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第三部 命花の呪い 編

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 食事会の後は、アレクは舞踏会まで時間があるらしい。
 庭を散歩しないかと誘われたので、結衣はアレクと連れだってホールを出た。

「最近、忙しそうですね」
「ええ。この時期の宮廷は忙しいとオスカーから聞いてはいましたが、本当にその通りです。宮廷舞踏会が済んだ後は、王領の様子を見に行く予定なんですよ」

 廊下を歩きながら、アレクが予定を話すので、結衣は首を傾げる。

「オウリョウ……?」
「王家の領地という意味です。城の周りの広大な土地がそうですよ。この土地から出る収益で、国の運営をしています」
「そうなんですか? 貴族から税金をもらうのかと思ってました」
「細々とした税はありますが……、基本は王領からまかないます。王が貴族に土地を与えて、貴族はその土地の収益で生活するのですよ。王は彼らを保護しますが、その代わりに、貴族は戦になれば兵を出しますし、城で侍女や騎士として働くというわけです」

 そんな仕組みなんだと、結衣は心の中でつぶやいた。

「オスカーがいてくれるので、本当に助かりますよ。私はずっと騎士団で暮らしてきたので、王としての生活にはまだ慣れません」

 アレクはほんのり苦笑した。

「そうでしたね。アレクは私がこちらに来るちょっと前に、王様になったんでした」

 結衣はアレクの事情を思い出して、頷いた。
 元は第三王子だったアレクは、幼い頃に聖竜とともに戦う盟友候補選ばれたため、それをやっかんだ兄王子二人にひどい嫌がらせを受けていたのだと聞いている。彼らのせいで騎士団に入れられたが、結局、流行り病で兄二人が亡くなり、アレクが王位を継いだのだった。

「でも、私から見ると、アレクは立派な王様に見えますよ。それにとっても人気者ですし」
「ありがとうございます。そうであれたら嬉しいです」

 アレクは照れ笑いを浮かべた。

(いや、どこからどう見ても立派な王様だけど、アレクにはどこか違って思えるのかな?)

 結衣は不思議に感じたが、アレクが仕事のことで困ったようなことを口にするのは初めて聞いたので、少し意外だった。でもなんだか心を許してくれているみたいで、結構嬉しい。

「仕事の愚痴くらい、聞きますよ? あ、もちろん、他の人に聞こえない所で、ですけど」

 今度はアレクが意外そうに目を丸くして、小さく笑みを零す。

「王なのだからしっかりしろとはおっしゃらないんですね」
「え? 王様の前に、アレクだって人間なんだから愚痴くらいあるでしょ?」

 至極当然のことを言ったつもりの結衣だったが、何故かアレクは足を止めた。結衣もつられて立ち止まると、アレクがまじまじとこちらを見つめてくる。

「な、何ですか?」

 あんまりじろじろと見られると、居心地が悪い。
 もしかして気に障ることを言ったのかと心配になってきた時、アレクは真面目な顔をした。

「ユイ」
「はい」
「好きです」
「は、はい!?」

 急な告白に結衣は面食らい、顔が熱くなった。

「な、何ですか、急に。こんな廊下でっ」

 慌てて周りを見回すと、近くにいた貴族や護衛兵がささっと柱の陰に寄ったり、素知らぬ顔をしたりした。いやいや絶対に聞いていただろうと、結衣は心の中でツッコミを入れる。

「すみません、今、口から勝手に飛び出しました。でもすみません、好きです」
「また! 駄目ですよ、私はTPOは大事にするんですっ」
「ティー? なんですか?」
「時と場所と場合ですっ。公の場所ではちょっと……」

 周りで聞こえていない振りをしてくれているギャラリーがかなり気になり、結衣はアレクの左手を引っ張って、その場を離れようと促す。

「部屋ならいいのですか?」

 どこかからかうように質問されて、結衣は自分が思いきり墓穴を掘ったことに気付いた。赤い顔を見られないように先をずんずん歩きながら、渋々頷く。

「……いいですよ」

 ぼそぼそと答える。
 すると結衣が掴んでいた手が外されて、手を繋ぐ形になった。羞恥から速足になっていた結衣の隣にアレクは並ぶと、また真顔で名を呼ぶ。

「ユイ」
「何ですか?」
「好きです」
「~~っ、また! TPO!」

 叫ぶように結衣が言うと、アレクはくすくすと笑いを返す。

「時と場所と場合ですね、覚えましたが、リヴィドール流では思った時に言うんですよ」
「へりくつを返さないでくださいっ、もうっ」

 結衣は怒った顔で返したが、赤い頬をしているので、あまり説得力が無い。
 周りの人の微笑ましそうな視線が恥ずかしく、その辺に穴を掘って埋まりたくなった。



 春の庭は色とりどりの花が咲き誇っている。
 赤い薔薇が咲く場所を歩きながら、アレクは結衣の顔を覗きこんだ。

「室内ではありませんが、ひとけが無いので、言っても構わないでしょうか?」
「駄目って言っても、言うじゃないですか。外国人じゃないんですから、こんな公衆の面前で……って、そうだった、外国どころか異世界人だった!」

