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note.2 そして少女はここへ来た
03
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研究所に戻ると、正面入口の前でうろうろと歩き回っている小さな影が見えた。
「アゲート、戻ったんだね!」
簡素なシャツとズボンの上に丈の合わない白衣を纏ったエナンは、パッと笑顔になって駆けてきた。アゲートが出かけた後から、ずっとそこで待っていたのだろう。一緒に待っていたルーカスが、慌てたようにエナンを制止する。
「こら、エナン。大人しくする約束だよ」
「ごめん、おじさん」
素直に立ち止まったエナンは、白衣の裾を地面に引きずって、こちらにゆっくり歩いてきた。ルーカスがシャツとズボン姿なのを見るに、白衣はルーカスのものなんだろう。
「二人とも、紹介する。彼女がルシル・パスノリートだ」
アゲートがルーカス達にそう言って、ルシルを振り返る。するとルシルはうつむいて地面を見つめていた。
「戻ってきたばかりだ。そんなに深刻にならなくても……」
先程泣いていたルシルの姿を思い出し、また落ち込んでいるのかと思ったアゲートだが、そうではなかった。ルシルの体がぐらりと前へ倒れる。とっさに受け止め、アゲートは地面に膝を着く。
「おい、大丈夫か?」
肩を軽く揺さぶるが、ルシルは固く目を閉じたまま動かない。
「見せて、アゲート」
「ああ」
そこへ素早く駆けつけたルーカスが、簡単にルシルの様子を見る。ほっと息を吐いた。
「良かった、特に外傷はないよ。気を失ってるだけのようだ」
「ずっと追われていたと言っていたから、気が緩んだのかもしれんな」
「そうかもしれないね。アゲート、エナンのいた部屋を使って。エナン、案内を頼む。僕はサジを呼んでくるよ」
「分かった」
アゲートはルシルを両腕で抱え上げると、エナンの先導について研究所に足を踏み入れた。
「栄養失調と過労だな。しばらく休ませておけば、そのうち目が覚める」
ルシルの容態を診たサジは、そう結論を出した。
「かわいそうに。こんなに小さいのに、デクのⅢ型に追われてたんだって? そりゃあ疲れもする」
やれやれと呟いて、サジはルシルから採血する。
「一応、問題が無いかだけ調べておくよ」
「そうだね。さらわれてきたんだとすると、この惑星の病気への耐性がないかもしれないし。検査しておいて、必要なら予防接種しないと」
「この分だと大丈夫そうだがな」
サジはそう返すと、今度はルシルに点滴を施す。
「ひとまず栄養剤を打っておくな。起きたら呼んでくれ。それじゃあな、俺は他にも仕事があるから」
「ありがとう、助かるよ」
ルーカスが礼を言うと、サジは頷きだけ返し、部屋を出て行った。
「これは起きたら色々と話を聞かないとね。――いったいどんな所に捕まってたんだろう。両腕とも注射痕だらけだ。ここなんて注射の打ち過ぎで変色してるよ。ひどいもんだ」
エナンが別室におり、言動に気を遣う必要がないので、ルーカスは淡々と言った。ルーカスの言う通り、ルシルが着ている服の袖をめくると、多くの注射痕が肌に残っているのが見えた。点滴の為にさらけだしている左腕は特に顕著だ。
自然とアゲートとルーカスは苦い顔になっていた。あまり見ていて気分の良いものではない。
「研究所のような場所から逃げてきたと言っていたな。だからここも同じだと思って、逃げたらしい。……ルーカス、頼むから妙な言動はするなよ」
アゲートはルーカスにちくりと釘を刺した。
安全を得たとほっとしている被害者を無暗に怯えさせたくはない。
「分かってる。気を付けるから、その怪しい人間を見る目つきをやめてくれない?」
「なんだ、自分が怪しいって自覚があるのか。それはなにより」
アゲートは皮肉を返しながら、扉の横にあったパイプ椅子を、ベッド脇の壁際に運んで、そこに座った。ルーカスは目を丸くする。
「え、まさか彼女の目が覚めるまで、ここにいる気?」
「デクのⅢ型につけ狙われてるんだ、護衛役が必要だろう。それにまた勘違いされて、探しに行くのは面倒だ」
「それもそっか」
ルーカスは頷いて、ふふっと笑みを零す。
「じゃあ僕は遠慮なく仕事に戻るよ。目が覚めたら呼んでくれる?」
「分かった」
アゲートが返事をすると、ルーカスは部屋を出て行った。
部屋に他に誰もいなくなると、アゲートは壁に背をもたれ、ぼんやりとルシルの横顔を眺める。血の気が失せて青白い顔は病的だ。
(どこかの研究所から逃げてきたこいつ。こいつを追ってきたのがデクⅢ型……。ルシル・パスノリート、お前はいったい何者だ?)
