断片の使徒

草野瀬津璃

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本編

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 馬のひづめが石畳の街道をカポッカポッと鳴らす音と、馬車のガタガタという音が響く。単調な音の連続は、湿度を伴う暑い午後の中で眠気を誘う。

 ヴァニスの町からは西南へと、野宿を交えながら三日かけて街道を移動していた。王都へはあと四日はかかり、今は王都とヴァニス一帯に広がる熱帯雨林の中を通っている。祝福の火の森という名で呼ばれる森は鬱蒼としており、猿や鳥の鳴き声が絶えず聞こえてくる。

 時折スコールに見舞われる他はこれといった悪天候もなく、一行は順調に王都を目指していたが、その平穏さもその時までだった。
 最初にそれに気付いたのはコウだ。
 森の中、茂みを揺らして移動する音を聞きつけたコウは、ピクリと耳を動かし、そちらを向く。

「グルルルル……」

 うなり始めたコウを見て、不審げに森を見たグレイは、においを嗅ぎとってハルバートを構える。その音の無い緊張を敏感に感じ取ったフランジェスカもまた長剣を抜き、ピアスは腰の短剣に手を添えた。一人、サーシャリオンだけはゆったりと構えている。

 冒険者達の動向を見たハジクもまた、手の動作だけで注意するようにと兵士達に伝える。馬車を背に庇うようにして兵士達は展開し、それぞれの得物を手にして異常事態に備えた。

 そうして構えながら、ハジクは内心で舌を巻いていた。プルメリア団には人間しかいないので、黒狼族や灰狼族のように鼻がきかないから、前もって身構えるということが出来ない。それでも対応は出来るが、身構えることが出来るのと出来ないのとでは大きく違う。それだけで生存率が上がるのだ。

 見た所、かの冒険者達は手練揃いのようだが、それでも誰か一人の無言の動作だけで意図に勘付くというのは難しいことだ。余程、互いを信頼し合っているのだろうと意識の隅で考える。

 ――かくして、三拍の後、森から矢がいっせいに放たれた。
 その猛攻を、グレイはハルバートを一閃して叩き落とし、取り零した分はフランジェスカの出した水の盾が弾く。

 続き、矢を追いかけるようにして、彼らは飛び出してきた。
 赤や緑、黄色といった原色で塗られた不気味な面を付け、羽飾りのついたマントで身を覆った彼らは、身を低くし、素早い動作で地を駆けてくる。

「王女様をお守りせよ!」

 青ざめた顔のテリースが号令をかける。周囲で兵士達が
「はっ」
と返事をした。
 その声がした瞬間、赤面の男が仲間に頷いた。
 赤面の男の後ろから、緑面と黄面が先んじて飛び出す。

「行かせぬ!」

 フランジェスカは獰猛な笑みを口元に浮かべ、黄面めがけて剣を薙ぐ。黄面は右手にした短剣でその剣を受け止めるが、思ったより重い剣に飛ばされる。緑面の方はグレイがハルバートを一閃して斬り伏せた。

「ぐああ!」

 苦悶の声が上がる中、赤面は冷静さを崩さずにグレイめがけて一直線に突き進む。迎え討つ格好になったグレイは、薄い唇に愉快気な笑みを浮かべる。
 ハルバートの斧部分を遠慮なく叩きつけようとしたが、赤面はそれを地を蹴って大きく跳躍することでかわす。そして、馬上のグレイすらをも飛び越え、真っ直ぐにテリースを目指す。

「待てやぁ!」

 兵士四人が前に出て、赤面を囲いこんで剣を振り下ろす。しかし右手に持った手斧と左手に持ったガード付きの短剣で四本の剣を止めた赤面は、膂力に物を言わせ、兵士四人を弾き飛ばした。
 驚きの声を上げて後ろへ倒れる兵士達。
 そこへすかさず、左袖から右手で掴みとったナイフをグレイが投擲するが、それは馬車の壁に突き刺さっただけで終わり、驚く動作で避けてのけた赤面は第二王女の乗る馬車の戸口を庇うテリースへ一足飛びに近付く。

「え? うわあっ!」

 馬上のテリースは、赤面が右横を跳躍して通り抜けざま、自身の右肩を掴んで体重をかけられたことで、馬から転げ落ちた。
 赤面は左手のナイフを振り上げる。

「テリース様ーっ!」

 別の面の男達三人を一人で相手どっていたハジクは、剣の押し合いをしながら叫ぶ。
 誰もが、テリースの最後を想像した。

 ――が。
 赤面はナイフを振り下ろす前にくるりと身を返し、柄でもってテリースの後ろ首を叩いた。
 ばたっと地面に倒れるテリースを左肩に担ぎあげると、赤面は指笛を鳴らした。

 それに呼応した仲間達が、手にした玉を地面へと叩きつける。
 昼間でも尚眩しい光が満ち、同時にボフンと音がして、眩しさから回復した目に、今度は煙が襲いかかる。

「閃光玉に、煙幕と催涙さいるいの粉かっ。やってくれる……!」

 口元を手で覆ったハジクがうめく。
 ようやく視界が晴れた時、面の者達とテリース、それから荷積み用の黒塗りの馬車が消えていた。その馬車の御者は剣で一刺しにされて絶命していた。

