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第0章 Dormire

87 世界を破壊する力

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 全長五、六メートルはあろう巨体が、私を威圧的に見下ろしている。
 ちぐはぐとした出立ち自体は滑稽そのものだけれど、その状態で存在が成立している事実、そしてあれそのものが醸し出している醜悪さが言い知れぬ威圧を感じさせる。

 ジャバウォックは、その存在そのものを持って世界全体に悪影響を与えながら、私にその気味の悪い瞳を向けていている。
 それは私を明確に敵と認識しているもので、あれの意識は私だけに向いていることがわかった。
 世界に牙を向いていることはその存在が自動的に行なっていることに過ぎず、ジャバウォック自身は抑止の対象として私だけを見ている。

「穢らわしい……この私を、そんな気持ちの悪い瞳で映すだなんて」

 見るのと同じくらい、見られることもまた嫌悪感が走る。
 私は常に心を揺さぶる恐怖を誤魔化すために、わざと口に出してそう吐き捨てた。
 混沌の権化、邪悪の権化。ジャバウォックを目の前にしていると、その黒々さに竦んでしまいそうになるから。
 だから恐怖を嫌悪で塗り潰して、私は対象を排除するための意気を奮い立たせた。

「抑止だろうと何だろうと、私の邪魔はさせないわ。この世の邪悪を凝縮した混沌の魔物────私の前に立ちはだかるというのなら、消すだけ……!」

 全身に魔力を漲らせ、私は大規模な魔法の行使に移った。
 思えば私は、世界の力たるこの強大な力を十全に使ったことはなかった。
 自分の生活の補助くらいで、何でもできる便利な力、その程度の使い方。
 でも今ばかりは、持てる力の全てを使って、あの化け物を屠るしかない。

 私は魔力でジャバウォックの周囲の囲み、そしてその空間ごと圧縮した。
 ジャバウォックがしがみついている塔の天辺も巻き込んでしまうけれど、多少のことには目を瞑る。
 強力な力で空間ごと押し縮めれば、その内部のものが形を保てるわけがない。
 私は一切の容赦なく、不気味な魔物を瞬間的に握り潰そうとした。

 しかしそれは即座に、巨大な破裂音と共に阻止された。
 何か大きな力が同時に働いて、私の魔法による圧縮を相殺したようだった。
 それはどう見ても、あのジャバウォックから発せられた力だった。

「今のはもしかして、魔法……? でも確かに、私の力の一部から生まれた、私に対する抑止というのなら……」

 初めて感じる、私以外から発せられた魔法の気配に、私は驚きを隠せなかった。
 私が魔法と名付けたこの力は、今まで私以外に扱える者はいなかったから。
 しかし考えてみれば何もおかしくない。あれは、そういう存在なのだから。

『────────────!!!』

 私が攻撃を仕掛けたことで、ジャバウォックもまた攻撃の意思を見せた。
 私の魔法を容易く相殺したジャバウォックは、その牙で埋め尽くされた大口を開けて吠えると、その口内から黒々とした火炎を吐き出した。

 炎は極大の熱線のように超密度で放たれ、地平を焼き尽くさんばかりの高温が走った。
 闇に犯されたような黒炎は、一直線に私への降りかかってくる。
 私は咄嗟に魔力を集結させ、特大の障壁を空中に形成してそれを真正面から防いだ。
 障壁にぶつかった極大の熱線は、障壁に這うよう広がり、それすらも飲み込んで焼き尽くそうとするように、メラメラと怪しく燃え続ける。

 ジャバウォックの攻撃は強力だけれど、しかし防ぎきれないものではない。
 私の力を持ってすれば対抗することは容易く、しかしそれはお互いの力が拮抗しているからだとわかる。
 私たちの力量差はあまりなく、相殺は難しくなくてもその先に切り込むのが難しい。
 私は黒炎を防ぎ振り切って、それを認識した。

「なら、気を抜いた方が負けということね」

 少しでも隙を見せ、虚を突かれた方が死ぬ。
 拮抗した実力の戦いとは、そういうこと。
 あんな気持ちの悪いものさっさと排除したかったのだけれど、どうもそうはいかなさそうだ。

 私は認識を改めて、ジャバウォックに向けて次々と攻撃を仕掛けた。
 暴風の嵐を生み出してその竜巻を叩き込み、空気中の水分を利用して無数の散弾を浴びせ、はたまた周囲の温度を奪って一帯ごと凍結させたり。
 しかしそのいずれの攻撃もジャバウォックは全て相殺してしまい、まったくもってその身に届かなかった。

 街を丸ごと吹き飛ばすほどの爆熱をその身の内に起こそうとしても、天空より出る極雷を撃ち落としても、魔力を凝縮させたエネルギーを打ち込んでも。
 その悉くを、ジャバウォック同等の力で跳ね除けてしまう。