 文化の差があって当然だったと、結衣は頭を抱えた。

「そうですね、違う世界です。……ユイはひどい人ですね」

 結衣がはっと顔を上げると、アレクの緑の目は寂しそうに揺れていた。

「鍵を持つのはあなただけなのに、私は会いに行けないのに……。フェアではないと恨みを言いたくなりますが、最初がそもそもフェアではなかった。あなたにとっては全く関係の無いこの世界に、一方的に招かれたお客人でしたから」

 アレクは結衣の手を取ったまま、深く溜息を吐いた。

「だから会いたくても耐えるのは仕方ないのだと、自分に言い聞かせていました。ですが好きなのは私だけなんでしょうか? あなたは私に会いたいと思わなかったのですか? この三ヶ月、一度も?」

 表に出さなかっただけで、アレクも感じていたらしい。
 周りにも三ヶ月も会いに来ないのは無いと責められたが、これが一番結衣にはこたえた。

「アレク、ごめん。ごめんなさい」

 涙が勝手に溢れてきた。泣くなんて自分勝手だと分かっているが、止まらない。

「私はアレクが好き。大好きです。でも、私、小さい頃から追いかけてきた夢があるの。犬の訓練をする仕事よ。ずっとそれだけ見て、生きてきたの。そのための転職活動をしてて、なかなか上手くいかなくて、だから会いに来なかった。でも私、どうしたらいいか分からない」

 地球で生きてきた自分と、リヴィドールにいる大切な人達。どちらを選ぶなんて、結衣には出来ない。

「選べない。今はまだ、どっちも同じくらい大事だから、順番なんて付けられない」

 結衣はその場にしゃがみこんだ。白いドレスが汚れるとか、そんな気遣いをする余裕もない。
 なにげなく、ずっと目を反らしてきたことだった。

「本当にひどいと思う。ごめんなさい。アレクが優しいから、私、ずっと甘えてた」

 ひっくと嗚咽が漏れる。泣くなんて卑怯だと思うけど、傷つけたと思ったらたまらなかった。
 その時、ぎゅっと抱きしめられた。
 アレクが地面に膝をついて、結衣を抱きしめたようだ。

「……すみません。追い詰めるつもりは、ただ、ちょっと恨みごとを言いたかっただけなんです。そうしたらもう少しくらい、自分の世界にいる時も、私のことを考えてくれるのではないかと……女々しいですね。しかし、あなたの甘え方は分かりにくくて困ります。全然気付きませんでした」

「なんで? 結婚したいって言ってくれたのに、ずっと返事を保留してるのよ。甘えてるじゃない」
「どこがですか。交際からと決めたのですから、私が待つのは当たり前のことです」

 呆れたように言って、アレクは結衣の背中をぽんぽんと軽く叩いた。結衣はまた泣きそうになりながら問う。

「私、今、どちらかに決めなくちゃ駄目? 私達、ここで終わり?」
「すみません、私が謝りますので、どうか結論を早まらないで下さい」

 慌てたように言って、アレクは結衣の肩を掴んで覗きこんでくる。

「そもそも、今、選んだら、終わるのですか?」
「……分からない。でもアレクがそうした方がいいって言うなら、きっとそうしてしまうと思う。私は選べないの、ごめんなさい」

「責めているわけではないので、落ち込まないで下さい。私だって選べません。傍にいて欲しいのは本音ですが、幼い頃から目指してきたものを取り上げるなんて、酷な真似も出来ません。それでユイが不幸になるのでは、全く意味が無い」

 結衣の目からまた涙が落っこちた。
 アレクは本当に優しい人だ。そして結衣を本気で想ってくれている。

「ですがどうか許して下さい。私はきっと、近い将来、どちらかを選ぶように言うでしょう。異世界に行く鍵を持つのはあなたで、私はこの世界の住人です。王という立場もあり、妃の座をずっと空席には出来ません。私の他に代わりがいないので、どうしようもないのです」

