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第一部 邪神の神子と不遇な王子
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しおりを挟むあんなに言葉の通じない人達に会ったのは、人生で初めてのことだった。
有紗はこの間まで大学生をしていた。バイトで、びっくりするくらい話が通じない客と会ったこともあるが、そちらはまだ対話はできた。
でも神官達は違う。有紗の話など全く聞く価値がないと耳を封じて、自分達の殻に閉じこもってしまったのだ。
「なんか……だんだん腹が立ってきた」
今まで、こんなふうに存在を全否定されたことはない。
両親は一人娘の有紗に優しいし、学校生活でも気の知れた友人と仲良くやってきた。そもそも日本では人権を大事にしている。召喚なんて誘拐まがいのことをして、すぐに殺人未遂なんて、日本でなら即逮捕だ。
この世界が冷たく感じて、怖くて、なじめないのは当たり前だ。
突然、違う世界に来て、今まで暮らしていた世界ではありえない価値観をぶつけられたのだから。
大学を卒業し、これから社会に羽ばたこうという時だった。温室暮らしが、未知の国でのサバイバルにほうりこまれたようなものだ。
ショックを受けていた有紗だが、落ち着いてくると、怒りでもやもやしてきた。
「アリサ……?」
傍にいてくれたレグルスが、こちらをうかがう。
「なんで私が、私を傷つける人達の言葉で、また傷ついてショックを受けなきゃいけないの! 知ったことかー! こうなったら、耐久戦よ。あいつら、絶対に謝らせてやる!」
有紗は怒りを燃やし、どう追い込めばあの神官達は謝る気になるだろうかと考えを巡らす。ここはやっぱり現地人の意見をあおぐべきだと、レグルスに詰め寄る。
「レグルス、どうしたらあいつらをぎゃふんと言わせられると思う?」
「ふむ、そうですねえ」
レグルスはしばし考え込み、パチンと指を鳴らした。
「今の流れを利用しましょう」
「今の流れ?」
「父上から、疫病の終息を助けるように頼まれているでしょう? 仕事を立派にやり遂げて、奇跡の場面を多くの人に見せて、闇の神は邪悪ではないと見せるんです。あなたは確かにその……邪気? というのを他人に移せるのでしょうけど、そもそも神様という存在は人間の味方ではありませんからね」
レグルスの言い分を聞いて有紗は首を傾げ、ふと日本のことを思い出した。
「ああ、そうね。日本だと、災いをもたらす神様を祀ることで静かにしてもらおうっていう神社も多いわ」
神社には五穀豊穣を祈りに行くことが多いので忘れがちだが、日本の神社はそちらの意味が多い。さすがは地震や台風、水害が多い国なだけはある。
「神様は恵みをもたらしてくれますが、時には罰を与えます。アリサが癒しと、その反対の力を持っているのは、至極当然のことだと思いますよ。なんていうんでしょうか、表裏一体?」
「レグルス、私よりも冷静ね。怖くないの?」
「僕はアリサが優しい人だと知ってますから、怖くないですよ」
「良い人すぎるわ……!」
今度は、悲しみとは違う涙が浮かんだ。
「そして周りを味方にして、あの神官達を孤立させればいいんですよ」
レグルスはにっこりしたが、目が笑っていない。
「実はすごく怒ってるのね……」
光神の神官達も味方につければ、彼らはどんな反応をするのだろう。
今度こそ、反省して謝るだろうか。
有紗は涙をぬぐうと、気を取り直して立ち上がる。
「それなら、私にできることは、全力で邪気を食べまくることね。ああでも、重傷患者だけでも、あんまりたくさんいると食べきれないわ。どうしよう」
「僕には黒いもやというのは見えないんですが、壺などに貯められたらいいですよね。あの神官を入れ物代わりに連れ回すにしたって限度がありますし」
レグルスはさらりとえげつないことを言って、考えをつぶやく。
有紗は手につかんで持ってきた黒いもやを見下ろし、部屋を見回した。焼き物の壺――空の花瓶があるので、試しにそこに入れてみた。だが、黒いもやはふわっと舞い上がってしまう。レグルスに影響を与える前にと、急いで回収する。
「うーん、壺だと駄目ね。なんか良いものはないかなあ」
ガラス瓶を見つけたので、今度はそちらに入れてみる。黒いもやがふうっと中に吸い込まれて沈殿した。
「入った!」
「ガラス瓶ですか? ああ、昔話でありますよね。悪いことをした精霊を、小瓶に閉じ込める……とか。本当に効果があるのですか」
