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第6章 誰ガ為ニ

140 白い薔薇と赤い薔薇

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 私たちにしこりを残しつつ、ロード・ケインは颯爽と消えてしまった。
 カノンさんは苛立ちを抑えきれずにドンと足を踏み鳴らし、歯を食いしばって彼が消えた虚空を睨んでいる。

 結局、私たちは彼に翻弄されっぱなしだった。
 彼自身に明確な害意がないとしても、でも被害を被ったのは事実だ。
 してやられと、悔しい気持ちが残ってしまう。

「すまねぇ、逃しちまった……」

 眉を落として、カノンさんが戻ってくる。
 木刀を握り締めながら言うカノンさんに、千鳥ちゃんは首を横に振った。

「仕方ないわ、相手は君主ロードだもの。最後に片腕をやってくれただけでも、少しは清々したわ」
「あ、あぁ」

 千鳥ちゃんだって悔しくないはずはないのだろうけれど、穏やかな笑みを向けた。
 それ受けてカノンさんもぎこちなく笑みを作る。

「確かにアイツのお陰で色んな被害を被った。悔しいけどでも、アイツの言う通り私たち自身の意思が大きかったし、その分自分自身の責任もあるから。ひとまず今は、もういいわ」
「千鳥ちゃん……」

 強がっているわけなさそうだった。
 彼に対する感情はあるだろうけれど、千鳥ちゃんは前を向こうとしている。
 それがわかったから、私もそれ以上のことを言おうとは思わなかった。

 アゲハさんを失ってしまった悲しみを抱きながら、それでも今こうしてみんなでいられることを噛みしめたいと思う。
 喧嘩はしたけれど、争ってしまったけれど。
 それでもこうして、友達みんなでいられることに感謝しないといけないんだ。

 決して、当たり前だなんて思っちゃいけない。

「……それで、君はいつ帰るのかな? それともまだ何か用かい?」

 そして、夜子さんが唐突にそう口にした。
 その言葉の矛先は、レイくんに向いているようだった。
 ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、僅かに目を細めてその姿を舐めるように観察している。

 わかりきった問いかけをわざわざしているかのように、その言葉はとてもわざとらしい。

「お生憎、僕はまだ帰れない。それこそ手ぶらでは、一人では帰れないよ。僕がここに来たのは、これからの用事を済ませる為だからね」
「ほう……」

 レイくんは軽やかに微笑んで言った。
 そんな余裕綽々の態度に、夜子さんは冷たい視線を投げかけた。

 みんなの視線がレイくんに向いて、もう何度目かの緊張が走った。
 けれど、私にはレイくんの言葉の意味していることがわかった。
 だから千鳥ちゃんから手を放し、ゆっくりと立ち上がった。

「私、だよね。私を迎えに来てくれたんでしょ?」
「アリスちゃん……!」

 レイくんに真っ直ぐ向かうと、氷室さんが慌てて駆け寄ってきた。
 すぐさま私の腕をぎゅっと握って、不安そうな視線を向けてきた。
 私はそんな氷室さんの手に自分の手を重ねて、大丈夫と微笑んであげる。

「昨日約束したもんね。鍵、返してくれるんでしょ?」
「ああ、そのつもりだよ。今日、今ここで君の封印を解こう」

 爽やかに微笑むレイくんの言葉に、空気がきゅっと引き締まった。
 私にはわかっていたことではあるけれど、それでも鼓動が早くなる。

 この時をずっと待っていた。
 私が記憶と力を取り戻せる時を。

 晴香が命を懸けて守り続け、そしてその命を賭して渡してくれたもの。
 それをこの手にとることを、ずっと待ち望んでいた。

 自分が真実を知りたいだけじゃない。
 自分が身を守りたいだけじゃない。
 その記憶と力がないとできないことがある。

『始まりの力』、『始まりの魔女』ドルミーレの力を十全に使いこなすことができれば、きっと色々なことができるはずだ。
 だからこそ魔法使いも、ワルプルギスも私の存在を求めている。
 それだけの力が、私の奥底には眠っている。

 その力を持って、私は友達を救いたい。
 魔女になってしまったことで運命を狂わされてしまった友達を。
 死に怯え、恐怖に震えなければならない友達を。

 そして、魔女や魔法使いというだけでいがみ合わなければならないこの状況を変えたいんだ。
 きっと、それは私にしかできない。
 だから私は、全てを取り戻したい。

 今日の戦いを経て、改めて、より強くそう思った。

「一応確認だけれど、僕の話は考えてくれたかな?」
「大切なものの話だよね。うん、考えたよ。考えたけど……やっぱりまだ私には、一番を決めるのは難しかった。沢山考えたけど、答えは出なかったよ」
「別に構わないさ。結論を急ぐ必要はないよ。考えてくれることが重要だったからね」

