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最終章 氷室 霰のレクイエム

25 魔法なんていらない

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「どう、して……」

 ドルミーレが、小さくつぶやく。
 剣戟の音に埋め尽くされていた室内には、一気に静けさが押し寄せて。
 彼女が膝をつく音さえも、よく響いた。

「どうして……私が、負け────私は、この世界そのものの力を、背負わされて……全てを、下す力を……」
「もう、あなたにもわかっているはずだよ、ドルミーレ。あなたは、力で押し負けたんじゃないって」

 足が震えて、私もまた膝をつく。
 今の一撃に全てを吸い取られたみたいに、全身に力が入らない。
 ドルミーレと正面から向き合う形になって、私は言った。

「あなたは、弱かったから負けたんじゃない。あなたは、独りだったから負けたんだ。誰も寄せ付けないで、全部を跳ね除けてきたから、負けたんだよ」
「…………私に足りなかったものは、繋がりだって……?」

 胸に突き刺さる金色こんじきの剣を見下ろして、ドルミーレは唇を震わせる。
 そこに今までの威圧的な風体はなく、掠れて消えそうなほどに弱々しい。

「でも、私の力は、この魔法は……世界に望まれた力。あらゆるヒトビトが焦がれた、大いなる力。それを一心に背負う私が……そんなものを持ち得なかったからって……」
「魔法は、神秘は、とてもすごい力。人の手に余るくらい、大いなる奇跡。でもそんなものは、結局人には必要ないんじゃないかな。あったら便利で、素晴らしく感じられるかもしれないけど。でも大切なものはそこにはないと、私は思うよ」

 魔法があったら何をするか。
 そんなことに憧れをいだいていた頃も、確かにあったけれど。
 でも今ははっきりと言える。魔法なんていらないって。

 人の身に余る力なんて、手にするべきじゃないんだ。
 そんなものがなくたって、人は前に進むことができる。

「確かに、大きな力は何かを成し得るかもしれない。でも本来人が持つべきじゃない力は、人を縛り付けちゃう。あなたのように、振り回されてしまう。そして大切なものを、見失ってしまうんだ。だから、魔法なんて、神秘なんて、いらなかったんだよ」
「……けれど、世界はヒトに神秘を与えて……私に、魔法を与えた。前に進めと、高みに、登れと。私はそんなもの、興味なんてなかったけれど……でもみんながそれを望んでいて。それなのに私は、世界から疎まれて……」
「それに関しては、あなたは悪くなかったかもしれない。でも結果あなたは、力に振り回されて、溺れてしまった。足りないものを、全てそれで補おうとしてしまった。それは確かな、あなたの過ちだ」

 人は弱いから、どんなに手の届かないものだとわかっていても、無謀にそれを求めてしまうことは、確かにある。
 それに縋って、依存して、全てを委ねてしまいたくなる時が。
 でもそれじゃダメなんだ。だって、どんなに力が足りなくても、自分の手を伸ばし続けて力を尽くすその過程こそが、一番光り輝くんだから。

 努力が必ずしも実を結ぶとは限らないし、頑張ることが美しいとも限らない。
 それでも。何も結果を得られなくても、他人から無価値だと笑われても、それでも。
 自らの望むもののために、一心不乱に手を伸ばし続けることに、きっと価値がある。
 そこに、意味が生まれるはずだから。

 だから、魔法なんていらない。
 奇跡は、未来は、自分の手で掴むものだから。

 そうやって懸命に、必死に生きていれば、必ずそれを支えてくれる人が現れる。
 そこで得た繋がりが、何よりも強い、自分の力になってくれるんだ。

「……ドルミーレ。私はあなたに同情なんかしないよ。どんな事情があっても、あなたは自分の勝手な感情と勝手な事情で、沢山の人を傷つけた。それを私は絶対に許せない。あなたがもう少し誰かを信頼できれば、こんなことにはならなかったはずなんだから」
「しん、じる────したくても、できなかった。だって、もう裏切られたくなかったから。もう、傷つきたくなかったから……信じられるわけ、なかったのよ……」
「でもそうやってあなたが心を閉ざしたことで、代わりに他の人が傷ついた。自分を犠牲にしろとは言わないけど、あなたがもう少しだけ、ほんの少しでも勇気を出せれば、あなたも、あなたの周りの人間も、救われたんじゃないかな……?」
「そんな、もしもの話、なんて……」

 だらりと項垂れて、ドルミーレは言葉を吐き出す。
 今でも、私に敗れても尚、まだ信じることが、認めることができないと。
 いくら言っても、彼女に私の言葉は届かないかもしれない。
 だってドルミーレは、二千年もの間ずっと、孤独の中に眠っていたんだから。

「────ドルミーレ!!!」

 わかり合えない、合えるはずのない私たち。
 向かい合いながら、否定の言葉を投げ合うことしかできなくて。
 そんな私たちの元に、お母さんと夜子さんが駆け寄ってきた。

 二人は金色こんじきの剣に貫かれて脱力するドルミーレに縋り寄って、懸命にその名を呼んだ。

「────あなたたちは、まだ……私に寄ってくるの? 私は、親友だなんて、思ってもいない、のに……」
「そんなこと、今更知ったことか! 私たちは、ずっと君を探して今日まで来たんだ。ちょっとやそっと拒絶されたくらいで、君を見放したりなんかしない」
「そうよ、ドルミーレ。私の気持ちは、昔からちっとも変わらない。もちろん、心が揺れ動くことだってあるかもしれないけれど。でも、あなたを想う気持ちが薄れたことなんて、一度もないんだから……!」

 泣き叫ぶ二人を、ドルミーレは虚な目で見る。
 信じられないものを見るような、理解できないものを見るような目で。
 けれどその瞳には、否定的な色は浮かんでなかった。

「ホーリー……イヴ……あなたたちは、本当に、ばかね。私がどんなに拒んでも、塞ぎ込んでも、あなたたちはいつだってそうやって、私の手を強引に引いて────本当に勝手な、人たち。どうして、諦めないのかしら……」
「絶対に失いたくないからだ。君が、大切な親友だからだ。君を、放ってなんておけないからだ。私たちは、君から離れることなんてできない。だから、いつまで経っても諦められないんだよ」
「昔、もううんと昔。あの日初めて出会った頃から、私たちはずっと、あなたが大好きなままなの。ちょっとやそっとひどいこと言われたくらいじゃ、嫌いになれないくらい。あなたが大好きで仕方ないんだよ。例え、誰が何を言おうと、あなたが何を言おうと……私たちは死ぬまで、あなたの味方なんだから」

 二千年という時を生きてきたお母さんと夜子さんの気持ちは、私では推し量れない。
 でも、人が生きるにはあまりにも長過ぎるその時間は、きっと苦しかったはずなのに。
 それでもここまで一心に生きてこられたのは、その色褪せない気持ちがあったからなんだ。
 それは、関係のない私にも痛いほどよく伝わってくる。

「本当に、ばかね……ばかよ、あなたたちは」

 それを一身に受けて、ドルミーレはポツリとこぼす。

「そんな言葉も、信じられない。信じたくないはずなのに。そこまで馬鹿みたいにしがみついてこられたから……否定するのも、疲れるわ」

 その口元に、僅かに笑みが浮かぶ。
 力なく、かすかに、ひっそりと。

 ドルミーレは砕けた『真理のつるぎ』を手放し、弱々しく腕を持ち上げて。
 そして、自らに縋り付く二人に、そっと手を回した。
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