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46 跡目2(5)

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 さてその頃、葵は伽耶人のマンションに居た。
 伽耶人の話というのは何なのか。葵に見当が付くのは結婚するから別れるという話だった。伽耶人はなかなか話を始めなかった。葵がヤクザの息子である為に遠慮しているのだろうか。

「あの、俺のことだったら気にしなくていい。俺の家はまっとうな商売をしているから、何も心配することは……」
 葵はそう説明しようとした。もともと間違えてくっ付いた訳だから、無かったことになっても仕方が無い。
「違います。話を聞いて下さい」
 伽耶人は葵の言葉を遮った。が、なかなか話し出さない。葵は伽耶人が入れたお茶を一口飲んで、目の前に座った伽耶人の口が開くのを待った。それは葵にとって、ものすごく長い時間のようであった。

 やがて溜め息を一つ吐いて伽耶人が話しはじめる。
「実は父から結婚を勧められています」
 それは知っていた。それでも本人の口から聞くと、予想以上の衝撃となって葵を襲った。葵は肩を震わせたが、何も言わずに次の言葉を待った。
 いつも賑やかで我が儘で甘ったれな葵が何も言わない。伽耶人も不安そうに葵を見た。
「ええと、つまり、私は結婚にあまり夢を持っていません」
 ポツリポツリと噛んで含めるように話しはじめた。
「父と母は別居結婚です。仲も良くなかった。私の目の前で何度も喧嘩をしていました」
 葵にとってはじめて聞く話だった。伽耶人は愛しているとか好きだとか綺麗だとか、そんな言葉は惜しみなく、垂れ流すくらい葵に囁いた。
「私はいつも寂しかった。何でも彼でも手に入ったけど、何も持っていなかった」
 テーブルの上に手を置いて、心持ち首を傾け、自嘲するような笑みを浮かべている。
「いろんな女と付き合ったけど、誰も私を本当に必要とはしなかった」
 女誑しで色事師の伽耶人。商売向きのポーズを決めて、ポーカーフェイスで渡り合って。
「恋はゲームで、落としたら終わりだった」
 葵とのこともゲームだった。最初からゲームだった。間違いではじめたゲームだった。
「私は結婚したくない」
 伽耶人は葵の瞳を見ながらそう言った。
「でも、それだと、ここには居られないのです」
 居られないのか。そうなのか。来たときと同じようにどこかに行ってしまうのか。ふらりと。
 伽耶人と会わなかった昔に、知らなかった自分に戻れたら。しかし、戻ることは出来なかった。
 これから別れの言葉を聞くのだろうか。泣いて引き止めたら男じゃないよな、と葵は伽耶人の瞳を見返しながら思った。
「母のところにも行きたくありません」
 聞いたら終わりになるのだろうか。葵の身体の中を恐怖が走る。何でこんな男と付き合ったのだろう。何でこの男を好きになったのか。分からない。分からないけど、この男を失ったら自分がどうなるかは分った。葵の心に荒涼とした原野とか、崖っぷちが浮かんでは消えた。

 伽耶人の方も必死で、最後の言葉を押し出した。
「その、私は、無一文になって一からやり直すつもりですが、葵は付いて来てくれますか」
 今、何と言ったのだろう伽耶人は──。
 しばらく葵は伽耶人の顔を呆然と見つめていた。伽耶人の顔が不安に染まる頃になって、やっとその言葉が葵の頭の中に沁みてきた。
『付いて来てくれますか』
 ゲームはすでに終わっていた。伽耶人は誰も必要とせず、必要とされなかった。しかし伽耶人は言ったのだ、付いて来てくれと。葵に──。
 その言葉を待っていたのだと、突然、葵には分った。
 伽耶人はどこに行くか分からない。多分海外だろう。自分は家に居て、跡を継いで、ぬくぬくと暮らせるけれど、そんなものは要らなかった。
「行くっ!!」
 叫ぶように言って、伽耶人の身体に抱きついた。他の言葉なんか葵には必要なかった。そして伽耶人にも必要なかった。二人は抱き合って、そのままベッドになだれ込んだ。


 * * *

「えええーー!? 葵さん、オーストラリアにまた行くの?」
 如月家の客間である。暖斗に素っ頓狂な声を出されて、葵は少し染まった頬を掻いた。
「あっちに滝ジュエリーの工場があってさ。あいつ、もう一回原点に戻って仕事をしたいんだって。俺もデザインを勉強しようかと思ってさ」
「まあ、二人なら何とかならあな」と義純がウンウンと頷く。
「ねえ、義さん。俺たちも行こうよ」
 暖斗は二人で行くというシチュエーションに、瞳に星を浮かべている。
「いい加減にしろい。この前ハワイに行っただろうが」
 義純がにべも無い返事をしても諦めない。
「でもさ……」
「大学生になったら留学したらいいじゃん」と葵が余計な事を言って義純に睨まれた。そこに支度を終えた昴が入ってくる。
「そういう訳で弟としばらく一緒に暮らそうと思ってな、迎えに来た」
 話が決まってみれば、昴は半分血の繋がった自分の弟だった。出発するまで一緒に暮らしたいと思っても不思議は無い。葵の母親はとうの昔に亡くなっているのだから。
「えー、昴を連れていっちゃうのー!?」
「仕方ねえだろ」
 どっちみち、葵がいなくなれば昴は甚五郎さんが引き取る事になる。しかし、折角これから仲良くしようと思っていた暖斗は拗ねてしまった。

「お世話になりました」
 昴が立派に挨拶して、葵と一緒に出てゆく。
「ちえー、折角仲良くなれたと思ったのに」
「あいつも何かと辛いようだぜ」
「何がさ」
 キョトンと聞き返す暖斗にそっぽを向いて、義純は脩二に難癖を付けた。
「おい、脩二。はるの教育はどうなんだ。この頃やたらと我が儘になっているようだが」
「それはこっちの責任じゃございません」
 脩二が横を向いて返事をする。
「ねえ、義さん。バイク乗りたい」
 暖斗は義純をつかまえて、とんでもない事を言い出した。
「風を切って走って気持ちよかったんだよ」
「いかん、いかん」
 渋い顔をして義純は首を横に振ったが、暖斗は諦めない。
「何でさ。ねえ、乗りたい」
「困った奴だな」
「ほら、やっぱり」と脩二が他所を向いたまま言った。
「うるせえな。俺がいいところをみせてやろうと思ったのによ。黙ってろ」

 かくして暖斗は、義純の運転するバイクの後に乗せてもらって、ちょっとそこらを遠乗りに出かけたが。
「いやあ、若頭領。久しぶりで腕が鳴りますぜ」
 どこから集めたのかバイク数十台に子分さんたちが分乗して、ドドドッとそりゃあもう迫力のある一団になった。
「あんた、昴に何て説教した。警察に捕まって経歴が汚れたらって言ったじゃないか。それなのに自分が──」
 後から暖斗が喚く。
「俺が捕まるようなヘマをするかよ。かたいことは言いっこなしだ」
 義純はそう言って制限速度を守って街を乗り回したのだった。それでも暖斗はニコニコと大喜びだったとか。

 後日、岡崎さんから苦情が来たそうな。
「一体何の真似ですか」
「いや、ちょっとな」
 ちょっとどころか五つも六つも理由はあったが、義純は苦笑いをして誤魔化した。


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