頭の中には、疑問が次々に浮かんでくる。
だが先程、アゲートの手を取ったルシルの希望に満ちた顔は本物だった。だから出来るだけ助けてあげたいと思った。
あの時の笑顔が、アゲートが亡くした大切な少女のものと被って、アゲートは両手を握りしめる。
「ユナ……」
ぽつりと飛び出した言葉が、部屋に虚しく響いた。
深夜を回った頃、ようやくルシルは目を覚ました。
「あれ……ここは……?」
「研究所だ。覚えてないか? 戻ってくるなり倒れたんだ。ちょっと待ってろ、医者を呼ぶ」
アゲートは内線を使い、サジとルーカスを呼び出した。
すぐに女性看護師を一人連れてやって来たサジは、ルシルの診察をするからと、アゲートを廊下に追い払った。
診察が終わるのを廊下で待っていると、遅れてルーカスがやって来た。盆に水の入ったポットとグラス、軽食を載せている。アゲートは部屋を親指で示して言う。
「今、診察中」
「そうなんだ」
「どうしたんだ、それ」
「ずっと寝てたからお腹が空いてるかなって。アゲートも食べていいよ」
盆の上のサンドイッチを示すルーカス。アゲートはベルトポーチから取り出した紙箱を見せる。
「俺にはこれがあるからいい」
クラングラン社の「これと水さえあれば砂漠でも生き延びられる」と銘打たれた携帯食料だ。軽くて小さく、栄養価が高い為、昔から砂漠を行き来する人間にもてはやされている。実際は、小麦粉と芋と乾燥果物を練り込んでスティックにしたもので、とりあえず混ぜてあるような、味はお世辞にもおいしいとは言えない代物だ。だが、食事を無精しがちなアゲートにはちょうどいい食品である。
ルーカスはあからさまに顔をしかめた。
「任務中でもないのに、そんなクソまずい携帯食料を食べる気? 遠慮しなくていいのに」
「食べ物なんて、腹におさまればどれも同じだ」
「そんなゲテモノと、僕のお手製サンドイッチを一緒にしないでよ。ひどい冒涜だ!」
ルーカスの主張をアゲートが聞き流していると、サジと看護師が部屋から出てきた。
「夜中にうるせえ」
サジはまず苦情を言い、続いてルシルの容態を告げる。
「特に問題はねえが、念の為、明日の朝まで点滴は続ける。しばらくゆっくり休ませてやってくれ」
ルーカスは頷いた。
「分かった。夜遅くに来てくれてありがとう」
「それが俺の仕事だ。だが学者先生も大変だねえ、また研究所にこもってたのか? たまにはあんたもおうちに帰れよ。じゃねえと医師命令で自宅待機にするぞ」
「あっはっは、面白い冗談だね、サジ。研究が楽しすぎて、体を壊してる暇なんかないよ」
「こないだ、廊下のど真ん中でぶっ倒れて、寝こけてた奴がよく言うぜ」
ひらひらと手を振って立ち去るサジと看護師。ルーカスは不思議そうに言う。
「なんかさあ、君といいサジといい、僕の扱いがひどくない?」
「気のせいだ」
アゲートはあっさり返し、部屋に入る。その横をすり抜け、ルーカスはルシルに笑顔で話しかけた。
「ああ、良かった、ルシルさん。気分はどう? はい、お水。これも食べなよ」
サイドテーブルに盆を置き、ルーカスがグラスを差し出すと、ルシルはおずおずとグラスを受け取った。
「僕はルーカス・ハーゲン。この研究所の所長だよ。アゲートの上司でもあるんだ」
「所長さんなんですか」
ルシルは青紫色の目を瞬いた。ルーカスは笑顔で頷く。
「そう。君を保護する話は請け負ったから、気に病まなくて良いよ。星への帰還申請もするから、ゆっくりしていくといい」
「本当ですか!」
「勿論。ただ、手続きが終わるまで一ヶ月くらいはかかると思うから、それまではここで過ごしてもらうことになるけどね」
「帰れるんなら、別にそれくらい構いません。ありがとうございます……!」
勢い込んでルシルは言い、興奮しすぎたらしく咳き込んだ。
「落ち着け。お前は栄養失調と過労で倒れたんだ。しばらく安静にしてろ」
アゲートが注意すると、ルシルは素直に頷き、グラスの水を飲んだ。そして落ち着くと、アゲートにぺこりと頭を下げる。
「ありがとう、アゲートさん」
「アゲート」
「はい?」
「アゲートでいい」
ルシルはきょとんとした後、こくりと頷いた。
「私も、ルシルで構いません」
「僕もルーカスでいいからね、ルシルさん」
