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「セシリア様、いい加減でアリスター様を自由にしてあげて下さい」

 午後の授業が始まる前の休憩室の一角で、話しかけてきたのはドロシー・プライス伯爵令嬢だった。ざわざわとしていた休憩室がシンとなって、皆が興味津々の様子で聞き耳を立てる。

 セシリアはこの方とはあまり懇意ではない。セシリアのモーリエ伯爵家とプライス伯爵家は同じ派閥でもないし。そしてアリスターというのは、数年前からセシリアの婚約者である、侯爵家の嫡男アリスター・カーヴェルだ。

「カーヴェル侯爵令息でしたら自由ですわよ」
 ドロシーは彼と名前呼びする関係なのねと、セシリアは思ったが素知らぬ顔で答える。
「まあ、アリスター様は婚約者がいるからと仰って──」
「わたくしがそうですが、何か?」
「だから、アリスター様を自由に──」
「カーヴェル侯爵令息は自由ですわ」
(ああ、話が終わらないわ。いつまでこの不毛な会話を続けなければいけないの?)

 アリスター・カーヴェルは宰相の嫡男で見目が良い。そりゃあもう金髪碧眼で、血筋が良くて、背が高くて、姿勢が良くて、態度は立派で、口も達者で、放っておいても女性が寄って来る。

 アリスターとドロシーはこの王立学園の三年だ。セシリアは二年だし校舎は違うし、彼がどのような事をしているか知らない。そういえば彼と学園で会ったり話したことも無かった。

「私はアリスター様を愛していますの、あなたよりずっと。皆さま仰るにあなたはアリスター様に蔑ろにされていらっしゃるみたいね。それなのに婚約者だからと縋り付くのはみっともないと思いませんの?」

 言われてみればそうかもしれない。彼としばらく会っていなかったけれど、それすらも忘れていた。このままだと彼の顔も彼がセシリアの婚約者であることも忘れてしまいそうだ。時折こうやって思い出させてくれる方がいるけれど。

「私たちは愛し合っているのよ。身を引いてくださらない?」
(いや、そんな事を言われても、こんなこと本人不在で話すことではないし)
「カーヴェル侯爵令息にお話ししておきますわ」
 無難な返事をすると休憩時間の終わりを告げる鐘が鳴って、まだ不服そうなドロシーからやっと逃げ出すことが出来た。

「度胸があるわねえ、セシリアは」
「愛人の事で話し合うなんて、私だったらいやですわね」
 溜息を吐くと友人たちが言う。そりゃあ嫌だけれど、ここでの不毛な言い合いの方がずっと嫌だ。
「あなたたちが側に居て下さるから、わたくしは心強いのよ」
 そう言うとよしよしと頭を撫でてくれる。
 そうなのだ。どこの世界に婚約破棄を迫ってくる恋敵が嫌じゃない令嬢なんていようか。こんな修羅場なんかお断りなのだけれど。

「そういえば国王陛下がお建てになった離宮が大層評判だと──」
 セシリアが話題を逸らすと友人も乗って来る。
「王宮と目と鼻の先に御愛妾の宮殿をお建てになったのですわね」
「話題の建築家を呼んで内装は素晴らしいそうですわ。外観はこじんまりと可愛らしく設えてあるそうですが」
「そうなのですか」

 近頃、王都の治安は良くないと聞く。離宮を建てている場合だろうか。渡り廊下を歩くと秋の気配を纏った透き通った青空がどこまでも続いている。

 こんな時は稽古をするに限る。
 セシリアは学校が終わって家に帰ると、シャツに乗馬パンツの動きやすい恰好をして鍛錬場に飛び出した。護衛を相手に剣の打ち合いの稽古をする。このところ王都の近辺は強盗やならず者などに金品を奪われたり、火付けなどがあったりして物騒で、馬で遠駆けなどできないのだ。

 剣技は嗜みのひとつだが母親はいい顔をしない。屋敷に帰ると機嫌が悪い。
「またそのようなはしたない恰好をして、ピアノのお稽古はしたの?」
「これからですわ」
「明日、アリスター様がおいでになると伺ったけれど、何かありましたの?」
「何もございませんわ、お母様」
「そう、お忙しい方だから余計な心配をかけてはいけませんよ」
「はい」

 以前突撃して来た令嬢の事を母親に言ったら、大騒ぎになって「お前がちゃんと引き留めておかないから」と喚きだし、全部セシリアのせいにされた。それに懲りて、もう何も言わないと決めたのだ。
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