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第0章 Dormire
57 二人の提案
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私が『にんげんの国』に帰ってきてから、時間はあっという間に経過した。
世界中を旅して回っていた時は、様々な未知や不思議に遭遇して目まぐるしい日々を送っていた。
それに比べれば今の日々の方が圧倒的に平穏で、そういう意味では刺激的なことはあまりない。
それでも時が経つのが早く感じるのは、きっとこの日々に充足を覚えているからなんだろう。
昔に比べ二人の友人の存在の有り難みを感じられるようになったことで、この日々に尊さを感じている。
だから気がつけばもう二年半もの時間が過ぎていて、旅をしていた頃のことなどもう遥か昔のことのようだった。
私はもう、自分が何者なのかわからない、不確かな存在ではない。
最後にして最大の神秘を持つ、世界の子たる存在ではあるけれど、それも今はどこか奥にしまい込まれて。
今の私は、ホーリーとイヴの友人。誰も立ち入らぬ森の中で、一人静かに暮らす女だ。
それでいい。それで十分だ。
「ねぇドルミーレ。ちょっと、話があるんだけど……」
そんな風に今に満足していた、とある日のこと。
出歩くことが多い私たちだけれど、今日は私の小屋に集まっていた。
ホーリーとイヴと三人でテーブルを囲み、たわいもない話をしながらお茶を飲んでいた最中、ホーリーが少し言いにくそうに口を開いた。
先ほどまでは年甲斐もなくはしゃいでいたホーリーの表情が、さっと緊張に引き締まる。
普段から陽気に笑っていることが多い彼女がそういう顔をすると、とても特別なことにように思えてしまう。
そっと横に視線をずらしてみれば、イヴもまた、気持ち雰囲気を強張らせていた。
「どうしたのホーリー。私に怒られるような悪戯でもしたの?」
「ち、違うよ……! 子供じゃないんだからそんなことしませーん!」
らしくない雰囲気に横槍を入れてみると、ホーリーは少し顔を赤らめて声を上げた。
彼女の無邪気な陽気さは長所だと思うけれど、本人は案外それを子供っぽいと思われる、と気にしている節がある。
けれどそれでもその明るさが変わることはないから、元来の性格などそうそう変えられるものではないんだろう。
「酷いよドルミーレ。私、もうそんな子供みたいなことしないんだから。もう十九、あと数ヶ月もすれば二十なんだから! 名実共にもう少しで立派なレディなんだからね!」
「そういう主張の仕方がレディっぽくないから、疑われるんじゃないの? 体ばっかり大きくなって、いつまでも子供っぽいんだもんなぁ」
ムッと唇を尖らせてとクレームを述べるホーリーに、イヴが苦笑と共に口を挟んだ。
その的を射た指摘に、ホーリーは更に不機嫌さを増す。
「イヴはそうやっていつも私を子供扱いしてー! お淑やかなドルミーレに言われるならまだしも、ちんちくりんなイヴに言われても────」
ホーリーは甲高い声でそう捲し立て、そして唐突にハッとする。
どうやら主題から大きく逸れたことに気付いたようだった。
「んもう、そうじゃなくてね」
紅潮しながらも、それを誤魔化すように言葉を切り替えるホーリー。
わざとらしい咳払いをして見せるけれど、いまいち締まりが窺えない。
しかしあまり茶化しても仕方ないから、私は居住まいを正すホーリーに倣って椅子に座り直した。
「私……私たち、ドルミーレに提案があるの」
「提案? 改まってどうしたっていうの?」
「うん。もしかしたらドルミーレは嫌っていうかもしれないけど……」
真剣な面持ちを取り戻したホーリーは、少しおっかなびっくり口を開く。
言わんとしていることがわからず、私は首を傾げるしかない。
少し間を開けて、ホーリーは意を決したように言葉を続けた。
「あのね、ドルミーレ。怒らないでほしいんだけど────私たちと一緒に、町に行かない?」
「……え?」
予想だにしていなかった言葉に、思わず無機質な声が口からこぼれてしまった。
まさかホーリーの口からそんな提案が飛び出すなんて、思ってもみなかったから。
私が帰ってきてから二年半、『にんげんの国』の色々な場所に赴いた。
その上で町に行こうということは、きっとそれは彼女たちの町を指しているに違いない。
