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本編
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しおりを挟む寮は個室で、それぞれの部屋にトイレと風呂がついている。
消灯時間は夜の十時で、それまでは談話室のような共有スペースを使ったり、他の部屋を訪ねたりしてもいい。
十時以降は部屋からは出られないが、遅くまで読書や勉強をするのは自由だ。それで翌日、授業に響いたとしても、自己責任である。
お風呂を済ませると、ルシアンナはネグリジェの上に白いガウンをはおり、メイベルとともに部屋を出た。
大食堂でメアリと会ったので、後で部屋を訪ねると言ってある。
「メアリ、失礼して構わないかしら」
「は、はいっ、どうぞ!」
メアリの部屋を訪ねると、メアリが緊張した顔で扉を開けてくれた。シンプルなネグリジェに、薄手の桜色をしたショールをはおったメアリは、パジャマ姿なのに可愛らしい。
メアリの部屋はピンク色と白色の物が多く、いかにもヒロインの女子力にあふれる部屋という感じで、ルシアンナは思わず目を奪われた。
「可愛らしいお部屋ね。素敵だわ」
全世界の乙女の夢を詰め込んだら、こうなるのでは? という雰囲気だ。チェストにのった、白いうさぎのぬいぐるみなんて、抱きついてしまいたいくらい。
(あれって確か、小説に出てきたわ。エドウィンがこっそりプレゼントしたのよね)
エドウィンからのプレゼントに、大事な母親の遺品――リボンを結びつけている。メアリの気持ちがだだ漏れで、ルシアンナはほっとした。これならきっと、ルシアンナの話を聞いてもらえる。
「子どもっぽいかと笑われるんじゃないかと思いました」
「わたくしも、こんなお部屋に住んでみたいわ。でも、我が家は代々受け継がれた家具を使わないといけないの」
造りが立派なものだから、親から子へと引き継がれ、修理しながら大事に使っている。それが素晴らしいことだと頭では分かっているのだが、ルシアンナは自分で選んだ新品で、身の回りを固めてみたかった。
「私もルーシーの部屋を見てみたいです。代々受け継ぐっていう、貴族の考えも知りたいですし」
メアリは真面目にとらえたようで、勢い込んで言った。
「って、迷惑……ですよね」
「そんなことはないわ。わたくし、お友達の部屋に遊びに行ったことがないし、招いたこともないの。今度、ぜひいらして。今日は突然ごめんなさいね、どうしてもあなたと二人きりで話したくて」
「座ってください。ハーブティーを用意したんですが、お好きですか?」
「カモミールね、うれしいわ」
テーブルにはハーブティーとお菓子が置かれ、白い肘掛け椅子にはピンク色のクッションがのっている。ルシアンナが座ってみると、思いのほかふかふかしていた。
お茶を飲んでから、ルシアンナはメアリをうかがう。彼女は緊張で強張った顔をしていた。
「あの……もしかしてエドウィン様のことですか?」
メアリは今にも泣き出しそうに、顔をゆがめた。
「大丈夫です、ルーシーが心配するようなことはありませんから」
「ええと……それはあなた達が両想いだという話のこと?」
「えっ」
ルシアンナが指摘すると、メアリは慌てだした。
「ち、違います! 私はそんなんじゃありません。ただの憧れで……。ほら、王太子殿下はかっこいいから、ファンの一人として!」
メアリ、それだとエドウィンの気持ちは否定していないことになるわよ。
パニックにおちいっているメアリの言葉に、ルシアンナは苦笑する。
「いいのよ、責めてないわ。むしろほっとしたの。メアリが、エドウィン様のことが好きで」
「…………はい?」
メアリはぴたっと動きを止めた。
訳が分からないという顔で、数秒フリーズする。
「ルーシーは、婚約者として私を叱りにきたのでは?」
「違うの。あのね、まず、わたくしはエドウィン様を愛していないの。あの方の人となりは尊敬しているし、友人や戦友としては好きよ? でも、まったく好みじゃないのよね。ねえ、わたくしの魔法が植物だと知ってるでしょう?」
「はい! ルーシーがいるだけで、周りの植物も元気になって、収穫量が二倍に増えたそうですね。豊穣の女神様みたいで憧れます」
メアリは目をキラキラと輝かせて言った。いつわらぬ本音なのだろうが、ルシアンナはむずむずした。
「そんなことを言うなら、あなたの癒しの魔法は聖女みたいだわ。王家は、わたくしの魔法に目をつけたの。だって、収穫量が増えるのよ? 国の利益になるわ。それでわたくしと王太子殿下の政略結婚を決めたのよ」
「はい」
「でも、わたくし、王太子殿下の婚約者という立場がつらくてしかたがないの。殿下のことは恋愛では好きではないし、わたくしには持病があって」
「……持病ですか?」
メアリの表情が真剣なものになり、ルシアンナを案じてこちらを観察し始める。
ルシアンナは自分の家族のこととパニック障害のこと、エドウィンといると緊張して体調が悪くなるのをがんばって誤魔化していることなど、全部を丁寧に教えた。
話を聞き終えたメアリはしばし呆然としていたが、顔をゆがませて泣き出した。
「ルーシー、なんて良い人なの! 私なら、そんなことをされたら、雑巾のしぼり汁を紅茶に混ぜるくらいするわ!」
