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番外編 あの世トラブルツアー
三話
しおりを挟むウキンは俺に近付いて小さな声で囁いた。
「お前、あの浮気者の天帝のガキだろ。さっさと天国に逝け」
俺は何も言い返せなくてウキンを睨んだ。
確かに、俺の父親かもしれない天帝は、かなりの浮気者みたいだ。天国にあった彼の神殿には美女がずらりと居たもんな。
でも父親が浮気者だからって、俺がその形質を受け継いでいるとは限らないよな。でも、アロウに抱かれて、あっさりアロウを好きになってしまったし……。
アロウの兄はアロウに向かって小言を言っている。
「大事な親族会議を突然抜け出したかと思ったら、こんな所で何をしている」
背の高さでいうと、兄貴の方が少し低いようだ。顔もアロウよりもっと無表情で、どこか白面の鬼といった感じ。この鬼の事を知らないからそう思うんだろうか。
アロウはそんな兄に、普段よりも低い冷たい声で答えている。
「あんたが跡を継がないと言い出すから、こっちが迷惑をする」
「私はお前のようないい加減な鬼ではない。仕事を放り出して遊び惚けることなど出来ん」
抑揚のない兄の声。アロウの方が情感があると思ったりするのも、俺の惚れた欲目なんだろうな。
「さっさと仕事に戻って、手頃な女を見繕い、よい跡継ぎを作って冥王の気を安んじてくれ」
え…? もしかして、地上勤務っていうのはその為にあるのか?
ウキンがふふんと長い髪を掻き上げている。俺にはアロウの横顔しか見えなくて、鬼になるとアロウは少し表情が出るんだけれど、今見えるのはへの字に結んだ口元と、キッと上がった眉尻と。
「ごめんだな」
「我が儘はいい加減にしろ」
「あんたの所為で、こっちまでとばっちりが来る。元々は長男であるあんたが跡を継がないからではないか。私だって、譲歩して地上勤に就いたのに」
二人の鬼が睨み合う。背の高い銀の髪の鬼同士が睨み合っているとスゴイ迫力だ。ふと顔をこちらに向けたアロウの兄が、俺を見て首を傾げた。
「ウキン。何だ、そいつは」
「いや、ヴァルファのとこの死神だろ」
何故かウキンは、俺のことをはっきり説明しなかった。
アロウの兄貴はアロウよりキッと眉を上げ、赤い目を怒らせて、ツカツカと俺に向かって来た。アロウで慣れているとはいってもそこはそれ、恋する鬼とそうでない鬼とは違う。はっきり、きっぱり怖かった。
でもそう思ったら、アロウがスイッと俺を庇った。
「今日ここに来たのは、あんたに会う為じゃない。跡継ぎ問題に関しては、私はもう自分の意見は言ってある。仕事が済んだらさっさと帰るから、邪魔をするな」
すかさずウキンが「もう、お時間です」と兄貴を急かせた。
「ふん。そのような奴に現を抜かしているから──。ブツブツブツ」
アロウの兄貴はまだ文句を言い足りなさそうにぶつぶつ言いながら、ウキンを連れてその場を後にした。
「何か怖そうな人…、いや、鬼だね」
「頭が固いんだ」
溜め息を吐いてアロウが言った。跡を継ぐのは自分か弟でなくてはいけないと思っていると。
「ふうん…」
「行くぞ」
アロウが振り返った。ロクは岸辺に下りて、成り行きを見ていたようだ。アロウの兄が居なくなると、渡邊さんを小脇に抱きかかえて飛んで来た。
「怖かったわねー」
と長いカールさせた睫をパチパチさせて、肩を竦めた。
* * *
俺たちはまた、本来の目的地に向かって飛んだ。
やがてアロウは一つの岸辺に下りて、そこで例の懐中時計のような名簿を持って、魂を振り分けている鬼に聞いた。
鬼が岸辺の奥にある建物を差して教えてくれる。真っ黒い建物で分りにくかったんだが、近付くに連れて見えてきた。何と公団みたいなマンションが、幾つも軒を連ねて建っているんだ。
「冥界に来る魂は多いし、冥界に来た魂はなかなか高みに行けないのよね」
親切な鬼のロクが説明してくれる。
「そ、そうなのか…」
とりあえず渡邊さんを連れて、俺たちは権田さんが居るという棟に行ったんだ。
各棟には管理人の鬼がいて、作業部屋を教えてくれた。
権田さんは広い体育館みたいな部屋で、他の魂と一緒に作業をしていた。
その部屋にも鬼が何人かいて、人々の間を見回り、説明をしたり、指図をしたりしている。
ロクが懐かしいわーと呟いた。
そうか、ロクはこんな仕事をしていたのか。
一人の男を指して「あの男か?」とアロウが渡邊さんに聞いた。渡邊さんはハッとしたようにその男の側に行って、しばらくじっと見ていたが、やがて頷いた。
「は、はい。この人です…」
八十年配の恰幅のよい胡麻塩頭の男が、床に座り、身を屈めて何やらしている。
「何をしているんだ?」
俺がアロウに聞くと「勲章を磨いているんじゃないか」と答えた。
「どうしてこんな所に…。とても、ご立派な方でしたのに」
渡辺さんが少し首を傾げて聞いた。その顔は何やら悲しげだった。
「ああいうものは重いのだ」
アロウが冷たい声で云う。
「重くて支えられなければ、地に減り込むしかないな」
「可哀想な人なのです。人に踊らされてピエロみたいに……。人の欲望の生贄に。この人は悪くないのに」
渡邊さんは口元を押さえて、込み上げてくるものを堪えているようだ。
「あらー、踊りたくなければ踊らないわよー。そういう踊りが好きだったんでしょ」
ロクが必死になって渡邊さんを慰めているけど、慰めになっているのかな。
「お前に出来る事は、そいつの為に一粒の涙でも流してやることだな」
「そう、それであの高みに近付く事が出来るわよ」
「そうですね」
アロウに言われるまでもなく、渡邊さんはもう涙ぐんでいた。
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