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第6章 誰ガ為ニ
83 四度目の邂逅
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気がつくと私は森の中にいた。
さっきまで見ていた夢とは違って、明確にここにいるとわかる。
眠りの中で見る夢の先。ここは私の心の奥底だ。
もう何度も訪れた、巨大な森の只中だった。
突然そのことを認識した私は、覆い被さるような木々を呆然と見上げていた。
いつからここにいて、いつからこうしていたんだろう。
「よかった。今回はまっすぐ来られたね。道案内を用意しておいて正解だった」
柔らかでどこか舌足らずな声が聞こえた。
さっきまで見ていた走馬灯のような夢と、氷室さんの姿を思い返していた私は、唐突に掛けられた声にハッとした。
私は椅子に腰掛けていた。
目の前にはテーブルがあって、フルーティーな香りがする紅茶の用意と、沢山のお菓子が並べられている。
巨大な森の中にあるお茶会の席。ここは紛れもなく、いつも『お姫様』と会う場所だ。
そんなことに遅れて気が付いて、私は声がした正面に顔を向けた。
テーブルを挟んだ向かい側には、案の定私と瓜二つの顔があった。
私よりも気持ち幼げで、白いワンピースが良く似合うもう一人の私。
封印されたことで、私がお姫様と呼ばれる所以の全てを切り離されて生まれた存在だ。
「また呼んじゃってごめんなさい。でも、これを逃したらもうゆっくりお話はできないと思って」
「あ、うん」
私はひどく気の抜けた返事をしてしまった。
心の中に降り立って、こうして同じ顔に向い合うのにはもう慣れた。
だからこの状況に戸惑っているわけじゃない。
ただ、さっき見ていた光景がとても頭に残って、どうも心ここに在らずになってしまう。
私の周りにいてくれる人たちとの思い出。それに、必死で私に何かを語りかけてくれていた氷室さん。
所詮は夢。なんの意味もないものだと言われてしまえばそれまでだけれど。
それでも今の私の悩みに直結していたそれは、心を揺さぶるのには十分だった。
けれど切り替えないと、と私は頭を振った。
こうして『お姫様』が私をここに呼んだということは、話があるからだ。
晴香の死によって私に掛けられている制限が緩んでいるとはいえ、それでもまだ封印されている状態だから接触は簡単ではないんだろうし。
その時間を無駄にするわけにはいかない。
「ごめんね。あのそれで、今回はどうしたの?」
「えっとね、ちょっとお話をしたいなぁって思って。後は、昨日のお礼」
『お姫様』は両手でティーカップを持って口に運んだ。
傾けるカップで僅かに顔を隠すようにしながら、やや上目遣いで私を見た。
「レオとアリアのこと、ありがとう。あなたが二人を切り捨てない選択をしてくれたことは、とっても嬉しかったよ」
「ううん。私は自分の気持ちに従ったまでだよ。私にとっての二人は、まだ怖い人たちってイメージがあるけれど。でも、私の中にいるあなたの気持ちが、確かに二人を大切に思っていたから。前と同じようになれるかはわからないけれど、それでも私は二人と仲良くしたいって思うから」
ニコリと笑みを浮かべて返すと、『お姫様』は嬉しそうに頷いた。
私の知らない私の過去を知りながら、私としてその後を見てきた私。
苦しかったはずだ、辛かったはずだ。
大切な過去を抱きながら、同じくらい大切な今を見てきたんだから。
それこそ、どちらかを選ぶことなんてできなかったはずだ。
でも『お姫様』は私に今を大切にするように言った。
過去に囚われず、今に目を向けて、今こそを大切にするべきだって。
きっとそれは、自分自身が過去の存在であると自覚しているからだ。
かつて『まほうつかいの国』でお姫様と呼ばれていた私の、記憶と力を切り離されて生まれた存在。
それは今の私から見たら明確な過去だから。過ぎ去ってしまったものだから。
どんな事情と経緯で、それが忘れさせられて切り離されて封印されたのかはわからないけれど。
それでも、飽くまでもう通り過ぎてしまったものだから、彼女は今を生きている私を尊重してくれているんだ。
そんなことを考えているのを見透かしたように、『お姫様』はニッコリと笑みを向けてきた。
