暁の細工師レニー

草野瀬津璃

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第二幕 嘆きの乙女

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「どういうことですか、坊ちゃま。怪盗が誰か分かったというのは」

 エリックの話に、ダリアンは怪訝な顔で質問してきた。

「あのワインを零してドレスを汚した女性だよ。――正確には、女装した男のようだが」
「男!? 坊ちゃま以外にも、見分けがつかないレベルの女装をする方がいるんですか?」
「変装が得意なんだろう。今日、もしエレインが来ていたら、すぐに見抜いただろうけどね」
「エレイン嬢はデザイナーとして目が肥えてらっしゃいますからね……」

 ダリアンはそう返したが、いまだ半信半疑のようである。

「分かったのは、レニーの兄が、僕の女装仲間がいると揶揄やゆしたことだ」
「そんな失礼なことを申し上げたのですか、あの男。流石は田舎娘の兄、礼儀がなっておりませんね」

 ダリアンは毒を吐いて、怖い目をした。

「だが、お陰で今回は助かった。――ダリアン、目の前にあるけれど、誰も探さないのはどこだと思う?」
「そんな場所がありますか?」
「あるだろ? 女性のドレス、それもスカートの中だよ」

 エリックが答えると、ダリアンの頬がひくりと引きつった。

「た、確かに、そんな失礼な真似はいくら非常事態でも出来ません……」
「それが貴族のご令嬢なら尚更だろう?」

 エリックはそう問いかけて、ネタ晴らしをする。

「筋書きはこうだ。怪盗は二人いる。一人はあのドレスの女、もう一人は恐らくメイドだ」

 控室で主人の着替えを警備員に覗かれ、騒いだメイドのことを思い出したのか、ダリアンは頷いた。

「ドレスの女がドレスを汚し、一度注目を浴びる。その間に、メイドが玩具を出入り口の目立たない場所に落としてくる。今度は風船が割れて、玩具に皆の注目が集まった。その間に、ドレスの女が近くのテーブルの下に、発煙筒かな? あれを放り込む。そちらに驚いて悲鳴を上げれば、皆、そちらを見るから注意がそれる」

「目立たないメイドが他のテーブルの下にも発煙筒を投げ込んで、広間は煙でいっぱいになった。――なるほど。そして私の隙をついて、レニー嬢を連れだした」

 ダリアンは首肯したが、疑問があるようだ。目で促すと、ダリアンは答えた。

「しかし、あの山猿のような娘が、騒がずに連れていかれるでしょうか?」
「まあ、そこはレニーに会って聞いてみないと分からないけどね」
「そうですか。では、その後、レニー嬢はどちらへ?」

 エリックはあっさりと返す。

「簡単だ。ドレスの女は、レニーを連れて、そのまま控室に入るだけ。もともと、着替えの為に控室に行こうとしていたんだ、誰も不審には思わない」
「……そして着替える振りをしながら、眠らせたか何かしているレニー嬢を、堂々とドレスの中に転がしていたというわけですね……。最近のドレスはスカートのボリュームが大きいので、あんな痩せっぽちな娘一人くらいは隠せますね」

 ダリアンは驚いた様子で何度も頷く。

「ですがその後は? あの厳重な警備の中、どうやって外に出たんです? ――あ、もしかして、替えのドレス!」
「ご名答。ドレスの入った衣装箱にレニーを隠して、あとは堂々と表から出て行くっていうわけだ。――彼女の住所は?」

 ダリアンはすぐに帳面を取り出して、招待客リストを確認する。

「西の――エドソン通りの方ですね」
「よし、行くぞ。警察にも連絡を」
「使いを送ります。参りましょう」

 すぐに行動に移り、エリックはダリアンとともに馬車に乗り込んだ。移動しながら、ダリアンがエリックに問う。

「しかし、どうしてまた、レニー嬢なんかを連れていったんでしょうかね? あのこそどろの狙いは、美術品だけでは?」
「さあ、そこまでは僕も分からないよ。分かってるのは、腹が立つから、豚箱に蹴りいれてやりたいってことくらいかな」
「下品ですよ、坊ちゃま。そういったことは私にお任せ下さい。今回は仕方がないのでお連れしますが、後ろにいて下さいよ」

