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二話
しおりを挟む「ローズマリー、何だそのドレスは托鉢僧か、私への嫌がらせか」
機嫌の悪いレイモンド殿下が私を睨みつけて言う。それはただの比喩だ。深い意味なんかないのだろう。着飾るべき令嬢が地味なドレスを着ているから。
「申し訳ありません、殿下がお好きなドレスをお教え下されば──」
私はブラウンチェックの地味なドレスを着ている。眼鏡をかけて黒い髪は三つ編みに纏めて、ドレスと同じリボンで結んである。
「ふん、お前なんか、どんなドレスを着ても似合うまい」
「申し訳ありません」
「たかが侯爵家の領地経営など片手間で出来るようなことを、何故私が今から勉強しなければならないのだ。お前の父君は煩い。お前がちゃんと補佐しないからだ」
父が国王陛下に苦情を申し上げたのだろうか。殿下は侯爵家の仕事を馬鹿にして勉強をしようともしない。この状況に父も黙ってはいられなかったのだろう。
彼は父に面と向かって文句を言えないから余計に私に当たるのだ。レイモンド殿下の機嫌の悪い理由が分かったが、だとしても私は機嫌を取るようなことはしない。私は可愛げのない女だから。
私は自分の出来る事は手伝っている。父はやる気のないレイモンド殿下に呆れ果て何度か苦情を送っている。始めからやる気のない方に、どうすればいいのか。
ハズウェル侯爵家の一人娘である私を父は大切にしてくれる。ただそれ以上に、侯爵家の仕事や母を大切にしている。私にもそんな人が現れると夢見ていたのに、この有り様を思うとがっかりだ。
「私で出来る事は致しますが──」
「全くお前のような女は役に立たん」
殿下は言葉を遮って足音も荒くサロンを出て行ってしまう。
初めから相寄る気持ちが欠片もない人だった。このまま踏みつけにして、虐げられて、結婚してもこき使われるのかしら。このまま他の女が産んだ子供を我が侯爵家の跡取りにされたりしてしまうのかしら。
自分の未来を考えると暗澹とした気持ちで一杯になるのだけれど、王家から押し付けられた婚約をどうすればいいのだろう。
『グルニャン』
「あら猫ちゃん、どうしたの?」
今日は王宮で月に一度のレイモンド殿下と親睦のお茶会の筈なのだけれど、いつものように殿下は文句ばかり言うと早めに切り上げて退席された。私は仕方がないので、時間が来るまで、刺繍をしたり本を読んだりしている。
猫は殿下の座る筈の椅子にシュタッと乗って、お行儀よく座って私を見る。小さな時に見たあの猫だ。耳が尖っていて先端に茶色の飾り毛がある。首の周りはフサフサとして獅子のような鬣に見える。あの時も大きかったけれど今は見違えるように大きくなった。立派ね、もう大人ね。
「私のお相手をしてくれるの?」
『グルル』
お茶菓子を「おひとついかが」と差し出すと、フンフンと匂いを嗅いでプイと横を向いた。今日のお茶菓子はレモンタルトだ。猫は酸っぱい物はあまり好きではないのかしら、食べないのね。
「仕方がないわね、私が頂くわ」
ひとりで冷めたお茶を頂いて、お菓子を頂いて帰るのがいつもの日課なのだが、今日はお相手がいて嬉しい。
「今度、あなたのお好きな物を持って来ましょうか」
『君は何が好き?』
猫から返事があった。
「マンディアンを食べてみたいわ」
『そうなんだ、チョコレートが好きなんだね』
「猫さんは托鉢僧を見たことがあるの」
『ないよ』
猫は立ち上がると椅子を飛び降りて、どこかに行ってしまった。
◇◇
「ローズマリーお嬢様、今日はこんな髪形はいかがでしょう」
この貴族学校では上位貴族の子女は寮に侍女を連れて入れる。部屋は広くて幾つかあって、キッチンもお風呂も付いている。
侍女は女学校を卒業して留学した後ハズウェル侯爵家で働きだしたクレアを付けて貰った。彼女は子爵家の三女で侍女というよりも秘書格で相談役でもある。
侍女のクレアは私の髪を下ろして、サイドの髪を耳の側で細い組みひもで結ぶ。赤に金銀散らした組みひもは私に似合っているけれど人前ではしない。
「東国の本に、このような髪形が乗っておりました。高貴な姫君がするようです」
「そうなの」
クレアは勉強熱心だ。最後に部屋着の上にガウンを着せ掛ける。シルクのガウンは濃い緑色で小花柄がある。地味に見えた。しかし、近くで見れば小花柄は全て刺繍で、金糸銀糸やとりどりの色が使ってあり、花も蔓も葉も全て刺繍で出来ている。とても丁寧で繊細で見れば見るほど美しい。
「この生地は東国の物ですわ。山の国だそうです」クレアが説明する。艶やかな糸が丁寧に丁寧に布地全体に刺繍された、その手間を思う。そんな風に人と人との付き合いも紡ぎあげていけるような相手ならよかったのに。
鏡の中に黒髪の少女が映っている。榛色の瞳は部屋の中では暗い色にしか見えない。大きな目と小ぶりの鼻、小さな口。
「子供っぽいわね」
「あのような男には、女性らしさを見せることはございませんわ」
「そうね。この組みひもは素敵ね。ドレスもこの山の国のガウンのような重ねのキモノを着てみたいわ」
「お嬢様でしたらお似合いでございましょう」
クレアはよく知っている、私の気持ちを。
みんなが噂をするのだ。
『お可哀想に、見向きもされないなんて』
『殿下は話しかけもされないで無視されるそうですわ』
レイモンド殿下が話しかけて来たのは一度だけ。
「あの男のなさりようはあんまりでございますわ」
「構わないのよ、それで。だって、私あんな男は好きじゃないもの」
でも私はマリオネットだから、王子様を好きな振りをするの。王子様に邪険にされて、悲しい振りをするの。まるで舞台のように演じれば、流行りの魔法の言葉を引き出せるかもしれない。
『お前と婚約破棄する』という言葉を──。
内緒よと小さく言うと、侍女は頷いた。
「そうですわね、お嬢様。王子様のお好みと正反対の令嬢におなりになればよろしいのですわ。それに実家の悪口を、ほんの一匙入れまして」
「何それ、面白そうね」
「このまま、あんな男と結婚されることはございませんわ」
クレアが私に囁くの、悪魔の誘惑を。
殿下は臣籍降下して私と結婚してハズウェル侯爵家の跡を継ぐ。私を蔑ろにしても婚約破棄はしない。
きっと結婚したら、あのアリスを愛妾にするんだわ。アリスの産んだ子を跡取りに据えて、自分は仕事もせずに、一生私を扱き使おうと考えているのだろうか。
お父様もお母様も、このままお家乗っ取りを許す気だろうか。
恐ろしいこと──。
それならば悪魔の囁きに乗ってみようかしら。どうせこのままでも迎えるのは地獄。ならば、違う地獄を見てもいいかもしれない。世間知らずの私だけれど。
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