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第7章 リアリスティック・ドリームワールド

142 愛してる

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「アリスちゃん……!!!」

 気が付くと、目の前に氷室さんの顔があった。
 サラサラのショートヘアを垂らして、青白い顔で私を見下ろしている。
 そんな中でも、そのスカイブルーの瞳はとても綺麗だった。

「……氷室さん。無事、だったんだ……」
「私は、平気。アリスちゃんは、なんともない……?」
「うん。大丈夫だよ」

 消え入りそうな声で私に縋ってくる氷室さんに、目一杯の笑顔を向ける。
 どうやら私はちゃんと現実に目を覚ますことができたんだと、そこでようやく自覚できた。

 私は神殿前の広場の地面に横たわっている様だった。
 頭は氷室さんが膝枕をしてくれていて、とても柔らかくて心地いい。
 けれど疲労が限界値を超えてガチガチになっている体は、冷たい地面の上ではいささか苦しかった。

 さっきまでは心の中に沈んでいて意識だけだったから、現実で受けた肉体的なダメージの影響はなかった。
 けれどこうして目覚めると、これまでの戦いで蓄積した疲労とダメージで体は悲鳴を上げていた。
 一応生きてはいるけれど、もうこれ以上無茶はできそうないな。

「心配、かけてごめんね。沢山守ってくれてありがとう。レイくんとは、ちゃんと話し合えたから」
「…………ええ」

 重い腕を何とか持ち上げると、氷室さんは薄く微笑んでから私の手を取り自らの頰に当てた。
 そして大事そうに私の手に握ってから、ゆっくりと視線を他へ移す。
 それを追って首を動かすと、私の傍でレイくんが跪いていた。

 転臨の力は既に納めていて、兎の耳はなくその髪は黒に戻っている。
 ブルゾンを羽織っていることで上半身を包まれていて、妖精の羽はもう窺えない。
 今まで通りのレイくんの姿だった。

「レイくん……。レイくんも、ちゃんと目を覚ませられたんだね」

 ぐったりと重い体を奮い立たせて体を起こす。
 すぐさま手を貸してくれた氷室さんの力を借りながら、私はレイくんに視線を合わせた。
 レイくんはそんな私を見ながら、けれど視線を合わせず俯いた。

「本当にごめんね、アリスちゃん。僕は、君の心を踏みにじってしまった」
「もういいよ。謝らないで。結果的にわかってくれたし、私は怒ったりしてないよ」
「けれど……」

 首を横に振る私に、レイくんは項垂れた。

「それでも僕は、君を危険に晒してしまった。君の意思を蔑ろにし、傷付けてしまった。僕は君を、愛しているのに……」
「間違いは誰にだってあるけど……でもレイくんのそれは決して間違いではなかったでしょ? レイくんの気持ちが、信念がそうさせたんだもん。それを責めちゃダメだよ」

 ドルミーレに対するレイくんの想いは確かなもので、ここまでの全てはその為だった。
 それが私の意思と反するものであったとしても、レイくんの真っ直ぐな気持ちであることには変わりない。
 だから私は、それを責めようとは思わない。

 もちろん、魔法使いを滅ぼすだとか、世界を変えてしまおうだとか、そういう魂胆には反対だけれど。
 それとこれとは別問題だから。レイくんの行動を、私は責めたくない。

「私は、レイくんが自分の気持ちと意思で前に進むことを決めてくれたのが、嬉しかった。そう簡単に割り切れるものじゃないとしても、それでも前を向いてくれたことが」
「アリスちゃんのお陰だよ。君を完全に飲み込んでしまっていたら、きっと僕はその答えに至れなかった。いつまでも縋り付いて、そして消されていただろう。アリスちゃんには、頭が上がらないよ」
「もぅ、そういうのいいよ。気にしないで。友達でしょ?」

 項垂れるその頭を両手で救い上げると、レイくんのシュンとした顔が私を見つめた。
 瞳にじんわりと涙を浮かべ、今にもこぼれそうなのを必死で堪えている。

「アリスちゃんは……まだ僕を友達と呼んでくれるのかい?」
「当たり前だよ。レイくんは私の大事な友達。それは、どんなにすれ違ったって変わらない」
「…………参ったなぁ。君は、僕の心を掴んで放さない……」

 控えめに微笑んで、レイくんは自分の頰から私の手を取った。
 それから跪いた姿勢を正すと、私の片手を恭しく掲げる。
 それはまるで、お伽話の王子様のよう。

「アリスちゃん。僕はやっぱり、君を愛している。心の底からだ。こんなことをしておいて、何を言っているんだと思われるかもしれないけれど。これが僕の確かな気持ちだ。僕と、ずっと一緒にいてくれないかな」
「レイくん……」

 紳士的に、その真摯な想いを誤魔化すことなく言葉にするレイくん。
 その真っ直ぐな言葉は、確かにレイくんの純粋な気持ちなんだとはっきりとわかった。
 あまりにもストレートで、思わず頬が赤らむ程に。

 今までも、何度も似た様なことを言われてきた。
 可愛いとか素敵だとか、好きだとか愛しているとか。
 それだってきっと本気だったんだろうし、嘘があったとは思っていない。
 けれど今向けられた言葉は、今までで一番心に染み渡った。