 そしてジャバウォックもまた、その仕返しとばかりに容赦のない破壊を仕掛けてくる。
 それは私を目掛けて行われるものだけれど、しかし周囲などまったく気にしない、世界全体を巻き込まんとする無差別の攻撃で。
 私は自分だけではなく、その他のことも守らなければならず、それが些か足枷になった。

 ジャバウォックの咆哮は空間を断裂させる。
 何もないはずの空間に亀裂が入り、こことは違う別の場所と繋がり始めた。
 地の繋がり、空間の繋がりがあやふやになり、『ここ』という場所が不確かになる。

 それによって妙な繋がり方をした空間は、本来そこにあったものと、繋がってしまったことでやってきてしまったものが衝突を起こした。
 同じ場所に複数のものは存在できない。空間的に混ざり合い、鉢合わせてしまった様々な場所が、至る所で不和を生み出したのだった。

 それを修正、あるいは阻止しようと力を回すと、今度は空から巨大な山脈が落ちてくる。
 世界のどこかにあった山が、空間の湾曲によって王都の上に現れ、それが重力に従って落下してきたのだ。
 空間の修正だけではとても対処しきれず、仕方なく山そのものを丸ごと粉砕し、その残骸は遠く外へと吹き飛ばした。

 そうやって天変地異とも呼べる攻撃を退けたかと思えば、次は地面が大きく揺れ動く。
 縦へ横へと暴れる大地はその地層を破壊し、盛り上がり陥落し、街そのものの形を大きく崩した。
 跳ねるような振動が地上にあるものを弾き、掻き回すような振動が地割れを起こして世界を隔絶していく。

 魔法を駆使して地面を押さえつけ、何とか大きな変動を押さえ込む。
 地の揺れそのものは止めることができても、多くのものが踏み締める地面が暴れれば、その被害までもを完全に押さえることは難しい。
 王都の街は辛うじてその形を保ったけれど、しかし盆をひっくり返したような荒れっぷりはどうしようもなかった。

「忌々しい……対応しているだけで精一杯ね……」

 力自体は互角で、実力は拮抗している。
 しかし世界自体を崩壊させようと目論むあの魔物には、無差別に周囲ごと攻撃ができる。
 それを守らなくてはならない私にとっては、そこが大きな弱点になってしまう。

 周りの被害を考慮した攻撃はやはり制限がかかってしまって、互角の力を持つジャバウォックには届きにくい。
 それに無差別に広範囲で行われる攻撃は、どうしたって防ぐのに必要以上の力と神経がいる。
 私たちの戦いは互角のようで、条件は全く均等ではなかった。

 それにジャバウォックが使う力には、私のものとは違うものを感じる。
 それは恐らく、全てを飲み込んであやふやにする、混沌の要素だ。
 理屈や法則を無視し、ただ台無しにするだけの不躾で無遠慮な性質。
 それがその攻撃に込められていることで、防がんとする私の力を阻害している。

 混沌とは即ち無秩序。その権化たるジャバウォックに、整然としたものは乱される。
 私の魔法は基本的に、明確な意思と想像イメージによって世界に影響を与える力。
 全てを区別なく有耶無耶にする混沌とは、どう考えたって相性が悪いということだ。
 そして、様々な法則で成り立っている、この世界そのものも。

「美しくない……醜く、穢らわしいわ。その見た目だけではなく、在り方そのものまで……」

 存在そのものが許容できない。向かい合い、その力を感じるだけで、全ての皮膚がひっくり返りそうなほど鳥肌が立つ。
 胃袋ごとを打ち捨てたくなるほどの吐き気を感じ、最早その醜さに怒りすら覚える。
 こんなものが存在していることを許したくはないし、一瞬たりとも意識に入れたくない。

 しかし、ジャバウォックは私を見続ける。
 世界ごと私を無に帰さんと、その敵意を全力で向けてくる。
 なら、あの魔物を否定したいのならば、何とかして消し去る他はない。

「ドルミーレ、無事か!?」

 激しい攻防を凌ぎながら、どうやったらこの魔物を屠れるのかと頭を巡らせていた時。
 破壊音と崩壊が飛び交う中、私の名を呼ぶ方が耳に飛び込んできた。
 透かさず目を向けてみれば、ファウストが城の建物から飛び出してきていた。
 その脇にはホーリーとイヴの姿もあり、そして王をはじめとした城の人間たちも、ジャバウォックと街の光景に唖然としていた。

「おのれ化け物め……! 私の大切な人を、この街と国を傷付けるとは!」

 未だ城の上部にしがみつくジャバウォックに、珍しく怒りを露わにしたファウストは吠えた。
 その手には、すらりと長い剣が握られていた。
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