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第8章 私の一番大切なもの

91 わけのわからないもの

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 ロード・スクルドとレイくんに後を託し、私はレオとアリアと共に玉座の間を目指した。
 玄関広間を抜けて奥へと進み、上階へと駆け上る。

 城の中は、五年前の私の記憶とほぼ変わらなかった。
 ドルミーレの城とは違い、全体的に白くも華美に彩られた壁面や家具のお陰で、キラキラと空気が踊っている。
 透き通った白い大理石の床や、その上に敷かれている深紅のカーペットは、どこか神聖な趣を感じさせた。

 要所要所に飾られている絵は、主に花を描いたものが多い。
 これは以前は、女王様の自画像なんかが多かったんだけれど、私がお姫様になった時に撤去されたから、私がお花の絵にして欲しいとお願いしたんだ。
 それ以外にも、城内には女王様が好きだったという赤い薔薇がよく飾られていたんだけれど、それも今は色とりどりの違う花になっている。

 そんな風に、城の中はとても煌びやかで、絵本に描かれるお伽話のお城のように華やかだ。
 けれどやっぱり、どんなに城内を進んでも人の姿はなく、とても閑散としている。
 豪華絢爛な分、空虚な寂しさはより増しているように感じられた。

「……なんだか、嫌な感じがする」

 二階へと上がり次の階段を目指す中で、私は心を騒つかせる違和感を口にした。
 具体的にどうだと言葉にはしにくいのだけれど、進むにつれて妙な嫌悪感のようなものが心をくすぐるんだ。

「こんな静かなお城、初めてだもね。なんかとっても、見慣れない感じ」
「うん、それもそうなんだけど。なんて言うか、この先には進んじゃいけない、みたいな……」

 労るように目を向けてくれたアリアに、私は何とも歯切れの悪いことしか言えなかった。
 レオもアリアもはてと首を傾げる。

「まぁ、この先にはクリアのやつがいるだろ? ジャバウォックを呼び寄せようとしてるやつだ、気が構えちまうのも仕方ねぇさ」
「う、うん」

 そう気さくに励まして、私の頭をポンポンと撫でてくれるレオ。
 彼の言う通り、これはクリアちゃんと相対すことへの不安なのかな。
 確かにそれもあるのはあるんだけれど、でも今感じているこのザワザワは、それとは少し違う気がする。

 何というか、生理的に、本能的に、嫌悪感を覚えているというか。
 危機を、恐怖を、無意識に予感しているような、そんな感覚なんだ。

「ごめん、気にしないで。とりあえず、前に進まないとね」

 でも、正体のわからない感覚に囚われていても仕方ない。
 氷室さんの居場所がわからない以上、まずはクリアちゃんの所に向かわないといけないんだし。
 彼女を止める意味でも、立ち止まったり躊躇ったりしている場合じゃない。

 自分でもわからない感覚を首を振って誤魔化して、私は二人に笑いかけた。
 レオとアリアは少し何か言いたげではあったけれど、はっきりしないのはお互い様なのか、すぐに頷いてくれた。

 そうして前に進み続けて、三階への階段を駆け登る。
 お城の階段は一直線に上まで行けないように、階ごとに色んな場所にあるから、いちいち大きく移動しなければならないのが面倒だ。
 普段使いや、こうして目的地まで急いでいる時は面倒だけれど、敵襲にはもってこいの構造なんだなと、攻め込んでいる立場になって妙に納得してしまった。

 転移で向かってしまった方が早いんだけれど、もしかしたら道中で氷室さんの気配を掴めるかもしれないし。
 今は居所が掴めないけれど、だからといって一束飛ばしにクリアちゃんのとこらに向かっては、肝心なものを逃してしてしまうかもしれない。
 少し面倒だけれど、地道に進んでいくしかない。

