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第0章 Dormire

78 夕陽を眺めながら

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 結局、それから一度もミス・フラワーが口を開くことはなかった。
 まるで命からがら、私に自らの避けられぬ役割を告げて、彼女は再びただの花のようになってしまった。

 私が身近な人たちを大切に思うこと。
 それが、私に課せられた役割に反することであり、それを正す為に抑止としてあの魔物が現れている。
 その重大な事実を私は誰にも話せぬまま、またしばらくの時が経ってしまった。

 だって、そんなことを言われても私の気持ち、価値観はそう簡単に覆らないから。
 大切な人たちよりも世界の趨勢すうせいに重きを置けだなんて、そんなことバカらしいとすら思える。
 私は見知らぬ多くのヒトたちの繁栄よりも、身近な人たちの安寧を願うから。

 しかしそれでは、そんな私の過ちを正そうと、魔物という形で抑止が働く。
 魔物をヒトにけしかけているのは私ではないけれど、出現の原因を作っているのは私ということだ。
 今までは魔物には不関与だからとその無実を主張していたけれど、この事実はそれが若干揺らぐ。
 私のせいではないとは言い切れない。私が災いを運んでいないとは、言い切れない。

 でも、それがわかったところで私の気持ちは変えられないから、だからどうしようもなくて。
 結局私は、誰にも打ち明けられず、そして対処の仕方もわからず、悶々と過ごすことしかできなかった。

 正直、他人のことなんて私にとってはどうでもいいから、いくら魔物に襲われても知ったことではない。
 寧ろ、あらゆる不運を私のせいにする人間たちは、その報いを受けているとすら思ってしまう。
 けれどそうやって被害が起これば、王子であるファウストは心を痛めるし、ホーリーとイヴも不安に駆られる。
 それを思えばやはり、このままではよくないのだとは思う。

 でも本当に、私にはどうしたらいいのかわからなかった。
 大いなる力を持ち、神秘を深めた者たちに仰がれた存在だというのに。
 私は、そんな個人的な問題に答えを出せなかった。

「なんだか浮かない顔だ。何か悩み事かい?」

 ファウストと二人で一際高い山に出かけた時のこと。
 太陽がゆっくりと沈む行く様を、私たちは山頂から眺めていた。
 岩肌が目立つ無機質な山頂の一角で、身を寄せ合って座っている最中、ファウストはそっと私の顔を窺ってそう言った。

 僅かに浮かんでいる雲を突き抜けた高さにある山頂は、私の魔法で調整しているとはいえ、少し肌寒かった。
 自身のマントの中に私を招き入れ、抱き込むように寄り添っていたファウストは、赤い夕陽の光を受けながら柔らかく笑う。

「私にできることなら、何でも力になるよ。私には気兼ねなく話してほしい」
「ありがとうファウスト。でも何でもないの。美しい夕焼けに、つい感傷的になっていただけよ」

 ハッとして私が答えると、ファウストは「そうか」と微笑んでそれ以上追求してこなかった。
 切迫していることがバレなかったか、それとも私に気遣って踏み込まなかったのか。
 どちらにしろ、深く聞かれなかったことに安心する。
 せっかくの二人の時間だというのに、そんなつまらない話をするのはもったいない。

「ただ、そうねぇ。あの切なげな赤い煌めきを見ていると、いい知れない寂しさを感じてしまうわ。あの夕陽のように、私を熱く照らす情熱が、あっさり消えていってしまうんじゃないかって」

 燃え盛るような赤い光を瞳に映しながら、私は隣の肩に頭を預けた。
 消えゆく太陽の輝きは美しいけれど、しかし去りゆく定めを持った儚さを覚える。
 そこにどうしても、喪失感のようなものを連想してしまうのだ。

 私が囁くように言葉を向けると、ファウストは小さく口元を緩めた。

「太陽は、地平の彼方に沈んでも、それそのものがなくなるわけではない。私があなたを想うこの熱情も、どこへ行こうと決して変えるものではないよ」
「あら素敵。でも、ということは、それが隠れてしまうこともあるということかしら? 私の目の届かないところで燃えていても、私を焦がしてくれない時があると?」
「意地悪を言う人だ」

 目だけを上向けて尋ねてみると、ファウストは困ったように眉根を下げた。
 しかしそこには余裕を持った笑みが残っていて、優しげな情愛の視線が降りてくる。

「太陽が隠れた時は、透かさず月の輝きで貴女を照らそう。いついかなる時も、私は貴女にこの心の輝きを向ける」
「それはとても嬉しいわファウスト。けれど、太陽にも月にも、日食や新月というものがあるのだけれど?」
「……まったく、私を虐めて楽しいのかい?」
「少しね。でもあなたなら、私が何て答えてほしいのかを知っているはず」

 優しく微笑み私を抱きながらも、ファウストは困り顔を浮かべる。
 そんな彼が愛おしくて、私はわざと遠回しな言葉を選んぶ。
 私に振り回され、そしてそれでも直向きに私を見てくれる彼が、とても愛らしいから。

「さぁ、何だろう。私は、何と言えば貴女に信用をもらえるのかな」
「あら、そうやってとぼけるのね。私、意地悪は嫌いよ」
「なんのことだろう」

 彼の様子を楽しんでいると、今度はファウストの方が私を試すような視線を向けてきた。
 私の意地悪に対する意趣返しなのだろう。口元の笑みが意地悪い。
 私が唇を結んで不機嫌を表しても、彼はその笑みを止めなかった。

 このままあの手この手で懐を探り合ってもいい。
 そういった語らいも、彼としていれば弾むようなひと時になる。
 しかし今は、早く彼から明確な言葉が聞きたくて。

「────愛していると、そう言えばいいのよ」

 だから仕方なく、私は折れることにした。
 視線を下げ、必要最低限の声で、囁くように要求を伝える。
 ファウストは、嬉しそうに私を抱いた。

「愛しているよ、ドルミーレ。永遠とわに、この気持ちは輝きを失わない」

 そう、柔らかく言葉にして、ファウストは私の髪にそっと唇を触れさせた。
 そのまま優しく抱きしめられて、それで全てがどうでもよくなる。
 先ほどまで考えていたモヤモヤすら、彼方に隠れてしまう。
 今この瞬間が、堪らなく幸せだからだ。

「もう忘れてはダメよ。その言葉だけは、決してね」
「この想いと共に、心に刻んでおこう」

 ファウストはそう答えて、抱く力を強めた。
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