さっきのは適当に言ってみただけだったのか、レグルスも意外そうにした。
「これなら私のごはんを保管できるし、ちょうどいいわね。でも取扱いに気を付けないと、触った人が病気になるわ」
「そうですね。僕には何も入っていないようにしか見えませんし。危険な小瓶だけ、赤いリボンを結ぶようにします?」
「そうしましょ」
「僕から父上に話しておきます。今はまだ邪魔をする者がいるかもしれませんが、父上の命令なら拒否できませんから」
今は、そのほうが効率が良いだろう。
「そうね。疫病の終息について協力するんだもの、ガラス瓶とリボンくらい要求したって構わないでしょ。でも、これを悪用されないようにしないと……」
レジナルドは有紗をおとしいれるタイプには見えないが、周りは違う。特に王妃派なんて最悪だ。
「僕が責任を持って管理します。見張りはガイウスかモーナに頼みましょう」
「そうしたいけど、あの二人、私に愛想を尽かしちゃったんじゃないかしら」
「想像して思い悩むのはよくありませんよ。本人に聞いてみましょう」
「えっ、ちょっと待っ」
レグルスはあっさりと二人を呼んだ。モーナは廊下にいたようで、すぐに入ってきた。
「アリサ様、ひどいです。私が愛想を尽かすわけがないじゃないですか! 神子様による国の滅亡神話は、収穫祭の劇でポピュラーな題材ですよ。悪いことをしたら、天罰がくだるんです。アリサ様を召喚しておいて、崖から落としたって、あっちが悪いに決まってるじゃないですか! お怒りはごもっともです!」
赤い顔でまくしたてるように言うと、モーナは感極まって泣き出した。
そこに遅れてガイウスが顔を出す。モーナの様子で事態を察したようで、苦笑を浮かべた。
「あー、お妃様、大丈夫です。宮殿中で噂になってますので、だいたいは把握しております。それで俺に何かご用ですか? その神官達を拷問にかければいいんでしょうか」
ガイウスがごく自然に問うので、有紗のほうがびっくりして、全身が総毛だった。
「なっ、そんなことしなくていいわよ!」
「……? 罪人を拷問するのは、普通のことですが」
彼にしてみれば、有紗の驚きようが不思議なようだ。
言葉は通じているのに、なぜか意思疎通が上手くいかないと、有紗のほうが焦る。
「ええと……病気の入れ物にするっていうのも拷問じゃないかしら」
「ああ、そうですね。しかし、何か聞き出したいことがあるのでしたら、おっしゃってくだされば、俺、地下牢に行ってくるんで」
「何もしなくていいから、落ち着いて!」
散歩に行くくらいののりで怖いことを言うので、有紗は思わず叫んで止める。
神官には反省して謝罪をしてもらいたいが、体を痛めつけて無理矢理言葉を引き出したいわけではないのだ。想像だけで気分が悪くなる。
有紗が口を押えてうつむくと、レグルスがガイウスを注意する。
「血なまぐさいことを聞かせるな。アリサは、さっきの件で、君達に愛想を尽かされたか心配しているだけだ」
「は……? 俺はお妃様が闇の神子様だと知ってますし、あの連中がしたことを思えば、やり返して当然でしょう。なんでそうなるんです?」
本気で意味が分からないようで、ガイウスは目を白黒させている。
「ありがとう。なんか私が思ってるよりも、ずっと過激みたいね、ここの人達……」
有紗はえげつないことをやり返したと思っている。だが、あれが彼らにはなま優しいみたいだと悟って、ぶるりと震えた。
「お妃様は平和な場所からいらっしゃったんですね。ここでは命のやりとりは普通で、敵を殺せば称賛されるんですよ。そもそも反逆罪は処刑ですから、気にしなくていいかと」
「めちゃくちゃ気にするわ……」
頭痛を覚え、有紗は額に手を押し当てる。
(そうよねえ、中世ヨーロッパくらいの価値観なら、えげつないわよねえ……)
魔女狩り。異端審問。拷問。
思いつくキーワードだけでもうんざりする。
「ガイウスさん、他の人はどんな感じ? あのね……嫌だったら王宮に残れるように頼んでみるから」
「レグルス殿下の配下でしたら、おおむね同情的ですね。お妃様が毎日聖堂に通われていて、そこの病人が少しずつ良くなってたのを知ってますし、俺達の中に疫病患者が一人も出ていないのが大きいです。レグルス殿下とお妃様の庇護下にいれば、病は怖くないというわけですね。ところで、お妃様は、光の神を信仰するなとおっしゃいます?」
「言わないわよ。信仰は自由にすべきだわ。闇の神を信仰しろとも言わないわよ。ただ、嫌なら今のうちに離れてねって言ってるだけで……」
