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第8章 私の一番大切なもの

84 混沌へと立ち向かう

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「君が、そこまで力を引き出せているだなんてね……」

 夜子さんは私を見つめて、歯を食いしばった。
 私から溢れる力の大きさに驚きながらも、しかし気は引けていない。
 むしろ、より躍起になっているようにも見える。

「……でも、アリスちゃん。君がいくら力を扱えようとも、危機の大きさは変わらない。君の感情論では、私を説得することなんてできやしないよ」
「確かに、私の言っていることは感情論です。けど、私にはそれをやらなければらないという覚悟があります。私はもう二度と、大切な人を失いたくはないから」

 膨れ上がる力が感情を沸き立たせ、その想いが言葉に力を込める。
 醜悪でおぞましい気配を振りまく夜子さんに、怯む気持ちなんて微塵も感じない。

「私は今まで、沢山辛い思いをしてきたし、今だって死ぬほど苦しい。でも私が一番嫌なのは、大切な人たちと会えなくなることだから。それだけはもう、何があっても味わいたくない。だから、言われた通り大人しくすることなんてできなし、でもその代わり、私はみんなを守るために全力を尽くす。必要なら、世界だって救います!」

 世界なんて、私には荷が重いにも程がある。
 いくらドルミーレの力を持っているといっても、私自身はただの女の子に過ぎないんだから。
 でも、そうしなければ大切なものが守れないのであれば、私は相手が何であれ立ち向かう。

 氷室さんや、沢山の大切な友達を失うくらいなら、ジャバウォックに立ち向かう方がマシだ。
 それがどんなに恐ろしいものだとしても、大切な人を失う恐怖に勝るものなんてないんだから。

「君の気持ちも、覚悟も、力も、よくわかった。そしてそれが紛れもない真実であることも、君を見てきた私にはわかる。けれどそれでも、私にとって君の気持ちは、ドルミーレを危険に晒すには値しない……!」

 夜子さんはそう声をあげると、床を強く蹴って瞬時にこちらへと距離を詰めてきた。
 手に影の爪をまとわせて私に向けて振るい、しかしそれをレオが前に出て双剣で受け止める。
 でも夜子さんは勢いを殺さずに、レオの横腹に蹴りを入れて彼を吹き飛ばした。

 レオが欠けた隙間に、アリアがすぐさま滑り込む。
 私たちの前に障壁を張り、同時に夜子さんの足元からいくつもの鎖を生やして、その体を拘束しにかかった。
 瞬時に夜子さんに絡み付いた鎖だけれど、夜子さんはすぐに足元の影から棘のようなものを沢山伸ばして、あっという間に鎖を全て引きちぎってしまった。

 全てを事も無げに、さらりと捌く夜子さん。
 まるで魔法使いが魔女にするように、障害とすら思っていないような容易い対応。
 その影の爪は、紙切れを切り裂くように簡単に障壁を破壊した。

 けれど、私が透かさず魔法の衝撃波を放って、真正面から牽制する。
 流石にそれだけでは吹き飛ばせなかったけれど、やっと勢いが死んだところに『真理のつるぎ』を振るった。
 爪でそれを防いだ夜子さんの魔法が解け、ただの人間の手に戻る。
 しかし夜子さんはそのまま剣の刀身を掴んで押さえ、私を押し倒さんと力を込めてきた。

「君の気持ちを尊重したいのは山々だよ。私だって、無闇に血を流したくはない」

 ジリジリと剣をこちらに押し込みながら、夜子さんは唸るように言った。
 至近距離、剣を押さえられた状態では、こちらも滅多なことはできない。
 私も負けじと押し返しながら、その獰猛な瞳を見つめる。

「でも今はもう、そんな段階ではなくなってしまったんだ。君の気持ちを汲んであげられる余裕はない。君に全てを解決させられる可能性があったとしても、私は、ドルミーレをもう一度失う危険を冒すことは、できないんだ……!」

 気持ちを吐き出すように訴える夜子さんは、もはや懇願しているようだった。
 そこにあるのは、ただ親友を失いたいくないという、切実な想いだ。
 その気持ちだけを見れば、私にも痛いほどわかる。むしろ気持ちは私と同じと言ってもいい。
 でも、そこだけに向けられた感情は、私が頷けるものではない。

「私たちの身勝手だ。わかっているよ。それでも押し通さないわけにはいかない。もう二度と、私たちは彼女を失いたくないから。だからアリスちゃん、悪いけれど、君には涙を飲んでもらうしか無いんだ……!」

 私から夜子さんを引き剥がそうと、レオとアリアが動き出す。
 けれど彼女の足元から大量の黒猫が飛び出して、それがあっという間に二人を遠くへと押し流してしまう。
 二人きりで対峙しながら、私は嫌だと首を横に振った。

「夜子さんたちの、その気持ちはわかるけれど。でも、ドルミーレは私に言いましたよ。『混沌にはあなたが立ち向かうのよ』って……!」
「なんだって……!?」

 驚きの声を上げた夜子さんの力が一瞬緩んだ。
 その隙を見逃さず、私は剣を大きく振るって夜子さんを押し返した。
 よろめいた彼女はそのまま後ろに跳んで距離をとり、私に訝しんだ視線を向けた。