 レイくんは、本当に私のことを好きでいてくれているんだと。

「ありがとうレイくん。そう言ってもらえるのは、とっても嬉しいよ」

 真っ直ぐ目を逸らさず、私は心のままの笑顔を向けた。

「でも、ごめんなさい。レイくんの気持ちには私、応えられない。それは別に、今までされたことは関係ないし、人間じゃなくて妖精だってことももちろん関係ない。私はレイくんの全部をひっくるめて、あなたことが好きだし。でも、レイくんのその気持ちに応えられるだけのものを、私は持っていないから」

 レイくんのことは好きだけれど、これは愛じゃない。
 大切だとは思うけれど、きっとそれは一番ではない。
 私は、レイくんが向けてくれる想いを返すことはできないから。

「だから、ごめんなさいレイくん。私は、あなたの隣には立てません」
「………………うん」

 そっと手を放して答えると、レイくんは静かに頷いた。
 涙を浮かべることはなく、とても爽やかな清々しい表情で。

「フラれちゃったね。でも、わかっていた。ケリをつけたかっただけなんだ。ちゃんと答えてくれてありがとう」
「レイくん……」

 ニコッといつも通りの笑みを浮かべるレイくんに、何か言葉をかけようとして、やめた。
 私に慰める権利なんてないし、そんな資格はない。
 レイくんが笑顔を浮かべるのならば、私はそれを受け入れて一緒に笑うべきなんだ。

「まぁでも、フラれても君を好きな気持ちは変わらない。これからも、好きでいさせて欲しいな」
「もちろんだよって言うのは、なんか変な気がするけれど……うん。これからもレイくんとは、仲良くしたい」
「よかった。ありがとう」

 レイくんは嬉しそうに笑うと、ゆっくりと立ち上がった。
 それから当たりをぐるりと見渡して、さてと、と息を吐く。

「気持ちに沢山ケリをつけられたことだし、僕は僕のするべきことをするよ」
「レイくん……?」

 割り切った顔でそう言う姿に首を傾げると、レイくんは爽やかに微笑んだ。

「魔法使いとは個人的にやっぱり相入れないけれど、でも確かにこれ以上の戦いは無意味が過ぎる。それに、彼らを殲滅しようというのも、まぁ過剰思想かなって」
「レイくん、じゃあ……」
「うん。僕が責任を持って、進撃している同胞を引かせよう。そして、ワルプルギスは魔法使いへの叛逆を止める。敵を滅ぼそうとしていたら、彼らと同じになってしまうからね」

 レイくんは腰に手を当て、キッパリと宣言した。
 その姿はいつになく凛々しく、とても逞しい。

「僕はアリスちゃんの味方だ。君の心に寄り添っていきたい。これからは君と共に魔女を救う道を模索していきたいんだ。だから僕はもう、無用な憎しみはいだかない」
「うん。ありがとうレイくん……!」

 魔法使いと魔女の争いは、根本的にはあまりにも無意味だ。
 でも立場の違いから、どっちもその憎しみを抑えられなくなってしまっている。
 そんな中で魔女のレジスタンスが少しでも引く姿勢を見せたら、状況は変わるかもしれない。

「嬉しいよ、レイくん。一緒に、平和的にみんなが幸せになる方法を探そう。氷室さんも、それでいいかな?」

 私のためとはいえ、氷室さんは散々ワルプルギスと戦った。
 その彼女の気持ちも大事だと、体を支えてくれている氷室さんに顔を向ける。
 氷室さんは少しだけ無言でレイくんを見つめてから、控えめに頷いた。

「……アリスちゃんがいいのなら。私は、アリスちゃんが傷付かなければ、それで」
「ありがとう氷室さん」

 私のお礼に、氷室さんは小さく首を横に振った。
 いつもいつも私の隣にいてくれて、私を支えてくれる氷室さん。
 彼女がいなければ、絶対にここまでくることなんてできなかった。
 その優しい心が、もう私には必要不可欠だ。

 私が笑うと氷室さんもほんの少し口元を緩め、そしてレイくんも微笑んだ。

 ワルプルギスが魔法使いへの反旗を取りやめても、根本的な解決にはまだ遠い。
 それに、魔法使いが目論んでいること、それに彼らとの問題も残っている。
 けれどそれでも、こうしてわかり合える人が増えたことは確かな一歩だ。

 こうなるまでに沢山の犠牲があって、それは本当に辛く悲しいこと。
 みんなで一緒に手を取り合うことができていたらって、どうしても思ってしまう。
 でもだからこそ、その意思と気持ちを継いでいくために、私は前に進んでいかないといけないんだ。

 そして、みんなの心が繋がってくれている私は、自分の全てに決着つけなきゃいけない。

 そうやって、喜びと共に決意を新たにしていた時だった。

「────そう。結局彼女は、まだ目を覚さないことにしたのね」

 突然女の人の声が飛んできて、私たちは慌てて振り向いた。
 いつの間にか神殿の入り口の段上に、白いローブをまとった人が立っていて。

 その姿に、私の心は何故だかドクンと飛び跳ねた。
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