「あなた、そんな真似をするタイプだったの?」
ちょっと引いた。メアリを怒らせないようにしよう。
「言葉のあやです。実際はしませんよ? でも我慢しないで、喧嘩をしにいきますけどね」
本当に、メアリはルシアンナと真逆だ。元気が良くて、敵にも正々堂々と立ち向かっていく。
「それでね、怒らないで欲しいのだけど。実はラド……ラドヴィック・アーヘンと……」
ルシアンナがたくらんでいたことを暴露すると、メアリは驚きに目を丸くして深く頷く。
「ああ、それでアーヘン様、私にやたら構ってたんですね。本気じゃないのは分かってました。でも、私、一人ぼっちだったから、アーヘン様の茶々でも助かったのは事実で……。ちょっと甘えてしまいました」
「甘えるって?」
ドキッとする響きだ。恋人みたいなことをしたのだろうか。
「追い払わなかったってことですよ。だって、教室が移動になったことを誰も教えてくれないし、ペアを組まないといけない課題でも相手がいなくて。アーヘン様が何を考えてるのか謎でしたけど、ありがたく助けてもらってたんです」
「そうだったの? わたくしに声をかけてくれても良かったのに。気づかなくてごめんなさい」
「ルーシーはエドウィン様と組まれていたでしょう? いいんです、なんでもかんでも頼るのは、友達とはいえませんから」
メアリは強くて、前向きだ。ルシアンナは感心する。
「でも、まさか、私達が初対面で恋に落ちたのに気付いたから、くっつけるために、殿下の邪魔をしてただけなんて! アーヘン様、面白すぎるわ。それで、ルーシーのことを好きになって、本気で助けようとしてる。ちゃんと話さないといけませんね、これは」
ふふっとメアリは微笑み、そのままにやにやと悪い顔になって笑う。
「気持ちをもてあそぶようなことをして、ごめんなさい。でも、わたくしからは婚約を断れないから、殿下にがんばってもらいたかったの。あなたは殿下のことを好きでいていいし、想いをとげてもいいのよ? でも、まずは婚約破棄しないと。順番を守らないと、貴族社会では後ろ指をさされるわ」
「それは、平民でも同じですよ。でも、うれしいです。私、我慢しなくていいんですね。エドウィン様のこと、好きだと言っていいんですね」
抑えてきた気持ちを自由にしていいのだと悟ったメアリは、今度は涙ぐんだ。
「ええ」
「ルーシーがアーヘン様のことをお好きだなんて、想像もしてませんでした」
「え? それは違うわ。ラドのことは友人だと思ってるのよ。あちらがわたくしのことを好きみたいなの」
「……えっ、好きじゃないんですか!?」
メアリがテーブルに乗り出し、カップがガチャンと鳴った。
「婚約破棄した後に、改めて告白するから選んでくれっておっしゃってたわ。良い人よね、本当に。わたくし、いつも誰かのこうしろと言われていたから、選ぶのはわたくしだっておっしゃってくれて、とてもうれしかったわ」
「アーヘン様って、良い人で終わりそうなタイプなんですね。ロマンス小説で、よくいるんですよね」
「ロマンス小説?」
「これですよ」
メアリが本棚から持ってきたのは、粗悪な紙で作られた文庫本だった。開いてみると、ベタベタな恋愛小説のようだ。前世ではよく出回っていたが、ルシアンナとしては手に取ったことがない。母親から全面禁止されていたせいだ。
「庶民の間で人気なんです。でも、貴族は読まないんですって。図書室にはおかたい小説や学術書しかなくて、がっかりしました。恋愛ものでも、戯曲とかだけで。あんなに本があるんだから、たくさん読めると思ったのに」
でも、スプリング家に入ってから毎月おこづかいをもらえるようになったので、こっそり買っているのだそうだ。
「ルーシーには悪いですけど、私、アーヘン様を応援します! ルーシーにも幸せになって欲しいですから。みんなでハッピーエンドを目指しましょ!」
そして、メアリはエドウィンの説得は任せて欲しいと言い切った。
「ええ、エドウィン様にはわたくしからもお話してみるから、助けてくれるとうれしいわ」
ルシアンナはメアリと固く握手をかわす。
それからいそいそと文庫本を示す。
「ところでこの本、お借りしてもいいかしら?」
「もちろん!」
周りにばれると印象が悪いだろうからと、メアリはわざわざブックカバーをかけてから貸してくれた。
自室に戻ると、メイベルがしぶい顔をしていた。
「その本が、お嬢様に悪い影響を与えないといいですが」
こういう考えは、メイベルも母に寄っている。青少年に悪影響を与えるものだと思い込んでいるところがあった。
「とりあえず、一冊だけよ。終わったら、どれだけ悪いものか、あなたも読んで確かめてみればいいわ」
「でも、庶民の本なんて……」
「メイベル、お願い!」
ルシアンナが両手を組んでお願いポーズをとると、メイベルは一瞬で陥落した。鼻を押さえて顔を真っ赤にする。
「お嬢様の『お願い』! 可愛いぃぃっ。はあはあ、スプリング様、感謝ですわ!」
呼吸があらいのがちょっと怖いが、この世界で初めて手にする、勉強以外の本のためだ。
結局、ルシアンナの後にメイベルも読み、二人そろって恋愛小説の魅力にどはまりした。
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