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第8章 私の一番大切なもの

117 世界を壊すもの

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『────────!!! ────────!!!!!』

 私たちが城を飛び出した時、ジャバウォックは大きく咆哮した。
 その禍々しい叫び声に呼応するように、空間がビリビリと振動している。
 赤雷を轟かせる黒雲もまた、世界を覆い尽くすようにどんどんとその暗闇を押し広げている。

 骨張った大きな翼を羽ばたかせ、ジャバウォックを王都の上空をゆっくりと飛行している。
 その羽ばたき一つひとつが釜風のようにくうを切り裂き、街の建物を乱雑に破壊していく。
 それは災害のようで、しかし世界の自壊のようでもあり、とても人が対処できるものじゃない。
 眼下では、多くの人々が悲鳴を上げながら右往左往していた。

 私たちは高速で飛行して、急ぎジャバウォックの元へと向かった。
 けれど、その一挙一動が害を及ぼすジャバウォックは、次々と街に被害を及ぼしていく。
 それでもまだ、ジャバウォック自体は何かを明確に攻撃するような意思はなかった。
 しかし、ついにジャバウォックは城下へとそのつぶれた顔を向け、奇妙に長く裂けた口をぱっくりと開いた。

「させるか!!!」

 飛んで向かっていては、間に合わない。
 無性に嫌な予感がして、私は空間転移でジャバウォックが見下ろす先に飛び込んだ。
 そこは入り乱れた人たちが沢山溜まっていて、混在と恐怖で逃げ場を失い、みんな硬直していた。

 私がみんなのすぐ頭上に飛び込んだ瞬間、ジャバウォックの大きな口から、闇の泥のような黒いものが吐き出された。
 悪意を煮詰めたような禍々しいエネルギーが暴れるそれは、一直線に街へと放射されて、人々へと降り注ぐ。

 私は急いで特大の障壁を張って、それを防いだ。けれど確かに展開したはずの魔法は、その闇に触れた瞬間にグズグズと形を崩し始めた。
 防ぎきれないと即座に判断して、『真理のつるぎ』から放たれる白光を闇の咆哮に叩きつける。
 私の攻撃は闇の黒をすっぱりと飲み込んで、あっという間に霞と消し去った。

「あぁ、姫様……お姫様が、助けてくださった……!」

 降りかかってきた攻撃が晴れると同時に、街の人たちが次々と歓喜の声を上げた。
 さっきまでの間違った情報に混乱しながらも、今自分たちが助けられた事実を前に、素直に私を仰いでいる。
 ジャバウォックという未曾有の恐怖に直面しながらも、私を見て僅かながらもホッとした顔を見せた人たちを見て、私はこの人たちを絶対に守らなきゃいけないと思った。

「あの怪物は私がなんとかします。この国の姫である、私が! 魔法使いと魔女が、皆さんを誘導して避難させます! 今は、私を信じて逃げてください!」

 みんなを見下ろし、『真理のつるぎ』を振り上げて高らかに語りかける。
 人々は戸惑いを見え隠れさせながらも、導く言葉に大きく頷いた。
 今は縋る人が欲しいからかもしれないけれど、私を信じて任せてくれることが、純粋に嬉しい。

『────────!』

 そして、ジャバウォックが再び吠えた。
 今度は大きく翼を振り回し、暴風のような釜風の塊が撃ち放たれた。

「アリスちゃん!」

 遅れて飛び込んできた氷室さんが、私の前に大きく分厚く氷を張った。
 けれどやはりそれも、攻撃を受けられたのは一瞬で、すぐさまボロボロと瓦解してしまう。
 それでも氷室さんが作ってくれた隙に、私は剣を振るってもう一度攻撃を打ち消した。

 そうこうしているうちに、ロード・スクルドの指示を受けたであろう魔法使いがやってきて、街の人たちの誘導を始めた。
 その様子に僅かながらにホッとして、私は改めてジャバウォックを見上げた。
 恐怖や苦痛、悲しみや絶望をごちゃ混ぜにしたような、負の集合体みたいな怪物。
 歪で恐ろしい姿をした化け物もまた、そのギョロリと飛び出した目でじっくりと私を見下ろしていた。