約七年前、私を拒絶した人々が住む、あの町に。
「ホーリー、それは────」
「わかってる、わかってるよドルミーレ。それでも私たちは、そうした方が良いんじゃないかって思ったんだ」
怒りではないけれど、しかし強烈な疑問が湧き上がって、思わず固めな声を上げてしまった。
しかしその言葉は、イヴののんびりとした声に遮られる。
「君が私たちの町で受けた痛みや悲しみは、私たちもよくわかってる。でも、だからこそ私たちは、それを清算してほしいと思っているんだ」
「ごめんなさい。ちょっとよくわからないわ。あなたたちは何が言いたいの?」
どうしても語気が強くなってしまう。
二人に対して怒りの感情が湧いているわけではないけれど、あの時のことを思い出すと心に靄がかかる。
嫌な思い出が気分を害し、意図せずして顔をと声に出てしまう。
けれど、二人が私を不機嫌にさせたいとは思えない。
何が意図があり、そして意味があるんだろう。
そう、なるべく冷静に思考して、私は二人を見渡した。
そんな私を心配そうに見つめながら、ホーリーがおずおずと口を開く。
「ドルミーレが帰ってきて、もう結構経って、それに国の中も色々旅きたよね? その中で、ドルミーレは人が苦手なりに街中に入ったり、少しずつ人と関わるようになったでしょ? だから、そろそろと思って」
「そろそろって……」
確かに、森に閉じこもっていた昔に比べれば、今は人里に訪れている。
二人と国の色々なところに訪れ、街中に入りその生活に触れることも増えた。
そうすれば必然、そこにいる人たちと最低限のコミュニケーションを取ることだってあったけれど。
でも、だからって何がそろそろだと言うのだろう。
「ごめんね、ドルミーレ。これは私たちのわがままだと、そう思われても仕方ないんだけどさ」
未だ意図が読めずに眉を寄せた私に、イヴは申し訳なさそうに言った。
「私たちは君に、もっと堂々と生きられるようになってほしいんだ。その為には、君から悪魔という印象を払拭する必要がある。だから私たちの町にもう一度来て、君は良い子なんだって、君の力は素晴らしいものなんだって、そうみんなに理解してもらいたいんだよ」
そう言うイヴと、それに頷くホーリーの瞳が強く私を捉える。
その言葉には切なる願いが込められていると、二人の視線が訴えていた。
世界中を旅して回っていた時は、様々な未知や不思議に遭遇して目まぐるしい日々を送っていた。
それに比べれば今の日々の方が圧倒的に平穏で、そういう意味では刺激的なことはあまりない。
それでも時が経つのが早く感じるのは、きっとこの日々に充足を覚えているからなんだろう。
昔に比べ二人の友人の存在の有り難みを感じられるようになったことで、この日々に尊さを感じている。
だから気がつけばもう二年半もの時間が過ぎていて、旅をしていた頃のことなどもう遥か昔のことのようだった。
私はもう、自分が何者なのかわからない、不確かな存在ではない。
最後にして最大の神秘を持つ、世界の子たる存在ではあるけれど、それも今はどこか奥にしまい込まれて。
今の私は、ホーリーとイヴの友人。誰も立ち入らぬ森の中で、一人静かに暮らす女だ。
それでいい。それで十分だ。
「ねぇドルミーレ。ちょっと、話があるんだけど……」
そんな風に今に満足していた、とある日のこと。
出歩くことが多い私たちだけれど、今日は私の小屋に集まっていた。
ホーリーとイヴと三人でテーブルを囲み、たわいもない話をしながらお茶を飲んでいた最中、ホーリーが少し言いにくそうに口を開いた。
先ほどまでは年甲斐もなくはしゃいでいたホーリーの表情が、さっと緊張に引き締まる。
普段から陽気に笑っていることが多い彼女がそういう顔をすると、とても特別なことにように思えてしまう。
そっと横に視線をずらしてみれば、イヴもまた、気持ち雰囲気を強張らせていた。
「どうしたのホーリー。私に怒られるような悪戯でもしたの?」
「ち、違うよ……! 子供じゃないんだからそんなことしませーん!」
らしくない雰囲気に横槍を入れてみると、ホーリーは少し顔を赤らめて声を上げた。
彼女の無邪気な陽気さは長所だと思うけれど、本人は案外それを子供っぽいと思われる、と気にしている節がある。
けれどそれでもその明るさが変わることはないから、元来の性格などそうそう変えられるものではないんだろう。