「大丈夫だよ。今のあなたなら、もう全てを受け入れられるよ。当時の私が背負いきれなかったものに、今のあなたならきちんと向き合えるって信じてる。そうすれば、今あなたが悩んでいることも答えが見つかるんじゃないかな」
「全部、お見通しなんだね」
「だって私はあなただからね」
自分より幼い見た目の『私』に言われて、なんだか気恥ずかしい気持ちになる。
そんな私に『お姫様』はえへへと得意げな笑みを浮かべた。
「思い出した瞬間は、戸惑うと思う。迷うと思う。当時感じた気持ちや使命感、決意や覚悟を思い出したら、心は大きく揺れ動くかもしれない。でもね、それに縛られる必要はないの。大事なのは今だよ。全部思い出した上で、その時あなたがすべきと思ったことをすればいいんだよ」
「うん。でもそれって、その時まで問題を先送りしてることにはならないかな……?」
「そんなことはないよ。だって問題はまだ起きてないんだから。まだ何も思い出してないあなたには、そもそもそんな問題は起きていないんだから」
「それも、そうだね」
つまるところ、記憶を取り戻さないことには何も始まらない。
何が大切かとか、何をするべきかとか、自分は何者なのか、とか。
全てを忘れてのうのうと生きている今の私に、結論なんか出せっこないんだ。
レイくんだって言っていた。
結論を焦る必要はないって。ただ、そのことを頭の片隅に置いておけばいいって。
だから今の私がしておくことは、その時の為の心積りをしておくことだ。
選択を迫られた時、選ばざるを得なくなった時、それをすることを躊躇わないようにする心の準備。
きっといざという時、私は戸惑い困り果てるだろうけれど。
でも、なんの覚悟もなくその時を迎えるよりはマシだと思うから。
だからこそ、レイくんはそんな話を私にしたのかもしれない。
「だからあんまり考えすぎないで。考えるのはいいことだけれど、考え込むのは良くないんだよ? 私たちは、心のままに生きるのが一番いいんだから」
ニコッと笑ってそう言うと、『お姫様』を私にお菓子を勧めた。
ふんわりと膨らんだシュークリームを口に入れると、滑らかな生クリームと濃厚なカスタードが口の中で混ざり合って、甘露な風味が私を内側から包み込んだ。
そのどうしようもない甘味が、色々なもやもやを塗りつぶしていく。
思わず頰が緩んだ私を見て、『お姫様』は嬉しそうに微笑んだ。
さっきまで見ていた夢とは違って、明確にここにいるとわかる。
眠りの中で見る夢の先。ここは私の心の奥底だ。
もう何度も訪れた、巨大な森の只中だった。
突然そのことを認識した私は、覆い被さるような木々を呆然と見上げていた。
いつからここにいて、いつからこうしていたんだろう。
「よかった。今回はまっすぐ来られたね。道案内を用意しておいて正解だった」
柔らかでどこか舌足らずな声が聞こえた。
さっきまで見ていた走馬灯のような夢と、氷室さんの姿を思い返していた私は、唐突に掛けられた声にハッとした。
私は椅子に腰掛けていた。
目の前にはテーブルがあって、フルーティーな香りがする紅茶の用意と、沢山のお菓子が並べられている。
巨大な森の中にあるお茶会の席。ここは紛れもなく、いつも『お姫様』と会う場所だ。
そんなことに遅れて気が付いて、私は声がした正面に顔を向けた。
テーブルを挟んだ向かい側には、案の定私と瓜二つの顔があった。
私よりも気持ち幼げで、白いワンピースが良く似合うもう一人の私。
封印されたことで、私がお姫様と呼ばれる所以の全てを切り離されて生まれた存在だ。
「また呼んじゃってごめんなさい。でも、これを逃したらもうゆっくりお話はできないと思って」
「あ、うん」
私はひどく気の抜けた返事をしてしまった。
心の中に降り立って、こうして同じ顔に向い合うのにはもう慣れた。
だからこの状況に戸惑っているわけじゃない。
ただ、さっき見ていた光景がとても頭に残って、どうも心ここに在らずになってしまう。
私の周りにいてくれる人たちとの思い出。それに、必死で私に何かを語りかけてくれていた氷室さん。
所詮は夢。なんの意味もないものだと言われてしまえばそれまでだけれど。
それでも今の私の悩みに直結していたそれは、心を揺さぶるのには十分だった。
けれど切り替えないと、と私は頭を振った。
こうして『お姫様』が私をここに呼んだということは、話があるからだ。
晴香の死によって私に掛けられている制限が緩んでいるとはいえ、それでもまだ封印されている状態だから接触は簡単ではないんだろうし。
