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第0章 Dormire

15 人々の不安

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「アイリス!」

 ホーリーとイヴニングが駆け寄ってきて、二人がかりで私を抱きしめた。
 苦しいくらいの抱擁。けれどそれよりも私は、目の前に広がった無惨な光景に呆然としてしまって。

 私が降らせた雨は止み、濃い雲も次第に晴れていく。
 沈みかけた太陽の赤い光が照らした街は、今さっきまで人々が往来していた平和な町から様変わりしていた。
 中心地に隣接する建物の多くは焼け焦げて崩れ、木々は焦げ燻りっている。
 嘆き悲しむ人たちの声が、とても刺々しく耳に響いた。

「アイリス……アイリス! 大丈夫? ケガはない?」

 身体を揺すぶりながらのホーリーの声に、私はやっと我に返った。
 近付けられた顔にゆっくりと目を向けると、涙を浮かべた瞳が私を映した。

「……私は、大丈夫。でも……」
「アイリスが無事なら、それでいい。これは決して、君の責任なんかじゃないよ」

 そう言ったイブニングは、心配そうに眉を落としながらも優しく微笑んだ。
 その言葉にホーリーも大きく首を縦に振る。
 けれど私にはとてもそうは思えなかった。

「私は、なんとかしようとして余計に事態を悪化させてしまった。私が手を出さなければ、町はここまで……」
「そんなことはないよ。君が頑張ったおかげで救われた命だって、きっといっぱいあったさ」

 私を抱きしめる腕に力を込めながら、イヴニングは柔らかく言った。
 その言葉は決して慰めではなく、彼女の本心だということはよくわかる。
 でも、実際に行動を起こした私自身が、自らの誤ちをよく理解していた。

 全ては、私の判断ミス、そして力不足が原因のこと。
 荷車が燃えた時の対処。火事となったあと炎を却って広めてしまったこと。そして倒壊を押さえるどころか、その被害を拡大させてしまったこと。

 自分には他の人間にはない神秘の力があるからと、出しゃばってしまった。
 普段は日常生活の補助程度にしか使っていないのに、できもしない大それたことに手を出して失敗した。
 ホーリーとイヴニングにおだてられて、調子に乗ってしまったのかもしれない。
 自分には他人以上の力があって、だから友を守ることができるんだと傲ってしまった。

 私は何て愚かなんだろう。私は何もわかってなんていなかった。
 いくら私に神秘の力があっても、生まれながらに様々な知識を持っていたとしても、私は所詮年端もいかない子供。
 何も知らず、わからず、経験もない。むしろそこいらの町の子供の方が、世の中の多くを知っている。
 そんな無知な私が、大勢のヒトを左右することに首を突っ込むべきではなかった。

「アイリス、そんな悲しそうな顔をしないで」

 ホーリーがシュンとして私の顔を覗き込んでくる。

「アイリスはとってもがんばったよ。わたしのこと助けてくれたし。アイリスは、何にも悪くなんかないよ」
「そうだよアイリス。これは不運な事故だ。君が悪いわけでも、誰が悪いわけでもない。むしろこの中でわたしたち三人とも無事で良かったくらいだよ」
「………………」

 二人の言葉はとても柔らかで、自責に駆られている心にじんわりと染み渡った。
 自分のせいだと思う考え自体は変わらないけれど、それでも少し心が軽くなった。
 ホーリーとイヴニングの存在、そして言葉がわたしを明るく包んでくれるから。

 そんな二人を見て、どうして自分があそこまで必死になったのかわかった気がした。
 彼女たちと出会って約半年。私にとって二人はもうとっくに大切な存在になっていたんだ。
 言われるがまま、流れに身を任せてきたようで、彼女たちと時間を共にすることを私自身が望んでいたんだ。
 だからこそ、彼女たちの身の危険や、彼女たちの町の窮地に体と心が反応してしまった。

 そしてきっと、この町で実際に多くの人たちを目にしたことで、私も同じ人間であるという自覚を覚えたんだ。
 今まで頭でしか理解していなかったものを体で感じて、そこに仲間意識のようなものを覚えたのかもしれない。
 だからこそ、私にはなんの利益も不利益もないのに、助けなければと心が感じたんだ。

「ごめんなさい。ホーリー、イヴニング」

 あやまらなくていいんだよと、そう言ってくれる二人を抱きしめ返す。
 恐怖や焦燥、悲しみや後悔。そして慈愛。今までにない多くの感情が渦巻いて、私は二人に縋った。
 とても苦しいけれど、でも、私はようやく自分が人間らしくなれたような気がした。

 そうやってしばらく三人で身を寄せ合っていた時。
 周りが段々とざわつき出して、いくつかの視線を感じた。
 顔を上げて周りを見渡してみると、悲嘆に暮れながらも落ち着きを取り戻した町の人たちが、訝しげな目で私たちを、いや私を見ていた。

「ホーリー、イヴニング。その子は一体誰なんだ?」

 ゆっくりと集まってきた人々の中、一人の中年男性が声をあげた。
 二人が返答に詰まっていると、また別の声が上がる。

「見たことのない子だな。誰の子だ、どこから来たんだ?」
「なんだかちょっと、様子が変よ。普通じゃないわ」
「さっき、何か変なことをしてなかったか? あの子が飛び出した時、不思議なことが起こったような……」

 群がる大人たちが私たちを囲んで、口々に不審を口にする。
 昼間は誰も私に対して何も言いはしなかったのに。

「火事になった時、あの子が火を消そうとしているように見えたよ」
「そんなことできるわけがないだろう」
「でも、建物が崩れそうになった時、あの子がきたらピタリと止まってたな」
「確かに、その後も不自然に倒壊が止まったり、色々と普通じゃなかった……」

 普通の人間から見たら不自然な現象の数々を、次第に不思議がる大人たち。
 火事の最中ではあまり私を気にしていなかった人たちも、今になって私の不自然さに気付き出したようだった。
 いろんな人たちの証言が飛び交い、憶測が囁かれ、肯定と否定が入り乱れる。
 言葉が繰り返されるたび、人々の視線はどんどんと不安の色を強めた。

 そんな大人たちに、私は自分が震えていることに気付いた。
 言い知れぬ恐怖のような感情が、私の身を固くする。
 そんな私の様子に気付いたホーリーは、手をしっかりと握っておっかなびっくり一歩前に出た。

「こ、この子はアイリス。わたしたちのお友達なの。アイリスは、特別な力を持ってて……」
「ホ、ホーリー……!」

 勇気を振り絞って大人たちに話すホーリーの手を、イヴニングがグッと引っ張った。

「今それを説明するのは────」
「特別な力だって……?」

 イヴニングが慌ててそう囁いた時、また大人たちがざわつき出した。

「特別な力って、じゃあ色んな不思議なことはあの子が?」
「そんな馬鹿な。人間に神秘のような力はない。たまたまだろう」
「でも、あの子がやっとしたら辻褄が合うんじゃ……」
「そうよ、何だか怪しいもの。普通じゃない何かをしたに違いないわ」
「おい。子供の言うことを信じるのか」

 何だかとても嫌な予感がした。
 戸惑いを浮かべるホーリーと、焦りを浮かべたイヴニングが、私を庇うようにすがりつく。

 混乱と戸惑いと共に言葉を交わす大人たちの雰囲気が、どんどんと重たくなっていく。
 そして私に向けられていた訝しげな視線は、疑心へと変わり、突き刺すような鋭さを帯びていく。
 ただ見られているだけなのに、よくない感情がヒシヒシと伝わってきた。

「君に不思議な力があるのは、本当かい?」

 誰かが、そう言った。
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