「はい、お世話になります、ルーカスさん」
ルーカスはにっこりと微笑んで頷き、続けて質問する。
「体調はどうかな」
「まだちょっと頭がぼんやりします」
「なるほど。それじゃあ、詳しく聞くのは明日にしようかな。それ食べたら、ゆっくりお休み」
ルーカスはそう言うと、また明日と挨拶して部屋を出て行った。
まだ部屋に残っているアゲートを、ルシルは不思議そうに見る。物問いたげなルシルの視線を受け流し、アゲートは窓際の椅子に座る。
「それ食べて、とっとと寝ろ」
「は、はいっ」
慌ててサンドイッチに手を伸ばすルシル。
だが口に入れる前に、まじまじとサンドイッチを眺めた。首を傾げ、パンの中に挟まっているハムと野菜を見つめる。
「この惑星の動物の肉と野菜だ。周りはパン」
「動物ですか?」
「豚だ」
「ブタ?」
どうやらルシルは聞き覚えがないらしい。
「いつもは何を食べてるんだ?」
「お肉は鳥しか食べないので……。変わった色だなあと。あとは野菜や果物、パンです」
「エナンもそれをよく食べているから、お前も大丈夫だと思うが。ユグディアナ人のアレルギーまでは知らん」
投げやりに返すアゲート。ルシルはユグディアナ人の移民の少年の話を聞いて食べる決心がついたらしく、恐々と口に運ぶ。
「おいしい!」
一口かじって目を丸くすると、夢中になって他の四切れも全てたいらげた。最後に水を飲むと、掛け布の中に戻る。
そして思い出したようにアゲートを見て問う。
「あの」
「何だ」
「……いつまでそこにいるんでしょう?」
アゲートは壁に背をもたれ、休む姿勢になりながら返す。
「お前が自力で逃げられる程度に体力が回復するまでは、護衛についててやる。分かったらとっとと寝ろ」
「は、はい」
掛け布の中で、ルシルは首をすくめた。
だがしばらくして、また問う。
「あの、この部屋の明かりってどうやって消すの?」
アゲートは煩わしげに息を吐き、ベッドサイドのボタンを押して照明を落とした。
「アゲート、戻ったんだね!」
簡素なシャツとズボンの上に丈の合わない白衣を纏ったエナンは、パッと笑顔になって駆けてきた。アゲートが出かけた後から、ずっとそこで待っていたのだろう。一緒に待っていたルーカスが、慌てたようにエナンを制止する。
「こら、エナン。大人しくする約束だよ」
「ごめん、おじさん」
素直に立ち止まったエナンは、白衣の裾を地面に引きずって、こちらにゆっくり歩いてきた。ルーカスがシャツとズボン姿なのを見るに、白衣はルーカスのものなんだろう。
「二人とも、紹介する。彼女がルシル・パスノリートだ」
アゲートがルーカス達にそう言って、ルシルを振り返る。するとルシルはうつむいて地面を見つめていた。
「戻ってきたばかりだ。そんなに深刻にならなくても……」
先程泣いていたルシルの姿を思い出し、また落ち込んでいるのかと思ったアゲートだが、そうではなかった。ルシルの体がぐらりと前へ倒れる。とっさに受け止め、アゲートは地面に膝を着く。
「おい、大丈夫か?」
肩を軽く揺さぶるが、ルシルは固く目を閉じたまま動かない。
「見せて、アゲート」
「ああ」
そこへ素早く駆けつけたルーカスが、簡単にルシルの様子を見る。ほっと息を吐いた。
「良かった、特に外傷はないよ。気を失ってるだけのようだ」
「ずっと追われていたと言っていたから、気が緩んだのかもしれんな」
「そうかもしれないね。アゲート、エナンのいた部屋を使って。エナン、案内を頼む。僕はサジを呼んでくるよ」
「分かった」
アゲートはルシルを両腕で抱え上げると、エナンの先導について研究所に足を踏み入れた。
「栄養失調と過労だな。しばらく休ませておけば、そのうち目が覚める」
ルシルの容態を診たサジは、そう結論を出した。
「かわいそうに。こんなに小さいのに、デクのⅢ型に追われてたんだって? そりゃあ疲れもする」
やれやれと呟いて、サジはルシルから採血する。
「一応、問題が無いかだけ調べておくよ」
「そうだね。さらわれてきたんだとすると、この惑星の病気への耐性がないかもしれないし。検査しておいて、必要なら予防接種しないと」
「この分だと大丈夫そうだがな」
サジはそう返すと、今度はルシルに点滴を施す。