 ダリアンはそう言うと、ちゃきりと銃を確認した。

「よろしく」

 エリックは澄まし顔でそう返した。



「ミス・ロゼットの馬車は、あれですね。赤みがかった茶色で、背面に薔薇の紋様が書かれてました。ほら、あの時計塔の傍のものです」

 エドソン通りまでやって来ると、ダリアンが馬車の窓の外を示した。ガス灯の明かりだけではエリックにはよく分からないが、ダリアンには見えているようだ。

「住所は?」
「ええ、まさにこちらですね」

 御者に馬車の番を任せ、エリックはダリアンとともにさっそく時計塔に乗り込んだ。
 中は真っ暗だった。
 このままでは何も見えないので、ダリアンがジッポライターに火を灯して、その明かりを頼りに階段を上る。
 壁に沿って続く螺旋階段をゆっくり上っていくと、急にひらけた場所に出た。
 ちょうど時計盤の真裏。歯車が動く不気味な音が響いている。文字盤の隙間や一つの窓から星明りがぼんやり降り注いでいるものの、新月では明るさが足りない。
 ダリアンがジッポライターの火をかざし、周囲を見回した。びくりと足を止める。
 窓の少し前、白いソファーにレニーが座っていた。

「レニー!」

 エリックは名前を呼んだが、レニーはぴくりとも反応しない。焦ってそちらに歩み寄ろうとした時、ダリアンが手を出して止めた。
 窓のすぐ傍、暗がりに男が一人立っていた。

「予想よりずっと早い到着ですね。エリック・リッドフォードでしたっけ? あなたは警察よりも感が良いようだ」

 窓からの薄らぼんやりした明かりだけでも、男が平均的な身長で、黒い髪をしているのが分かった。顔の上半分には銀色の仮面をつけている。

「お前の目的は美術品じゃなかったのか?」

 エリックの鋭い問いかけに、男は頷いた。白い手袋をはめた手が、コインを持ち上げる。銀色に鈍く光るそれは、嘆きの乙女だ。

「確かに頂きました。まあ、元は私の物なので、返してもらったというのが正しいんですけどね」

 そう言うと、布の袋に入れて、上着の胸ポケットにコインを入れた。

「そう怖い顔をしないで下さい。彼女には何もしていませんよ。ちょっと眠ってもらっているだけです」
「どうして彼女を? 言っておくが、彼女は妹のディアナではなくて、替え玉の――」
「レニー・ソルエンでしょう?」

 男はきっぱりと言い切った。
 驚いたのはエリックだけではない。ダリアンもたじろいだ様子で、肩が少し揺れた。
 男は窓辺を離れて、眠るレニーの隣に立った。

「分かってるなら何が目的でレニーをさらった?」
「ははっ、目的なんてありませんよ。強いて言うなら、彼女自身だ。実は一目惚れしてしまって」
「冗談は必要ありません」

 ダリアンがぴしゃりと言ったが、男は首を横に振った。

「本当なのにな。彼女が変装していても、一発で分かりました。私は人の顔を覚えるのが得意でね」

 男が手の平を合わせると、ポンッと音がして、青い薔薇が現われた。なんでもない様子で手品を披露した男は、エリック達がにらむのも構わず、青い薔薇をレニーの髪に差し入れた。