「アリスに近づくんじゃねぇよ、化け物が!」

 そんなジャバウォックに、レオが巨大な炎の塊を叩きつけた。
 炎はジャバウォックの巨体を丸々飲み込んで、轟々と大きな音をあげて燃え上がった。
 それに続くように、アリアが周囲に大量の鎖を張り巡らせ、爆ぜる炎ごと力尽くで縛り上げる。
 大質量の鎖による拘束は、ジャバウォックをそのまま押し潰さんばかりの勢いだった。

「そんな……!」

 けれど、鎖がジャバウォックを押しつぶす前に、それは全て音を立てて崩れ去った。
 燃え上がる炎も瞬く間に揺らめきを失い、まるではじめから燃えていなかったかのように、跡形もなく消えてしまう。
 そうして姿を現したジャバウォックには、ダメージのかけらも感じられなかった。

「魔法が通用しない!? そんな、無茶苦茶な……」

 ケロリとしているジャバウォックに、私たちは驚きを隠せなかった。
 これは力量的に足りていないという話じゃなく、根本的に届いていないような感じだ。
 ジャバウォックは、私たちが使う魔法を尽く崩してしまっているように見える。
 向こうの攻撃を防ぐにも、こちらから攻撃を仕掛けるにも、全ての魔法が形を失ってしまう。

 相対するにはステージが違いすぎる。
 私たちは改めて、ジャバウォックの存在の恐ろしさに身を震わせた。

「……けれど、全く効かないわけでもない。なら、きっとなんとかなる」

 不安に満たされる中で、氷室さんが私を見つめた。
 この状況下でも冷静さを損なわない彼女の言葉で、私たちは気を引き締めなした。

「その通りだ! この世界に存在する以上、例えジャバウォックでも神秘が届かないわけじゃない!」

 彼方から、影の黒の猫たちの猛突進が飛んできて、ジャバウォックに叩きつけられた。
 それが僅かにその巨体を揺らし、けれどすぐに掻き消されて霧散するのと入れ替わって、今度は激しい花吹雪がその姿を覆い尽くした。
 鮮やかながらも刃のように鋭い花びらがジャバウォックに入り乱れて切り掛かり、しかしやはりそれもすぐに崩される。
 けれど少しジャバウォックが怯んだところで、夜子さんとお母さんがこちらにやってきた。

「ジャバウォックは定まったものを全て崩壊させ、台無しにしてしまう混沌の権化。魔法もまた、その基盤と理論を崩されて、形は僅かしか保てないわ。それでも、そういう性質はあるけれど、ジャバウォック自体に魔法が全く届かないわけじゃないの」

 引き攣った顔でジャバウォックを見上げながら、お母さんは力強い口調でそう言った。
 少し乱暴目に髪を結いて、パチンとポニーテールにまとめる。

「ドルミーレの魔法も、あれの前ではすぐに崩された。でもジャバウォックの力も根本的にはドルミーレの力と同質のものだから、私たちの戦う手段がなくなるわけじゃないわ」
「ただもちろん、決定打にはなり得ない。全てを混濁とさせ、あらゆる法則を乱すジャバウォックに届くのは、全ての答えである真理の力だけだ」
「はい……!」

 確かに、『真理のつるぎ』の力なら、ジャバウォックの攻撃を完全に防ぐことができた。
 みんなと協力してジャバウォックを牽制して、私がこの剣であれを斬る。
 そうすることでしか、あの怪物を倒すことはできないんだ。

 みんなで顔を見合わせて、窮地の中の活路を探す。
 自分たちの力がほぼほぼ通用しないという現状は、恐ろしくてたまらないけれど。
 でも、世界そのものに抗うような戦いなんだから、どんなにちっぽけでも積み上げていくしかない。

『────────!!! ────ッ!!!!!』

 みんなでそう示し合わせた時、ジャバウォックが一際強烈な咆哮を上げた。
 それは今までの呪詛のような叫びとは少し違い、世界を震撼させるような、破裂のような声だった。
 耳を塞いでも体の芯まで響いて、そのままこの世全てと共鳴するような、凄まじい激震。

 それに私たちが縮こまった次の瞬間、空間がビキッと、奇妙な音を立てて裂け出した。
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