「ひとまず栄養剤を打っておくな。起きたら呼んでくれ。それじゃあな、俺は他にも仕事があるから」
「ありがとう、助かるよ」
ルーカスが礼を言うと、サジは頷きだけ返し、部屋を出て行った。
「これは起きたら色々と話を聞かないとね。――いったいどんな所に捕まってたんだろう。両腕とも注射痕だらけだ。ここなんて注射の打ち過ぎで変色してるよ。ひどいもんだ」
エナンが別室におり、言動に気を遣う必要がないので、ルーカスは淡々と言った。ルーカスの言う通り、ルシルが着ている服の袖をめくると、多くの注射痕が肌に残っているのが見えた。点滴の為にさらけだしている左腕は特に顕著だ。
自然とアゲートとルーカスは苦い顔になっていた。あまり見ていて気分の良いものではない。
「研究所のような場所から逃げてきたと言っていたな。だからここも同じだと思って、逃げたらしい。……ルーカス、頼むから妙な言動はするなよ」
アゲートはルーカスにちくりと釘を刺した。
安全を得たとほっとしている被害者を無暗に怯えさせたくはない。
「分かってる。気を付けるから、その怪しい人間を見る目つきをやめてくれない?」
「なんだ、自分が怪しいって自覚があるのか。それはなにより」
アゲートは皮肉を返しながら、扉の横にあったパイプ椅子を、ベッド脇の壁際に運んで、そこに座った。ルーカスは目を丸くする。
「え、まさか彼女の目が覚めるまで、ここにいる気?」
「デクのⅢ型につけ狙われてるんだ、護衛役が必要だろう。それにまた勘違いされて、探しに行くのは面倒だ」
「それもそっか」
ルーカスは頷いて、ふふっと笑みを零す。
「じゃあ僕は遠慮なく仕事に戻るよ。目が覚めたら呼んでくれる?」
「分かった」
アゲートが返事をすると、ルーカスは部屋を出て行った。
部屋に他に誰もいなくなると、アゲートは壁に背をもたれ、ぼんやりとルシルの横顔を眺める。血の気が失せて青白い顔は病的だ。
(どこかの研究所から逃げてきたこいつ。こいつを追ってきたのがデクⅢ型……。ルシル・パスノリート、お前はいったい何者だ?)
頭の中には、疑問が次々に浮かんでくる。
だが先程、アゲートの手を取ったルシルの希望に満ちた顔は本物だった。だから出来るだけ助けてあげたいと思った。
あの時の笑顔が、アゲートが亡くした大切な少女のものと被って、アゲートは両手を握りしめる。
「ユナ……」
ぽつりと飛び出した言葉が、部屋に虚しく響いた。
深夜を回った頃、ようやくルシルは目を覚ました。
「あれ……ここは……?」
「研究所だ。覚えてないか? 戻ってくるなり倒れたんだ。ちょっと待ってろ、医者を呼ぶ」
アゲートは内線を使い、サジとルーカスを呼び出した。
すぐに女性看護師を一人連れてやって来たサジは、ルシルの診察をするからと、アゲートを廊下に追い払った。
診察が終わるのを廊下で待っていると、遅れてルーカスがやって来た。盆に水の入ったポットとグラス、軽食を載せている。アゲートは部屋を親指で示して言う。
「今、診察中」
「そうなんだ」
「どうしたんだ、それ」
「ずっと寝てたからお腹が空いてるかなって。アゲートも食べていいよ」
盆の上のサンドイッチを示すルーカス。アゲートはベルトポーチから取り出した紙箱を見せる。
「俺にはこれがあるからいい」
クラングラン社の「これと水さえあれば砂漠でも生き延びられる」と銘打たれた携帯食料だ。軽くて小さく、栄養価が高い為、昔から砂漠を行き来する人間にもてはやされている。実際は、小麦粉と芋と乾燥果物を練り込んでスティックにしたもので、とりあえず混ぜてあるような、味はお世辞にもおいしいとは言えない代物だ。だが、食事を無精しがちなアゲートにはちょうどいい食品である。
ルーカスはあからさまに顔をしかめた。
「任務中でもないのに、そんなクソまずい携帯食料を食べる気? 遠慮しなくていいのに」
「食べ物なんて、腹におさまればどれも同じだ」
「そんなゲテモノと、僕のお手製サンドイッチを一緒にしないでよ。ひどい冒涜だ!」
ルーカスの主張をアゲートが聞き流していると、サジと看護師が部屋から出てきた。
「夜中にうるせえ」
サジはまず苦情を言い、続いてルシルの容態を告げる。