「カツラがない方が綺麗なのに、もったいない。いいですよね、金色。永遠の色だ。彼女のはとりわけ、暁のようです」

 どうやら本当に、レニーを知っているらしい。
 エリックがどういう知り合いだろうと怪訝に思っていると、男は首を傾げた。

「暁の女神、ご存知ですか? この国の創世神話に出てくる女神。まさにそれだと思いました」

 ダリアンが鼻で笑う。

「それは大した評価ですね。田舎娘が女神ですか」
「見る目がない方だ。磨けば光ると思いますけどね」

 カツラとはいえ、レニーの髪に触れる男に、エリックはなんだかイラッとした。

「おい、レニーに触るな」

 男はパッと手を広げてみせた。

「そうカリカリしないで下さい。―― 一目惚れした相手が、欲しい物を持って座っていたので、つい連れてきてしまっただけですよ。少し話したらお返ししようかと思ってたのに、残念ですね」

 仮面のせいで本当か分からないが、少なくとも見た感じでは、本気でがっかりしているようだ。
 エリックは思わず質問をぶつける。

「本気か?」

 男は頷いた。

「お嫁さんに来ないか聞いてみようかと思う程度には」
「面白い冗談ですね」

 ダリアンはばっさり切り捨てた。

「ふふっ、恋をすると男っていうのは馬鹿になるものなんですよ。お二人とも、彼女に伝言をお願いしますよ。『またどこかで会いましょう』うん、こんな感じで」
「ふざけるな。君はここでお縄につくんだよ」

 エリックが厳しく返すと、ダリアンが銃を男に向ける。

「良いんですか? この暗さ、この距離です。レニー嬢に当たるかも」
「そんなヘマはしません」

 男に構わず、ダリアンは狙いを定める。

「そうですか。――メラニー」

 男が誰かの名前を呼んだ。まさか他にまだいたのかとダリアンが焦って周りを見回した瞬間、影から黒猫が一匹飛び出してきた。

「なっ」

 人を探していたので、とんだ不意打ちだ。黒猫はダリアンの顔に飛びかかり、思わず腕でガードしたダリアンの手を思い切り噛んだ。銃がごとりと音を立てて床に落ちる。
 拾おうとしたエリックを、黒猫はフシャアと鋭く鳴いて威嚇する。

「では皆様、ご機嫌よう」

 窓を開け放った男は、楽しげに挨拶した。そして、外へと飛び下りた。黒猫が続いて闇へと消える。
 エリックは窓へと飛びついた。
 時計塔は三階建ての建物くらいある。この高さだ、打ち所が悪ければ即死である。
 しかし下には誰もいない。代わりに視界に入り込んだのは気球だった。そこから伸ばされた縄梯子に掴まった男が、ひらひらと手を振っている。その肩に黒猫の姿があった。

「……怪盗か。確かに神出鬼没だな」

 猫に噛まれた手を押さえて、ダリアンが恨めし気に気球を睨む。

「ブラックリストに入れました。次は仕留めます」
「安心しろ、ダリアン。あの怪盗、晴れて我が家の敵に公式認定だ」

 黒い笑みを浮かべるエリックに、ダリアンは頼もしそうに頷いた。

「リッドフォード家を敵に回すなんて、警察よりもおっかないですよ。ざまあないですね」

 ダリアンは小さく息をつき、エリックから銃を預かって、安全装置を付ける。

「それより、レニーだ。――レニー?」

 エリックは窓から離れて、レニーの前にしゃがみこんだ。名前を呼んで、軽く揺さぶってみるが、全然起きない。頬に軽く触れてみると、ひやりと冷たい。

「レニー、大丈夫?」

 不安になってもう一度揺さぶると、レニーがゆるゆると目蓋を開けた。

「……エリック?」

 ぼんやりとした目で、レニーがこちらを見た。名前を呼ばれて、エリックはほっとした。レニーはきょとんと瞬いて、周りを見る。

「あれ? なんだか暗いわ。どこ、ここ」
「君、怪盗にさらわれたんだよ。それで僕らが助けに来たんだ」
「怪盗に……? よく分からないわ。うーん、なんだか頭も重い……」

