辻にもまた不思議な噂が立っていた。曰く、そこには辻斬りの妖がいるのだと──。 団子屋の娘たまはうっかり辻斬り現場を見てしまった晩から、おかしな事件に巻き込まれていく。 町娘たまと妖斬り夜四郎の妖退治譚、ここに開幕! (二作目→ https://www.alphapolis.co.jp/novel/284186508/398634218)

教皇の獲物(ジビエ) 〜コンスタンティノポリスに角笛が響く時〜

H・カザーン
歴史・時代
 西暦一四五一年。  ローマ教皇の甥レオナルド・ディ・サヴォイアは、十九歳の若さでヴァティカンの枢機卿に叙階(任命)された。  西ローマ帝国を始め広大な西欧の上に立つローマ教皇。一方、その当時の東ローマ帝国は、かつての栄華も去り首都コンスタンティノポリスのみを城壁で囲まれた地域に縮小され、若きオスマンの新皇帝メフメト二世から圧迫を受け続けている都市国家だった。  そんなある日、メフメトと同い年のレオナルドは、ヴァティカンから東ローマとオスマン両帝国の和平大使としての任務を受ける。行方不明だった王女クラウディアに幼い頃から心を寄せていたレオナルドだが、彼女が見つかったかもしれない可能性を西欧に残したまま、遥か東の都コンスタンティノポリスに旅立つ。  教皇はレオナルドを守るため、オスマンとの戦争勃発前には必ず帰還せよと固く申付ける。  交渉後に帰国しようと教皇勅使の船が出港した瞬間、オスマンの攻撃を受け逃れてきたヴェネツィア商船を救い、レオナルドらは東ローマ帝国に引き返すことになった。そのままコンスタンティノポリスにとどまった彼らは、四月、ついにメフメトに城壁の周囲を包囲され、籠城戦に巻き込まれてしまうのだった。  史実に基づいた創作ヨーロッパ史!  わりと大手による新人賞の三次通過作品を改稿したものです。四次の壁はテオドシウス城壁より高いので、なかなか……。  表紙のイラストは都合により主人公じゃなくてユージェニオになってしまいました(スマソ)レオナルドは、もう少し孤独でストイックなイメージのつもり……だったり(*´-`)

手児奈し思ほゆ

三谷銀屋
歴史・時代
万葉集にも詠われた伝説の美女「真間の手児奈」に題材をとった古代ファンタジー&バイオレンス小説。実らぬ初恋と復讐の物語。 下総国(今の千葉県)の国造(くにのみやつこ)の娘・手児奈と、手児奈に想いを寄せる墓守の男・阿止利……一度は引き裂かれた二人が再び出会う時、残酷な現実が二人の運命を飲み込んでいく。

処理中です...