 玉座の間があるのは、確か城の五階部分。
 そこへ向けてひたすら城内を駆け回って、四階へと辿り着いた時。
 私は、さっき感じていた妙な感覚の正体を知った。

 階段を上がり四階に乗り出すと、気持ちの悪い黒々とした雰囲気に満たされていた。
 黒い霧でも立ち込めているかのように、嫌な気配が可視化して、室内はとても黒く暗い。
 キラキラの白い大理石の床は見る影もなく、闇が蔓延っているかのように濁っていた。

「な、なんだんよこれ……」

 真っ先に声を上げたのはレオだった。
 階段を上がってすぐに立ち止まった私たちの一歩前に一人で乗り出して、少し顔色の悪そうな表情で眉をひそめる。

「呪いの類? それにしても異質というか、邪悪というか……」

 レオの陰から顔を覗かせて、アリアは引き攣った声を上げる。
 努めて冷静に振る舞っているけれど、嫌悪感が滲み出ていた。

 初めて見る妙な状況に、私たちは戸惑いを隠せなかった。
 けれど確かに初めて見るはずなのに、私は何故だかこれを知っている気がした。
 この感覚は、『魔女ウィルス』が発する強烈な醜悪さに、少し似ている。

「最大限注意して、進もう。この先に、クリアちゃんがいるはずだから」

 踏み込むことも躊躇われるほどに気持ちの悪い雰囲気で満たされている室内。
 けれどとりあえず実害はないようだし、進んでみないことにはどうしようもない。
 勇気を出して声を掛けると、二人は息を飲みながらも頷いた。

 魔法で振り払ったり、私の『幻想の掌握』や『真理のつるぎ』の力で何とかできないかとも考えたけれど。
 でもここに充満しているのは飽くまで気配で、何かの現象が起きていたり、何かの作用があるわけではないようだった。
 だからとっても気持ち悪いけれど、このモワッとした黒く暗い空間を進んでいくしかない。

 ぞわぞわと背中に冷たいものが伝うような感覚を覚えながら、今までよりも三人で身を寄せ合って先に進む。
 まるでお化け屋敷の中を進んでいるような、でもそれよりももっと実害的な恐怖や、吐き気を催す嫌悪感を伴う、そんな冷たい空間。
 いるだけ精神をガリガリ削られそうで、一刻も早くここを立ち去りたいと思った。

 その気持ちが足並みに表れて、先へ急ぐスピードが上がる。
 けれど未知の状況に神経は研ぎ澄まされて、警戒心はバクバクと最大限。
 上の階に上がればこれが終わっていればいいんだけれど、そうでなければかなり心が苦しいかもしれない。

 ここへ来てからレオが前を行ってくれることが、少し頼もしい。
 その逞しい背中に感謝しつつ、アリアと肩を並べて後に続く。
 そうしてしばらく進んだ頃、レオが急に立ち止まって、私たちはその背中にごつんとぶつかった。

「おい、あれは何だ…………!」

 私たちに追突されても微動だにしないレオが、詰まった声を上げた。
 私たちを守るように腕を広げて、正面の暗闇を見つめる。
 その陰から顔を覗かせてみると、黒々とした空間の中で、何かがもぞもぞと蠢いているように見えた。

「ッ────!」

 思わず上げた悲鳴は、アリアのものと重なった。
 それは、この黒い空間のもやが揺らめいてるなんてものじゃない。
 確かにその場所に、何か得体の知れないものがいるんだ。

 今まで感じていた嫌悪感なんて比にならないほど、おぞましさが全身に走り、爪先から頭の先まで寒気が駆け上る。
 私たちは今、人が見てはいけないものを見ている。そんな予感がする。

 けれど、『それ』から目を背けることはできなくて。
 そうやって見続けたことで、『それ』の存在を証明してしまったのか。不確かだったもぞもぞが、徐々に何かの形を得ていった。

 周囲の暗闇を身にまとい、黒々とした身体を持つ何か。
 なんらかの形を持ちつつも、けれど黒いもやと共にあるその姿は不確かで歪で。
 何かに形容することは難しそうだけれど、どこか獣じみている。

 そんな何かわからないものが、闇を集めたように現れて。
 その頭部と思われるところに、赤い瞳の輝きが二つ灯った。
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