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第0章 Dormire

79 愛のために生きる

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「実は、貴女に一つお願いがあるんだ」

 しばらく熱い抱擁を交わしてから、ファウストは不意にそう口を開いた。
 未だ私の体に腕を回し、自らの内に引き寄せたまま、私の顔を見ることなく。
 何かと尋ね返してみると、彼は少し言いにくそうに言葉を続けた。

「とても、貴女には無理を強いることだと思う。だから、嫌ならそうと言ってくれて構わないし、そうしたら私は即座に取り下げる。だから、貴女の機嫌を損ねてしまうかもしれないことを、どうか許してほしい」
「いいわ、話して頂戴」

 急に改まってどうしたのかと、そう茶化してやろうかとも思ったけれど。
 しかし彼の言葉からは切実なものが伝わってきて、すぐにその考えを引っ込めた。
 彼の方こそ何か悩みを抱いていたのだと、私は理解した。

 だから茶化すことも、当然怒ることもせず、穏やかに続きを促す。
 するとファウストはそっと腕を解き、私の肩に手を乗せて、まっすぐな瞳をこちらに向けてきた。

「ドルミーレ。貴女に私と、城に登って欲しいんだ」
「え……?」

 強張った表情から告げられた、あまりにも予想外の言葉。
 しかし、もちろんそれは冗談の類ではなくて、彼の痛烈な願いだった。

 けれどだからこそ、私はその言葉が意味するところを測れなかった。
 真面目に言っているからこそ、それが真剣とは決して思えない。
 だって、私が自ら人前に、しかも王が住う城に赴くなんて。
 そんなこと、私も人間も、誰も望まないことなんだから。

「理由を、聞かせてもらえる……?」

 怒りを露わにすることは簡単。
 私にまた人間からの罵声を浴びろというのかと、私にまた傷付けというのかと。
 そうやって、込み上がってきた不安を口にすることは簡単だ。

 けれど、ファウストがそれを望んているとは思えないし、きっと思惑がある。
 他でもない彼の言葉なのだから、私が苦しむことを望むわけがない。
 そう思えるから、私は努めて冷静にその意図を尋ねた。

 しかし微かに心の暗さが現れてしまっていたのか、ファウストは私を深く気遣うような表情を浮かべた。
 けれどそれでも臆することなく、私の目を見続け、そして頷く。

「とても言いにくいことなのだけれど……実は、父上から身を固めることを強く勧められているんだ」
「それはつまり、婚約者の候補を挙げられているということ?」
「ああ。第三位とはいえ私も王子。王都に構える貴族と、婚約するのが通例だ。その例に漏れず、父上は名のある貴族の娘との話を持ち出してきた」

 ファウストは酷く申し訳なさそうに、眉を下げた。
 しかしそれは、彼の立場を思えば想定内のことで、寧ろ必然と言ってもいいことだ。
 人間の社会における立場というものは、とても影響力を持ち、それ故にしがらみも多い。
 王族や貴族といった社会的地位につく者は、それに逆らうことが難しいのだと私も知っている。

 それは人間だからではなく、知性を持って社会性を築く全ての種族に当て嵌まること。
 能力や権力など、いずれにしても力を持つ者は、一定の不自由を背負わされる。
 それはある意味、私も身を持って体験していることだ。

「でもファウスト。今までにそういうことは何度もあったと言っていたわよね。その度にかわしてきたって」
「確かに昔から、まだ興味がないと、私は何度も父上の提案を蹴ってきた。私は嫡子ではないし、そうすればなんとか目を瞑ってきてもらえたのだけれど……」
「流石に痺れをきらした、と」
「そういうことらしい」

 なるほどと頷くと、ファウストは困り顔の笑みを浮かべた。
 しかしその目は笑ってはおらず、真摯に私を見つめ続けている。

「けれど、私の愛する人はもう決まっている。私は貴女以外の女性を愛することはできなし、するつもりはない。しかし父上は、今度こそ縁談を成立させようと躍起になっている。だから、私の気持ちは既に決まっているのだと、証明する必要があるんだ」
「つまり、私を王の前に連れ出して、愛を宣言するということね。あなたの意中の相手を示すことで、どこぞの貴族と結婚するつもりないという、意思表示にすると」
「ああ。私の言葉だけでは、もう効き目がない。結婚を面倒がっている言い訳だと、そう捉えらてしまう。だからもう、愛する人を示す他ないと思うんだ」

