愛なんかなかった

拓海のり

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一話

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 三日月直樹が初めて磯崎亮に会ったのは、好きだった女の結婚式の日だった。大学時代に付き合っていたその女は、綺麗でモテモテで浮気な女だったが、大学を卒業してすぐ結婚を決めてしまった。
 秋になってその女の結婚式に『どうしても出席して欲しいの』とお願いされて気が進まないながらも出て行った。
 しかし、振られてしけた顔で出席したのは直樹だけじゃなかった。他にもそれらしき男がちらほらといたのだ。

 どうやら女は自分が振った男を集めて披露宴を行うという悪趣味を持っていたようだ。ついて行けない趣味だった。直樹はのこのこバカ面を曝して出て来た事を悔いた。

 苦い思いで会場を見回していると、直樹と同じような顔をした男がいた。背の高い男ですっきりと整った顔をしている。今、女の隣にいるにやけた奴よりは数段ましに思える堂々とした余裕のありそうな男。
 何でこの男を振るかな。

 その男も直樹をチラリと見て少し唇の端を歪めた。
 直樹は二次会なんか出るつもりはなかったし、その男ともそれっきりだと思っていた。


 * * *

 直樹の人生の転機は突然訪れた。
 結婚式に出てから何日か経ったある日、急にシンガポールに出張を命じられた。大学を出て、商社の子会社に何とか就職した直樹は、訳も分からず上司にくっ付いて行った。

「こちらはユエン・ムーシェン(袁沐顕)さんと仰って、中国系の財閥の御曹司で、我々の大切な取引先のオーナーでいらっしゃる」
 直樹の上司は豪華なレストランで男を紹介した。直樹の仕事は、この四十年配の鷹揚で堂々とした紳士を接待する事だと言われた。

 直樹には知らされていなかったがこの取引先の男はゲイだった。優しげですっきりと整った容姿の直樹は、格好の餌としてそこに送り込まれたのだった。
「いいかい、とっても大事なお客さんなんだ。決して逆らってはいけないよ」と直樹は上司に懇々と言い含められて、ユエンという紳士の接待に当たった。
 流暢な英語を話すユエンに必死の英語で答えた。勧められるままに飲んで過ごして、そのまま男のホテルに引きずり込まれた。

 肩を抱き寄せられて「お風呂に入りなさい」と言われて、さすがにどういう接待か気が付く。そういえば直樹に変に優しかった。そういえば必要以上にくっ付いてきた。

 覚悟を決められないが、逃げる事も出来ず、ずるずると男の命令に従った。
 慣れた男は優しかったし上手かった。裸になってベッドに入ると、マグロの直樹を上手い具合に解していった。

「素晴らしい体だ。こんなに感じやすくて。君の本質はゲイなんだな」
 男はそう決め付けた。
 実際慣れた男の手に掛かって、直樹の体はあっさり弾けた。

 その後、身体をひっくり返されて蕾を弄られ訳も分からず身体が撥ねた。何でこんな所がと思うが、男の指一つで躍らされている自分がいる。
「あうっ……、止めて下さい……」
「ほら、こんなに欲しがって蜜を零している」
 男は片方の手を直樹の前に持って来て、絶妙な愛撫を施し、腰砕けになった直樹の中に押し入った。
「グッ……」
 圧倒的な質量に内臓が迫り上る。
「ほら、力を抜いて受け入れるんだ。私が君を今まで見た事も無い世界へ連れて行ってあげよう」

 確かに男は直樹を見知らぬ世界に連れて行ってしまった。決して戻る事の出来ない。

 * * *

 接待は成功に終わった。上司はホクホクとして直樹を連れ帰った。
 しかし、その日から直樹は煩悶しなければならなかった。女性に対して欲望が起きなくなっていた。

 あの日の事が忘れられない。いや、あの男がではない。男に抱かれた時の事が。もう一度あの日の官能を味わいたい。

 直樹はあちこちウロウロして男漁りをしたが、しかしどうしても、あと一歩を踏み出せなかった。諦めと絶望ともう一度女に戻れないかという思いに足掻きながら毎日が過ぎた。

 そんなある日だった。そういう男達ばかりが集まるようなバーで、どこかで見たような男に出会った。

 暫らく男の顔をじっと見ていると、男も直樹の顔を見て少し唇の端を歪めた。その笑い方を見て直樹は思い出した。秋に振られた女の結婚式に行った時に会った男だった。

「あんた……、ホモだったのか。それともあの女に振られて男に走ったのか」
 直樹は男が一人なのを確かめて、隣に座り聞いた。
「俺は振られて無いぜ。結婚なんかしたくなかったんだ」
 男は低い寂びた声で、傲岸不遜にそう答えた。

(つまりこの男のほうが振ったのか)
 何となく納得できそうな思いで男の顔を見る。あの時の、にやけた顔の花婿より二段も三段も上物に見える。
「なんでこんなとこに来てんだよ」
「女に厭きた」
「フン」

 男の台詞に顔を顰めたが、そういう台詞の似合う男だった。
「お前は?」
 高そうな酒を舐めながら男が聞いた。
「俺は趣旨換えしたんだよ」
 直樹はヤケクソで答えた。
「ふうん……」
 男は値踏みするように直樹をじろじろ眺めた。
「何だよ、俺が気に入ったか」
「まあ、俺の最初の男にしてやってもいい」
 男はそう言って立ち上がる。自己中心で自分勝手な奴のようだ。

(まあいいか)
「あんたの名前は?」
「磯崎亮」
 男が半分振り返って低い声で答えた。横顔にホールの照明が当たってくっきりした影を作った。そういう仕種まで様になっている男だった。
「俺は三日月直樹」
 直樹は手に持ったグラスを置くと、男の後を追いかけた。

 愛なんかなかった。でも誰でもいいわけでもなかった。

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