ガイウスがどうしてそんなことを聞くのか、よく分からない。
ガイウスとモーナは、大きく安堵の息をついた。
「良かった! そうなってくると反発する者が出てくるので」
「光神教では、死と眠りをつかさどる闇の神は邪悪だという教えでしたけど、闇の神様はふところが広くてらっしゃるのですね」
「んんん? どういうこと?」
有紗がレグルスに助けを求めると、レグルスは少し考えて、思いついたことを問う。
「アリサはどんな神様を信仰してるんですか?」
「え? どんなだろう。神社とお寺と……クリスマスはキリスト教かしら? あ、そっか。私の住んでいた国はね、たくさんの神様にお祈りしてたから、信仰心は薄いんだけど、ばくぜんと神様の存在を感じてるってところかな。他国の宗教もね、お祭りで取り入れちゃったりして、結構、寛容なのよ」
「神様がたくさんいらっしゃるんですか」
「うん、まあ、会ったことも見たこともないんだけどね。それから、法律で信仰の自由が約束されてるから、何を信じていてもいいの。皆も好きにすればいいわ」
有紗があっさりと返すと、レグルスは微笑んだ。
「それなら、何も問題ありません。光神教は光神をあがめているので、他の神だけを祈れとなると、どうしてもあつれきが出てきますから」
「闇の神は駄目だとして、他にもいるんでしょ? そっちをお祈りしないの?」
「光神がトップで、火・地・風・水の神は、そこに深いかかわりのある職業の人が、一緒におまつりしています」
「ああ、あるよね、そういうの。ふーん。よく分かんないわ。人間、生きてれば眠るし、いつか死ぬでしょ。なんで闇の神だけ仲間外れにするのよ」
有紗の根本的な質問に、レグルスはやんわりと苦笑した。
「目覚めと誕生をつかさどる光の神とは、仲が悪いとされているせいですね」
「……それだけ?」
有紗が問うと、レグルスは困り顔になる。
「くわしく話すと、教典を長々と読まないといけなくなるので、簡単に言うと」
「そうなの。興味ないから、いいわ。とにかく、嫌々傍にいられても困るから、嫌なら陛下に職の用意を頼むから、早めに言うようにって伝えておいてね、ガイウスさん」
「は。かしこまりました」
ガイウスはお辞儀をし、有紗にもう一度言う。
「お妃様、必要ならいつでもおっしゃってくださいね。俺、地下牢に……」
「頼まないから気にしないで!」
「そうですか?」
――だからなんでそこで残念そうにするのよ!
有紗は頭を抱え、ガイウスが退室するのを見送る。彼と入れ替わりに、ロズワルドがあいさつに来た。
「失礼します。お妃様、お話をうかがいましたよ。殿下、いい後ろ盾を得られたようで何よりです」
「……それだけ?」
ロズワルドこそ、反応が過敏になるのではと恐れていたが、ロズワルドはじっとこちらを見て、「ああ」と頷いた。
「団長には何も言われていませんが、神官をボコボコにしてくればいいんですか?」
「そういうことじゃなくて! ロズワルドさん、闇の神子なんてレグルスから離れろって言いそうなものなのに」
「いいえ、言いませんよ。そもそも私は殿下に、後ろ盾のために貴族の娘を嫁にするようにと言いました。神子様なら申し分ないでしょう。これで殿下が王位につくのも夢ではないですね」
にやりとして、ロズワルドはせき払いをする。
「しかしお妃様は元の世界にお帰りになりたいとか。お帰りになるのでしたら、その前に、レグルス殿下に祝福をさずけてからにしてくださいよ」
「はい? 私、そんなことはできないわよ」
「公衆の面前で、儀式っぽいことをすれば大丈夫です。殿下は血筋が問題視されていますから、神の祝福があれば、その欠点はカバーできます。領地運営のほうは、皆で努力することです」
これで問題解決だと、ロズワルドはふふんと胸をそらす。
「殿下に幸運が向いたみたいで、良かったかと思いますよ。殿下、お妃様は疫病の終息にお力をお貸しになるとか。ぜひとも私をお連れください。罰の分、しっかり働きます」
「ああ、分かった。よろしく頼む」
レグルスが返事をすると、ロズワルドはお辞儀をして、あっさりと退室した。
「ロズワルドさんが一番意外なんですけど……」
「僕もですよ、アリサ。面倒くさい騎士だと思ってましたが、味方になると強いですね」
有紗とレグルスが言い合う横で、モーナが笑いをこらえていた。
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