「酷いよドルミーレ。私、もうそんな子供みたいなことしないんだから。もう十九、あと数ヶ月もすれば二十なんだから! 名実共にもう少しで立派なレディなんだからね!」
「そういう主張の仕方がレディっぽくないから、疑われるんじゃないの? 体ばっかり大きくなって、いつまでも子供っぽいんだもんなぁ」
ムッと唇を尖らせてとクレームを述べるホーリーに、イヴが苦笑と共に口を挟んだ。
その的を射た指摘に、ホーリーは更に不機嫌さを増す。
「イヴはそうやっていつも私を子供扱いしてー! お淑やかなドルミーレに言われるならまだしも、ちんちくりんなイヴに言われても────」
ホーリーは甲高い声でそう捲し立て、そして唐突にハッとする。
どうやら主題から大きく逸れたことに気付いたようだった。
「んもう、そうじゃなくてね」
紅潮しながらも、それを誤魔化すように言葉を切り替えるホーリー。
わざとらしい咳払いをして見せるけれど、いまいち締まりが窺えない。
しかしあまり茶化しても仕方ないから、私は居住まいを正すホーリーに倣って椅子に座り直した。
「私……私たち、ドルミーレに提案があるの」
「提案? 改まってどうしたっていうの?」
「うん。もしかしたらドルミーレは嫌っていうかもしれないけど……」
真剣な面持ちを取り戻したホーリーは、少しおっかなびっくり口を開く。
言わんとしていることがわからず、私は首を傾げるしかない。
少し間を開けて、ホーリーは意を決したように言葉を続けた。
「あのね、ドルミーレ。怒らないでほしいんだけど────私たちと一緒に、町に行かない?」
「……え?」
予想だにしていなかった言葉に、思わず無機質な声が口からこぼれてしまった。
まさかホーリーの口からそんな提案が飛び出すなんて、思ってもみなかったから。
私が帰ってきてから二年半、『にんげんの国』の色々な場所に赴いた。
その上で町に行こうということは、きっとそれは彼女たちの町を指しているに違いない。
約七年前、私を拒絶した人々が住む、あの町に。
「ホーリー、それは────」
「わかってる、わかってるよドルミーレ。それでも私たちは、そうした方が良いんじゃないかって思ったんだ」
怒りではないけれど、しかし強烈な疑問が湧き上がって、思わず固めな声を上げてしまった。
しかしその言葉は、イヴののんびりとした声に遮られる。
「君が私たちの町で受けた痛みや悲しみは、私たちもよくわかってる。でも、だからこそ私たちは、それを清算してほしいと思っているんだ」
「ごめんなさい。ちょっとよくわからないわ。あなたたちは何が言いたいの?」
どうしても語気が強くなってしまう。
二人に対して怒りの感情が湧いているわけではないけれど、あの時のことを思い出すと心に靄がかかる。
嫌な思い出が気分を害し、意図せずして顔をと声に出てしまう。
けれど、二人が私を不機嫌にさせたいとは思えない。
何が意図があり、そして意味があるんだろう。
そう、なるべく冷静に思考して、私は二人を見渡した。
そんな私を心配そうに見つめながら、ホーリーがおずおずと口を開く。
「ドルミーレが帰ってきて、もう結構経って、それに国の中も色々旅きたよね? その中で、ドルミーレは人が苦手なりに街中に入ったり、少しずつ人と関わるようになったでしょ? だから、そろそろと思って」
「そろそろって……」
確かに、森に閉じこもっていた昔に比べれば、今は人里に訪れている。
二人と国の色々なところに訪れ、街中に入りその生活に触れることも増えた。
そうすれば必然、そこにいる人たちと最低限のコミュニケーションを取ることだってあったけれど。
でも、だからって何がそろそろだと言うのだろう。
「ごめんね、ドルミーレ。これは私たちのわがままだと、そう思われても仕方ないんだけどさ」
未だ意図が読めずに眉を寄せた私に、イヴは申し訳なさそうに言った。
「私たちは君に、もっと堂々と生きられるようになってほしいんだ。その為には、君から悪魔という印象を払拭する必要がある。だから私たちの町にもう一度来て、君は良い子なんだって、君の力は素晴らしいものなんだって、そうみんなに理解してもらいたいんだよ」
そう言うイヴと、それに頷くホーリーの瞳が強く私を捉える。
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