「特に問題はねえが、念の為、明日の朝まで点滴は続ける。しばらくゆっくり休ませてやってくれ」
ルーカスは頷いた。
「分かった。夜遅くに来てくれてありがとう」
「それが俺の仕事だ。だが学者先生も大変だねえ、また研究所にこもってたのか? たまにはあんたもおうちに帰れよ。じゃねえと医師命令で自宅待機にするぞ」
「あっはっは、面白い冗談だね、サジ。研究が楽しすぎて、体を壊してる暇なんかないよ」
「こないだ、廊下のど真ん中でぶっ倒れて、寝こけてた奴がよく言うぜ」
ひらひらと手を振って立ち去るサジと看護師。ルーカスは不思議そうに言う。
「なんかさあ、君といいサジといい、僕の扱いがひどくない?」
「気のせいだ」
アゲートはあっさり返し、部屋に入る。その横をすり抜け、ルーカスはルシルに笑顔で話しかけた。
「ああ、良かった、ルシルさん。気分はどう? はい、お水。これも食べなよ」
サイドテーブルに盆を置き、ルーカスがグラスを差し出すと、ルシルはおずおずとグラスを受け取った。
「僕はルーカス・ハーゲン。この研究所の所長だよ。アゲートの上司でもあるんだ」
「所長さんなんですか」
ルシルは青紫色の目を瞬いた。ルーカスは笑顔で頷く。
「そう。君を保護する話は請け負ったから、気に病まなくて良いよ。星への帰還申請もするから、ゆっくりしていくといい」
「本当ですか!」
「勿論。ただ、手続きが終わるまで一ヶ月くらいはかかると思うから、それまではここで過ごしてもらうことになるけどね」
「帰れるんなら、別にそれくらい構いません。ありがとうございます……!」
勢い込んでルシルは言い、興奮しすぎたらしく咳き込んだ。
「落ち着け。お前は栄養失調と過労で倒れたんだ。しばらく安静にしてろ」
アゲートが注意すると、ルシルは素直に頷き、グラスの水を飲んだ。そして落ち着くと、アゲートにぺこりと頭を下げる。
「ありがとう、アゲートさん」
「アゲート」
「はい?」
「アゲートでいい」
ルシルはきょとんとした後、こくりと頷いた。
「私も、ルシルで構いません」
「僕もルーカスでいいからね、ルシルさん」
「はい、お世話になります、ルーカスさん」
ルーカスはにっこりと微笑んで頷き、続けて質問する。
「体調はどうかな」
「まだちょっと頭がぼんやりします」
「なるほど。それじゃあ、詳しく聞くのは明日にしようかな。それ食べたら、ゆっくりお休み」
ルーカスはそう言うと、また明日と挨拶して部屋を出て行った。
まだ部屋に残っているアゲートを、ルシルは不思議そうに見る。物問いたげなルシルの視線を受け流し、アゲートは窓際の椅子に座る。
「それ食べて、とっとと寝ろ」
「は、はいっ」
慌ててサンドイッチに手を伸ばすルシル。
だが口に入れる前に、まじまじとサンドイッチを眺めた。首を傾げ、パンの中に挟まっているハムと野菜を見つめる。
「この惑星の動物の肉と野菜だ。周りはパン」
「動物ですか?」
「豚だ」
「ブタ?」
どうやらルシルは聞き覚えがないらしい。
「いつもは何を食べてるんだ?」
「お肉は鳥しか食べないので……。変わった色だなあと。あとは野菜や果物、パンです」
「エナンもそれをよく食べているから、お前も大丈夫だと思うが。ユグディアナ人のアレルギーまでは知らん」
投げやりに返すアゲート。ルシルはユグディアナ人の移民の少年の話を聞いて食べる決心がついたらしく、恐々と口に運ぶ。
「おいしい!」
一口かじって目を丸くすると、夢中になって他の四切れも全てたいらげた。最後に水を飲むと、掛け布の中に戻る。
そして思い出したようにアゲートを見て問う。
「あの」
「何だ」
「……いつまでそこにいるんでしょう?」
アゲートは壁に背をもたれ、休む姿勢になりながら返す。
「お前が自力で逃げられる程度に体力が回復するまでは、護衛についててやる。分かったらとっとと寝ろ」
「は、はい」
掛け布の中で、ルシルは首をすくめた。
だがしばらくして、また問う。
「あの、この部屋の明かりってどうやって消すの?」
アゲートは煩わしげに息を吐き、ベッドサイドのボタンを押して照明を落とした。
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