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第8章 私の一番大切なもの

96 その顔を

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「どうして……どうしてそんなに……」

 すれ違いを通り越して、もはや意思の疎通が取れないほどにわかり合えないクリアちゃん。
 私のことを思ってくれているのはわかるけれど、何がそこまで彼女を突き動かすんだろう。
 どうして私の言葉すら、彼女の耳には届かないんだろう。

 炎で形成された姿。帽子とマントで隠された素顔。
 クリアちゃんは自らを徹底的に覆い隠していて、その本意は全く窺えない。
 けれど貫き通した『私を救う』という意思だけが力強く全面に押し出されていて、それがとても恐ろしく感じられた。

「ねぇクリアちゃん、どうしてなの? クリアちゃんはどうしてそこまで、なりふり構わず私のために? 友達だっていっても、ここまでするなんて……」
「友達だから。それ以上の理由なんてないわ。私のたった一人の、何よりも大切な友達のアリスちゃん。あなたは私の全てだもの。私にはあなたしかないのだから。そんなあなたのために、全てを賭すのは当たり前のことでしょう?」
「その気持ちは嬉しいし、私も友達のために全力を尽くしたいって気持ちはわかる。でも、そのために他人を犠牲にして、たくさんの人を傷つけて。それは、やり方が間違ってるよ……!」
「どうして? 私にとって大切なものはアリスちゃんしかないんだか、他のものなんてどうでもいいでしょう?」

 ニンマリと口元を緩めながら、クリアちゃんはとても純粋な疑問の言葉を投げてきた。
 そこには悪意なんてまるでなく、誰かを虐げようとか、蔑ろにしようとか、傷つけようとか。そういった害意の類は全くない。
 何一つまじりっけのない、単純な疑問の言葉だった。

「何者でもなく、何もなかった私を見つけて、意味を与えてくれたアリスちゃん。ずっとひとりぼっちだった私の友達になってくれたアリスちゃん。あの時からあなたは私の全てで、世界になった。空っぽな私を、アリスちゃんが埋めてくれたのよ。それ以上に大切なものなんて、それ以外に重要なものなんて、私にはないわ。当然でしょう?」
「っ…………!」

 恍惚な声色で語るクリアちゃんに、私は背筋に冷たいものが伝うのを感じた。
 クリアちゃんの言う友達と、私の言う友達は違う。彼女が言う大切と、私が言う大切は違う。
 七年半前、私が彼女と出会ったあの時から、クリアちゃんは私しか見えなくなってしまったんだ。

 ただ、友達が大切だからそのために頑張ったり、何よりも優先するというのとは違う。
 彼女のそれは、依存や執着、盲信の類のものだ。
 何もなかったが故に、私との出会いが彼女の全てを塗りつぶして、彼女をそれだけにしてしまった。
 だから彼女は残虐なのでも凶悪なのでもなく、ただ純粋に、自らの世界を守ろうとしているだけなんだ。

 感覚の違い、考え方の違い、認識の違い。
 根本的な部分でクリアちゃんは、私や他人と完全に思考が違ってしまっている。
 その事実に、私は言い知れない恐怖を感じてしまった。

「今まで誰も私を見てくれなかったのに、アリスちゃんは私を見つけてくれた。誰も必要としなかったのに、アリスちゃんは必要としてくれた。自分でも証明できない自分自身を、アリスちゃんが証明してくれた。そんな大切なアリスちゃんのために、私は生きるって決めたの……! だからね、私はアリスちゃんが喜ぶ私になりたいし、アリスちゃんのためになれる私になりたいし、それにアリアちゃんを苦しみから救える私になりたいの!」

 まるで恋を語るように、クリアちゃんの語り口は華やかだ。
 間違ったことをしているつもりなんて全くなく、とても誇らしげで迷いがない。
 その生き様が彼女の在り方で、それが唯一の原理なんだろう。

「だから安心してね、アリスちゃん。私がドルミーレも、この狂った世界も全て壊してあげるから。そして、私がずっとずっとそばにいて、あなたのことを守ってあげる! そのために私はたくさん力をつけて、とっても美しくなったんだから!」
「クリアちゃん……」

 炎の体を大きく広げ、クリアちゃんは高らかに声をあげる。
 マントと帽子を形取っている炎が少しはらりと揺らめいて、けれどやっぱり顔は見えなくて。
 そんな彼女を見て、人体の収集の話と、そしてあの姿絵を思い出した。

「……クリアちゃんは、もう透明じゃなくなったんだよね」
「ええ、そうよ。今はこの状態だからあれだけれど、そうね、今はもう堂々とアリスちゃんに顔を見せられるようになったわ」
「じゃあ、ちゃんと顔を合わせて話そうよ、クリアちゃん」
「それは……今は、だめよ」

 クリアちゃんの姿絵を思い出すと、とても心がずしんと重くなる。
 けれど確かめないわけにはいかなくて、私は拳を握りながら言った。
 でも、クリアちゃんは少しバツが悪そうにして芳しい返事をしない。

「今は、ダメなの。ほら、体がここないし。それに……」
「────私に、違う名前を名乗ってるから?」
「…………」

 恐る恐る言葉を挟んでみると、クリアちゃんは僅かに体を揺らした。
 顔が見えないからその表情を窺うことはできなかったけれど、でも確実に、反応した。

 不安が形を成して心にのしかかって、息が苦しくなる。
 それでも、もう目を背けることなんてできないから。
 私は、覚悟を決めてクリアちゃんを見上げた。

「やっぱり、そういうことなんだね。正直、信じられなかったし、理解できてなかったし、半信半疑だったけど。でも、そうだったんだね……」
「何を言ってるの? 私は私よ」
「クリアちゃんはずっと前から、違う人として私の前に現れてた。何でかはわからないけど、でもそうやって、新しい自分で私のそばにいようとしてたんだね。だからクリアちゃんとしては、私に顔を見せてくれないんだ」

 心臓がバクバクと鳴り響いて、自分の言葉を掻き消しそうにな勢いだ。
 これを暴きたいという欲求と、知りたくないという恐怖と、間違いであってほしいという願いがぶつかり合う。

 クリアちゃんは最初の反応以外、とても静かで動揺のようなものは見せない。
 もしかしたら、私がデタラメなことを言っているのかもしれない。
 でももう、ここまできたら言って確かめるしかないんだ。

「ねぇクリアちゃん。あなたは────」

 開いた口の中が乾く。見つめている目が揺れる。心臓が張り裂けそうだ。
 でも、これを明らかにしないで、クリアちゃんと真に心を交わすことなんて、きっとできないだろうから。

 だから、怖いけど、疑問を吐き出した。

「あなたは────神宮 透子ちゃん、なんでしょう?」
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