その時間を無駄にするわけにはいかない。
「ごめんね。あのそれで、今回はどうしたの?」
「えっとね、ちょっとお話をしたいなぁって思って。後は、昨日のお礼」
『お姫様』は両手でティーカップを持って口に運んだ。
傾けるカップで僅かに顔を隠すようにしながら、やや上目遣いで私を見た。
「レオとアリアのこと、ありがとう。あなたが二人を切り捨てない選択をしてくれたことは、とっても嬉しかったよ」
「ううん。私は自分の気持ちに従ったまでだよ。私にとっての二人は、まだ怖い人たちってイメージがあるけれど。でも、私の中にいるあなたの気持ちが、確かに二人を大切に思っていたから。前と同じようになれるかはわからないけれど、それでも私は二人と仲良くしたいって思うから」
ニコリと笑みを浮かべて返すと、『お姫様』は嬉しそうに頷いた。
私の知らない私の過去を知りながら、私としてその後を見てきた私。
苦しかったはずだ、辛かったはずだ。
大切な過去を抱きながら、同じくらい大切な今を見てきたんだから。
それこそ、どちらかを選ぶことなんてできなかったはずだ。
でも『お姫様』は私に今を大切にするように言った。
過去に囚われず、今に目を向けて、今こそを大切にするべきだって。
きっとそれは、自分自身が過去の存在であると自覚しているからだ。
かつて『まほうつかいの国』でお姫様と呼ばれていた私の、記憶と力を切り離されて生まれた存在。
それは今の私から見たら明確な過去だから。過ぎ去ってしまったものだから。
どんな事情と経緯で、それが忘れさせられて切り離されて封印されたのかはわからないけれど。
それでも、飽くまでもう通り過ぎてしまったものだから、彼女は今を生きている私を尊重してくれているんだ。
そんなことを考えているのを見透かしたように、『お姫様』はニッコリと笑みを向けてきた。
「大丈夫だよ。今のあなたなら、もう全てを受け入れられるよ。当時の私が背負いきれなかったものに、今のあなたならきちんと向き合えるって信じてる。そうすれば、今あなたが悩んでいることも答えが見つかるんじゃないかな」
「全部、お見通しなんだね」
「だって私はあなただからね」
自分より幼い見た目の『私』に言われて、なんだか気恥ずかしい気持ちになる。
そんな私に『お姫様』はえへへと得意げな笑みを浮かべた。
「思い出した瞬間は、戸惑うと思う。迷うと思う。当時感じた気持ちや使命感、決意や覚悟を思い出したら、心は大きく揺れ動くかもしれない。でもね、それに縛られる必要はないの。大事なのは今だよ。全部思い出した上で、その時あなたがすべきと思ったことをすればいいんだよ」
「うん。でもそれって、その時まで問題を先送りしてることにはならないかな……?」
「そんなことはないよ。だって問題はまだ起きてないんだから。まだ何も思い出してないあなたには、そもそもそんな問題は起きていないんだから」
「それも、そうだね」
つまるところ、記憶を取り戻さないことには何も始まらない。
何が大切かとか、何をするべきかとか、自分は何者なのか、とか。
全てを忘れてのうのうと生きている今の私に、結論なんか出せっこないんだ。
レイくんだって言っていた。
結論を焦る必要はないって。ただ、そのことを頭の片隅に置いておけばいいって。
だから今の私がしておくことは、その時の為の心積りをしておくことだ。
選択を迫られた時、選ばざるを得なくなった時、それをすることを躊躇わないようにする心の準備。
きっといざという時、私は戸惑い困り果てるだろうけれど。
でも、なんの覚悟もなくその時を迎えるよりはマシだと思うから。
だからこそ、レイくんはそんな話を私にしたのかもしれない。
「だからあんまり考えすぎないで。考えるのはいいことだけれど、考え込むのは良くないんだよ? 私たちは、心のままに生きるのが一番いいんだから」
ニコッと笑ってそう言うと、『お姫様』を私にお菓子を勧めた。
ふんわりと膨らんだシュークリームを口に入れると、滑らかな生クリームと濃厚なカスタードが口の中で混ざり合って、甘露な風味が私を内側から包み込んだ。
そのどうしようもない甘味が、色々なもやもやを塗りつぶしていく。
思わず頰が緩んだ私を見て、『お姫様』は嬉しそうに微笑んだ。
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