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03 ダイビング

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 だが、どうするもこうするも考える暇はなかった。
 馬から降りて山を登っていると「いたぞー!」と追手の声がする。
「走るぞ」
 男は菜々美の手を引き走り出す。追手はどっちだろう。
 菜々美を修道院に連れて行く方か阻む方か。どっちも嫌だ。

 崖の上に出た。風が足元から吹き上げる。崖下を遠く川が流れている。湖に注ぐ川だろうか。すぐ下には黒々とした森が見える。遠い。ここから落ちたら死ぬ。
 ジリジリと迫ってくる追手。ジリジリと崖の端に追い詰められる。

「何処に行かれるつもりですか」
 追手は男に丁寧な話し方をする。
「私を選んだのだから、コレは私のものだ」
「騒乱を起こす気ですか。逃げられませんよ、大人しく渡してください」
「ここまで来たら、どうせこの女もただじゃ済まないだろう。渡さない」
 これは嬉しいのだろうか。人生18年生きてきて、今までこんな事は無かった。

「もう少し美女であればよかったが、まあ仕方ない」
(何だと? 仕方ないとかなんだ!)
 菜々美が睨むと男はおやという風に首を傾げた。

 その時、初めてじっくりと男の顔を見た。派手ではないがすっきりと整っていて、鼻すじ通って唇は薄く目は切れ長で瞳の色は黒ではなかった。
 グリーンにも茶色にもトパーズにも見える榛色だ。
 それはほんの短い時間だったが、とても印象深かった。

「お前は私に興味が無いと思ったが──」
 呟くように言ったその言葉は、菜々美の耳に途中までしか届かなかった。やおら、男は剣を持ったまま、菜々美の身体を抱き崖下にと身を翻す。

 ゴウと耳元で風の音がした。
「わあ!」
「落ちたぞー!」
「ぎゃあああぁぁぁーーーーー!」
 菜々美の可愛くない悲鳴が崖下からわんわんと響いて消えていった。
 崖から落ちて行く。どこまでも。ここで死ぬのか。

 鳥のように身が翻る。横風を受けて煽られる。
(何処に行くんだろう。私は賭けに勝つのか負けるのか──)


  * * *

 菜々美の顔は日本人形のような顔であった。顔は丸くて鼻は小ぶり、目は黒目勝ちで、肩までの髪は真っ直ぐの黒髪、モチモチの肌で色は白い。ちょっと小太り気味なので痩せるともっとマシになるかもしれない(本人希望)。
 早い話が現状マサカリ担いだ金太郎に似ている……、かもしれない。

 家は普通の地方公務員家庭で3人姉妹の次女だった。適当に生きて適当な大学に行って適当な職場に就職して適当な男と結婚する。
 だって世の中は自分の思い通りにはならない。適当にやり過ごしていれば何とかなるだろうという甚だ消極的な人生計画であった。

 どうしてこんな所にぱっくりと人生の落とし穴が口を開けているのだ。


 結局、賭けとかではなくて、男は魔法を使ったのだ。
 バンジージャンプみたいに飛び降りてから、いや飛び降りる直前からブツブツと何か文言を紡いで『エアウィング』と唱えると落下速度が緩くなったが、崖下は森だった。勢いのままにバキバキバキと小枝を折りながらやっと地面に着いた。
「ギャーギャー」と鳴いて羽ばたいて飛んで行ったのは鳥だったのか。
 地上に着くと苔むした木の根につるりと滑って転ぶ。

「何をしているんだ」
 男はあきれ顔で聞く。
 貴族のご令嬢だったらどうするんだ。非常に怖かったのに、なんでもっと早く魔法を使わないんだ。
 男を睨んだが、菜々美の思いは軽く無視されて、
「行くぞ」
 スタスタと後ろも見ないで歩き出す。
「ちょっと! 置いてかないでよ!」
 ガクガクの足で必死になって追いかけると、やっと気付いた男は見失う寸前で戻って来た。
「遅い」
「この格好じゃまともに歩けない!」
 喚き返すと目をぱちくりとして、
「服は無いぞ」と言う。
「服を持ってるから着替える」
 そう言って周りを見回す。低木の茂みを見つけてそちらに近付いた。

「オイ!」
 スタスタと菜々美がそちらに行こうとすると男が引き留める。
「ちょっと待て、そこは」
「え」
 立ち止まって振り返ると、男が剣を抜いた。腕を引いて剣を一振りする。
「ギシャーー!」
 何かヘンな悲鳴が聞こえた。男の剣を振った先に巨大な緑と黒の斑点の模様の長いモノが真っ二つになって転がっていた。いや、まだうねうねと動いている。男はその頭に剣を突き刺した。
「ぎゃああーー!」
 盛大な悲鳴を上げて菜々美は男に縋り付いた。


 それから2時間。何とか着古したパンツに厚手のトレーナー、パーカーに着替えて履き慣れたトレッキングシューズで出発した。背負った黒のバックパックは通学用にと買った物なのにと思うと少し泣ける。今はノートと筆記用具とタオルを入れた。タオルは多分首に巻くことになるだろう。
 男は何か言いたげな顔で菜々美の格好を上から下まで見たが、知るものかとふくれっ面をして横を向いた。

 この世界には魔物という怖いものが沢山うろついているそうな。二人で薄暗い森の中を枝木を除けながら歩いている合間にも鎌を持った大きな虫や、ムカデのような多足の虫が出て来た。いきなり枝からぶらんと下がって来る蛇もいる。
「虫系は嫌い、蛇も嫌い」
 菜々美はげっそりした顔で言った。身体以上に心のダメージが凄い。
「他の魔物もいた筈だが──」
「他の魔物って? スライムとかゴブリンとか?」
「よく知っているな。この森には鹿とかキツネとか熊もいたが──」
 男は少し首を捻った。

「ここらはまだアンベルス王国の中だ」
 幾分速度を落として歩く。
「あんたに色々教えてやりたいが先を急ぐ。捕まったらおしまいだ」
「分かったわ」
 菜々美は男に遅れないように必死でついて行く。
 聞きたい事は色々あるが無事に逃げきれてからのようだ。

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