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第三部 命花の呪い 編
02
しおりを挟む遠くからだと草木が生えていないように見えたドラッケント山は、近くでは草花が咲いている。黄や白の花の間を、蝶や蜂が行きかい、のどかな雰囲気だ。
道なき斜面を、緑色のドラゴンはゆっくりと登っていく。てっきり山のふもとで下ろされると思っていたが、上まで運んでくれるらしい。
途中、休憩も挟みつつ、ほとんど頂上付近まで来た。そして、緑色のドラゴンは身を伏せる。
「ギャウ」
降りろと言いたいようだと推測し、結衣とアレクはドラゴンの背から地面へと降りる。ドラゴンはゆっくりと反転し、来る時と同じくのんびりと戻っていく。
「ありがとう!」
「ありがとうございました」
結衣とアレクがそれぞれお礼の声をかけると、ドラゴンの尻尾がゆるく振られた。その背で、赤ちゃんドラゴンがぴょんぴょんとはねる。もしかしてあいさつしているのだろうか。
彼らの姿が遠のくと、結衣は振っていた手を下ろした。
「ラッキーでしたね」
「ええ。頂上まであと少しですね、ひとまず上の状況を確認してから、夜を過ごせる場所を探しましょう」
アレクの提案に、結衣は頷いた。オニキスも「ガルル」と返事をする。結衣は上へ続く道を見て、オニキスを振り返った。緑色のドラゴンは四足でどっしりした体をしているため、この先は道が狭すぎて通れなかったのだろう。
「オニキス、ついて来られそう?」
「グルッ」
オニキスは頷いた。後ろ脚の二本だけで立ち、心なしか体を細くする。これなら大丈夫そうだ。
それから山頂へ向かった。ドラッケント山はそんなに高さはないようだが、さすがに上にいると風が冷たい。たいした装備もないアレクを気にして、結衣は問う。
「アレク、大丈夫?」
「ええ、平気ですよ。ありがとう。あ、ほら、見てください。今はつぼみですけど、あの花です。絵の通りだ」
山頂に着くと、アレクが岩陰に咲く花を指差して駆け寄った。
山頂は見渡せば全体が見えるくらいの、たいして広くもない場所だ。椅子代わりにできそうな灰色の岩があちこちに転がり、その合間に白い花が控えめに咲いている。
「本当だわ、咲いてるものはないのね」
「夜明け前の、ほんの短い時間だけ咲くんですよ」
アレクは花の前に膝を着き、結衣を振り返る。結衣は心底ほっとして、その場にしゃがみ込む。
「え? ユイ?」
「良かったーっ。その時に、これについた朝露を飲めばいいのね?」
結衣がほっとしただけだと分かると、アレクは表情を柔らかくした。
「ええ。場所の確認もしましたから、いったん野宿に良い場所を探しましょうか」
「うん」
結衣は胸を手で押さえて頷く。花を見つけるまでは、なんとかなった。あとは朝露だけだ。
(野宿慣れしてるアレクが一緒で良かった)
オニキスがいればなんとかなると思っていたが、アレクは雨風をしのぐのにちょうどいい場所を探すのが上手い。戦場では野営することも多く、その経験によるらしい。
「オニキス、戻ろうか。あれ、どうしたの?」
オニキスは山頂まで踏み込まず、入口でじっとしている。
「グルル」
「もしかして、花を踏み潰すかもしれないから、遠慮してるんですか?」
アレクの推測は当たっているらしい。オニキスは大きく頷いた。結衣は感心して、オニキスのほうへ戻る。
「さすが、中型ドラゴンは賢いわね。気遣ってくれてありがとう」
「グル!」
結衣がオニキスの頬の辺りを撫でると、オニキスは嬉しそうに目を細める。そして、ゆっくりと来た道のほうを向くと、のっしのっしと山道を下り始めた。
「黒ドラゴンが可愛いなんて、いまだに不思議です」
「他にもあんな子がいるんじゃないかな。黒ドラゴンが悪いんじゃないと思う」
「……そうですね。生き物だけではない、どんな道具でも、使い手の意思が関係します。身を引きしめねばなりませんね」
「どうしてアレクが反省するの?」