「どういう意味かはわからないし、単に私に押し付けたかっただけなのかもしれない。でも確かに、彼女は私にそう言いました。それは混沌を、つまりジャバウォックを撃ち倒したいという彼女の意思なんだと思います」
「そんな馬鹿な。ジャバウォックに全てを台無しにされた彼女が、そんなことを言うはずが……」
「彼女はその時、私に力を自由に使えとも言いました。今まで力を使うたびに私の心を侵食していた彼女が、私を阻むことはしないと。それはつまり、この力を持って障害を取り払えということなんじゃないですか!?」
「っ…………」

 ようやく夜子さんは怯みを見せて口籠った。
 正直何の確証もないし、今に都合の良いように私が解釈したに過ぎない。
 ドルミーレは多くを語らなかったし、意味するところは全く違うかもしれない。

 でも彼女が目覚めようとしていることは事実で、そのためであろうことは明らかだ。
 ただ、私に対峙するという面倒ごとを終わらせたかっただけ、自らの苦難を押し付けたかっただけかもしれないけれど。
 でもあの傲慢なドルミーレが、自らを脅かすものに対して指を咥えてじっとしていればいいと、そう思うとは考えられない。

 別に私は、ドルミーレのために何かをしてあげようとは思わないけれど。
 でも大切なものを守るため、自らが生き抜くためには脅威を退けなければならないのなら、力はありがたく使わせてもらう。
 その過程で彼女を救うことになってしまうかもしれないけれど、私たちの個人的なケリは後でつければいい。

「彼女の意思を汲むつもりは、私にはありません。でも、脅威を打ち払いたいという目的は一致しているから、私はこの力を持って前に進むだけ。ただ、ドルミーレの親友だという夜子さんたちは違うんじゃないですか?」
「それは……けれど……」
「ドルミーレがジャバウォックから逃げたいと思っているのなら、立ち向かえるほどの力を私に使わせないでしょう。今こうして、私がこの力を発揮していることこそが、彼女の意思です!」

 都合の良いことを言っていると内心では思いつつ、でも私は声を張って宣言した。
 ドルミーレの代弁者になんて私はなれないし、なりたくもないけれど、でもまるで的外れだとは思えないから。
 この力と、そして友達の支えがあれば、向かうところに敵なんてきっとない。
 それだけは確信を持って思えるから、私は揺るぎない主張を唱えた。

 夜子さんは戸惑いを全面に表して、低く唸っている。
 ドルミーレを守りたい自分と、けれど彼女の意思を尊重したい自分と。
 二つの感情に挟まれて、歯を食いしばっている。

「だと、しても……」

 拳を強く握って、夜子さんは絞り出すように言った。

「なんにしたって、私が、私たちが守れば良いことだ。私たちが未然にジャバウォックを防げさえすれば、ドルミーレは二度目の悪夢を味わう必要なんて何だからね。だからアリスちゃん、どうしたって、君を行かせないことこそが最善だ……!」

 私の言葉は振り払われたか、それとも守る意思の方が勝ったのか。
 夜子さんの気持ちは揺るがず、依然として敵対の意思は変わらない。
 確かに、そもそも危険を最大限に避ければ良いというのは間違っていないんだから。

 迷いを振り払った夜子さんが、再び攻撃に入る。
 レオとアリアを押し除けていた黒猫たちが彼女の周囲に集って、かと思うと私に向かって濁流のように押し迫ってきた。
 のっぺりとした凹凸のない影の猫たちの群れは、津波のように高く上がって視界を黒く染め、そして同時に夜子さんの影が再び広間を埋め尽くそうと広がる。

 目の前から押し寄せる物理的な影の波と、周囲に蔓延る暗闇。
 室内の光は瞬時に阻まれて、影がこの場の全てを飲み込まんとする。

「しばらく眠っていてくれればいい。その間に、私たちが何とかしておくからさ」

 光が遮られた世界の中で、夜子さんの静かな声だけが届いてきた。
 まるで謝罪でもしているかのような、そんなシンとした声が、影の濁流に乗ってくる。
 夜子さんによる魔法は、今の私でも掌握することはできないし、広範囲の超物量を『真理のつるぎ』で全て振り払えるかわからない。
 でも、足掻かないで終わりになんてできないし、諦めるつもりなんてさらさらない。

 見えなくてもわかる影の濁流が迫り来る気配に、『真理のつるぎ』を振るおうとした、その時────

「もうやめましょう、イヴ」

 突如、暗闇が晴れて眩い光が差し込んだ。
 影が蔓延っていた場所には様々な花が咲き乱れていて、そして迫っていた影の濁流は、大量の花びらへと変じて、ひらひらドサドサと柔らかく舞い落ちる。
 全てを飲み込む暗闇のような影は全て、鮮やかな花へと姿を変え、明るさが室内を満たした。

 急に何が起きたのかと周囲を見渡してみれば。
 大量に舞い踊る花びらの中、白いローブをまとったお母さんが、私に背を向けて立っているのが見えた。
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