 眉を落として答えると、レイくんはとても柔らかく笑いかけてきた。

 今の私には、どれか一つを特別な一番と決めてしまうのは難しい。
 でも、それを胸に抱くことの重要性はよくわかる。
 千鳥ちゃんのように、大切なものがいくらかある中で、一番大切なものの為に覚悟を決める、ということもこれから必要になってくるかもしれないから。

 いつまでもずっと、何もかも大切だなんて、そんな子供みたいなことは言えないとわかってる。
 でも今はまだ、私の心がはっきりとした答えを出さないでいる。

「今の私はやっぱり不完全だから。全てを取り戻した上で、何もかもをわかった上で、もう一度じっくりと考えたいと思う。いつ結論が出せるかは、わからないけれど」
「それがいい。急がなくてもいいのさ。君の心に従えばいい。そうすれば案外、答えはすぐに見つかるかもしれないしね」

 レイくんはとても柔らかい笑み浮かべ続ける。
 そこにはなんだか、余裕のようなものを感じた。
 記憶を取り戻した私に対して、よほどの自信があるのかな。

「アリスちゃん……本当に、大丈夫?」

 レイくんと向き合う私に、氷室さんが再度心配そうに私を見た。
 私の腕を握るその手は震えている。

「うん、大丈夫だよ。覚悟はもうできてる。私、何を取り戻しても絶対に今を見失ったりしないから。どんなに大切なことを思い出したとしても、今を放り出すことなんて絶対にしないし、私がそんなことしたくない」

 そのひんやりとした手を握って、私は力強く答える。
 それでも氷室さんは、そのスカイブルーの瞳を不安に揺らしていた。

「自分が忘れていた記憶を取り戻すのも、強大な力が解放されるのも、どっちも怖いよ。でも、私は一人じゃないってわかってるから。この心の繋がりがあれば、私はきっと自分を見失わないでいられる。けどもし、それでも私が道を誤りそうになったら、その時は氷室さん、氷室さんが私を正しい道に戻してね」
「………………えぇ」

 安心させる為、満面の笑みを向ける。
 氷室さんはそんな私をまじまじと見つめてから、ゆっくりと頷いてくれた。
 まだ不安そうだけれど、でも彼女もまた覚悟を決めてくれたようだ。

 大丈夫。私は一人じゃない。
 この心がみんなと繋がっている。
 友達との繋がりがあれば、きっと大丈夫だ。

 氷室さんの手を放して前に出る。
 レイくんもまた私にゆっくりと歩み寄ってくる。
 その表情は、いつになく嬉しそうに綻んでいた。

「さて、我らがリーダーが来るよ」
「え?」

 私が首を傾げた時、空を埋め尽くしていた暗雲の一部にぽっかりと穴が空いて、そこから眩い光が差し込んだ。
 その光はまるでスポットライトのように、真っ直ぐに屋上全体を照らす。

 まるで陽の光が斜めに差し込んでいるよう。
 けれどそれは陽の光なんかよりもよっぽど強烈で、そして同時に神々しさを感じさせた。

 その輝かしい光を腕で遮って空を見上げると、光の差す元、空に人影が見て取れた。
 それはゆっくりと、けれど確実に舞い降りてくる。

 時代錯誤な、まるで時代劇のお姫様のような豪華絢爛な純白な着物。
 地面に擦り付けそうな程に真っ直ぐと長い、その衣服とは対照的な漆黒の髪。
 その姿、存在から圧倒的な高貴さと雅さ、そして神々しさを振りまきながら、ゆっくりと舞い降りてくる。

「真奈実さん────いえ、ホワイト……」

 レイくんのすぐ背後に足をつけたのは、紛れもなくワルプルギスのリーダー、ホワイトだった。
 善子さんの親友である彼女は、真奈実という名を捨て、今はレジスタンスを率いる立場となっている。
 以前会った時と変わりなく、ホワイトは落ち着いた優雅な仕草で柔らかくお辞儀をしてきた。

「ご無沙汰しております。姫殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう。此度は、偉大かつ記念なる場に是非同席させて頂きたく、馳せ参じた次第にございます」

 柔らかくも研ぎ澄まされた声で、ホワイトは丁寧な言葉を並べる。
 私を敬う態度、言葉を述べつつも、自身に対する圧倒的な自信は一ミリも損なっていない。
 自分を正義そのものと疑わない人。その存在感は、ただそこにいるだけで息が詰まりそうだった。

「やぁ真奈実ちゃん。久しぶりだね。レジスタンスのリーダーとかやっちゃってる君が出張ってくるってことは、よっぽど自信があるのかな?」
「あら真宵田 夜子さん。これはお久しぶりでございます。解放の儀はわたくし共にとって神事に等しい。足を運ぶのは当然のことでございます」