結衣はアスラ国の怖い魔族のことをさしたのだが、アレクは何やら感銘を受けたようだ。
「私も人間なので、間違うことがあるでしょうから」
「ソラもいるんだから、大丈夫だと思うけど。ソラなら遠慮なく忠告するんじゃない?」
「ユイは言ってくれないんですか?」
「だから、こうして喧嘩してるじゃないの」
アレクが倒れたことで、いつの間にか休戦になっていたことを思い出して、結衣は指摘した。
「そうでしたね。ああ、自分から話を蒸し返してしまった。ユイ、勘弁してください」
アレクは弱った顔で言った。結衣はにこっとして問う。
「どうですか? ドラゴンの力を借りたけど、ここまで来たわよ。ぎゃふんってした?」
「しました。ドラゴンに助けられたのも、あなたの実力でしょう」
根負けしたのか、アレクは溜息をつく。
「私はただ、ユイには安全な場所にいて欲しいし、守りたいだけなんです。でも、分かりました。ユイが無茶をしないようにするために、私はもう少し自身のことも考えます」
真面目な宣言に、結衣は頷く。
「約束ですからね! 人間側の盾とか壁とか言って、自分を粗末にしたら、また怒るから!」
そう返しながら、結衣はようやく言質を得てほっと息をついた。
(ソラがいてくれて良かったわ。生身の人間だけで立ち向かうんなら、ゾッとするもん)
聖竜という圧倒的な強者がいるので、結衣はまだ安心していられる。
「グルルッ」
その時、オニキスが道の下から顔を覗かせた。速く来いと言うように鳴くので、結衣とアレクはそろってそちらに歩き出す。仲直りもしたので、気持ちが軽くなった。
それから山を少しだけ下りると、斜面がなだらかになっている場所に出た。そこから、獣道らしきものがいくつか分かれて伸びている。一つずつ検討して、西側の小道の先を野宿場所に選んだ。大岩が張り出していて、自然にできた屋根になっている。ちょうどくぼんでいて風も遮るし、地面は湿っていない。アレクは一通りチェックして、満足げに決める。
「ここで野宿にしましょう」
「決まりね」
結衣は小道を戻って、分岐点で待っているオニキスを呼んだ。
オニキスは慎重に小道を伝ってきて、野宿場所予定の小さな広場へと着地すると、結衣はオニキスへ近寄る。オニキスはその場に座った。
「明るいうちにオニキスの手当てをしなおして、果物で腹ごしらえしましょ。水は小瓶にちょっとしかないわ」
「薪も持ってくればよかったですね。仕方がない、その辺の枯葉で火をおこしてみましょう」
日陰となっているので、じっとしていると寒い。アレクが固い表情をするのも分かる。
「寒かったらオニキスにくっつけばいいわ。ね、オニキス」
「そうですね。子どもの頃は、野営では、よくニールムの傍で過ごしたものです、懐かしい」
アレクは目を細めて呟く。
好きにすればいいと言いたげに、オニキスは眠そうにクアッとあくびをした。
――深夜。
寒すぎて眠れず、心許ない焚火に当たって、結衣はずっと起きていた。
「さ、さすがに、山の上の寒さをなめてたわ……。アレク、温かい」
「私はちょっと役得ですけどね」
「え? 何?」
「……なんでも」
ガチガチと歯が鳴る音で声が聞こえなかったのだが、訊き返すと、アレクはなぜか返事を誤魔化した。
背中側にオニキスがいて、アレクと隣り合って座り、防寒用の上着を互いに分け合っているのだが、あんまり寒いので、結衣はアレクにぴたっとくっついている。オニキスが翼で覆ってくれているから、まだマシだが、これがなかったら凍死していそうだ。
「前にアスラ国から逃げる時に、砂漠でオニキスと一晩明かしたけど、それより寒いわ」
「装備がないと、山は厳しいですよ。毛布の一枚でもあれば違いましたけど、今回は急でしたから」
「うっ、すみません」
「次からは気を付けてください。いや、次がないほうがいいですけど。ユイは元気ですから」
話していると、少しだけ気が紛れる。結衣は懸命に話題を探す。
「アレクは寒くないの?」
「寒いですが、ユイほどでは」