 苦々しい顔で、アレクは言った。

「分かりました。リミットを設けましょう。半年下さい」

 結衣は案を出した。期限を決めるのは互いにとってもいいことに思えた。しばらくの沈黙の後、アレクも頷いた。

「……半年ですね、分かりました。その代わり、条件があります」
「条件?」
「ええ、悔いのないものにして下さい。あなたが心から納得して、決めることが最も大切です。中途半端に私を選ばないで下さい。そうしたらきっと私は怒ります」

 結衣の目から、涙がボロボロと零れ落ちた。

「なんでそんなに優しいんですか」
「どうしてって……あなたが好きだからですよ。でなければここまで言いません。私はあなたの選択も守りたいんです」

 アレクの温かさが、今は結衣の胸に突き刺さる。
 出来ることならアレクの気持ちに応えたい。でも目指してきた夢が結衣の手を掴んでいる。
 この場で選ぶには、どちらもあまりに重すぎた。



 その後、結衣はどうしてもアレクの顔を見ていられず、庭でアレクと別れて聖竜教会に足を向けた。

「ソラ!」

 聖竜の寝床に駆けこんで、昼寝をしていたソラの尻尾に飛びついた。ソラは驚いたようだったが、結衣が泣いているのに気付いて優しい声をかけてくれた。

『どうしたのだ、ユイ。そんなに泣いて。誰かにいじめられたのか?』
「私、本当にひどい奴だわ」
『ひどい人間は、そんな風に泣かない』
「ひどくて馬鹿で最低なのーっ」

 尻尾にひしっとしがみついて、結衣は訴えるように泣き出した。
 ソラは戸惑ったようだが、しばらく結衣の好きなように放っておいてくれた。結衣がようやく落ち着くと、話を聞きだしたソラは頷いた。

『なるほどな、夢か結婚かで悩んでおるのか。そうだな、確かに選ばねばならない。その時が来たら言おうと思っておったがな、ユイ』

 ぐずぐずと鼻をすすりながらも、柱にもたれかかって座っている結衣に、ソラは顔を近付ける。

『この世界で生を全うしたいのなら、チキュウという世界のことは諦めなくてはいけない』
「どういうこと?」

 膝を抱えた格好で、結衣はソラの青い目を見つめる。

『そなたがこちらにいる間、元の世界の時間は止まっている。だが、ユイはこちらに来て、いくばくか時間を過ごしているだろう? いずれこのひずみがユイの負担になる。そうなったら、我は別れの時が来たと告げねばならん。ああ、そんな顔をするな、まだまだずっと先の話だ。まだ三回目だから、大したことはない』

 別れと聞いて結衣がショックを受けたからか、ソラが慌てて断った。

「半年はもつかな?」
『ああ、恐らく十年は平気だ。だが、盟友と結婚して家族になったとして、突然会えなくなるのは嫌だろう?』
「うん、それはすっごく嫌」

 想像しただけで、胸に重石が乗るような気分になった。

『ユイがチキュウに帰るだけなら、鱗を返してもらうだけで良い。それで終わりだが、こちらでずっと暮らすつもりなら、話は別だ。そなたにはすでに、チキュウで過ごしてきた時間があるだろう?』
「ええ、そうね」

『それが時間のひずみを生み出すのだ。だからここでずっと暮らすつもりなら、チキュウで過ごした時間そのものを消さなければならない。二度と戻れなくなる。チキュウでの存在が消えるからな』
「存在が、消える……」

 結衣が愕然とつぶやいた。結衣は混乱して、右手を挙げた。

「えっと、待って。私の家族はどうなるの?」
『ユイが生まれなかった家庭へと調整されるぞ』
「なるほど、行方不明で親を悲しませる事態にならずには済むのね」

『そういうことだ。だが、本物の天涯孤独になるぞ。まあ、家族は我がいるから一人ぼっちにはさせないがな。この話は、盟友にはすでにしている。ひずみが降り積もればユイの負担になると教えた。だから盟友は、いずれ選ぶように言うとユイに話したのだろう。辛いだろうが、ユイ、どちらを選ぶかは、そなたが決めることだ』

 結衣は力なく頷いた。
 あまりにも重大な選択だ。今はどうしていいか分からない。

「アレクから、半年の時間をもらったの。その間に決めるわ」

 そう返しながら、結衣の頭の中を、ソラの言葉がぐるぐると回っている。

『うむ、そうするがいい。だが忘れないでくれ、ユイ。我らはユイの幸せを願っている。何を選んでも受け入れる』

 結衣は目の前にあるソラの鼻面に飛びついた。

「……ありがとう。後悔しないようにする」
『そうしておくれ』

 ぎゅっとしがみつく結衣に、ソラは兄のような父のような、慈愛のこもった目を向けていた。

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