 レニーはこめかみに手を当ててうめき、そこで髪に差さっている物に気付く。

「何かしら、これ」
「うん、ただのゴミだよ」

 何故か知らないが青い薔薇にムカついたエリックは、レニーの髪から素早く薔薇を抜き取って、床に放り捨てた。それをゆっくりした動作で見たレニーは、不思議そうに問う。

「えっ、ゴミって……。あれってお花じゃない?」
「いいえ、花の形をしたゴミですね」

 ダリアンもきっぱり言った。

「は、はあ……そうなの? 訳分かんないけど、そこまで言うならゴミでいいわよ」

 レニーはちらりとエリックを見る。

「ねえ、怪盗ってことはもしかして盗まれちゃったの? とても怖い顔をしてるわ」
「え? 盗まれる?」

 エリックは指摘されて、嘆きの乙女のことをすっかり忘れていたことに気付いた。レニーは首を僅かに傾げる。

「違うんなら、何をそんなに怒ってるの?」

 更なる指摘に、エリックは密かに動揺した。怒りという感情は益にならないので、表に出さないように普段から心がけているのだ。だというのに、傍から見ても分かる程、エリックは怒っているらしい。
 エリックは頭の中で三秒数えて冷静さを取り戻すと、レニーに頷いてみせた。

「……いや、そうなんだ。奴に嘆きの乙女を盗まれたんだよ」
「やっぱり。……ごめんなさい」

 レニーはしょんぼりとうつむいた。

「なんで君が謝るの?」
「だって、役に立たなかったんでしょ? それにまたディアナ様と間違えてさらわれたんでしょう? 迷惑かけちゃったわ。ごめんなさい」

 申し訳なさそうに謝罪するレニーの様子に、エリックはダリアンの方を振り返った。ダリアンも怪訝そうにしている。

「失礼ですが、レニー嬢。あなたはあの怪盗と面識があるのではないのですか?」
「はい? 私の知り合いに、そんな変な人はいません」
「しかしあなたに一目惚れしたとか嫁にしたいとか、ふざけたことを言ってましたけど」
「……大丈夫? ダリアンさん。夢でも見てたんじゃないかしら」

 レニーは深刻そうにダリアンを見た。エリックは噴き出した。

「あははは、ダリアン、君、どうかしてると思われてる」
「まったく失敬ですね。事実を申し上げてるんです。ええと、なんか鳥肌ものの褒め言葉も聞きましたよ。そうそう、暁の女神とか」
「暁の女神……なんだかどこかで聞いたわね」

 レニーが思いがけず悩んだので、エリックとダリアンは「えっ」と声を揃えた。
 少し考えたレニーだが、頭を振った。

「悪いけど、今は頭が痛くて考えられないわ……。それに寒いし、なんなのここ」
「時計塔の中です」

 ダリアンが文字盤を示すと、ようやくレニーは合点したようだった。
 こんな冬の夜に、外套もないのでは体も冷えるだろう。エリックはフロックコートを脱いで、レニーの肩にかけた。

「あ、ありがとう、エリック」
「いいんだ。それより医者に行こう。頭が痛いんだろ?」

 エリックがレニーを抱えると、ダリアンがそれを止める。

「坊ちゃま、私が運びますよ」
「君は駄目」
「何故ですか?」
「駄目ったら駄目だ」

 ダリアンの天然の毒牙から友人を守るべく、エリックはダリアンの手を拒否した。

「自分で歩ける……と言いたいとこだけど、本当に頭が重いの。お世話になるわ」

 レニーは疲れた様子でふうと息をつくと、エリックにもたれかかった。ドレス越しでも、レニーが細いのが分かる。いつも元気だから別扱いしていたが、こうしてみるとなんとなく頼りない感じで、女の子なのだとふと気付いた。

「坊ちゃま?」

 呆然と立っているエリックに気付いて、ダリアンが声をかける。

「あ、ああ、行こう」

 エリックは階段の方に向かいながら、何故だか胸がドキドキするのに、内心首をひねった。
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