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第6章 誰ガ為ニ

85 元気でね

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 翌朝。
 私が目を覚ますと、ベッドにお母さんの姿がなかった。
 一瞬、急にいなくなってしまった、なんていうドラマのようなことを思い浮かべてヒヤッと悪寒が駆け抜ける。

 けれど耳を澄ませてみれば、下階から台所仕事をする音がちらほらと聞こえてきた。
 本とかドラマとか、物語の見過ぎかもしれない。
 私はホッと胸を撫で下ろし、お母さんの温もりが残ったベッドでもう少しだけゴロゴロすることにした。

 しばらくするとお母さんが起こしに来てくれた。
 その姿を見て改めてホッとしながら、私はのっそりと起き上がる。
 寝ぼけていたからか、それとも昨日の雰囲気を引きずっているのか、起き抜けに抱き着きたい衝動に駆られたけれど、それはグッと堪えた。

 朝食の前に顔を洗って、それから髪をとかしている時のこと。
 洗面所にやって来たお母さんが、急に私の髪を結いたいと言い出して聞かなかった。

 別にされて嫌なことでもないし任せることにすると、お母さんはまるでお人形遊びをする小さな女の子のようにウキウキと私の髪を弄りだした。

 編んでもらった三つ編みのおさげは、どことなく自分でやるときよりもキッチリと決まっていた。
 髪の毛はぴっちりと漏れなくまとめられているし、肝心の三つ編みも緩みなくしっかりと編み込まれている。

 思えば、お母さんに髪をセットしてもらうなんて結構久し振りかもしれない。
 そんなことに妙な感慨を覚えながらお礼を言うと、お母さんはとっても嬉しそうに私を眺めながら頷いた。

「今日は土曜日だから学校はお休みでしょ? どこかお出掛けするの?」

 二人で朝食をとっている時、お母さんが尋ねてきた。
 私は温かいお味噌汁を啜ってから頷く。

「うん。ちょっと友達とね。もう少ししたら出るよ」
「そっかそっか。お母さんはお昼前くらいにはお仕事に出ちゃうから、アリスちゃんの方が先だね」
「ごめんね。まさかこんなすぐにまた出張行くなんて思ってなくて……」
「別にそんなこといいよ。もう二度と会えなくなるわけじゃないんだし。お友達を大切にしなさい」

 少しシュンとした私に、お母さんはニッコリと微笑んだ。
 確かに今生の別れってわけでもないし、今回はそんなに長くはならないと言ってたけど。
 でも、しばらく家を空けるお母さんの見送りをしてあげたかった。

 ただの遊ぶ約束くらいならずらしてもらったりするけれど。
 でも千鳥ちゃんのこと、アゲハさんのことはそう呑気に構えているわけにもいかないし。

 なんでだろう。昨日から妙にお母さんを恋しく思ってしまう。
 高校に入ってから、お母さんがいない時間には慣れていたはずなのに。
 ここ最近の立て続けのトラブルの不安が、お母さんの温もりを求めているのかなぁ。

 そんなことを考えながら、それでも楽しくお喋りをしながら朝食を食べ終えて。
 着替えをしようと思ったらまたしてもお母さんが乱入して来た。
 コーデはお母さんに任せなさい! となんだか楽しそうだったら、大人しく任せることにした。

 うんうんと唸りながら色々なものをあてがえられてしばらく。
 丈が長めなグレーのニットのワンピースに決まって、寒いからとプラスで厚めのタイツを履かされた。
 それから黒のオーバーコートを合わせて、お母さんは満足げに頷いた。

 お母さんに着る服を選んでもらうということに気恥ずかしさを覚えつつ、でもなんだか嬉しかった。
 でも私よりもお母さんの方が嬉しそうにニコニコしているものだから、なんだか照れ臭い。
 お礼を言ったら逆にお礼を言われてしまった。

「一緒にいてあげられなかったり、お母さんは母親らしいことあんまりしてあげられてないから。今できることはいっぱいお世話してあげたいんだ。お年頃のアリスちゃんには、ちょっとお節介かもだけど」

 出かける支度を整えて玄関で靴を履く私に、お母さんは腰に手を当ててにっこり笑いながら言った。
 ちなみに靴もお母さんのプロデュース。温かいブラウンのムートンブーツです。

「そんなことないよ。お母さんは、私にとってすっごくお母さんだよ。いつだって、どんな時だって」
「もーそんなこと言ってぇ。お母さん、お仕事行けなくなっちゃうじゃん」

 お母さんはそう言うと私をむぎゅっと抱きしめて来た。
 私もしっかり抱きしめ返すと、お母さんは私の頰にずりずりと頬擦りをしてくる。

「本当はずっとずっとアリスちゃんといたいんだよ? 片時だって、離れたくないんだから」
「うん。でもお仕事はしないとでしょ?」
「まぁね~ん。でもたまーに思うの。そんなことしてないで、ずっとずっとアリスちゃんといたいなぁって」
「お母さん……」

 耳元で囁くように吐露するお母さんに、私は思わずしんみりしてしまった。
 やっぱりお母さんが家を出るまで私もいようかと、そんなことを思った時。
 お母さんは勢いよく私を放すとニカッと笑った。

「ま、お母さんも大人なので? ちゃんとやることやりますとも! それに、今回のことが終わればやっと落ち着けると思うしね」

 そう言ったお母さんは、私にとっても優しい目を向けて来た。
 慈しむような、憂うような、愛情のこもった母親の目だった。
 その表情にどこか寂しさを覚えつつも、私も笑顔を返した。

「私のことは心配しないで────て言っても難しいかもだけど。でも大丈夫だから。だからお母さんはお仕事しっかり頑張ってね」
「……うん、わかったよ」

 もう一度軽く抱き合ってから、私は玄関の戸を開けた。
 冷たい外気に首をすくめながら、目一杯の元気で行ってきますと言うと、お母さんは大手を振った。

「いってらっしゃい! 気をつけてね。頑張ってね。元気でね……!」

 ちょっとだけくぐもったその声に、私は涙ぐみそうになりながら家を出た。
 やっぱりちょっと変だ。どうしようもなく寂しい気持ちになる。
 それでも、私は私で頑張らないと。

 次お母さんが帰ってきた時、自信を持って、満面の笑みでおかえりって言えるように。
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