「なんかこう、魔法で温かくしたりとかは」
「効果を持続させる魔法となると、魔法陣と供物が必要なので、今は無理です。魔石がありませんから」
アレクは苦笑交じりに返す。
(ファンタジーな世界なのに、変なところでリアルねっ)
結衣は苛立ったものの、アレクが悪いわけではない。
「供物にマセキを使うんですか?」
「ええ、火を長くたもつためには、薪や炭を使うでしょう? 魔力を燃料にして、魔法を持続させるために必要なんですよ」
「なるほど、マッチか油かの違いってことなのね」
仕組みが分かると面白いが、今はまったく役に立たないのでがっかりだ。
「アレク、何か話をしましょう、話!」
「そうですね。ユイの家族のお話が聞きたいです。どんな風に育ってきたのか、教えてください」
「ええ? 家族の話? 普通よ。サラリーマンのお父さんに、近所のスーパーでパートをしているお母さん、弟は大学生で、私はドッグトレーナーの仕事をしてる。それから、おばあちゃん犬のモモの五人家族」
「ええと、サラリーなんとかというのは?」
「給料をもらって働いている人のことよ。パートは、パートタイムっていう……ええと、短時間労働の略だったと思うわ。正規ではない仕事のことね」
「大学生は分かりますよ、魔法の研究をメインとしている学校があるんです」
「へ~」
それは面白そうだと、結衣は興味をそそられた。
「見学に行ってみたいです!」
「帰ったらオスカーに話してみましょう。もっと話したいところですが、そろそろ時間ですね」
夜空を眺め、月が西にだいぶ傾いたのを見て、アレクは会話を切り上げた。半分だけかかっていた防寒着を、結衣に渡す。
「さ、着こんでください。上のほうが寒いでしょうから」
「アレクは大丈夫?」
「動けばいくらかマシですよ」
アレクに促され、結衣は上着を着なおして、しっかりと前をボタンでとめる。それだけで、寒さがかなり和らいだ。
それから眠っているオニキスを起こし、昼間のうちに確認した山頂へと向かう。幸運にも、風はほとんど吹いていないが、空気はしんと冷えている。
オニキスは前回のように入口で立ち止まり、その場に座り込んだ。それを横目に、結衣達は山頂の真ん中へと進む。アレクが剣の柄に灯した魔法の光が、煌々と辺りを照らしだした。
ぽつぽつと生えている月の雫は、まだつぼみだ。
「まだ咲いていないのね」
「ええ、夜明け前まで待ちましょう」
アレクはそう返すと、近くの平たい石に腰かける。なんだかぐったりして見えて、結衣はアレクの様子を見た。
「寒いせいじゃない? オニキスの傍にいよう」
「いえ、なんだか息苦しくて……」
「えっ」
結衣ははっとした。アレクの呼吸が、心なしか荒い。額に手を当てると熱が出ており、汗でしめっている。
「発作? まだ夜明けじゃないのに!」
「最終日ですからね……。何が起きてもおかしくはありません。覚悟はしていました」
相変わらず、こういうことになると冷静だ。結衣のほうが慌てている。
「オニキスの傍にいようよ。手を貸すわ」
「大丈夫ですよ、歩けます」
アレクがそう返した時、森にドォンと爆発音が響いた。
「わっ、何?」
「あちらからです」
すぐに、音がした方角にある山頂の端へと向かう。
「嘘! 山火事? いや、森林火災?」
森の一部が、赤々と燃え、黒い煙を上げている。夜なので、遠くからでも燃える様子がよく見えた。
「リヴィドールが攻撃されたわけではないようですが、これはいったい……」
傍らで、アレクが息を飲む。そこで突然、背後を振り返った。その仕草に驚いて、結衣もそちらを見る。
「ひっ」
いつの間にか、夜闇に溶け込むようにして、黒衣の青年が立っている。幽霊かと勘違いして、結衣は飛び上がってアレクの上着を掴んだ。
「イシュドーラ・アスラ……」
アレクは苦々しい声で、青年の名を呼んだ。
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