 その存在感に圧倒されていると、夜子さんが口を開いた。
 朗らかに声をかけるも、その言葉の内は計り知れなかった。
 何かを言い含んでいる言葉。とても好意的なものではないのは明らかだった。

 それに対してホワイトは、視線をゆっくりと私から夜子さんへと向け穏やかに答える。
 口元を袖で覆い隠しながら、ふふふと柔らかく笑っている。

 両者とも表面上は和やかだけれど、目に見えないところで静かな戦いが起きていた。
 二人共お互いのことを快く思っていない。
 それがハッキリと伝わってくるほどに、空気が険悪になる。

 けれど、二人はそれ以上の言葉を交わさない。

 そんな様子を微笑ましく見守ってからレイくんは口を開いた。

「さて、役者は揃った。ここにいる全員が証人だ。眠りについていた真実を解き明かし、その力を目覚めさせる時がきた」

 レイくんの無邪気に顔を綻ばせ、瞳を輝かせている。
 みんなのことをぐるりと見渡して、満足そうに、誇らしげ語る。
 そして私の目の前まで歩み寄ってくると、その手を前で広げた。

 そんなレイくんを見て、目の前のことに集中しないとと、私は気を引き締めた。
 ホワイトの登場や、夜子さんとの険悪な雰囲気は気になるけれど。
 今の私にとって重要なのは、鍵だ。

 真っ直ぐレイくんを見つめると、その掌の上がパッと白く輝き、突然そこに一輪の白い薔薇が現れた。
 一切の穢れがない、純白の花弁をもった薔薇だ。
 晴香が死んでしまった時最後に残っていたそれと、全く同じものだということは一目でわかった。

「………………」

 思わず息を飲む。
 ついにこの時がきてしまった。
 全て、還ってくる時が。

 私の大切な記憶。
 その中に眠る真実。
 そして、私が抱える運命。

 それらが還ってくる時が、来た。

 緊張で心臓がきゅっと縮こまるのに、爆発しそうなほどに激しく鼓動を打つ。
 手には汗がベトベトと滲んで気持ち悪い。
 どうしても、呼吸が荒くなる。

 レイくんは私の前で白い薔薇を掲げながら、空いた手で私の頭を優しく撫でてくる。
 愛おしげに、慈しみを持って、優しく柔らかく。
 そして、まるでキスでもするかのように頭の後ろに手を添えて、そっと抱き寄せてくる。

「待たせてごめんね。意地悪がしたかったわけじゃないんだ。然るべき時を待っていた。今の君なら大丈夫。その心を信じてる。だからアリスちゃんも僕を信じて。僕が、解放をいざなおう」
「う、うん。信じる、よ…………お願い」

 いつも飄々としていて、私のことをのらりくらりと転がすレイくんだけれど。
 意地悪なことを言ったり、私の意思に沿わないことをする時もあるけれど。
 でも、レイくんが私のことを想ってくれているのはわかるし、私が嫌がることはしない。
 レイくんは私に、害を与えたことは一度もない。

 だから、信じる。
 レイくんだって、友達だから。

 私が頷くと、レイくんは白い薔薇を私の胸元に近づけた。
 そこに咲く氷の華に触れるか触れないか、そこまで近づけた時。
 白い薔薇の花弁が、茎の方からじわじわと赤く染まり出した。

 雪のように白く輝く花弁が、燃えるような赤に染め上げられていく。
 そして、やがてその花びらは全て、ペンキで塗ったような真っ赤なものに置き換わった。

 赤へと変わった薔薇は、眩い宝石のようにギラギラと光を放つ。
 レイくんが手を下ろしても、薔薇はそれ単体で宙に浮き、燃えるような赤い光を放ち続けた。

 そして、唐突に花が弾ける。
 パンッと軽やかな音と共に、赤い薔薇は赤い光となって舞い散った。
 その光は私のことをぐるぐると囲むように舞い広がり、そして煌きながら一斉に私の胸の中にすぅっと入り込んできた。

「────────!!!」

 胸が、心が燃えるように熱くなる。
 複雑に絡み合った鎖を解いていくかのように、胸の中が暴れ回る。
 それと同時に頭の中で何かが弾けた。
 一瞬真っ白になって何も考えられなくなってから、大量の何かが心の内から頭に向けて突き上がってくるのがわかった。

「あ…………あ、あぁっ………………!」

 心の殻を破かれて、頭のもやが取り払われる。
 意識が、思考が、感情が妙にクリアになる。
 そんな白紙のような私の中に、奥底から、どこからともなく、際限なく、大量のものが、込み上げてくる。

 今と昔。真実と虚構。現実と幻想。
 あらゆる感情とあらゆる記憶、あらゆる私。
 全てのものがごちゃ混ぜになって……。

 そして、私は────

 全てを思い出した。
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