 ファウストはそうハッキリと言いながらも、しかしどこか不安そうな顔をしている。
 それは当然だ。彼は、それがどういうことなのかを理解した上で言っているのだろうから。
 私の気持ちももちろんだけれど、私という存在を彼が公の場で伴う意味についてを。

 人間が恐れ、そして忌み嫌っている、魔女であるところの私を、王子が愛する女だと口にする。
 それがどういう反応を呼び、そして自らがどうなるのか、彼がわかっていないわけがない。

「ファウスト。私は、あなたのためだったら何でもするわ」

 全て覚悟の上で、彼はこの選択しか残っていないと思ったのだろう。
 いつまでも忍んで愛を育むことはできない。彼の立場では、伴侶を明示化しない選択肢はない。
 いつかはぶつかるとわかっていた壁。私が魔女で彼が王子である時点で、必ず生じる問題だった。

 ファウストはそのしがらみの中でも、私を選び、放さないという選択をしてくれた。
 自らどんな非難を浴び、立場を追われるようなことになろうとも、私だけを愛し続ける選択を。
 保身に走り、私を切り捨てることだってできただろうし、その方が簡単だろうに。
 しかしそれを僅かにでも考えなかったであろうことは、私からひと時も逸らさない瞳が教えてくれている。

 なら私は、この身を切り刻まれようとも彼の気持ちに応えよう。
 どんな非難を浴びようとも、罵られ、蔑まれようとも。
 彼に並び立ち、彼の覚悟に見合うだけの振る舞いをしてみせよう。

「あなたがいてくれるのなら、私に怖いものはないわ。誰に何を言われても、どんな目で見られても、あなたが隣にいてくれれば何一つ気にならない。どこにでも、あなたの行く場所についていくわ」
「ありがとうドルミーレ。本来ならばこうなる前に私は、貴女に対する人々の評価を覆しておかなければならなかった。そうなっていないのは、私の無力故だ」
「いいのよファウスト。あなたのせいなんてことは、微塵もありはしないのだから。私はね、あなたにさえ見ていてもらえればそれで十分なのよ」

 申し訳なさそうに肩を落とすファウストの頬を、私はそっと撫でた。
 前から彼は、人々に私を正当に評価させようと尽力してくれている。
 それはとてもありがたいけれど、でも私は、彼がいてくれさえすればそれで満足だから。

 ただ、私という存在が彼の足を引っ張ってしまうことは、とても申し訳ないと思う。
 だから、私が身を引くことで彼が救われるのであれば、私はこの身を引き裂いてでもそうする覚悟がある。
 けれど彼が私を選んでくれたのだから、それは私のすべきことではない。
 だから私が行うべきことは、人々の心象を少しでも良くすることだろう。
 もし公の場で私の無実が証明できたとすれば、彼の努力も報われるだろうから。

 私を気遣うファウストに、大丈夫だと微笑む。
 私は彼に、とても沢山の物をもらった。愛情や幸せな時間を、沢山。
 だから今度は私が、彼のためにできる限りのことをする番だ。
 そしてそれが報われないのであれば、その時は二人で世界の彼方に旅立てばいい。
 どこまでも共にあり続け、愛し続けることが私のできること、するべきことだから。

「ありがとう。貴女のその想いは清く、そして逞しい。私には、もったいない」
「あなたがいるからこそ、私はこう在ることができる。この私はファウスト有りきよ」
「私はそれを誇りに思うよ。ドルミーレ、あなたと想い合えていることを」

 ファウストは頬を撫でる私の手を取り、目を細めてそっと微笑んだ。
 お互いの想いを確かめ合って、その強さを確認して。それでも不安は大きいし、恐怖は拭い去れない。
 よくない結果に終わる可能性の方が高いかもしれないのだから、心安らかにはいられない。

 それはお互いに感じている、どうしようもない現実に対する思い。
 しかし、こうして手を取り合っているのだから、いかなる不幸にも立ち向かえる。
 どんな未来が待ち受けていようとも、私たちはそれを受け入れて進んでいける。

 それが確認できれば、私たちにとっては十分だった。
 この愛が確かめられれば、それ以上のものは必要なかった。

 私は、ファウストを愛している。この青年を愛している。
 何があろうとも、この気持ちが潰えることはない。

 私は、この愛のために生きていく。
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