「何て段どりの良い連中だ……! スーラとロノの小隊は、わだちを追って奴らを追え! ただし、深追いはしすぎるな。だいたいの方向が分かればよい!」

「はっ!」
「ただちに!」

 ハジクの命令に従い、スーラとロノはそれぞれ四人の兵士を引きつれて森へと消える。

「ハジクさん、それ!」

 ピアスが声を上げ、第二王女の乗る馬車の壁を示す。グレイの投げたナイフに混じり、鳥の意匠が柄頭についた短剣が刺さっており、その柄には紙が巻きつけてあった。
 中身を見たハジクは、眉を寄せる。

「“レト家の子息は預かった。無事返して欲しくば、金貨100枚を用意せよ。取引の仕方は以下に記す”……?」

 ハジクの優しげな顔に、怒りが浮かぶ。

「第二王女殿下を狙うと見せかけ、実は左大臣の子息をかどわかす手はずだったというわけか……! 急ぎ王都へ行き、レト家にご報告申し上げねば!」

 紙をぐしゃりと握りつぶし、ハジクはムルメラに相談すべく、馬車の扉を叩く。
 扉を開けると、緊張した顔で剣を構える啓介が戸口にふさがるようにして立っており、ハジクは僅かに驚きに目を瞠る。このような少年ですら、戦士の顔をしているのに驚いたのだ。

 話を聞いたムルメラは気に食わない婚約者でも流石に顔を青ざめさせ、乳母はオーバーヒートして卒倒した。それを慌ててもう一人の侍女が介抱する。
 一方、馬車を飛び出した啓介は、きょろきょろと周りを見回して、フランジェスカへと身を乗り出す。

「なあ! シュウはどこだ? 荷積み用の馬車まで盗まれて、御者が殺されて、あの馬車に乗ってたあいつはどうしたんだよ!」

 テリース誘拐と面の男達の手はずの見事さに圧倒されていた面々は、あっと声を漏らす。
 ハジクは、テリースがさらわれた時以上に打ちのめされた様子で頭を抱えた。

「あんな小さな子どもが……っ。なんてことだ!」

 身代金が払われるまでテリースの身の安全は保障出来るが、いらないオマケはそうはいかない。

「――ちっ。フランジェスカ、我は馬車を追う。ケイのことは任せた」
「俺も行く。あのクズども、全員地獄に送ってやる」
「オンッ!」

 邪魔になる馬を乗り捨て、サーシャリオンとグレイは森へと駆けて行く。その後を追い、コウも弾丸のように駆けて行く。

「ハジク殿、あの賊どもは何なのです? 幾ら次男とはいえ、王族の婚約者をさらうなど、死刑は免れないのでは?」

 フランジェスカの冷静な問いかけに、ハジクは弱りきった様子で眉尻を下げる。

「いいえ。王族に手出しすれば死刑は免れませぬが、王族に手出しをしていない上、臣下一人と荷馬車を奪っただけです。レト家による私刑はあるかもしれませんが、捕まっても禁固刑に処される程度でしょう」

「その程度なのですか?」
「ええ。我が国は、王族以外へは、怪我の度合いで罪が決まるのです」
「つまり、無傷ならそれだけ罪が軽くなる……と?」

 目を丸くするフランジェスカに、ハジクはこくりと頷いた。

「ともかく、我らは王女殿下の護衛師団であってテリース殿のことは管轄外なのです。それを見越したのか、期日も多めにとられておりましたから、王都に赴き、レト家に委ねる他、ありません」

「そんな! 助けてあげないんですか!? 王女様……!」

 馬車を振り返る啓介に、侍女が眉を吊り上げて叱咤する。

「王女殿下に対し、無礼ですよ!」
「で、でも……!」

 啓介が尚も食い下がろうとするのを、ムルメラは扇を上げて止める。

「――ハジク、小隊をそのまま追跡させよ。わらわは王都に戻り、レト家に頼もう」

 ええ。何だよ、それ!
 嫌いだからどうでもいいのかと啓介は頭に血が昇るのに気付いた。拳を握ってぶるぶると怒りに耐える。
 それを見越したムルメラは、冷たくあしらう。

「そちの怒りは分かるが、此度の旅はテリース殿の監督によるとの条件付けの元に決まったのじゃ。ここでわらわに何かあれば、今度はあ奴が責められる。それは避けねばならぬのだよ。……分かるな?」

 その説明に、啓介はすっと頭が冷えた。
 ちゃんと考えてのことだったのだ。
 啓介は頭を下げる。

「いらない勘ぐりをしてすみませんでした」

 素直に非を認めて謝る啓介を見て、ムルメラの表情に温かみが戻る。

「よい、よい。回りくどいのは分かっているのじゃ。そなたは無事を信じておるがよい」

 鷹揚に許し、ムルメラはハジクを見る。

「団長、急ぎ帰るとするぞ。わらわ達がいかに早く着くかで、あの方の処遇も変わろう」
「はっ、ただちに!」

 啓介が急いで馬車に乗り込むのを確認してから、ハジクは馬車の扉を閉め、慌ただしく兵士達へと指揮を取る。馬車の周囲に倒れている賊の死体や、御者の死体を道端に寄せると、軍団は動きだした。

 ――結局、そのすぐ後にスコールがきた為に、轍の跡とにおいが掻き消え、馬車を追った面々は手掛かりを失くしてしまった。兵士達が軍団へと駆け戻る中、グレイとサーシャリオンとコウは、僅かに見える痕跡やモンスターからの目撃情報を頼りに森をゆっくりと曖昧に進んでいくのだった。
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