上 下
10 / 18
ニ話 だからこれは別れじゃない

その4

しおりを挟む

『 私は自分に戻りたいの
  だからこれは別れじゃない 』


 一臣が歌っている。何の歌だろう。誰の歌だろう。聞いた事もないけれど歌詞が自分の心に沁みる。


『 もし二人の絆がまだ繋がっているなら
  きっともう一度あなたと会えるわ 』


 一臣はふと気が付いて歌うのを止め紗月を見つめた。少し首を傾げている。紗月は苦笑して言った。
「この前はゴメン」
 一臣はまだ首を傾げたまま「ううん、千速って色っぽいっていうか大人っぽいな……」と紗月を見つめたまま言った。
「僕はいつまでたってもガキなんだ。すぐ逃げ出してさ……。進歩がないったら」そう言って首を振った。

「君は五十崎さんと恋人同士なの?」
 紗月の質問に一臣は飛び上がって、頬を染め首をぶんぶんと横に振った。
「そんなこと言ってたら誰かに取られちゃうよ。ここそういうの多いの知ってるでしょう?」
 それでも一臣はぶんぶんと首を横に振って、はにかみながら言った。
「僕には勿体無いよ。でも、誰かと一緒のところは見たくないから……」

 俯いた頬に睫が長い影を落とした。遠くから見ると分からない。皆の中に紛れてしまう。しかしこんなに近くにいるとよく分かる。一臣は綺麗だ。

「あの、さっきの歌もう一度聞きたいんだけど……」
 紗月が遠慮がちにそう言うと、一臣は少しはにかんだけれど歌いだした。
 始めは囁くように……。優しい声が温室に溢れた。


『 私は自分に戻りたいの
  だからこれは別れじゃあない
  もし二人の絆がまだ繋がっているなら
  きっともう一度あなたと会えるわ 』


 歌い終わった一臣は紗月を振り返って目を見張った。
「どうしたの?」
 紗月は一臣の歌を聞きながら知らぬ間に泣いていた。一臣はズボンのポケットに手をやって、くしゃくしゃのハンカチを取り出した。
「えっとゴメン。こんなのしかないけど……」
「ううん、ありがとう」
 紗月は泣き笑いの顔で一臣のハンカチを受け取った。


 * * *


 遼太郎の側にいる事がいけないことなら、遼太郎が苦しんでいるのが自分の所為なら、自分はこの家にいてはいけない。家を出ようと紗月は考えた。寮に入ろう。それくらいのお金は母が残してくれているだろう。

 でも僕は遼太郎の側にいなくて生きていけるのかしら……。


 紗月は入寮許可証を見せて遼太郎の両親に頼み込んだ。両親は最後まで困惑したままだった。
 遼太郎は何も言わなかった。その頑なな背中に紗月はサヨナラとつぶやいた。涙が零れそうになって自分も背を向けた。
『もし二人の絆が繋がっているのならもう一度会える』そう心に小さく呟いて家を出た。


 * * *


 寮に入ると遼太郎との接点は何処にも無くなった。
(繋がっていなかったのかな……)
 訳もなく自分の手を見て紗月はため息をついた。

 それでもゆっくりと時は過ぎてゆく。学校は毎日あるし、温室に行くと一臣や各務がいて話をしていると気が紛れた。
 寮では違うクラスの大人しい子と相部屋になった。
 新しい環境。遼太郎のいない毎日。紗月はそれに必死で慣れようとした。


 * * *


「千速いる?」
 そう言って紗月のクラスに来たのは見知っている遼太郎の友達、生徒会の副会長だった。
「はい」慌てて紗月が出ると副会長は物も言わずに紗月の腕を引っ張った。
「あの……?」
 引っ張られて小走りになりながら紗月が聞く。

「兼重が倒れた」副会長は早口に思いもかけないことを言った。
「え…?」
「軽い脳貧血だそうだ。君の事を呼んでいる。俺は大体の経緯は知っている。君よりもあいつの方が弱かったのかな。大木が倒れるようにポキリとね……」


 遼太郎は保健室に横になっていた。端正な顔は青白く目は閉じられていた。紗月を保健室に連れて行くと副会長は姿を消した。

 紗月は暫らくそこに佇んでいたが、そっと遼太郎の側に寄った。身動ぎもしない青白い顔が息をしていないのではないかと心配になって手をそっと寄せた。

 遼太郎が気付いて薄く目を開く。そこに紗月がいるのを認めて息を吐いた。
 紗月は副会長に連れられて、こんな所まで出向いた自分が悪かったかと怯えた。しかし遼太郎の唇からは意外な言葉が漏れた。

「悪かった……」
 どういう意味だろう……。紗月はそう言った遼太郎をまじまじと見つめた。紗月の視線を受け止めて遼太郎は言った。

「お前に変な恋心を持って一方的に犯し、全てお前の所為にして逃げた。俺は最低の男だった」
「遼太郎……」
「俺はお前に対する恋情を押さえ切れなかった。苦しかった。お前が嫌がっているのは分かっていたがどうしようもなかった」
「……」
「すまなかった……」

「や…、止めて! 止めて! 止めてよ!!」紗月は悲鳴を上げるように叫んだ。
「僕の方が好きだったんだ。じゃなきゃあ何で、今まで側にいたんだよ!」

 涙が溢れて遼太郎の表情がよく見えない。拭っても拭っても後から後からボロボロ零れる。顔を振って遼太郎の身体にしがみ付いて叫んだ。

「遼太郎が冷たくて辛かった。五十崎に言い寄れなくて失敗して、遼太郎に相手にされなくなって、もうだめだと思ったんだ。苦しめてるの分かってたけど側にいたかったんだ。でも、もう、だめだって……」
「紗月……」
「ずっと好きだったんんだ」


 * * *


『 もし二人の絆が繋がっているなら
  もう一度会えるわ 』


「篠田、僕その歌好きだな。コンサートには出ないの?」
 花の世話をしながら紗月が聞いた。
 蘭は冬に咲く花が多い。シースの中に小さく出来た花芽を覗き込んで、ふんわりと笑った紗月の笑顔は花のようだった。

「ちぇっ、残念だよなー」そう答えたのは一臣ではなくカイだった。
「何が残念なんだよ、お前は」五十崎がそう言ってカイの頭にヘッドロックをかます。「イテテ……」
 丁度その時温室の戸を開けて入って来たのは各務ともう一人、遼太郎だった。


 紗月はそのまま寮に留まり、週末だけ遼太郎の家に帰る事になった。金曜日には遼太郎が迎えに来る。
 五十崎が即興で歌いだした。


『 君の笑顔は誰の所為?
  僕はその笑顔の為なら
  暗い闇を超えてゆくよ 』

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

同僚に密室に連れ込まれてイケナイ状況です

暗黒神ゼブラ
BL
今日僕は同僚にごはんに誘われました

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

年上の恋人は優しい上司

木野葉ゆる
BL
小さな賃貸専門の不動産屋さんに勤める俺の恋人は、年上で優しい上司。 仕事のこととか、日常のこととか、デートのこととか、日記代わりに綴るSS連作。 基本は受け視点(一人称)です。 一日一花BL企画 参加作品も含まれています。 表紙は松下リサ様(@risa_m1012)に描いて頂きました!!ありがとうございます!!!! 完結済みにいたしました。 6月13日、同人誌を発売しました。

好きなあいつの嫉妬がすごい

カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。 ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。 教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。 「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」 ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

処理中です...